M8の巨大地震は普通は海底が震源。しかし例外は1891年の濃尾震災。震源は岐阜県根尾村の水鳥(みどり)断層。昔の理科の教科書には6mの断層写真は定番だった。その時、大垣の私の曽祖母は嫁入り直後。大垣は震源に近く、家屋が倒壊。曽祖母は閉じ込められたが、その家は指物師。鋸で何とか救出された。
承前)この話を私は、1997年頃に聞いた。そして驚愕した。何故なら、この時にもし、曽祖母が救出されていなければ、私は存在しなかったからが一つ。もう一つは、こういう話(一種の災害伝承)がいかに伝わりにくいものか、実感したから。1995年の阪神淡路大震災の後だから、話が聞けたのだろうと思う。
話が前後したが、この濃尾震災は1891年(明治24) 10月28日午前6時37分で、朝御飯の準備などで火を使う時刻。火災が多く発生したらしい。私の曾祖母の場合も、火の手が迫ってきていた中で、鋸で救出されたと母は言った。これは、阪神淡路大震災で我々が認識したそのまま。私は言葉も出なかった。
その後、私は何回か、濃尾震災について調べる機会があった。その中で、2つのことを記しておきたい。第1に、この濃尾震災では、当時の地震計も振り切れ(役立たず)、家屋の倒壊も著しく、この国家的惨状を契機に、日本の本格的な地震研究・防災研究が始まったという事実だ。
bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/…
承前)第2の発見は、伝承すべき大災害の記録を、県立図書館が詳細に保存し、伝えようとしている事実だ。2000年頃だったと思う、私が岐阜県図書館で発見した記録で最も驚くべきは、当時の帝国大学(東京の)が調査したアンケート結果。手書き墨筆の解答用紙がそのまま多数、保存されていたことだった。
岐阜県の当時の根尾村、水鳥(みどり)地区にできた落差6mの根尾谷断層。
geo-gifu.org/geoland/2_katu…
この写真が、私が子どもの頃に目にした理科の教科書に、よく出ていた。多くの教科書を見ているはずはないので、図鑑とか、報道とか、色々な所で目にしたのだろうと思う。私は出身が岐阜市なので。
濃尾震災の件、もう一つ書いておきたい。それは震災救援の医療ボランティアの端緒も、この濃尾震災にあったという事実。当時の窮状から医療救護支援が行われた。阪神淡路大震災の後、西宮YMCA館長の山口氏からYMCAが駆けつけたと聞いた。「今とおんなじや」と言っておられた。jstage.jst.go.jp/article/taikai…
明治24年というと、明治19年の帝国大学令で、それまでの東京大学は帝国大学と名前を変え、明治30年に東京帝国大学になる前。明治23年は、憲法ができた後、明治の大合併の頃。行政区画も文化もまだ江戸時代のままだった。だから帝大の調査の回答文の多くは江戸時代の崩字が使われていて非常に興味深い。
承前)その後、明治初期の人々は、江戸時代の独特の崩字を使っていたと知った。特に、帝大からの調査アンケートである、その村々の長老格の人々が書いた(回答した)と思われる。だから高齢だろうし、余計に江戸時代のままの書き方だったと、どこかで読んで妙に納得したことを覚えている。(終わり)
追記。濃尾震災の時の医療支援活動については、私は伝聞(又聞き)だけでなくて、自分でも写真で確認したことがあった。これも岐阜県図書館で見たと思う、ある白いテントの前で数名の看護婦と、医師もいたと思う、一枚の写真に納まっていた。その写真が入った記録写真集を、私は購入したはずである。
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