なぜか反応が多くついていますが…
さてちらほらと「日本には本地垂迹という独自の…」という意見もありますが、ところが六朝末期ごろに成立したという偽経『清浄法行経』には、「阿国(中国のこと)の衆生を教化するために、釈迦によって儒童菩薩は孔子、光浄菩薩は顔淵、大迦葉は老子に」(続く)
と中国の三聖人は実は仏弟子であるという、いわば本地垂迹同様のことが説かれています
この辺りのことももっといろいろと調べてみれば、興味深いことが分かるかもしれません
ただ本地垂迹思想も神仏分離がなければ、今なお生き生きと信仰されていたとも思えない気もします
江戸後期の慈雲尊者が説いた雲伝神道を学ぶと、それまでの真言系習合神道である御流や唯一に批判的で、本地垂迹とかもあまり重視していない
変に仏教と神道をこじつけることはせず、仏教者として・仏教的思考で神道は神道として信仰するという態度でした
時代がすでに中世的神仏習合思想と、合わなくなってきたのではないのかと
ですから、もしも神仏分離が行われなかったとしても「かつてはそういう信仰もあった」「伝統的にこういう説もある」的な、なにかこう消え去りはしないけども中核からは降りた信仰という風になっていったんじゃないかなと
そもそも本地垂迹説も仏教伝来当初から起きた信仰でなく、時代の変化に合わせて生まれたものですからね
もしも神仏分離がなかったとしても、近代的文献学、仏教学の隆盛によってそれこそ本地垂迹説は仏教者側から批判され、信仰も形式的に残っている程度のものになったかもしれません
そして「神道も仏教も道は教えは違えども目指す道は同じである」タイプの神仏習合に変わっていったかも
そして結局は現代ほど明確に分かれてわいないけど、今みたいな付かず離れずぐらいのゆるい神仏習合が続く…
そんな「もしもの世界」を想像します
本地垂迹ばかりが語られがちですが、それ以前は「神祇は『迷える衆生』であり、『神であることの苦しみからの解脱』を求めて仏教に帰依する」という説があって、それが廃れた後の説だというのを見逃してはなりません

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22 Feb
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21 Feb
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20 Feb
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