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鉄道趣味が嵩じて近代日本史の研究者になってしまいました。電鉄や電力、生活文化などの歴史に関心があります。麺類やボードゲームなども好きです。歴史もエロも無修正。普遍なるもの(世界精神のかけら)に敬意を持っていきたいと思っています。

Sep 17, 2020, 36 tweets

ここから始まる夫婦同姓論、まったく根拠のない妄想でしかなく、そこまでして何を守りたいのか(まあ「リベラル」を腐したいだけなんだろうけど)、検索したらこんな無茶苦茶な話に感心している人もいるようでげんなりさせられます。

そりゃまあ、「苗字」は「イエ」につけられた名前ということになるので、所属する「イエ」が変わったり分家したりしたら変わりますし、「姓」は父性血統原理なので基本変わりません。ですが、昔の日本はこれを併用していて、明治以降に姓を廃して苗字に一本化しました。そこが混乱のもとなのですね。

私も前近代は専門じゃないので大雑把な説明ですが、例えば戦国大名の島津氏の「苗字」は「島津」ですが、「姓」は「源」です。本当に源氏の血統を引いているのかはすごく怪しいけど(島津氏は自称・頼朝の落胤の子孫)。朝廷から官位をもらう時は「源朝臣…」と呼ばれるけど、普段は島津さんです。

面白いことに、徳川幕府は有力大名に「松平」の苗字を下賜して、島津家なんかは幕府の公式書類で「松平侍従斉彬」みたいに書かれることになります(ただしこの名誉は当主と嫡男だけなので、島津久光はどこまでいっても島津です)。苗字を配ることで疑似家族的な「仲間」として団結心を強めたんですね。

話を戻すと、この「砂鉄」という人のツイートは無茶苦茶で何の根拠もなく、内容も意味不明です。例えばこの、「夫婦同姓にすることで家の勢力争いがなくなる」というのは、歴史的にそんな話は聞いたことないですし、論理的にも矛盾しています。

「苗字を広げる手段をなくす」とかいってますが、父性原理の姓よりも、「イエ」の名前である苗字の方が実は増やしやすいのです。例えば娘しか子供がいなかった場合、孫ができても父親の姓になって、自分の姓は途絶えますが、苗字なら婿養子をとればいいわけです。むしろ増やしやすいのは苗字なのです。

そして、婿養子をとってまで「イエ」を保ち、多くの子供に新たな「イエ」を起こさせて一門の繁栄を図る、というように、苗字による「イエ」の下でも、家門の勢力拡大をめぐる争いは起こっています。べつに夫婦同姓だろうが別姓だろうが、勢力争いは起こっており、それは関係ありません。

それにしても、この「砂鉄」氏が言う「現代的価値観」っていつのことなんでしょうか。現憲法下の家なのか、旧民法の家父長制か、はたまた江戸時代以来の「イエ」のこと? 具体性がまるでありません。

とにかく問題点を指摘するだけでも疲れるほど無茶苦茶なのです。彼はおそらく、姓=父性血統原理、苗字=「イエ」の名前、という違いだけ聞きかじって、あとは妄想で捏ね上げているとしか思えません。

日本の「苗字」は中国などの「姓」と違い、家業を中心にまとまっている「イエ」という共同体の名前です。なので、他の「イエ」から別の家に嫁ぐなり婿入りなりすれば、家業共同体の一員となったということで、同じ苗字に揃えることには、一定の合理性があります。

ではその「イエ」とはいつできたのでしょうか。実は戦国時代にはまだ形成途中なのです。農業技術の進歩により、直系の小規模な家族だけで農業経営が成り立つようになり、安土桃山~江戸初期に、小農経営が一般的になります。これが日本的な「イエ」の成立とされます。

この「イエ」は、家業の継続を最大の目的としていますので、後継者を得るためには養子もしますし、時には無能な実の息子より有能な奉公人を娘に娶せて、なんてこともありました。なお姓による氏族の存在目的は、祖先の祭祀を継続することなので、実は存在目的自体が違うんですね。

でまあ、明治民法典もこの「イエ」の様相を基盤としつつ成立したといえますが、近代化によって職業が多様化し、人口も増え、先祖代々の田畑を引き継いで~ではない、新たな職業や生活の形が増えてきます。要するに今のサラリーマンみたいな人たちですね。

サラリーマンや公務員のような人たちは、雇われ人なので当然「家業」というのはありません。ですので、家業を中心に生産及び消費の共同体として成立していた「イエ」とは違った家ができます。これを「近代家族」と呼びます。

近代家族は家業がないので、消費によって結びつくだけです。家業という求心力がないので、ここで家族を結びつけるのは、血縁による情緒的関係と、共同の消費行動になります。これが例えば、使用人の減少・消滅であるとか、誕生日のような記念日を祝う習慣の成立につながるのです。

日本に近代家族が増え始めた大正ごろには、都市の近代家族向け住宅として「文化住宅」が生まれます。家業中心の従来の「イエ」は、家業の作業場であり、「イエ」同士の共同作業や社交のため、家を建てる際に応接間が重視されます。文化住宅は家族の情緒的関係のために、居間を重視するのです。

こうして戦後の高度成長期を経て、近代家族は日本の隅々にまで浸透し、今でも家業のある自営業や伝統芸能のような人々も、家族の在り方については近代家族的価値観をおおむね内面化するに至っています。日本的な「イエ」は解体されて、近代家族に取って代わられたわけです。

この段階に至ってもなお、わざといかめしく言えば「封建遺制」として残っているのが、夫婦同姓なのです。夫婦の姓を揃えるのは、ともに夫婦はじめ家族成員が同じ家業に従事しているならば、合理性を認められます。しかし家業なき近代家族には、必然性はありません。

現在の夫婦同姓論者は「家族で苗字が違ったら一体感がない!家族の絆が薄れる!」としばしば主張しますが、その「家族の絆」というのは実は、近代家族ならではの情緒的結びつきなのですね。前近代の「イエ」を前提とした主張をしながら、ご当人はしっかり近代家族規範を内面化しているのは皮肉です。

家業もなければ先祖の祭祀もどうでもいい近代家族を家族たらしめるのは、情緒と結びついた消費です。子供の誕生日にケーキを買う/作ることは、墓参り以上に、現代の家族を維持させる重要なイベントなのです。スマホで日々の暮らしの様子を撮影してインスタに挙げることも、法事以上に大切なのです。

話が長くなりましたけど、繰り返しますが、bit.ly/2Ha4Hqj のツイートに始まる話は、まったくの妄想です。具体的な事象との関連性が全くありません。私が略述した家族史は、さまざまな産業や生活文化との密接な関係を、いくらでも具体的に挙げることができます。どちらを信じるかは自明です。

あと、個別的に変な点を指摘しておくと、まずこのツイートの前段と後段が飛躍しています。苗字新設がないなら、父か母の苗字に子供は必ずなります。それは別姓でも同姓でも同じことで、どっちにせよ「影響力の強い」苗字に子供はなるでしょう。

「家同士の覇権争い」は、長期的には子供をつくって家門を増やすことで行われるのであって、夫婦が別姓か同姓かは関係ありません。力を求めて家が争うのも同じことで、family name の慣習にかかわらず、どこの地域でも起こっていることです。

さらに付け加えておくと、昔の一般庶民にもいちおう苗字はありました。ですが、公式な場でそれを名乗れるのは「苗字帯刀」というように特権で、使わない家の苗字は自然消滅したようになっていったというだけのことで、別に争いになるからなくしたなんてことはありません。

現今でも続く差別問題にあまりに無頓着な発言です。「苗字に◯という字が入っている家は被差別部落が多い」とか、今でも残念ながら残っています。ネットでも「漢字が左右対称な名前は在日」とか、差別がまかり通っているじゃないですか。

現行の制度でも女性の苗字に合わせることは可能で、少数とはいえ実例もあります。なぜそれまで否定するのでしょうか。いちおう選択肢はある=人間の意志が介入できるのに、なぜそれを無視するのでしょうか。

「結局強い方に合わせる」というのも、別に夫婦別姓だろうが同姓だろうが、子供の姓を新設できないなら同じことじゃないでしょうか。ひっきょう砂鉄氏の家族観念が曖昧で、「苗字を拡大する」とは何を意味するのか、自分でも分かっていないのでしょう。

この点は先にも指摘しましたが、「現代の価値観」とはいつのことなのでしょうか。夫婦同姓を決めた明治民法典? その前提となった「イエ」制度のできた近世? いくら何でも「現代」じゃないでしょう。これも砂鉄氏の議論が空中楼閣で、具体的事実の裏付けがないためです。

これも意味が分かりません。まず「姓」の字から間違ってるし(これまでも幾つもありましたが…)。苗字使用差し止めの権利とかあるんですか。「強い奴は自分の名字を誇示する」って、今だって世襲議員の選挙ポスターみたいに、家柄を自慢する連中はいるじゃないですか。

ちなみに明治初年の、戸籍制度や名前の制度がまだいい加減だったころの話ですが、苗字を豊臣秀吉と徳川家康から取り、名前を中国の軍師の張良と陳平から取って、「豊川良平」と名乗った人がいました。苗字の自由なら、むしろ偉い人に憧れて苗字を借りる方がありそうですね。
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A…

このツイートに至っては意味不明ですね。じゃあ名前を自由につけるのもダメなのか。現行制度でも「悪魔くん」みたいなことがありますよね。苗字をなくしたらみんな皇室みたいになって不敬、だとか!?

砂鉄氏の一連のツイートの最初では、「夫婦別姓制度の名字」(姓と言いたいんでしょう)が生まれを表すもので差別の温床になる、という主張がありました。ならば廃止してしまえ、というのも一つの解決法でしょう(宮武外骨が「廃姓外骨」と名乗ったように)。どうせ復活するという理屈が意味不明です。

全く余談ですが、安永航一郎『青空に遠く酒浸り』に、「山本N美穂」というキャラクターがいて、実は親が中山美穂のファンだったため「山本 中山美穂」と命名されたのを嫌がって略している、というのがいましたが、そもそも夫婦別姓と関係ない話ですね。
amzn.to/3izf58R

長々ツイートしてきましたが、こんな無茶苦茶な詭弁(その裏に女性蔑視や中韓差別も覗ける)に、感心してしまう人が多い世相に懸念を覚え、あえて細かく指摘した次第です。

まあ私もあまり詳しいわけではないですが、それでも多少は本を読みましたし、また確か日本人の名字に関する本を買って積んでたっけな…と探したけれど見つからない。坂田聡『苗字と名前の歴史』、実家に置いてきてしまったか。
amzn.to/2FsKPhN

ちょっとツイートのつなぎ方を間違えました。上のツイートからこっちに続きます。

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