ソウル・アリンスキー著『Rules for Radicals』は、陰謀論を避けては通れない道だと教えてくれた本だ。
ワクチン被害者になって以降、口を開けば工作員達に反ワクチンだ、陰謀論者だと罵られ、黙るよう圧力を掛けられて来た。
しかし、反ワクチンならそもそもワクチンを打って被害に遭うこともなく、
陰謀論者だといわれても、最初は何のことやらよくわかっていなかった。
ただ、近くパンデミックを利用して、ワクチンを打たせるつもりなのは、新型インフルエンザ騒動の時にもやっていたし、映画の動向からも明らかだったので、Twitterで被害者として発信し始めた一番最初の投稿は、ただ淡々と
プロパガンダ映画の画像を貼ったものだった点は、ちょっと変わった被害者ではあったかもしれないが。
私は産後、被害に気づいたので、丁度娘の定期接種と被っていた。
しかし、昔は片手で足りた接種回数が、30本位になっていて、妊娠した途端にバカでかく分厚い母子手帳を貰い、その中身がワクチンと
突然死に備えた救命で埋め尽くされていたこと、更に母子手帳交付の際に、自治体とは何の関係もない予防接種のガイドブックを2冊も貰った時に、コイツら本当にふざけ倒していると激怒し、自分の今ある被害よりも、子ども達の健康を失わせないよう守らなければならないと思ったことが、
私の独特な発信スタイルに寄与した。
なので最初から、私の発信は近く発生するパンデミックからのワクチン接種と、定期接種の2つの危険性に絞った内容になっており、子宮頸がんワクチンについても、定期接種の1つとして触れる感じではあった。
ただ、産後すぐに子宮頸がんワクチンのせいで子宮頸がんに
なったので、それについても併せて発信することになった。
その結果、大量の工作員が湧いて来て、袋叩きにあった。
その時のお決まりのなじり言葉が反ワクチンと陰謀論者だったのだ。
私は一貫して接種するもしないも勝手にすれば良い、と今日まで言っており、危険なワクチンについては、承認の部分を
どうにかすべき、という考えだ。
勿論、シェディング問題等のように、接種者が非接種者に及ぼす影響もあるので、接種自体に反対するという人がいるのも理解できるが、他人への迷惑のために自己決定権を制限するという考え方自体が嫌いなので、私はいまだに反ワクチンと名乗ってはいない。
陰謀論者という罵りについては、何を考えるのもその人の勝手だろうと思っていたので、バカなこと言ってるな、くらいに聞いていた。
やたらと陰謀論者扱いされるので、陰謀論について調べると、1964年に、ケネディの暗殺がオズワルド1人によるものだとすることに疑問を持った人達の
信用を失墜させるためにCIAが編み出したプロパガンダ・キャンペーンであることがわかった。
そしてそのキャンペーンを、ワクチン推進派の工作員達は、子宮頸がんワクチン(現在のHPVワクチン)被害者にも行っていた。
お陰で医療機関でもおかしな人扱いされたり、冷遇されたりした。
画像は私が子宮頸がんワクチンのせいで子宮頸がんになり、入院している最中にも張り付いて中傷して来た、当時みおつくしと名乗っていた工作員の卑劣な工作の模様だ。
この頃、私の娘はまだ1歳なのに、私の体調は底辺だったので、
本当は子宮頸がんワクチンとはワクチンではなく、殺傷兵器であり、人口削減兵器だと思っていたが、そう主張すると面倒が更に増えて子どもとの接触の時間を削られるため、偽ワクチンと呼んでいた。
※多分⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️と書いていたのは、内容を推測されないように、適当に⚫️をつけたと思われる。
そして、この時のやり取りの中に、2010年のダボス会議の話が出て来ている。
2010年のダボス会議の内容だけは、世界経済フォーラムのHPでも、外務省のHPでも、隠されている。
この時に、ゲイツ財団は今後10年間で100億ドルを投入し、世界の最貧国へのワクチンの研究、開発、提供を支援すると発表していた。
「私たちはこの10年をワクチンの10年にしなければならない」とこの時にビル・ゲイツは語っていた。
この時、ゲイツ財団の同じ声明の中に、10年前の今日、世界経済フォーラムでGAVIアライアンスが発足した話も書いてあった。
つまり
2000年 GAVIアライアンス発足
2010年 ワクチンの10年スタート
ということになる。 gatesfoundation.org/Ideas/Media-Ce…
1975年に、プレジデント・ウォッチを作っているLip社が時計を発売、「2000年になっても色あせないデザイン」ということで設計されたのがマッハ2000だった。
デザインしたRoger Tallonは、欧州デュポン、キャタピラ、GM、トンプソン・カンパニーなどのインダストリアルデザインを担当していた人物で、
マッハ2000の設計図をみると、チューリングマシンに時限爆弾がついたデザインになっていた。
つまり、時限爆弾は2000年に仕掛けられた、という意味だ。
翌年の2001年、9.11の7日後の9月18日と、10月9日に炭疽菌事件が起きた。
これにより、ペンタゴンが生物学研究に乗り出すこととなり、ファウチのNIAIDの予算が爆増、2004年のプロジェクト・バイオシールド条例が制定され、10年間、テロ攻撃やパンデミックに備えてワクチンや治療薬を買うことになった。
つまりこういうことになる。
2000年 GAVIアライアンス発足/時限爆弾が仕掛けられる
2001年 9.11と炭疽菌事件発生
2004年 プロジェクト・バイオシールド条例成立
2010年 ワクチンの10年スタート
2020年 新型コロナ感染症のパンデミック発生
そして満を持してLip日本公式サイトが2000年に出したYouTube動画にはマッハ2000。
時限爆弾の爆発が新型コロナウイルス感染症のパンデミックであることは、疑いようもない。
そして時限爆弾が爆発した結果がこれだ。
打った後になって、新型コロナワクチンとは綿密に計画された軍事兵器だったことがアメリカの保健福祉長官、ロバート・F・ケネディJr.によって知らされた。
もうこれは根も葉もない陰謀論ではない。
何故このような悪魔的な陰謀が実際にあるのか。
それを読み解く鍵が『Rules for radicals』には書かれている。
その前に、この本の著者、ソウル・アリンスキーについてみていこう。
ソウル・アリンスキーはロシア系ユダヤ人で、シカゴのマフィア、アル・カポネの弟子であり、マルクス主義者だ。
近代における住民組織化(コミュニティ・オーガナイジング)という社会運動の手法の創設者であり、1960年代に盛んになった草の根運動(グラスルーツ運動)の基礎を作った。
アリンスキーの弟子にはヒラリー・クリントンとバラク・オバマがいる。
アリンスキーは紳士的な振る舞いと ビジュアルを奨励し、その上で、「地域住民が使う地元ワードを使って、地域コミュニティに溶け込め」と主張した。
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