自宅で葬儀を行ったのだが介護でいらしていた方がお棺を閉める間際に父が大切にしていた庭から幾つかの花を積んでお棺に納めて下さった。父は87でも自立しておりそう困ることも無かったのだが、植木や花が好きだと知って介護の方々が仕事をしながらそんな話をして下さったのが楽しかった
臨終の時というのは色々な状況が起こりうる。父の場合は酷い血液の不足(貧血に限らず)かあったし何処かから出血を起こしたのだと推測された。緩和ケアに移行するべきと判断した時には死亡していた。父は入院時に言っていた
沢山の先人たちが小さくても積み上げた世界で私たちは生かされている。大きな業績をあげて時の人になった方でも数年も経てば忘れ去って批判して平気な人も増えたようだ。私には理解できない。その考え方こそが、正に目の前で闘っているつもりの自然派に繋がってしまう事に
私は、この数年近くそこに矛盾を感じるようになっている。
若い力って良い。
真っ直ぐで清々しい目や夢は魅力的だ。
苦しくとも、またそこには戻りたい気持ちになる。
でも、それは出来ないから子ども達に託す。
真面目に一生懸命にすれば人にどう見られるかでなく
そして、スポンジのように何でも吸収出来る若い時だからこそどんどん身につけるといい。
不思議なことにその時に吸収したことは人した時に必ず役に立つから。
更に、目がよく見え、五感が鋭く、運動神経も良い時にこそ、沢山経験するといい
でも、経験して
おいて間違いであることは恐らく一つもない。
子ども達には、自分の興味を追及することがまず何よりも大切って言ってみている。
自戒を込めて…。
予防出来る疾患をみすみす放置することのおかしさを。
私の家族に起こったことはもはや半世紀前の話です。
医療はどんどん進んでいます。ワクチンもより良く改善されていっています。
子宮頚がんの手術は私の父の恩師の名前も冠されています。
父も子宮頚がんの手術が上手かったと聞いています。
更に父の先輩と母が結婚した為偶々私には感染症を専門とする
2人とも学問が本当に好きでした。
私自身は、父が産婦人科医だと知った友だちにエッチ!などとからかわれ父が外科医だったら良かったのになぁと思った小さい頃もありました。
父はいつも患者さんの所にいました。運動会や学芸会に来たこともありません
私は父とは異なり何故、ここを押すとここが反応するのだろう。と言うことに興味を持ちました。
それで、最初は脳外科を志望しましたが紆余曲折を経て産婦人科で内分泌を学ぼうと思いました。
父たちが産婦人科医だったから産婦人科医
しかし、偶々、父や叔父と同じ世界に入った為。
父たちがその学問に魅了されていった理由は理解できるようになりました。
滅多に会えない食事の席でも叔父と父は産婦人科の話ばかりしていました。
それからこれも偶々なのですが父方の大伯父が内科医で
大伯父が自分の周りの医師と義理の妹たちの結婚の世話をしたせいで集まるとそこそこ医師がいて、また従兄弟たちも既に医学生だったりしました。
皆、本当に好きで医学を学んでいたと思います。
その中で産婦人科医であった叔父と父の話は、
何とかして悲惨な状態になる子宮頚がんを根絶出来ないかと言う話でした。
叔父や父たちの恩師の手術は骨盤内を全て取るような
2人は真剣な話し方で #子宮頚がん は何らかの感染症、性病であって、感染症であるからには予防ができる筈だと常々言っていたのです。
私はそれを聴いて育ったのである日水痘ワクチンを打ったにも関わらず
これがうつる病気なのだと理解したのでした。
それでも、もし、水痘ワクチンを打っていなかったらポチッと出るだけでは済まなかったことを治ってから説明されました
私が齧った基礎研究の1つに胎盤の出来ていく過程をみるようなものがありました。
胎盤の出来つつある子宮から切片を作り研究するのです。
その時に、思いました。
この切片を作っている子宮は
私の分野ではありませんでしたから何故その妊娠が成立した子宮が取り出されてそこにあるのかを考えることはしませんでした。
#子宮頚がん の前段階は確かにきちんと検診を受けて下されば早期に発見することはできます。
真剣に議論していた沢山の医師がいます。
また、現在も同様です。
もっと現実的に感情論はおいて
将来の子どもたちの為に
#HPVワクチン の事。
また、
それだけではない
多くの予防出来る疾患の話を出来ないものでしょうか。
また、あるがんセンターの部長先生も北日本の癌患者さんを一手に引き受けるような忙しさの中早世されました。
医師は一生懸命やっています。
今のままでは、相互の信頼関係も壊れ未来に良いことを僅かしか残せないように私は思います。
政府の指針に従って問題が起きたのに、医者が複数いた家族でも何処に相談したら良いのか、どういう道があるのかが全く分からなかったという。当時はそうした制度も無かったのかも知れない。
つまり、ことが起こった後の指針が全くなく全てその被害者一だけでその後を負うしかなかったのだ。
幸いなことにうちの場合父が職場に復帰して少なくとも経済的危機から脱出することが出来た。
それでも、そんな中で味方になってくれる少数派が確実にいた。それはおかしい!やめろ!と声を上げてくれる子どもたちもちゃんといた。それが救いだった。
そんな日々が続き今に至っている。
兄弟は偶々、クジに大当たりしてしまった。
そして、1番辛かったのも兄弟だろう。
そして、
父だろう。口には出さないから分からなかったけれど。
それでも、私たちはワクチンを推進すべきだと明白に思う。
それでも、尚、多くの子どもの命を救ったことは紛れもない事実だ。
1人の犠牲を前面に出して、守れる筈の遥かに多い子どもたちの未来を犠牲にするのは間違いだ。
もし、本当にワクチンによる犠牲が出るならそれには救済の制度をしっかりする。
既に長い年月接種されて来ており、その有効性は多くの国ではっきりして来ている。
#子宮頚がん は
既に長い年月女性の健康や命を侵し続け、その死亡率など迄はっきりしている。
#子宮頚がんワクチン が子どもたちに必要なことは明白ではないか。
私はそう思っている。
私自身も夫も子どもたちも、全員 #HPVワクチン を接種している。
ワクチンに生涯付き合わされて来たが、
余計なことでもあるが、
90になる母は、最近日本でも打てるようになった帯状疱疹予防ワクチンを受けるつもりでいる。
もちろん、それは #HPVワクチン を受けて未来のがんを防ぐ権利を持っていた可愛い女の子たちへの大きな弊害にもなっている。