橋本治の追悼文を書いていて、やはりどうしても、なぜあれほど力のあった論者が90年代以降、その力を失ったか、ということを考えざるを得ない。そして思ったが、基本的に彼は(そしてリベラル派の多くの論者は)高度成長期の中で取り残された人々を救うための人々だったのね。
それは、そうした人々に対してはもっと自由な可能性があるんだと指摘し、自分の声を出していいんだと励まし、一方で世間に対しては、成長ばかり見ずに少しこうした方面にも目を向けてはいかが、とたしなめる言葉であり得た。それは社会の成功者の後ろめたさへの慰撫にもなった。
でも停滞期に入って、取り残される人が1%から5%、10%、果ては70%になったとき、そういう物言いでは人々は救えなくなってきた。あったはずの可能性がなくなり、声を出すことが特に事態の改善をもたらさなくなったとき、その役割は縮小し、そして残ったのは、成長を見るなという部分だけ。
それがかつての自分が果たしていたマイノリティへの支援という役割を持たないどころか、それを抑圧するものだということさえ見えなくなり……そして1990年代以降、彼の(そして朝日新聞の好きなリベラル系論者の)役割は、むしろ反動的なものになっていった、ということなんだと思う。
その中で、橋本治は本当にがんばって、少しは大きな可能性を残していたんだけれど、でもそれを結局は生かし切れなかったとは思う。
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