岡田育 🍥 Iku Okada Profile picture
文筆家 | #我はおばさん #おばさん文庫 | #ハジの多い人生 #嫁つも #天国飯と地獄耳 #40歳までにコレをやめる #오카다이쿠 #女の節目は両A面 | Author based in NYC | 戦争反対、差別は論外 | Twitterはやめました。アカウントを残して今は毎日Blueskyに居ます。経緯は↓

Nov 2, 2022, 185 tweets

20221101 ONGOING. #ParadeNYCC

続)私やっぱり『パレード』が一番好きです。

続)マイケルアーデン演出、NYCC版『Parade』観劇。初日の晩からネタバレ感想書くので避けたい人は避けてください。私はホリプロ版の森新太郎演出を初見にしてベスト認定してしまったが、観比べればそりゃ、どちらもいい。てか私はジェイソンロバートブラウンが好きなのよ。大好きなのよ。いい作品だ!

続)拍手なんかさせないできない緊迫感で全編貫くパレードもよかったが、とんでもない場面や曲中転換でさえ拍手喝采ヒューヒューいちいちショーストップするパレードもいい……終演後退場でアフターパーティーの列に紛れてしまったのだが紳士淑女の皆様マジで今から会食するんだ! ルシール並の胆力!

続)なお「ONGOING」というのは終演の瞬間に舞台上に掲出されるテロップです。開演前、同じ場所に掲出されるテロップは1986年の死後特赦に触れている。レオフランク事件は2019年にも調査再開の動きがあった。「まだ続いている」話だから再演されるのだと強く感じさせる作り。
atlantamagazine.com/news-culture-a…

続)本日はバルコニー(3階席)観劇で奥のスクリーンはほとんど見切れたが、作曲者JRB本人が指揮するオーケストラまでつぶさに拝めて舞台奥への出ハケも把握できる画角でオタク向きだった。カーテンコールで絶叫してたら隣席の客とハモッてしまい顔見合わせて笑う。固有名詞を整理してからまた来ます!

続)舞台は三段構造。中段が主なアクティングエリア、最奥にプロジェクター、オーケストラピットの手前に演者の待機椅子が並べられている。これが法廷にもなる。中央の高台上部には開演前からピクニックの敷物が敷かれ、観音開きの奈落蓋も見える。お察しください。半円旗で飾られた舞台前面が最下段。

続)3階席からは最奥プロジェクターはほとんど見えないが、高台の側面もパネルになっており、開場時には「PARADE」とだけ表示されていたのが、開演直前にト書きがフェードインする。「有罪か無罪かには言及せず、レオフランクを保護できず1986年に至った州の過失を認識した上で」この時点でしんどい。

続)先に断っておくと私は生で観たのは直近の再演日本版だけ、後はコンサート含めて映像や音源しか知らず、初演オリジナル戯曲すら未読。アーデン版の感想も「日本版とここが違った」との形容が増えます。これは単に差分を記録して記憶にとどめたいだけで、二者の優劣をジャッジするものではないです。

続)JRBが指揮台に着くまでで拍手喝采。The Old Red Hills Of Homeのドラムが始まると既に最上段の高台の敷物の上に抱き合う若い男女の姿がある。半裸の屈強な男性、若い兵士が一音もブレずに歌い上げるなか、ズボンを留めてシャツを着た彼は軍服姿に。恋人のライラもその着替えを手伝い、抱擁とキス。

続)ピクニックの敷物はライラの羽織物に変わり、銃を捧げた他の兵士たちの輪に加わる若い兵士に、杖つく老いた兵士が帽子を渡す。このヤングソルジャーからオールドソルジャーへの転換時点で客席は曲中に大拍手。えー!? と戸惑いを隠せないが全編こう。奥の白黒映像ではすでに紙吹雪が舞っている。

続)半世紀後のパレード大合唱で老兵士はライラの遺影らしき額を携えている。時制と場所を示すテロップや小道具が丁寧で、日本版の極限まで説明を削ぎ落としたミニマリズムと対照的。なお老兵士は今後もずっと二本脚、ここは日本版の片脚のほうがグッとくるけど、高低差ある舞台だし、仕方ないかなと。

続)痺れたのは、白人キャストがミザンスを整えながら美しいコーラスを響かせる中、同時に壇上に現れた黒人キャストたちは位置についたら微動だにせず口を噤んだままなのだ。「ふるさとの赤い丘」のあの抗し難い音楽的快楽のうねりの中、「歌わない」彼らの姿はいやでもBLMのニーダウンを想起させる。

続)一曲目で三段式アクティングエリアをどう使うかすべて示してて、この時点でいい演出だなと思う。How Can I Call This Home? ではユダヤジョークの歌詞にいちいち爆笑、ここで笑う客は初見でない証拠だけど、それにしてもそんなに笑うかよ? と一昨日の『レオポルトシュタット』ぶりに驚く(近)。

続)レオとルシールの「子作りしましょ」でも笑いが起きたけど、こちらの曲は、ただ話しかけてきたり酒飲んで暴れたりする南部人が個別具体的に演じられる中で「未開」と評する北部の男に同調の笑いが起きていて、日本で観るのとレオの故郷ブルックリンの近くで観るのとこんなに違うかとヒヤッとする。

続)ただ、高低差を使って人混みを掻き分け祝日なのに仕事に向かうレオの姿を描く、という演出は日本版とよく似ている。一方、The Picture Showは時代物の写真も使って他の乗客がひしめく路面電車の車内を描き、逆に日本版の「何も無いところに電車が見える」演出が凄かったなと思う。終始この調子。

続)さて、ここからBen Platt以上にMicaela Diamondを褒めることになるんですが、Leo At Work/What I Am Waiting For? 時点で高音の伸びが気持ちよくてな……箱入りお嬢さん感では堀内敬子に敵うものなしだが、レオ役者に遠慮せず単独でもガツンと歌うルシール役者で観ると、別の曲みたいに聴こえる。

続)日本版だと高台で帳簿にあたる工場長レオと低い居室で髪を梳く「待つ妻」ルシールのすれ違いが描かれるが、こちらではレオの狭い執務室が中段下手に固定され、ルシールのほうが最上段で記憶の中の母親と対峙したりミニーに渡されたレースの手袋をつけたりするので「格差婚した夫」が小さく見える。

続)私は脚本と訳詞の力を強く信じた日本版のミニマリズムが大好きなので、この曲に限らず「母親役とかわざわざ実体で登場させる意味あるか? 蛇足では?」とは思うけど、歌い手本人とは別に歌詞に登場する人間を立たせてマイムで参加させる、という手法はこの後も繰り返されるので次第に慣れてくる。

続)メアリーフェイガンは登場時からずっと白い風船を手にしていて、それが他の演者と彼女を区別しているのだが、お給金もらってオフィスを出るときの「Mr.Frank,」という呼びかけとともにそれが手を離れてスッと垂直に飛んでいき、暗転。I am trying to rememberあたりは日本版と本当によく似ていた。

続)たとえばニュートが孤絶した場所で歌う、地下室の死体は直に見えない、刑事の声にまるで抑揚がない、似ていると感じるのは「脚本に無駄がない(そうとしか演出しようがない)」からだよな。しかしコーヒー飲むとかグリースは食えないとかリンゴを出せといったレオの偏食発言で客席は笑う笑う……。

続)で、検事ドーシー。容姿外見が似てて台詞も同じなのに、こんなC調かつ野心家な若い男に見えるの、すごいな。先に言っておきますけど今回のPaul Alexander Nolanがいいとか悪いとかに関係なく、全編通してやっぱり私は、自分の推しである石川禅のドーシーが好きすぎて好きすぎると再認識しました。

続)Paulドーシー、初登場時点で普通に次期知事候補っぽいんだわな……知事夫人サリーにおべっか使うのも政治家っぽいし。禅ドーシーのあの「虎視眈々とチャンスを狙ってはいるが、まさかスピード出世などはできそうにない、とはいえ出てきただけで観客の視線を奪う」叩き上げのギラつきとは相当違う。

続)てか、あれですよ、全体的に登場人物が若く見える。否、若い。30代で死ぬレオを20代が演じて、ドーシー&ワトソンも「ここから何者かになっていく」壮年で、このほうが史実に近いのだろうが……私はベテラン俳優がこの事件を機に「止まった時計のネジを巻く」ように動く日本版の感じも大好きなの。

続)そりゃベン&ミカエラのほうが子作りする暇も無く新生活に忙しい新婚夫婦と見えるけど、石丸幹二&堀内敬子のあの中年だけど中年だからこそ「こいつらほっとくと永遠に童貞と処女なのでは?」と思わせる「ネジが巻かれてない時計」感も捨て難いし、禅ドーシーの出世が頭打ちの停滞感も好きなのよ!

続)別腹で楽しむが、やはり日本版『パレード』の刷り込みは強烈で、フランク夫妻だけでなくジョージア州アトランタ全体が「All The Wasted Time」を抱えてきた感じは、役者の年齢高めの日本版に軍配なんですよ……とはいえ若くても当地は全員バリバリに歌うめえのでそりゃ史実通りに観るのも正義だ!

続)さすがは本国本場の上演版……ですけど、ここでまた、There Is A Fountain / Funeral / It Doesn't Make Sense がね、これがなー、これはどう考えても日本版に軍配。テンポ早すぎるねん! まさかの作曲者本人指揮と解釈違いだよ。てか、この葬送曲を念仏めいた回転数に落とした日本版、天才だよ。

続)私はこの場面、既存の讃美歌と、新聞記者に促されて生前の故人を偲ぶ少年少女たちの明るい旋律と、神に復讐心の許しを乞う叫びが一曲中に交わり、それを引き取ったWatson's Lullabyが正義の鉄槌の直前の不気味な静けさでまとめ上げる四位一体が、大好き……なので……たっぷりしてほしかった……。

続)とはいえ、裁判が待ってるのにここでもたつくわけにもいかずチャキチャキ進む葬式、最上段の奈落蓋がぽっかり開いて、運び込まれた棺が四隅の縄を使って吊るされながら土中に下ろされ、参列者が雑に花を投げ込んでいく。はいはいこの同じ穴が二幕の私刑にも使われるんですよね……ともうしんどい。

続)なんでこんなにテンポ速いのかと思っていたが、Something Ain't Rightに続く取調室でのニュートリーの独り言もめちゃくちゃ早口で(知らないと聖書の言葉とは聞き取れなかったかも)、日本版はこうした細部でゆったり厳かさを出さないと宗教色がわかりづらいという判断だったのかもしれないな。

続)Real Big Newsで一部の客がノリノリの手拍子を始めかけ「!?」となったがすぐ止んだ。初見の客こそ手拍子できないだろうから再演待望してたオタクだと思うが、いやもう本当に文化の違い……。ジムコンリー登場、普通に真面目な若者と見えて拍子抜けする。ドーシーに詰められて初めて焦りが滲む。

続)坂元健児のあの出てきた瞬間「同じ黒人でもニュートと違ってこいつは信用ならねえ!」となる人生何周目かの不遜さ、あれはすごいことだったんだな……となるが、しかしここで冒頭の「有罪無罪に言及しない」とのト書きも思い出す。日本版が割と如実に露骨に描いたことを、この版では描かないのだ。

続)「やり手の検事に事前に接触され、丸め込まれて偽の証言をした」という意味で、女工たちもミニーもジムコンリーも並列と見える。私は悪くない、と、証言者はみんなそう思っている。その表情により「汚さ」が(そこまで策士とは見えなかった)(影が薄いとさえ思える)ドーシーに集中していく流れ。

続)比較して「法廷劇の前準備段階としてこちらのほうが妥当だな」と思った。日本版は検事役が石川禅な時点でクロすぎるんや。そしてその男が引っ張ってくる前科者の黒人が坂元健児なのでワルすぎるんや。「2時間ドラマに舞台俳優がゲスト出演した時点でサイコパスの真犯人とバレる」みたいなアレや。

続)(一幕フィナーレの裁判に辿り着くまでにスレッド連投の上限数を超えてしまったので一息つきます……)

続)さて裁判、みんなで下そうHammer Of Justice! トムワトソンは自己紹介前でまだまだ影が薄く何者かわかりづらいが声が良いので聞き惚れる。弁護士は有能無能以前に年若い被告や検事に比べて老けて見え、ドーシーが歌いだすと「ソロだな〜(若)」という感じ。いや石川禅の存在感が異様なだけだよ。

続)ところでYou Don't Know This Manからの面会時にレオが言う「You have to be there!」って何なら日本語訳の「いてくれなくちゃ!」のほうがグッと来ない? と思うのだが、裁判当日になると日本版と違ってフランクの被告席とルシールの傍聴席はすぐ近くで、椅子の背で手を重ねるのが激エモでした。

続)The Factory Gils/Come Up To My Office、椅子を使った輪唱の振付も、どこから来るのかと思ったらまさかの下段下手から登場するレオも、すごくよかったけど……照明が普通だった……普通の変態だった……私もう完全に「緑色に発光する石丸幹二」の色魔でないと満足できない身体になっとんのやな。

続)あと「一丁羅でめかしこんで法廷に入ってきた瞬間から傍聴席の女工たちにキャーキャー笑われて普段の工場での勤務態度も推して知れてしまうワルい坂元健児」に慣れてしまい、普通に出てきた青年ジムコンリーが普通に盛り上げるThat's What He Saidにも「歌上手いな」だけの感想になってしまった。

続)でもこの演出差はとても面白く、ジムに限らず女工もミニーもフェイガン夫人の証言さえも抑え気味のため「取るに足らない」ような印象を受け、レオ&ルシールが「嘘だ!」と声を荒げると(展開知ってるのに)「今は落ち着いて聴けよ陪審員の心象悪くなるぞ」くらい思ってしまう。これはこれで怖い!

続)クセ強すぎる禅ドーシーの「劇場」が始まってギャーッギャーッ勝てねえーッと過熱してく日本版もいいが、「あれ、この流れ、変えられないな……あの若い検事いつの間に全部お膳立てしたんだ」とヒタヒタ来る怖さもいい。フェイガン夫人も若く幼く見え、それがアトランタという街の若さとも見える。

続)評決後の勝利ダンス、突然キレッキレで踊り出す群衆のなかレオ&ルシールが無言で立ち尽くす日本版も最高ですけど、こちらは舞台全体に広がり薄まっていくような歓喜の表現。その間レオだけは上段中央で身ぐるみ剥がされ囚人服に着替えさせられる。一幕冒頭の若い兵士の軍服着替えと呼応している。

続)そして……ッチャン! と最後の音が鳴らされ拍手が起きオーケストラが立ち上がる頃までには演者はみな舞台奥に消え、気づけば囚人服の主人公だけが上段中央に残される。残っていて。残っている。……えっこのまま休憩!? というわけで我々は独房の死刑囚を眺めながら二幕を待ちます。天才かよ!?

続)一番驚いたのこの幕間の演出でしたね。みんなスマホの電源入れて死刑囚の記念写真を撮ったりします。檻の中の観察に飽きればPlaybill読んだり、楽しくおしゃべりしたり、やがてその存在を忘れます。死刑囚は頭を抱えて独房の隅にうずくまったり寝台に寝そべったり、看守が持ってきた水を飲んだり。

続)そうですね、我々は無実を主張する彼がここにブチ込まれるまでの一部始終を全部観てましたよね、でもそれはそれとしてトイレに行くし「本物のベンプラットめちゃカッコいいよー」と友達にメールしたりもしますよね。だってそうでしょ? 続きがどうなるかはまた暗転してからワクワク観ましょうね!

続)……いやぁそう来たか、ここで我々の気を咎めさせるか。なお私は森版『パレード』と同じくらいトムサザーランド版『タイタニック』(※物語は出航時点を回想する検証場面から始まるが、その手前、開場客入れの段階から設計士が舞台上で新しい豪華客船の図面を引いている)が好きなので……文字数!

続)一幕フィナーレ有罪万歳ダンス(そんな曲名ではない)で傍聴人が散っていく中、首に縄かけたフランキーが四つん這いで登場しておどけ、女工たちがその縄を引いてケタケタ笑いながら「縛り首だぜヤッター!」と無音の小芝居するんですよ。日本版ならジムが証言中にしそうな戯事を、少年少女がやる。

続)あとドーシーが椅子ごと胴上げされてたりする。簡素な舞台だけど無邪気さ残酷さを示すにもいちいち小道具を出してくる(というほどでもないが日本版と比較するとそう見える)のが効果的だったし、ジムの証言中はレオも隣に並び立って鏡写しにマイムするんだよね。実体と虚像、抽象と具象が混ざる。

続)二幕の始まりも、JRBとオーケストラがスタンディングオベーションを浴びる中でレオがさっと消え、さっきまで独房だった空間が別の部屋に変わり、ワトソンが灯りをつけ厳かなアカペラから入る。彼が聖なる歌を歌えば民衆が続けて声を重ねる。宗教指導者としての彼の姿がグッと立ち上がる燭台の火。

続)続けて知事公邸とテロップが出て、ジャックとサリーのやりとりがサラッと流されると、脇に控えていた身なりよく見目よく若く見える黒人男女がそのままA Rumblin and a Rollinへ雪崩れ込む。つまり彼らは知事夫妻の使用人。男は銀食器を磨き、女はナプキンをたたみながら歌う。知事が通ると草競馬。

続)若く見える、つまり彼らは半世紀前の南北戦争より後に生まれた世代だと、自然とそう解釈される。日本版では同じキャストが扮装変えて白人役と黒人役を兼ねたりもするのでそのへんぐちゃぐちゃで、程よく人物設定をぼかしていた効果もあったなと思う。あの道路掃除人たちは「戦前」世代に見えたか。

続)Do It Alone、ミカエラとにかく強い! 夫が有罪となって以降の毅然とした、イキイキとさえ見える姿、裁判前まではネコかぶってたんじゃないの? と思ってしまうほど笑。いくら知的だろうと弱く頼りない北部男が、女性蔑視的な態度を改めざるを得なくなるような、本性を表した南部女、という感じ。

続)堀内ルシールはなかなか日本的な造形だったというか、「こういうお嬢さんタイプかつ芯の強い女、いるいる〜」と思い浮かぶ像が日本と米国で違うんだろうね。それが歌声にも出るし(私は堀内さんがブリッコ声音や裏声を使うの嫌いじゃなかった)、続く知事との直接対決のドキドキ感の違いにも出る。

続)Pretty Music、知事が歌うめえ! Sean Allan KrillってHoneymooon In Vegasとかマンマミーア出てた人なんだな後から知った。ちゃんと知事に見えるし……そう思うと岡本健一のスレイトンは岡本健一だったな。ダンスの名手でパーティーの主催としては最高だけど大統領候補にはならんやろ、という。笑

続)岡本スレイトンはさ、彼のような男がなぜこの州の権力者なのか、変に謎めいて個性的に見えたんだよね。「この事件、知事が岡本健一でなければ(+担当検事が石川禅でなければ)ここまで変にこじれなかったんじゃないの?」と考え続けてしまう感あった。普通の政治家に見えると話がすんなり運ぶ。笑

続)あと、日本版は秋園美緒のサリー夫人が岡本知事とバランス取りながらめちゃくちゃ二幕の芝居を引っ張っていたんだなとよくわかった。Pretty Musicって数名の女性と踊ってから「君でなくちゃ」とラストダンスを夫人に捧げるんだけど、あそこの歌詞があんなに意味強く見えるの日本版だけだろうなぁ。

続)シャンデリアが豪華だったけど(ここでも小道具力!)、ダンスシーンとしては日本版のほうが華やかでよくできていたと思う。でもそういえば日本版で唐突に女装の男を混ぜてたのあれ何だったんだろうな。NYCC版は普通にやんちゃで派手なダンスを踊りたがる若い女の子とタジタジするおじさんでした。

続)私はダンスをしに来たのではない、音楽を止めろ!と言うルシールにビクッとして音楽を止めるバンマスのJRBかわゆかった。そしてThe Gloryは……いやまぁごめん私やっぱりパーティー着のまま釣具を背負って来て美麗にキャストする禅ドーシーを次期知事として最高と思ってっから……釣られたい……。

続)どうでもいいけどNYCC版は全場でテロップ出すので、この釣り場が「ローン判事の私有地」だと初めて知りました。台本読め。いやしかし何度も同じ話になるが、日本版はその手の説明いっさい省いて紙吹雪の山にちょっと川音を流しただけで「チャタフーチーの大自然です」とか言い切るのが最高なのよ。

続)そしてまた判事も歌うめえよ! 老いた兵士と兼役のJohn Dossett、PSQのティギンズですから!(一昨々日ぶりに癒されるPSQロス)。で、栄光が歌われる間、上手ではワトソンを囲む車座の集会が開催され、下手ではスレイトンが机に向かって再調査の決断を悩んでいる。この無音の芝居も大変よかった。

続)日本版のミニマリズムは最高でもワトソンの影薄すぎることなどには引っかかりあるのよ。さすが本国版はこういう細部で「地元で勢いを増す宗教右派の中心的な活動家」の彼が(はっきりそうとは言わずに)立体的に像を結ぶ。知事もここ(日没前後)で悩んでくれるとルシールの電話(深夜)に繋がる!

続)This Is Not Over Yetはショーストップ。一階席とかスタオベした人もいたのかな、ずいぶん止まってた。遮るもののない舞台で、レオが歌い上げる途中に奥からスタスタ歩いてルシールが迷いなく上段に乗ってきたの、ちょっとフフッとなった。電話の取次すら断られたのに独房で夫と抱き合っとるわ。笑

続)三段構造の舞台、最上部の白木の壇上で小道具もなく、この曲のこの瞬間だけが真の意味で「二人きり」に見えたな。こういう緩急があるから他の場面でも小道具が邪魔に見えないのだろう。ショーストップが再開して音楽が鳴ると調査も再開される。なんだこの脚本とスコア神がかってるな……(今更)。

続)Factory Girls Repriseでは少女たちのかわいさと知事のマジレスに笑いが起こる。Minnie Repriseは日本版で飯野めぐみの演技が強かったからなぁ、相対的にサラッとして見えた。しかし続く知事の「ご婦人は連れていけません、たとえあなたでも」には爆笑が起こる。そのくらい強いのよミカエラが。笑

続)Blues: Feel The Rain Fallはアトランタ郊外の鉄道工事現場ですって。さて、Alex Joseph Grarysonのジムはここへ来て突然グッとよくなる。今までのは全部Bluesに持ってくるまでのタメだったのかと気づいて驚いた。急に悪ガキの顔に戻るのよ。逃げた先の定職を奪われて、ふたたび鎖に繋がれたから。

続)ここへ来て、ドーシーとの邂逅やThat's What He Saidでちょっと食い足りんな(対サカケン比)と思った理由がすべてわかった。誰か一人を「真犯人」や「最重要人物」として描くことを避けるとこの按配になるのだ。これが冒頭の但し書きにもラストの「ONGOING」にも繋がるのだ。いやー、食い足りた。

続)Where Will You Stand When The Flood Comesは、松明無し。あんなに小道具多用してたのに松明無し……てか、もしかしなくてもこんなに松明が好きなの我々だけ……? 私は日本版でワトソンがフェイガン夫人を巻き込む流れが好きなんだけど、こちらはドーシーとツートップでしたね。野心家と野心家。

続)そしてこの洪水の曲中に舞台最下段ではカミソリ事件が起きます。え、超わかりやすい! なるほどそういうことだったのか(だからまず台本読めよ)。でも日本版が「こんなのいちいち描かんでも伝わるやろ」とこのへん削って代わりにレオにあの大袈裟なくらい太い包帯を巻いた判断もいいと思うなぁ。

続)All The Wasted Time、日本版だと「突然のピクニック! ずっとレオと一緒に行きたかったんだねルシールの画期的発案かわいい!」と思えるのだが、こちらは「ふるさとの赤い丘」でライラのピクニックを見てるので「ふたたびのピクニック、同じ敷物の上に戻ってまいりました最終盤です……」と沈む。

続)繰り返しになりますが、史実に近い若い男女が歌う「All The Wasted Time」は「何言ってんのまだまだ未来があるわよ〜」と思えるのだが、私は同じ劇団出身の勝手知ったる中年男女が久方ぶりの共演で歌う「無駄にした膨大な時間」「わかっていなかった何も」のズシンとくる抽象的な重みも好きです。

続)で、「日曜日にね」という挨拶からも案外チャッチャカ進む。高齢の看守は襲撃犯から如実に倒される。「ズボンを穿かせてくれ」と言いつつ股引は穿いているのでチュニック一枚の日本版のほうが絵面がエグい。日本版は照明の具合で襲撃犯が匿名的だったが、明るく顔が見えてるとこれはこれでエグい。

続)天井から縄が降りてくる。最上段の観音開きで穴が開く。同じ墓穴。実行犯が個別認識しやすいだけでなく、たしか「シュマイスラエル」か「メアリー、君のためだ」の手前でちょっとだけ客電もつくのでたまげる。私たち全員がこの私刑を目撃しているのだ。レオは縄ごと穴に落ち、縄だけ上がってくる。

続)上がってきた縄の先には瀟洒なランプが吊り下がっていて、それは記者が訪問したルシール宅の玄関先である。クレイグに悪びれた様子はなく、ルシールも「私はジョージアの女です」と淡々としている。下手中段はふたたび鉛筆工場、レオとメアリーのやりとりが再現される。軍服姿のフランキーもいる。

続)そのフランキーのあまりの幼さに驚き、そこでようやく、この版では冒頭の若兵士とフランキーが別の役者だったと気づく。その「幼い兵士」に老兵士が、兵帽でなくヘルメットを渡す。ここから先の時代、さらに凄惨さを極めて多くの犠牲を出す大戦争で、愛国者として死ね、と告げているように見える。

続)ぞろぞろと出揃った出演者たちが中段前方に並び、ルシールのソロから始まったフィナーレの「ふるさとの赤い丘」の旋律を合唱する。今度は黒人たちも列に加わって歌っている。そして列の中央にはルシールも混じっている。日本版では無言になった彼女が、ジョージアの民衆と明るく声を重ねている。

続)みんなみんな故郷に共生している、というその列に加わっていないのは最下段下手に佇むレオだけ。彼は「歌わない」でパレードリプライズを見つめている。敬礼をする者、お辞儀をする者、愛国者たちの列の中央でルシールはロケットを握りしめている。もうこれ以上はないやろ、と思っていたところ……

続)ずっと白黒だった舞台最奥スクリーンに現代のジョージア州のカラー映像が流され、若い兵士とライラを演じた男女と思しき二人が現代人の扮装で現れて、最上段に敷物を広げてピクニックを始める。2019年の再調査に言及する「ONGOING」テロップが出て、メアリーもいて、みんなが光を浴びて、終演。

続)初日なのでカーテンコールでJRBが前に出てきて挨拶して、客席のアルフレッドウーリーを探して見つけてハグして、大団円でした。

続)ひとまず最後までは書いたぞ。この間にいろいろ映像など来てるんだろうからゆっくり漁ります。当然ながら三階席からの眺めとは全然違って見えるね! なお初日の感想書いてたら未明5時過ぎになりましたが、明けて本日は同じ芝居を一階席で観ます楽しみ〜!(ビョーキだよ)

続)それにしてもMicaela Diamond、23歳かー、しかも2018年ワークショップからアーデン版のルシールやってるのか、すごい。別に森版パレードだって熊谷彩春22歳あたりが即ルシールに格上げされたっていいと思うんですけど、うーんでも初演再演の世代感のシニアキャスト陣でももう一回くらいは観たい!

続)公式の編集済映像もう一つ。

続)JRBのカーテンコール挨拶! 推しです!

続)ベンプラットもよかったけど、石丸レオが体得してるあの生理的なキモさなどはなく、InnocentかはさておきHonest、という文字通り。かたやミカエラは堀内ルシールとの比較以前に単体でつよつよで、「夫の死後も南部に留まり続けた」という史実に「でしょうね……」となる。

続)俳優の年齢層と実力が揃ってて人種を越えた兼役もあって、極彩色の紙吹雪が降ったら降りっぱなしになる凄まじいヴィジュアル以外はNYCC版以上にシンプルな演出ともいえる日本版『パレード』も大変おすすめなので映像だけでも観てくれ!! 明日観たい!!(ビョーキだよ)

続)オープニングで「歌わない」奥の黒人キャストたち、稽古場で確認できる。若兵士とライラは結構せわしなく着替えるが、その間にまったく声がブレないBrody Grantそれだけで見事だった。日本版はすでに出征後の姿でたった一人で情景描写するのが見事だった。Ashlyn Maddoxはモンティーンとの兼役。

続)Playbillの記事も繋げておく。フランキー役が南部旗の旗手をしている。それにしても稽古場動画だけ見てた数日前は舞台の高低差も大したことなく衣装替えの手数や小道具も少なくTHEコンサート版と見えていたが、ここから並行して詰めながら数日であれだけ演者の手数が増える最終版になったのかな。

続)< What a thrill it is to hear Brown's stirring masterwork in all its glory, but if you're a nerd like me and were hoping to watch him bring it to life, you're out of luck. >
オケが見づれえんだよ!という劇評。おまえは俺か! JRBのオタクは3階席に集合よ!
theatermania.com/new-york-city-…

続)「最前方座るとセット見上げて首痛くなるじゃん? 階上席だと奥のスクリーン見切れるじゃん? 24人編成オケを作曲者自ら指揮するならそれも絶対観逃せないのにアクティングエリアに視界潰されるじゃん? ちょっとどうなん?」は本当そうなのでオタクは別席種で複数枚チケット取ればええんやで〜!

続)もともと最速先行で一階後方席を押さえてたが、事前プロモーションを見て「これは……もしかしなくとも一階から一回だけ観ると全容わからんくなるやつ……」との予感がしたので急遽、直前まで残席あった昨日の三階も買い足したんですよ。まぁ芝居がよかったし正直オケそんなに観なかったけど……。

続)ていうかJRBを拝みたかったらJRB本人のライブへ行けばよいし私は今夏にJRBとショーシャナビーンが歌うThis Is Not Over Yetも聴けたのでその意味では先に成仏してるし最推しが後頭部と指揮棒しか見えずともオーケストレーションには満足したのよ。でも葬式のテンポは解釈違いだったなー(早口)。

続)JRBの曲はフルオケで聴いても最高だけど少人数バンド編成でピアノ弾き語りされる本人歌唱も最高なんスよ……みんな我が推しのソロコンにも来て……(日本でもNYでも同じこと言ってる)。

続)演出の話。マイケルアーデン版とてもよかったけど、ずーっと書いているように、先にあの森新太郎版を観た後だと「情報量が多い割にわかりづらい」とは言える。何でもかんでも目で見える形で見せて説明しすぎ、そのくせ群衆の出ハケの処理などは各自が好き放題に動いているように見えて戸惑う。

続)『Into The Woods』のように「これはコンサート形式を想定した上演のトランスファーですよ、森は心の目で見てね」とやる手法や、レミゼの周年コンみたいに「おまえら装置なんか要らんやろマイク前で扮装してるだけ有り難く思え」と開き直る手法もあるのに、制約多いなかで敢えて欲張ったなぁ、と。

続)大昔の初演もロングランではなかったし、今回初めて通しで観る客も多かろうし、そして米国を再び脅かす反ユダヤ主義に抗う意味でも、時代物の扮装しながらさらに現代的な演出を加えねばならない……というその意欲はビシビシ伝わったのですが、もうちょっと「心の目」に頼ってもよかった気はする。

続)高低差ガッツリつけて「山」みたいに見えるのはいいけど、一方でその山を誰もがホイホイ登り降りするので、レオの「外社会の狂乱と隔絶した独房で死を待つ」絶望は伝わりづらい。日本版はスライド台上の独房がさらに真上から純白の照明で区切られ、面会人も立ち入れない檻の中、と見えたんだよな。

続)ただ、Come Up To My Officeだけでなくその後That's What He Saidでもレオが「語られるレオ」を演じる、ジムが歌いながらとる大袈裟なジェスチャーを真隣でレオがそっくり同じにしてみせ、二人が双子の操り人形みたいに見える、といった瞬間は、同じ「目で見せすぎ」がうまく効いてはいたのよな。

続)ニューヨークシティーセンターは客席数2750超の大劇場で、芸劇(834)や他の劇場(500〜1500?)と同じことはできないだろうし、高低差つける案よかったと思うが……ところで私さんざん「今日は一階席で観る」と書いたけど確認したら今日もメザニン(2階席)だった、予感があったんだろうな……。

続)「幕間に出演者が残り続ける」はそれ自体が斬新な演出ではなく、『オレステイア』なんか長尺の四幕物で同じことしてたけど、それでもまさか『Parade』のしかも半分コンサート感覚で観に来た版で切られるカードとは思わなかった。でもやられてみるとレオ役者は二幕冒頭で休憩取れるから納得なのよ。

続)あと、複数の版を見比べると「結局トムワトソンは何者だったのか?」が沁みわたってくる。史実の上では法律家で政治家でポピュリストで出版物の発行人、元の脚本は「次に何かが起こるとき、また次のトムワトソンが現れるだろう」と思わせるのがうまい作り、その演出の仕方はさまざまなんだろうな。

続)私は日本再演の今井清隆ワトソンが初見だったので「あんな美声で扇動されたら誰だって従ってしまう……」というのが先に立ち、どこかハーメルンの笛吹きみたいな印象だったけど、初演は新納慎也で全然違っただろうし、Manoel Felcianoのワトソンは聖職者っぽい宗教性を帯びているのがよかった。

続)私が推しを好きすぎるだけでPaulドーシーがダメなわけではない。The Gloryあたりで、たとえば禅ドーシーに新納ワトソンではなく、新納ドーシーに禅ワトソンというような配役だったら、今回のアーデン版の印象に近かったかもしれないな、と考えていた。史実の年齢差はどうでもよく、演出として。

続)石川禅、腹に一物ある人物像が巧みすぎて観る者を必要以上に撹乱させることあるからな。「容疑者? 出します! 手柄? 立てます! 敵に回すと厄介だけど味方にいると便利でしょ、知事選? 出ます!」みたいなドーシーと、誰にも覆せない強すぎる信念で暗躍するワトソン、という綱引きもよかった。

続)レオやルシールやスレイトンなどは、この行動に至る人物なのだから必ずこのように演じなくては、という一応の型があった上で演者の個性が現れていくだろうけど、ドーシーやワトソン、ジムコンリーは、そこの柔軟性が高いのだ。善悪や敵味方で陣営を分けることはできないが、見比べるとそう気づく。

続)三流新聞記者クレイグについては、「マスゴミで何が悪い?」という露悪的態度から最後の「残念です、奥さん」までの振れ幅が激しい日本版のほうがわかりやすくてよかったけど、ドーシー、ワトソン、ジムコンリーあたりは、日本版のあれ一つが回答ではなかろうなぁ、と強く思うアーデン版でしたね。

続)この版のジムコンリーが初登場時「sweeper」と呼ばれて「I prefer “cleaning supervisor” if you don’t mind」と答えるところ、すごく真面目な好青年に見える。元不良だけど更生した、というような。それが脱獄の指摘を受けても崩れない。なんかこう、一瞬、ジャンバルジャン側の人かな? と思う。

続)でも二幕のチェインギャングソングで全然そんなことなかったと思い知らされる、逃げた先で定職を得て、ほんの束の間、穏やかな暮らしをしていた人間が、三度目の服役ではこれが今後も幾度となく永遠に繰り返されるであろうこと、そのたびにうまくやってやるぜという態度を隠さないことに打たれる。

続)そういえばこれ、ロケットじゃなくて結婚指輪ですね、クレイグがわざわざ届けに来たレオの結婚指輪。封筒に入った小さな光り物をかざして見ながら手で包む、という感じだったんだろう。

続)初演スクリプト拾って読んでいたが(自己責任でどうぞ)、冒頭、脚本に忠実なのは日本版のほうなんだよな。舞台下手にオークの木とか、メアリーにパラソルとか。そして森版もアーデン版もDonmar Warehouse production準拠で、削る箇所は似ている。一幕のメアリーの最後の言葉は直前で切るとか。

続)洪水の松明は初演台本に書いてあるな。そういえば私、日本版を観た直後にも台本あたったことあったな。森版、えらく台本に忠実なんですよね、ああ見えて……そこが好き……。アーデン版ではユダヤ人商店が襲撃されスレイトン知事が追われるクレイグの語りが省かれて、代わりにレオが襲われる流れ。

続)私は本当にこの作品が好きなんですが、しかし、じゃあ、まことしやかな噂通りオンブロードウェイに移行して再演版が復活するかというと、結構微妙だなとも思っている。現代米国社会の事象とリンクさせるにしても『HADESTOWN』くらい抽象度高くないとロングラン形式の商業的成功は難しそうだし。

続)その意味では日本の興行形態が向いてる作品かもしれないんだよな。千人規模の劇場で数ヶ月間の公演を重ねて数年に一度は再演しながら「誰もが一度は観ている評判いい社会派の作品」の地位を築いていくような。じゃあ次からは石丸幹二と柿澤勇人のダブルキャスト主演でどうか(それはジキハイ

続)Alex Joseph Graysonのジムコンリー動画。レオも若くてジムも若い(対日本版比)。このやさぐれつつ爽やかな悪戯ッ子感というかなんというか、脱獄者と知れるまでは鉛筆工場で働く真面目でセクシーな好青年に見えた、という感じ、伝わりますかね? だからこそThat’s What He Saidも怖いのだが。

続)喜んでいいのかはわからないが「米国がふたたび反ユダヤ主義(anti-Semitism)に脅かされる今こそ観るべき」というのはどこでも絶賛の根拠になっているな。私が2021年に日本で観たときも「今ほどタイムリーな観劇はない」と思ったけど、結局、ずっとそうなんだよな。
theatrely.com/post/a-parade-…

続)NYTの劇評も来た! いや本当に、初日とはいえ観客あそこで笑うかね……というのなどはある。ただ、もう四半世紀もフルバージョンで上演されていないと聞くと、それも観たいよね。初演版ではなく改訂版で。
nytimes.com/2022/11/02/the…

NYCC版『Parade』2日目。見納めてきました。
Day2 at Mezzanine! #ParadeNYCC

続)20221102、GT(1.5階席)すぐ後ろのメザニン(2階席)最前列中央からの眺め。やっと最奥スクリーンで何が起きてるのか把握したが、当時のアトランタの写真や新聞などに加え、新規登場人物に本物の本人の写真を重ねて見せる程度で、言い方は何だが作品ファンなら別に無くても話はわかるものだった。

続)それより気になったのがテロップ、初日になんか変な文法だなと思っていた開演前の文章はまるまる一行抜けており、ラストシーンでは初日には一枚だったテロップが二枚に増えて、しかも表示時間が短いので初見客たちが「あれ読めた?」と大混乱していた。いずれも二、三行以内に収めるべきだと思う。

続)良席から見切れない背景スクリーン付きで観ると「ラストが現代のジョージア州、レオフランク事件の碑が立つ公園でピクニックしているジーンズ姿の(冒頭で若い兵士とライラだった)白人男女」はさらに鮮明に伝わり、そこを注視して感動に浸りたいので、字幕は客電つけた後の掲出でいいのでは……。

続)別の席種からでも「観るもの多い!」という感想は変わらんのですが、今日の目線だとオーケストラピットの推しがほとんどアクティングエリアの奥に隠れたので、手前の三段構造で展開される芝居に集中できたとは思う。一方で照明効果を実感できて演者の細かい表情まで見えるので、結局観るもの多い!

続)さすがに初日ほどの中断拍手や爆笑は無かったけど、それでもやっぱり要所要所では笑いが起こるしショーストップも。劇評効果か演者みんな輝いてたなぁ、とくにジムコンリーが一夜にしてこなれていた。あと努めて推しのこと忘れて観たらドーシーの彼もよかったよ! 隅々までよいキャスティング。

続)ドーシーといえば今日はThe Gloryで手ぶら、ローン判事だけが釣竿持つ横で腕組んで脚組んで見てるだけ、本当にただ呼ばれて来た釣りの邪魔に見え笑、小僧ッコ感あってよかった。他は変更なかったと思うが、レオの腰巻が絞首より先に穴に落ちてしまうアクシデントがあり、それもそれでエグかった。

続)レオが吊るされる前に客電がつく、というのは、やはりシュマイスラエルをひとくさり歌ってふたくさり目に入るところ、カッと全部点くのではなく天井のシャンデリア型照明だけが灯り、その柔らかく薄赤い光が(日本版の横から当てられる強烈な光とは別の意味で)農場を照らす朝焼けのようだった。

続)三段構造の最下段、半円旗で覆われた中段の下になんかあるなと思って見てたら、演者の足元を邪魔しない程度に赤い土のようなものが盛られていて奥から漏れる光に照らされたりもする、……やだ、もしかして、おが屑……ここが「地下室」ってこと……? というのなど。観るもの多いんだよ本当。

続)改めて観ると、レオとロッサー弁護士とのやりとりが相当カットされてる気がする。2007年改訂版の時点で初演の描写がかなり削られてるようだが。それにしても、別版で観れば観るほど日本版の登場人物たちの造形というか、キャラクターの濃厚な煮詰め方に唸るよ。NYCC版くらいでも普通に面白いけど。

続)日本版の「本来ヤリ手だが加齢による慢心もあり簡単に片付く事件と思いきや互角のはずのドーシーに足元を掬われ途中から戦意喪失してしまう」ロッサーの感じとか、「出世のために釣りでもダンスでもこなす」ドーシーの感じとか、そんな台詞はどこにも無いのに客席で勝手に感じ取るの好きだったな。

続)ところでアーデン版、最後はアトランタじゃなくブルックリンじゃないかと感想述べる人もいて、それもそれでイヤだな……若い兵士が命かけて守りフランキーがユダヤ人を吊るした同じ場所でピクニックが続く、との解釈だったが、上演地の今現在の「俺たちの」ピクニックを見せられている、とも……?

続)歌詞もアトランタだし前者の解釈が妥当だと思う……のは私が日本人だからで、かつてレオが異国のようで馴染めないと歌い上げた南部と北部は今や「同じ」地続きの合衆国なのだ、というふうに受け止める観客がいるのもわかる。大写しになる碑の写真はマリエッタのやつかと。
readtheplaque.com/plaque/leo-fra…

続)なんでこんな『パレード』が好きかって私は「我々が人間である以上、差別と復讐の連鎖により犠牲が重ねられていく過去の出来事は、未来のどこでもまた起こりうる」を肝に刻まれるこの感じなんですが、もし母国の田舎で起きた事件が題材だったらこうも広げて俯瞰で考えられないかもしれないのよな。

続)なので、ミッドタウンの劇場で観て「最後はブルックリンじゃない?」と解釈できるNYの観客すごいな、と思いました。日本でアーデン版を上演するとして最後が新宿御苑になっても全然ピンと来ないだろうけど、この国で書かれてこの街で作られた芝居を、25年ぶりにみんなで観たんだよなぁ、ここで。

続)それはA Rumblin and A Rollinの「白人の少女が殺されてユダヤ人が吊るされるとなれば北部から人が来て大騒ぎ、黒人がいくら殺されて吊るされても気にされないのに、彼を自由にしろって騒ぐけど俺たちはどうだ? 奴隷はもう自由? ああそう」という歌詞も自分事として捉えてるということだからな。

続)私は日本版も好きなんですけど(ねぇそれ何億回言った?)、My Child Will Forgive Meの「And so I forgive you, Jew.」の最後とその後の静寂に、息止めて聴いてた観客が思わず「Oh……」とどよめくあれは、原詞、原詞ほんとすごいなー、と思います。訳詞は「許しますこの、……ユダヤ人を」。

続)訳詞も凄いんですよ! 本当に。Picture Showの「Why don't you ask Iola Stover, Her mama lets her do whatever she wants」→「アイオラを誘えば、彼女のママは甘いわ」「アイオラのママなら、誰とでもデートさせる」とか、英語で何度聴いても脳内に一緒に訳詞も浮かぶし、いつまでも忘れない。

続)「ダメ、ダメ、ママ、がね、16になるまで許さない」の押韻(a-e, a-e, a-a, a-e)も続く「Besides I only go to pictures that I haven't seen」→「ダメ、ダメ、それ、にね、あたしそれもうこないだ観ちゃった」の食い込みも完璧、元の日本語詞をJRBが英訳したのかよ? となるくらい自然だし。

続)「Go on, go on, go on, go on
I guess you weren't really listening when I said "No!"」→「だめ、だめ、だめ、だめ、一度ダメと言えば絶対ダメ!」も凄い……のだが、でもこの少年少女のかわいい「Go on, go on,」の掛け合いは、Real Big NewsとA Rumblin and A Rollinにも繋がっていくのよ。

続)まったく同じ「Go on, go on, go on, go on」が全然別のシチュエーションで別の歌い手によって歌われる、というあたりは原詞にしかない気持ちよさ恐ろしさもある。原詞を踏まえた上で日本語で観ると「あそこをよくここまで訳出したな」と驚嘆するけど、原詞を知らないと気づけないリンクもある。

続)JRBのあのメロディーと一体化した歌詞を外国語翻訳するなんて無理だろ、というその無理を実現している日本語訳詞が私は好きですが、やはりどうしてもこぼれてしまう箇所もあるんだよ。This Is Not Over後の再調査のくだりでレオとルシールが掛け合うとことか、英語でもただの喚き合いなんだけど、

続)あそこの(ガンガン行動し始めたルシールにレオが連携する)旋律が(夫とどう接したらいいかわからないと嘆く一幕の)「What Are You Waiting For」のリプライズだったの、私、今回の英語で生で観る機会で初めて気づいたからね!? いや訳詞でも気づける人は気づくんだろうけどさ……美しかった。

続)それでこれはまた、ミカエラが「何を待ってるの、ルシール?」という問いに対して「これこれ、私はコレを待っていたのよママ! てかもう1秒だって待たんし!」と返す勢いの、水を得た魚のような、いや、夫の死刑判決でそんなにイキイキできる妻も珍しいだろ……って歌い方なので気づけたんだよな。

続)日本版の堀内ルシールが意を決して行動する姿も可憐で痛ましくてグッと来るけどやっぱり「お嬢さん、無理すんな」とブレーキもかけてやりたくなるのが、ミカエラにはバックギアもブレーキも要らねえなと思う、そしてそのとき観客が彼女観て思う言葉は「Go on, go on, go on, go on!」なんですよ!

続)というわけで私はやっぱりアーデン版も日本版も好きですし、それぞれ演出に対して細かく言いたいことはあるにせよ、極東で翻訳上演されたバージョンも大好きだという状態で、過去のキャストレコーディングを聴くだけでなく、原詞で、生で、全幕通しての観劇が「今」できて、本当によかったですね。

続)Playbillの紹介欄に「若い頃のミカエラの夢はユダヤ民謡の歌い手になることでした、JRBの音楽を聴くまではね」とあって、好きィ〜! となったし、若い頃ってあんた1999年生まれ23歳でしょ、と震えますね。レオ役のベンプラットもよかったですがミカエラ……The Cher Show見逃した己を呪うわ……。

続)備忘録。「Without addressing guilt or innocence, and in recognition of the state´s failure to either protect Frank or bring his killers to justice, he was granted a posthumous pardon in 1986. 」はマリエッタのリンチ現場に建つ碑の最後の段落。初日のテロップは一行抜けているミス。

続)(ネイティブでもたったの7公演しかない大事な大事なガラの初日にこんな盛大な凡ミスやらかして誰も気づかず気づいたところで差し替えが効かないなんてことあるものなんだな……となんかホッとしますね、いや、ちゃんとやれ……写真が撮れない二幕最後の文言もどこかに落ちてそうなので探します)

続)改めて史実と戯曲と演出テロップの関係性を考えている。私は司法素人だが、「1986年に恩赦≒言い渡された有罪について効力は失われている≒有罪判決は間違いだったというのが現在の認識である」について、わざわざ掲出する必要があるか。いやまぁ、あるが。でも一幕最後がすべてという気もする。

続)戯曲執筆時点で上演台本の中で、一幕最後を裁判にしてあのように、あのような、あんな音楽と演出で締め括ることが定められていて、そして二幕があのように終わるので、これで読み取れない観客おらんやろとも思うが、まぁそれでもテロップ出したい出さざるを得ない、出すべきだとの意見も、わかる。

続)日本版演出は、ドーシー&ワトソンと他の民衆はユダヤ人街の焼き討ちで消え、その後リンチを挟んで、レオとメアリーは鉛筆工場の回想で消え、他の役者たちがみんな白い晴れ着に扮装変更して一幕冒頭と同じ「パレードの沿道」で現れ、明るい中に漆黒の喪服のルシールが佇む、という終わり方だった。

続)アーデン版は、リンチ直後、ルシールとクレイグのやりとり(ちなみにミニーもいる!再調査後の舞台奥でにルシールと二人きりうんと長いこと話す演出があったので雇い直しは納得)の最中からすでに、元の服着て下手に戻ってきたレオが背広を羽織って椅子に着く動きが丸見えで鉛筆工場回想が始まる。

続)おまえ今さっき穴落ちたばかりやんけ! となるほど早い復帰でベンもちょっと息上がってるんだけど、まぁ半分コンサートみたいなものだから日本版のようにパッと効果的に回想場面だけ照らす演出にはできないかなと。そのぶんメアリーもレオもラストの瞬間まで舞台上にいる作り、これはこれでいい。

続)去ったメアリーは一応奥の暗みに引っ込むが、レオは多分、中段下手の工場オフィスからスポット消えた後、ルシールから民衆へ「ふるさとの赤い丘」の旋律が歌い継がれるよきところで、そのまま下手最下段に降りる。そして結婚指輪を手に舞台中央で愛郷歌を歌う妻の姿を、黙ってじっと見上げている。

続)「あなたはやっと自由」と歌うルシールから最初に「ふるさとの赤い丘」を歌い継ぐのはあどけない兵服姿のフランキーで、最下段の下手から出てきて上手まで横切りそこで老兵士からヘルメット受け取るのだが、観客が上手のその芝居を観ている頃にはレオが静かに中段下手から最下段下手に降りている。

続)忙しないといえば忙しないミザンスなんだけど、レオがいつの間にか最下段下手に無言で佇んでいるので、その最下層の地面が「(過去そして未来の)死」を象徴し、最下段上手で老兵士と敬礼を交わす幼いフランキーを見て「彼も続く時代に誰かに何かに殺されて死ぬのだ」と確信させる作りには痺れた。

続)そうこうするうち中段前方で一列になった民衆が一斉に足を踏み鳴らしながら「ふるさとの赤い丘」を分厚く重ねて盛り上げていく。レオは口を噤んだままその列を眺めつつ最下段上手へ移動する。下手奥へはけたメアリーが上段へ登り終える頃には、上手奥にはけた兵士フランキーも列に加わっている。

続)一幕冒頭の同曲は「我がふるさとー!」とアカペラで終わる、それが大変印象深いので今回もそうなると何度でも勘違いして身構えるが、二幕最後リプライズは鐘の音が鳴り響いて演奏も止まないのだ、そのアウトロ尺を使って、最上段に現代人男女が現れて敷物敷いて楽しげに寝そべるところまでをやる!

続)これは本当よかったです。演出としての是非はともかく「二幕最後の『我がふーるーさとー!』後のアウトロってこんな長かったんだ、これだけの新規の芝居を詰め込めるほど尺があるんだ、たしかに演奏だけ聴かす以外の使い方あるな!」と驚いたし、全編にわたり忙しないアーデン版ならば違和感ゼロ。

続)なんなら今までの2時間半がやたら要素多く小道具多く常に何かしら動いてて全編にわたって忙しない印象があったのも、まさかこの一番最後に青いバドライト6缶パック下げて登場してさっきまでミニーが持ってたルシールのバスケットを我が物としてる彼らを自然に馴染ませるため? と思うくらい……、

続)……というのはさすがに好意的解釈が過ぎるかもしれないが、そのくらいアーデン版にはアーデン版なりの「理」があるんだよなぁ。NYCCアンコール枠の半分コンサートみたいな版でもそれは伝わってきたので、オンブロードウェイにトランスファーして「劇場完全版」みたいなのが観たさは、ありますよ。

続)(書いてみて思うけど、私、推しが出てる舞台だとやはりどうしても推し中心に観てしまってこんなに細かく全体の記録が取れねえな……『パレード』は割と真面目に観てるほうだけど『レミゼラブル』や『エリザベート』のこんな細部は全然憶えていない……)

続)メアリーフェイガン役のこと考えてる。私は日本版は熊谷彩春でしか観てないけど、彼女めちゃくちゃよかったよなー。アーデン版のメアリーも純朴な少女としては悪かないんだけど、くるくる表情変える彩春メアリーのほうがちゃんと「子供」に見えた。まぁ日本版は他のキャストが年長なのもあるけど。

続)そうなのよ、汗かきで無口でむっつりメガネの石丸幹二50代が13歳にしか見えない演技の彩春メアリーを強姦殺人したと言われたら即「吊るせ!」と思うのよ私も……ベンプラット29歳である若い工場長が背格好から10代後半と見える田舎娘を襲ったという絵面だと「もっとちゃんと調査して?」と思う。笑

続)女子更衣室のカーテン越しに「休憩時間はもう10分も過ぎてるよ」とタメ口で告げる石丸レオのあの「(自分たちとは決定的に違う)キモいおじさん」感が値千金なのよ日本版……! ベンプラットだと「(大都会ニューヨークから来たという割に)イケてない男」程度で、女子校の若先生くらいに見えた。

続)Picture Showの、フランキーが同世代女子の中でも特別に自分を好きだと知ってて敢えてツンデレしてるメアリーや、親にお駄賃もらうような態度でオフィス来たけど、工場長から帳簿に名前が無いと言われた途端、急に不安そうに雇用番号告げて労働者の顔になるメアリーは、日本版が圧倒的に良かった。

続)そしてそれはアーデン版のメアリー役者の演技がダメだってんじゃなく、「あのような(年配俳優多めで全員黄色人種の)キャストで、あのように(抽象的かつ元台本に忠実な)演出がついた日本版において、『大人』でよそものの容疑者と地元の『子供』である犠牲者との対比がよかった」なんですよね。

続)ペドファイルに対しては米国のほうがずっと厳しい、それはそうだけど、女子中高生が性的にまなざされて被害に遭うことが実質常態化されてるような国の上演版で、これが当時も今もどういう意味を持つ事件かをきっちり描く日本版はよかったし、キモさの表現に定評ある50代俳優が主演する意義もある!

続)いや石丸レオのCome Up To My OfficeからのIt's hard to speak my heartの流れは世界一ですよ!(※二種類しか観てない) 知的で威厳もあって顔は貴公子だが中身はむっつりスケベっぽく、ほどほどなら色っぽいが行き過ぎるとキモい、そんな自分のオーラの特性を知り尽くした二曲の歌い分けが最高!

続)かたやベンプラットは、あんなにはっきり「(僕が信じる)神にはお考えがある」と宣言したのに死んだ後は最下段上手に佇んで「僕はなぜこの『ふるさとの赤い丘』の輪に入れなかったんだろう」とどうにも諦めがつかないキョトン顔して観客の視線を釘付けにしたまま幕を下ろすレオで、こちらも最高!

続)どっちも最高なので交互に毎日観たい!(ビョーキだよ)

続)石丸レオは「All The Wasted Time」らへんまで客に「おまえの態度にも問題はあったやろ」と感じさせ続けるのが上手い。農場労働でも何でもして妻と生き直せばいいよと思えて泣ける。ベンはHow Can I Call This Home?時点から「運命の悪戯でここに居てしまったことが悲劇、若いのに気の毒」となる。

続)王子様としての石丸幹二をお好きな人には申し訳ないが、これからもいろんな爬虫類めいた変態とイノセンスを演じ分けてほしいし、その傍らに忍び寄り綻びを引き裂き暴徒を扇動して行き過ぎた正義の鉄槌下すような役は石川禅や今井清隆や坂元健児にお任せくださいって何度でも思うよ日本版再演して。

続)そして本国に続いて日本でも「『ディアエヴァンハンセン』みたいなナイーブでナーバスな今時の若者を演じるのに長けた若手俳優は、卒業後に次は20世紀社会においてそれがどう受容されていたかを『パレード』のレオフランク演じて見せつけてほしい」の流れができるといいな。いろんな演出が観たい。

続)あと今回アーデン版を観て思ったのが、『ジーザスクライストスーパースター』のジーザスとユダみたいに、レオフランクとジムコンリーがそれぞれ対の当たり役となるような配役は大いにアリなんですよね。日本版だけ観て娯楽性とは程遠い作品だと思っていたが、なんというか、「華」はあるので……?

続)初日と二日目でもう一つ変更点を発見、この場面のジムコンリー、初日映像だと白シャツ着てるけど、二日目は素肌に囚人服で、盛大にはだけさせて裸の筋肉を見せつけていた。この萌え袖でボタン留めようとしてるのも好青年風だもんなぁ。ワルみが増す変更で正解と思うよ。

続)「華」というのの説明が難しいけど、観客みんな大変真面目に鑑賞して、内容を理解して感動して、しかし席立って劇場を後にするときは初日も二日目も、何人も何人も、「フーン、フーンフフーン♪ フンフフンフーーン、フフンフ〜♪」ってThe Old Red Hills Of Homeを鼻歌しながら帰るのを観たのよ。

続)そしてみんながみんな「こんな内容なのに、だからこそ、ハミングしちゃうなぁ、だって音楽が素晴らしいから……」と苦笑いの言い訳を口にしていた。JCSもそうじゃん、全部理解した上で帰り道に「わったっしっはっりっかっいっがっでっきっなっい〜♪」と歌うのを止められない。耳と口が喜ぶから。

続)音楽の力は恐ろしい、音楽の力には抗えない、だからこそ、小説で読むのでもプレイで観るのでもなく、恐ろしい恐ろしい音楽の力に運ばれながらミュージカルで観るのが最も適していると感じられる題材もある。だから私は「何も考えず歌と踊りを楽しめる物語」だけがミュージカル向きだとは思わない。

続)レオフランク事件について書かれた本を何冊読んでも、いつでもどこでも諳んじられるまで記憶に残るような一文と出会うことはないかもしれないが、帰り道みち「ふるさとの赤い丘」をハミングしてしまった人は自分が何を題材にした芝居でどんなメッセージを受け取ったのかも忘れることはないだろう。

続)私はジェイソンロバートブラウンのことが好きなので、(シンガーソングライターとしての音楽活動だけでも十分推せる)彼にまたそんな(ミュージカルでなくちゃと思えるようなミュージカルの)作品を書いてほしいと思っている。いやまぁ『Mr. Saturday Night』だって悪くはなかったけどさ! 好き!

続)日本版で思い出すのは「鎖に繋がれェたことは、知事サン?」という歌詞、これは「Have you ever been on a chain gang, gov’nor?」の直訳で旋律に載せるのは相当無理あるんだけど、でも「服役」「おナワ」等ではダメだからそう訳され、そしてサカケンがマジで自然と歌ってたので感銘受けたのよね。

続)いい音楽、いい訳詞、よく歌いこなせる俳優が揃ってさえいれば、日本語でミュージカル観ても世間一般で言われるような「違和感」はなくなるんだよ。いやもちろんJRBだからさすがに英語以外では苦しいヨって箇所も多々あるんだけど、Something Ain't Rightとか……でもあれも健闘してたと思わんか。

続)Something Ain't Rightって日本語で聴くとめちゃくちゃ歌いづらそうな歌、かつ20 miles from Mariettaに比べて軽視されがちナンバーですけど、アーデン版観たら「なんだ英語の原詞でも十分歌いづらそうやん!w」となりましたし、翻訳版なのに完璧に曲掴んでた石川禅は最高やん、と思い直しました。

続)CDではわからなかったが、Paulドーシーを生で観て「禅ドーシーまったく同じ楽譜に沿って歌っているな」と思ったんですよね。実際には言語違うから別々の楽譜、何なら音符の置き場の変更だってあるのだが、「Evidence」「Stink」「Slaves」と同じに「証拠なら」「臭うだろ」「奴隷」を響かせる力。

続)You Don't Know This Manも地味に難しくて地味に重要で、うまく歌うとあんなに印象に残るんだなと思った曲だな。何度も言うけど日本版の表現が下手なわけではない。ただSomething Ain’t Right同様、旋律無しの台詞で凄味をきかせるほうがよほど簡単で、訳詞に感情を載せるの難しい曲だなと思って。

続)ちなみに自分が昂ったので書いておきますが来春オフブロードウェイにかかるJRB/Daisy Princeの『The Connector』は報道の嘘と真実、フェイクニュースがテーマらしく、とはいえ今のご時世、1995年設定は大幅変更されるのでは、むしろ変更されることに期待を寄せてますね。
broadwayworld.com/shows/The-Conn…

続)フランキー役Garden MatarazzoのIt Don’t Make Sense To Me。彼もDEHとか出てるらしいが本当に年端もいかない幼い少年に見えたのよ! よかった。ベンプラット同様、彼のターンだけオペラグラスで熱心にガン見するお嬢さんたちがいました。曲はもうちょっとゆっくりたっぷりがいいけど(まだ言うか

続)そして4公演目にしてバルコニー(3階席)300ドル代までチケット高騰してるようですね……私は数十ドルで買ったが、評判いいのはいいことだなぁ。

続)みんな大好きCome Up To My Officeだよ〜! 証言台にあたる一脚の椅子にかわるがわる座りながらの輪唱かわいかったのと、壇上に上がる前に聖書に手を置いて宣誓し、歌い終えたときも宣誓するという強調がよかった。こう見るとベンプラットのマンハッタンダンスも石丸幹二並みにキモくて最高だな。

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