ミームの戦争:
🇷🇺が占領地でロシア語教育を押し付けたり、教科書や学習指導要領で🇺🇦の歴史を消去しようとしたりしていますね。このような動きの文化的背景をよく説明する論考スレッドをご紹介。著者はKamil Galeev氏。脅威の110連ツイ。要約3つ投下してから本文投稿します。
要約①:
・Z戦争の動機の本質はウクライナの「文化的ミームの消滅」
・「ロシア的=正常」「ウクライナ的=劣等」という発想でZ戦争は「善意」から始まった
・Z戦争の背景にノーベル文学賞詩人ブロツキーの存在
・ブロツキーの詩「ウクライナの独立について」はロシア社会で繰り返し取り上げられた
要約②:
・「ウクライナの独立について」の最後の2行に登場する2人の詩人プーシキンとシェフチェンコについて深堀
・プーシキンはロシア帝国主義の支持者(=ロシアのミーム)かつ、近代ロシア語を作った人物としてロシアの教科書に掲載
・シェフチェンコは帝国主義の批判者(=ウクライナのミーム)
要約③:
・中世ロシアにおける宗教的共同体としての「ロシア」を国民国家としての「ロシア」と混同して戦争を始めた馬鹿者がいる
・ウクライナの政治的思考は立憲的だった。皇帝の権力を制限し、責任を課そうとした。また司祭も選挙で選んでいた。
・ロシアのミームとウクライナのミームは相容れない
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ミームの戦争:Z戦争が平和に終わらない理由
東欧の文化的背景をよく知らない欧米のアナリストの中には、Z戦争を偶発的なものと見なす人がいる。彼らは、ロシアの侵略はある種の「誤解」や「過ち」から生じたもので、交渉によって解決できると考えている。
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それは希望的観測の教科書的な例だ。ルトワックのような高名なアナリストが、なぜ「戦争を続ける必要はない」と主張するのか?それは「彼」が戦争を継続する必要がないからだ。私は必要ない→誰も必要ない→平和的解決は可能である。しかしそんなことはありえない。
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あなたは戦争を早急に止めたいかもしれないが、それはあなたが決めることではない。ウクライナに侵攻したロシアが決めることだ。動機はまだ残っている。プーチンやゼレンスキー、CSTOやNATO、シロビキやメールとは無関係に。政権間の戦争ではない。ミームの戦争だ。
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Z戦の動機は、「安全保障」でも「同盟」でも「政治的所属」でもない。誤った文化的ミームを消滅させ、正しいものを押し付ける必要があるからだ。だからこそ、Z戦争は幅広い大衆の支持を得た。ロシア人はウクライナに対する全面戦争に簡単に同意したのだ。
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傲慢に聞こえるかもしれないが、文化的背景を理解するためには、その国の言語でコンテンツを読む事が必要だ。ロシア語のコンテンツを読むアナリストは、通常、Z戦争は必然的と見ている。彼らはそれが起こることを予見していた。だが、そうでない人は、たいてい驚く。
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Z戦争が起こったのは、そもそもロシアがウクライナの存在を受け入れなかったからだ。「ロシア」というのは、国家だけでなく、国民、特に文化的エリートのことだ。この戦争を準備したのは、無知な大衆ではなく、美化された文化エリートだったのだ。
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彼らは、ウクライナは劣った文化や歴史を持つ偽りの国であると主張していた。言い換えれば「ウクライナ人が劣ったミームに固執している」というのだ。最悪なのは、優れたロシアのミームを受け入れてアップグレードできたはずなのに、それを拒否していることだ。
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ロシアのウクライナ侵攻は、文化的文脈でのみ理解できる。クレムリンは戦争を計画したのではない。ウクライナを「解放」し正しいミームを押し付けることによって救おうとしたのだ。だがウクライナ人は救われることを望んでいなかった。こうして特別作戦が戦争に変わった
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クレムリンの最初の思い込みは「ウクライナは救いようがない」だった。「ナチス」に支配された、劣ったロシア人の国だ。 国民を洗脳して服従させている。だが、ウクライナ人は密かに望んでいる。「ウクライナ」という茶番をやめ、普通の人間(=ロシア人)になることを
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Z侵攻の論理を理解するためには、「ロシア的=正常」であることを念頭に置く必要がある。ロシア化すると正常になるのだ。Z侵攻は、贈り物、あるいは人道的な作戦として計画された。だから、ウクライナの抵抗は衝撃的なのだ。彼らは正常になることを望んでいない。
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ウクライナ人の不義理とロシア化拒絶が、ロシア軍による暴力の急激なエスカレーションを説明している。ムィコラーイウへの空爆を見よ。私は、ロシアが戦勝記念日の5月9日までに、ウクライナの都市に対して戦術核兵器を使用しても驚かない。
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約58万人のフォロワーを持つ「全ロシアテレビ・ラジオ放送局」の特派員のコメント:
「マリウポリ。黙示録の地区。全世界に見せるべき?
そうだ。キーウ、リヴィウ、ポルタヴァ、テルノピリに見せよう:都市が降伏しなければ、粉砕されるのだ」
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クレムリンに近いこの男とか:
「ズドルブニウが爆撃されても気の毒に思わない。 彼らはロシア国家と契約解除したのだ。再びロシアと契約するには、ウクライナは大きな代償を払うことになる。
ハリコフ、キーウ、ドニプロ、リウネ、イバノフランコフスクも同じだ」
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公平を期すと、ロシアは常に、倫理的・法的規範を極端に無視して戦ってきた。ロシアがシリアのスンニ派のような非白人・非キリスト教徒に対して全面戦争を始めた時は、誰も気にしなかった(写真はトリミングしたので、もっとひどい)。だが、なぜウクライナなのか?
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ロシアの詩人ブロツキーから話を始めよう。彼は欧米では比較的有名だ。ノーベル文学賞を受賞したこともある。だが、彼の文化的な影響力は、おそらく西洋では過小評価されている。ブロツキーは単なる詩人ではない。ロシア文学の規範となる「最後の」偉大な詩人だ。
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ブロツキーはソ連当局の迫害を受け、米国に移住した。彼は、多くの賞や名誉、賞を授与された。さらにノーベル賞を受賞し、米国の桂冠詩人にもなった。彼の文学的才能と被害者としての記録の両方が、アメリカでのキャリアに大いに役立ったのだ。
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1992年にパロアルトでブロツキーが読んだ詩「ウクライナの独立について」。米国で書かれ出版されたものだが、この詩は最も広く引用され、ソ連崩壊後のロシアの政治的マニフェストに大きな影響を与えた。それは「超」ナショナリストな内容だ。
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ブロツキーの「ウクライナの独立について」の翻訳をどれにしようか?私はこれを選んだ。直訳ではなく、ずっといい。直訳では文化的背景の異なる読者には最適とは言えないが、これなら理解できる。
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参考:ブロツキーの「ウクライナの独立について」の翻訳
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この詩の中でブロツキーは、ウクライナ人(蔑称は「ホホール人」)に対して複数のメッセージを送っている。
1. ウクライナ人に「くたばれ」と言う。
2. 予言する「お前らクズはポーランド人とドイツ人に輪姦される」
3. ドニエプル川を逆流させるため、唾を吐く
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ブロツキーはこの詩を「危険な詩」と呼んだ。しかし、それはウクライナに対するロシア社会の多くの態度を正しく反映していた。2014年以降、この詩は特に重要な意味を持つようになり、メディアやロシア議会紙などの当局によって繰り返し宣伝された。
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しかし、私がもっと興味深いと思うのは、ブロツキーの詩の最後の2行だ。文字通り、ウクライナ人に向かって言っているのだ。
「死ぬ間際になって、死に床を掻くとき、タラスのたわごとではなく、アレクサンドルの台詞を喘ぐだろう」
どういう意味なのだろう?
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二人はそれぞれウクライナとロシアの国民的詩人だ。 ウクライナ人は死の床で、ウクライナの強気なタラス・シェフチェンコではなく、ロシアの天才アレクサンドル・プーシキンの言葉を引用する。なぜなら、「ウクライナ人」はロシア人であり、ウクライナは茶番だからだ。
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ここで興味深いのは、ロシア人のウクライナ人に対する優位性ということではない。面白いのは文学、特に詩の政治化だ。どの詩人を賞賛し引用するかは、政治的に中立ではなく、「最も」重要な政治的問題なのだ。でもなぜ?
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ロシアが文学中心の国であることは周知の事実だ。だが、その文学に関する西洋の知識は非常に限定的だ。博学な平均的アングロ人は、どのロシア人作家の名前を挙げられるか?トルストエフスキー、チェーホフくらいだ。彼らは翻訳可能な散文を創出したので、西側で有名だ
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翻訳不可能な作家は無視される。レーニンのお気に入りの作家サルトィコフ=シチェドリンのような散文作家だ。
「この文明は、酔っぱらいの暴動と勘違いされ、ウルス・クグシ・キルディバエフの町長に破壊された」 - 長い歴史の解説なしに、どうやってこれを訳すのか?
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ロシア文学で最も見落とされているのは、もちろん詩だ。ロシアは文学中心ではなく、詩が中心なのだ。詩はロシアの神聖な文学の正典の真ん中に位置している。しかし、ほとんど翻訳されないため、西洋ではあまり知られていない。
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ロシア史上、最も影響力のある作家は誰か?ロシアへの影響を考えるなら、アレクサンドル・プーシキンだろう。彼はまさしく「我々のすべて」(Наше все)と呼ばれている。実際、ロシアの言語と文学は、たった一人の作家の遺産に大きく支えられている。
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理論的にはロシアには古代文学の伝統がある。だが、実際には、その「主要な」部分は、プーシキンから始まっている。それ以前に書かれたものは、普通の教育を受けたロシア人には歴史的な遺物としてしか読めない。プーシキン以後の文学だけが、皮肉なく読めるのだ。
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なぜプーシキンが重要なのか?ロシアの子供たちは皆、学校で「プーシキンがロシア語を作った」と教わる。わかるだろうか?子供もわからない。だから、このプーシキンとロシア語に関する当たり前のことが、ネットで大変馬鹿にされている。いったいどういうことだろう?
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ベネディクト・アンダーソンは、この問いに鍵を与えている。アンダーソンによれば、近代文学言語は人工的なものである。近代国家とその均質化政策、そして印刷機の二重の効果によって生み出された。それ以前に存在していたものは、まったく異なる機能を発揮したのだ。
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近代国家や印刷機が登場する前の前近代世界は、文学的な言語を知らなかった。知っていたのは:
1)口頭言語(音韻ベース)
2)神聖言語(記号ベース)
例えばヨーロッパでは、メルキッシェ方言は口頭言語、ラテン語は神聖言語であった。
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まず、口頭言語から始めよう。前近代の世界に文学的な言語がなかったからと言って人々が会話できなかったわけではない。前近代の世界にはたくさんの方言があり、その中には現代の言語に似たものもある。しかし、現代の言語とは異なり、口頭言語は標準化されていない。
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今日、我々はフランス語、スペイン語、英語などの言語を話す。しかし、当時は実にさまざまなフランス語、スペイン語、英語があり、それらの話者は「会話の中でお互いを理解することが難しいか、あるいは不可能かもしれなかった」それはまさに自然の摂理だ。
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実際、これらの方言をフランス語やスペイン語と呼ぶのは不正確かもしれない。言語学的な地図は政治的な地図と一致しない。例えば、密接に関連するカタルーニャ - オック語の方言の地域は、スペインからフランスまで、新旧のあらゆる政治的境界線を越えて広がっていた。
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前近代の世界は、言語的多様性を含む多様性の世界であった。一般に信じられているのとは逆に、多様性こそが自然であり、均質性こそが人為的なのだ。相互に理解できない言語が大量に存在すること、それは自然の摂理だ。一つの文学的言語は自然でない。
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方言が前近代世界を個別の地域に分割していたとすれば、神聖言語はそれを真に広域な共同体に統合していた。例えば、ヨーロッパはロマンス語、ゲルマン語、スラブ語、その他の方言の地域に分かれていたが、1つの神聖言語であるラテン語によって統合されていた。
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かつての広域共同体は、記号的システムを中心に構築された神聖な共同体だった。ヨーロッパではラテン語、イスラム圏ではコーラン・アラビア語、中国では漢字。どの神聖な共同体も、それ自体が世界であり、その神聖言語によって真実を独占していると認識していた。
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ハンチントンが世界をいくつかの文明に分けたのは有名な話だ。しかし、彼の分類は恣意的に見える。もっと優れた、より客観的なアンダーソン流のパラダイムを採用すればどうだろうか。同じ神聖言語を使う人々が、一つの神聖な共同体(=文明)を構成しているとしたら。
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それぞれの神聖な共同体の中で、人々は複数の方言で会話していた。神聖言語は記号の共同体であり、方言は音の共同体だった。神聖言語は大衆にとって理解不能でなければならず、方言は理解可能でなければならない。最後に、神聖言語は方言とは異なり、非任意的だった。
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神聖言語は非任意的であった。それは現実の反映ではなく、真実の発露であった。それゆえ、聖典を方言に翻訳して腐敗させることは禁じられていた。それは、大衆にとって意味不明であることを意味する。しかし、それはバグというよりは仕様であった。
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イスラム教のウンマの記号的性質を考えてみよう。
「マギンダナオ族とベルベル人が出会ったとき、互いの言語を知らず、口頭で会話は不可能であっても、互いの書記言語は理解できた。なぜなら、彼らが共有する聖典は古典アラビア語でしか存在しないからである」
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この点で、クアルーン・アラビア語、ラテン語、サンスクリット語は、漢字に非常によく似た機能を果たしていた。彼らはすべて、音ではなく、記号の大域的共同体を形成し、この共同体は、客観的な真理を独占していた。現代の数学用語は、この古い伝統を引き継いでいる。
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世界を分割する局所的な方言と、世界を大域的な共同体に統合する神聖言語という二項対立は、前近代の世界について多くのことを説明している。大域と局所、秘伝と公開、高い地位と低い地位、記号ベースと音ベース。
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時代の流れとともに、古い書記言語を持つ聖なる共同体の結束は、二つの要因によって分断された。一つは、画期的な情報技術である印刷機である。もう一つは、もっと複雑で理解されていない、近代的な中央集権国家の発展である。
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印刷機が導入される以前から、中央集権的な政治(後に国民国家となる)が、行政上の方言を作っていた。しかし、あまりに多くの方言が混在していると運用が面倒だ。一つを選んで、その地位を高める方がずっと簡単だった。
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例えば、フランスには多くの方言があるが、それらはすべてラテン語の訛りと考えられていた。そのうちのひとつであるパリの方言が、公権力の言語となった。ラテン語のように真実を表す言語にはならなかったが、それは権力の言語となった。それで十分だったのだ。
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言語の均質化には印刷機が大きな役割を果たした。それは、方言の運命を左右する大きな分岐点だった。印刷された方言は、地位が上がり、しばしば存続した。一方、あまり印刷されなかった方言は、次第に衰退していった。
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2つの要因の組み合せ:国家の中央集権化と印刷機によって、神聖な共同体は断片化され、しばしば破壊された。ある意味で、世界は脱グローバル化した。それまで相互に連結していた神聖な空間は、多くの領土的な国家文化に分断されたのである。
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国家の中央集権化と印刷機は、世界を大きく均質化させる方言の分岐を生み出した。国家によって採用され、印刷によって伝播された方言は、その地位と適用可能性を大きく高めていった。一方、そうでないものは廃れていった。
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行政の中央集権化と印刷機の導入が、方言の分岐の引き金となった。しかし、それを完成させたのは、大衆学校教育であった。中央集権的で、国家が設計した統一カリキュラムに沿った学校教育は、文化的統一の手段として過小評価されている。
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大衆学校教育の普及に伴い、フランスの言語地図がどう変化したか見てみよう。1830年代に国土の大部分を占めていた非フランス語圏(濃い灰色)は、1950年にはわずかな孤立した地域にまで縮小した。カリキュラムに含まれるミームは急増し、除外されたミームは消滅した。
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方言の分岐は、国民的天才、特に国民的詩人という現象を説明する。多くの文学文化が国民的大詩人を中心にしていることにお気づきだろうか?なぜか?ここでいう「偉大な」というのは「影響力が強い」という意味だ。そして「影響力が強い」ことが標準化のモデルになる。
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偉大な詩人=国民的カリキュラムの詩人。カリキュラムは文化空間を均質化し、モノカルチャーを生み出す。カリキュラムは、方言の分岐を完遂させる。したがって、どの詩人がカリキュラムに含まれ、どの詩人が含まれないかは、政治的に非常に重要な問題である。
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さて、東欧の話をしよう。前近代の言葉は、クアルーン・アラビア語のようなある種の神聖言語を中心とした、いくつかの大域的な記号の共同体に分かれていたことは、先述の通りだ。西欧では、それはラテン語だった。東欧では古代教会スラブ語だった
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古代教会スラブ語は南スラブ系の言語だ。おそらくブルガリア語を起源とし、東欧全域で聖典や教会での礼拝に使われるようになった。現代のブルガリア、ルーマニア、モルドバ、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアが含まれており、特定の聖なる共同体を形成していた。
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聖なる共同体は、理解しがたい難解な言語を中心に構築される。実際、古代教会スラブ語の聖なる共同体はスラブ語やロマンス語、その他の方言の話者を含んでいたとしても、その神聖言語はそれらの方言とは理解しがたいほど異なっていた。
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特にロマンス語圏の場合、それが顕著だ。逆説的に聞こえるかもしれないが、正教会のルーマニア人は、自分たちが理解できないスラブ語の神聖言語を使っていた。文学的なルーマニア語の発展に拍車をかけたのは、プロテスタントの宗教改革だった。
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ルーマニア人はプロテスタントではなかったが、トランシルバニア地方のハンガリー人はプロテスタントだった。そのため、ルーマニアの司祭は典礼をスラブ語の神聖言語からロマンス語の方言に変える必要があった。文化的な相互作用は、多くの人が考えるよりずっと複雑だ
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ルーマニア正教の地では、方言は神聖言語から最も離れている。 しかし、東スラブ正教の地でも、古代教会スラブ語と方言との距離は大きく、大衆は南スラブの神聖言語を理解できなかった。
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古代教会スラヴ語の上に構築された東欧の聖なる共同体の存在は、中世ロシアにおける「ロシア人」の言葉の意味を明らかにするものである。それは民族を指しているのではない。それは宗教を指しているのである。
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前近代の聖なる共同体と現代の国家共同体を同列に扱うことは大きな誤りだ。 たとえ同じか似たような名前を持つとしても、それは間違いだ。現代のロシアでは、ロシアという言葉は国家を指す。中世のロシアでは、民族の壁を越えて活動する神聖な共同体を指していた。
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ロシアの年代記には、「ロシアの町、近郊の町、遠隔地の町」のリストが含まれている。
1. ブルガリア
2. ワラキア
3. ヴォリン
4. ザレシェ
5. キーウ
6. リトアニア
7. ポドリア
8. リャザン
9. スモレンスク
10. トヴェリ
1374年のリストを視覚化した地図。
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トヴェリやリャザンなど、現在では本当に「ロシア」だと思われている地域と、明らかに他国だと思われている地域とが混在している。例えば、これはリトアニアのロシア人街の地図だ。カウナスからモスクワまで、あらゆる民族や言語の境界線を越えて伸びている。
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さらに興味深いのは、年代記の「ロシアの町」のリストが、ブルガリアから始まり、ワラキアがその次になっていることである。東スラブの町はその後にきている。これはおそらく、ブルガリアが「ロシア」という神聖な共同体の発祥の地であったことを示唆している。
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一方、モスクワや現在の中央ロシアは、モスクワ大公国発祥の地であるが、そこは「ザレシェ(=森の奥)」と記されている。どうやら、モスクワ大公国は北の森の中で新しく植民地化された領土であり、「ロシア」世界の中心ではないと考えられていたようだ。
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ここから見えることは何か。ロシアの町の大図鑑も、ロシアの特定地域の地図も、民族性を無視している。ロシアの国土にはロマンス語を話す地域がある。リトアニア地方はバルト語圏と東スラブ語圏の両方を含んでいる。が、誰も気にしない。
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年代記の「ロシアの町」の地図は、民族や話し言葉の地図では「ない」。それは、当時「ロシア人」と呼ばれていた古代教会スラブ語の聖なる共同体の地図だ。出自や話し言葉は関係ない。典礼に古代教会スラブ語を使えば「ロシア人」になるのだ。
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そしてもちろん、現在のロシアは、聖なる共同体の中心地とは考えられていなかった。このリストでは、中心地はおそらくブルガリアだろう。ブルガリアの町が「ロシアの町」のリストの冒頭にあるからだ。この神聖言語がそこで生まれたのであれば、全く理にかなっている。
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中世の書物でウクライナやベラルーシが「ロシア」と呼ばれているから、ロシア国家の一部だ、と言う愚か者がいる。それは単純に間違いだ。中世の「ロシア」の聖なる共同体が、現代のロシアの聖なる国家と同一視されているのである。それは歴史に無関心な者の誤謬だ。
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欧米人が中世の聖なる共同体と現代の国民国家を同一視するのは、無知だ。しかし、ロシア人がそれを行う場合、それは政治的な主張だ。かつて古代教会スラブ語の聖なる共同体であったものが、いまやロシアの単一民族国家に変容しなければならないのだから。
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聖なる共同体を一元的な国民国家に変えることは、想像以上に難しい。なぜか?なぜなら、聖なる共同体では、神聖言語が膨大な数の話し言葉と共存しているからだ。聖なる共同体は、多様な前近代世界の現象だ。しかし、国民国家は違う。
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一元的民族国家は、多様性を許さない。一つの言語を選択し、それを自国の領土全体に押し付け、競合する言語を駆逐するのだ。それが方言分岐の大きな要因であり、統一された基準による集団学校教育によって完成される。
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これが、プーシキンが現代のロシアにとって重要であることの説明だ。ロシアはエカテリーナ2世の時代に現在のウクライナとベラルーシを併合した。以来、ロシア政府は、政治、文化、言語の面で、すべての東スラブ地域をロシア標準にならって均質化するよう常に戦ってきた
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ロシア政府は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ全土に同じ言語を押し付けようと奮闘した。だが、何を基準にするのかが問題だった。プーシキンが傑出しているのは、彼がこの標準を作り出したからだ。彼の文学的遺産は、国家が広めることのできるモデルを提供したのだ。
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プーシキンは、後に国家権力によって押しつけられることになるバージョンのロシア語を作ったという意味で、近代ロシア語を作ったのだ。だから、彼は最も影響力のある作家となり、現代のロシア人はプーシキン以前の文学をほとんど読むことができない。
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プーシキン以前のロシアには、単一の文学的標準がなかった。西欧言語の影響を受けたもの、他のスラブ言語の影響を受けたもの、古代教会スラブ語の影響を受けたものなど、さまざまなスタイルがあった。どの言語をロシア語の手本とするかは、さまざまな議論があった。
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プーシキンは、ロシア語よりもずっと早くフランス語に堪能になり、ガリシア語的なロシア語で話したり書いたりしていた。そして、彼の遺産が「標準」となったため、ロシア語の文法はとてもフランス的になった。
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また、プーシキンはロシア語の使用域(*)を作り出した。プーシキン以前は、標準的な文語はなかった。ロシアには口語としての方言と、神聖言語としての古代教会スラブ語があった。また、さまざまな使用域を試す多くの作家がいた。
(*)特定の社会的場面で使用される言葉
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18世紀のロシアの作家は、古代教会スラヴ語を高貴な言語、方言を低俗な言語と認識していた。そのため、古代教会スラヴ語の語彙や文法構造をできるだけ多く使って、高尚な文章を書こうとした。
81/110
プーシキンは違う選択をした。彼は、口語の方言と神聖言語を明確に区別し、方言をベースに文学的なロシア語を作り上げたのだ。口語ロシア語 ≠ 古代教会スラヴ語であり、彼の作品の基礎となったのは口語の方言であった。
82/110
古代教会スラブ語の要素は、ロシア語の一定の使用域として維持された。プーシキンが宗教的な文体で詩を書こうとするときは、必ず古代教会スラブ語の文法や語彙を用いた。また、詩を「古風な」テキストに倣って文体化する場合も同様にした。
83/110
プーシキンの言語が標準ロシア語となったことで、彼の作った使用域が統一されるようになった。現代ロシア人は古代教会スラブ語の単語や文法構造を耳にすると「宗教的」「古風」と感じる。そのため、歴史小説には多用される。
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現代ロシア人は、古代教会スラブ語の一節を聞くと「過ぎ去った時代の言葉」として認識する。それは歴史的には正しくないかもしれない。実際には、古代教会スラブ語は話し言葉ではなかった。プーシキンがそう決めたから、我々はそれを「古い話し言葉」と認識するのだ。
85/110
プーシキンがロシア語に与えた影響は、方言分岐の過程を示している。以前は多くの方言があり、多くの作家がその中から文学的な言語を作り出そうとしていた。しかし、中央集権的な国家では、たった一つの言語が標準となるのだ。
86/110
国家は一つのモデルを選択し、それを押し付け、他のすべてのバリエーションを駆逐する。印刷されていない地方の方言であれば、このプロセスはスムーズに進む。印刷された方言の場合は、より問題が発生する。だが、本当に問題なのは、誰かが代替案を作り出したときだ。
87/110
それが、タラス・シェフチェンコの政治的な重要性である。ロシア、ウクライナ、ベラルーシには、まったく異なる方言が大量にあった。もしロシアが統一を図ろうとすれば、プーシキンを手本にすることになる。シェフチェンコは、それに代わるものを作ってしまったのだ。
88/110
この代替案は、単に言語的、文化的なものだけではなかった。それは政治的な意味も帯びていた。プーシキンはロシア帝国の伝統を支持した。シェフチェンコはそれを拒否した。この二人の作家のロシア帝国主義に対する態度を考えてみよう。
89/110
プーシキンは超タカ派だった。1830年のポーランドの反乱の際、彼はこう書いた:
「我々はポーランド人を憐れむしかない。我々は彼らを憎むには強すぎる。この戦争は殲滅戦になる。少なくともそうなるべきだ」
「ポーランド人は絞め殺すべき。我々の遅さは苦痛だ」
90/110
プーシキンがコーカサス戦争の大量殺戮を讃えた言葉:
"
私は英雄たるあなたについて歌おう
ああ、コーカサスの災い、コトリャレフスキーよ
君の征くところ嵐のように吹き荒れ
黒死病のような君の進撃
あまたの部族を粉砕し滅ぼした
"
91/110
プーシキンは、ロシア帝国主義のアイデンティティを自分のものと受け入れていた。彼はロシア帝国主義を全面的に支持し、それに対する批判は彼を刺激した。1830年のポーランドの反乱を支持したフランスの政治家に対する彼の詩「ロシアを中傷する者たちへ」を見てみよう
92/110
参考:プーシキンの「ロシアを中傷する者たちへ」の翻訳
93/110
プーシキンの遺産は、ロシアで最も重要なミームだ。トルストイやドストエフスキーの著作は、エッジの効いた反主流論になりうる。プーシキンの著作は、客観的な真実だ。ロシアのスター、ベズルコフがプーシキンを暗唱し、現在のZ戦争を正当化する様をご覧あれ。
94/110
プーシキンがロシアの軍国主義を賛美したのに対し、シェフチェンコはそれを批判した。ロシアの征服に抗う山岳民に共感し、ロシア人徴集兵の犠牲を嘆いた。プーシキンにとって人間の不幸は何の意味も持たなかったが、シェフチェンコにとっては非常に重要なことだった。
95/110
シェフチェンコの詩のいくつかは、プーシキンへの皮肉に聞こえる。プーシキンの詩がミツキェヴィチに対する皮肉であったのと同じように。この3人の詩人は、同じ議論好きのネットワークで活動しながらも、まったく異なる政治的な見解を持っていたのだ。
96/110
この二人の政治的立場の違いは何によって決められたのだろうか。ミツキェヴィチとシェフチェンコがロシア帝国主義を批判したのは、彼らが敗戦文化圏に属し、弾圧されたからだと考える者もいるだろう。しかし、私は、根はもっと深いところにあると考える。
97/110
ウクライナがロシアと異なるのは、使用する方言だけでない。東ウクライナは17世紀にロシアの支配下に入ったが、ロシアへの統合は18世紀末のエカテリーナ2世の時代から始まった。したがって、ロシア人とウクライナ人のミームは異なる進化を遂げた。
98/110
ロシアとウクライナの文化の違いには、個人の主体性、個人の尊厳、集団行動に対する理解の違いがある。ロシアでは、これらの考え方は、何世紀にもわたってロシア国家によって徹底的に排除されてきた。ウクライナでは、その時間ははるかに短かったのだ。
99/110
国家レベルでの違いは特に顕著だ。17世紀半ばにウクライナのヘーチマン国家がロシアとの統一を決めたとき、ウクライナ人は必要条件をリストアップした。ロシア皇帝は、彼らの権利と特権を維持することを誓わなければならなかった。もちろん、皇帝はそれを拒否した。
100/110
ウクライナの政治的思考は立憲的だ。我々はあなたを皇帝として受け入れることに同意する。しかし、我々の権利を維持することに同意しなければならない。権力は条件付きだ。それはウクライナにとって普通のことだったが、無条件の権力を求めるモスクワには拒否された。
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この点でロシア国家は1654年以降、変わっていない。プーチンの副官キリエンコが2017年に語ったように、「ロシア国家は条約に基づくものではない」。条約はツァーリの権力を抑制し縛りを与える。それは不名誉なことだ。だから彼は機会を見つけては条約を破棄する。
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表面的には、文化の違いはもっと顕著かもしれない。次のことを考えてみよう:ウクライナ人は歴史的に司祭を選挙で選んだ。ロシア人はそうしなかった。これは非常に重要なことだ。1900年まで、教会は文化的インフラの主要な要素であった。
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多くの人々は神父が提供する文化的コンテンツ以外、ほとんど、あるいは全く消費しなかった。教会は大衆のためにコンテンツを選び、検閲し、配信していた。この意味で、教会は今日のソーシャルメディアのように非常に重要な存在だった。教会はかつてTikTokだったのだ。
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ウクライナ人は司祭を選挙で選び、誰がその地域の文化的なコンテンツの流通をコントロールするかを集団で決定した。司祭の選挙が大衆の政治生活の焦点であったことは不思議ではない。何世紀にもわたって、ウクライナ人は選挙運動、投票、選挙政治を実践してきたのだ。
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ロシア人にはこのようなチャンスはなかった。ロシア国家には個人の主体性、集団行動、政治参加の形態を絶滅させるための、より多くの時間と機会があった。遅れて征服され、さらに後から帝国に統合されたウクライナよりも。
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さらに重要なことは、ロシア国家がロシアにおける人間の尊厳の観念を破壊したことである。ロシア人は、自分たちには何の尊厳もないという考えを内面化した。彼らの尊厳、重要性、自己価値は、帝国に属する(=服従する)ことで初めて導き出されるのである。
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プーシキンがロシア支配の利点をどのように宣伝したか見てみよう。
"
服従せよ、チェルケス!西も東も
やがてお前と運命を共にすることになるだろう
そのときが来れば、お前は横柄にこう言うだろう
私は天下の皇帝様の奴隷だ!
"
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シェフチェンコがプーシキンを容赦なく嘲笑したのも無理はない。ウクライナの文化的ミームの持ち主にとって、ロシアのミームは、人間の文化というより、ゾンビの信条のようで、絶対に受け付けなかった。シェフチェンコにとってロシア帝国は破壊されるべき悪だったのだ
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その逆も然りで、ロシアの文化的ミームの信奉者にとっては、シェフチェンコは死すべき敵であった。彼は、政治的、文化的、言語的なウクライナのミームを表現していた。ウクライナのミームは破壊され、ロシアの文化標準がウクライナ全土に押し付けられるべきであった。
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文化の均一化、それがZ戦争の真の目的だ。古代の聖なる共同体の方言の分岐を、全員がロシア人になる方向へ誘導することだ。ウクライナの問題は、その方言がいまだ存在することにある。これが、ロシア文化に深く埋め込まれている観点だ。
(スレッド終了)
著者紹介:Kamil Galeev氏
関連情報:
占領地でのロシア語教育、教科書からのウクライナの存在の削除、指導要領改編によるプロパガンダ教育など、「ウクライナの文化的ミームの殲滅」を狙いとするロシアの各種施策を集めたスレッド。
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