平清盛・・・アニメ「平家物語」で、演じた玄田哲章さんが役作りのイメージが「陽気なおじさん」だと語っていたのだが、多分それが実像にもっとも近いのではないかなと思うくらい、「良くも悪くもワンマンなカリスマ経営者」だったんだろうと。
#鎌倉殿の13人
とにかくまぁ、平家が成長するのが楽しくてしょうがなく、そのためにありとあらゆる手を打って「楽しんで」いた。もう周りからも、それこそ同門の平家衆からも「清盛様が言うんだからしょうがねぇ」の空気にさせていた。そういう意味ではやはり大物だった。
だが基本メンタルは「田舎の社長なオッサン」で、それが魅力でも在り弊害にもなった。
そういう意味では、時政トーチャンと同じで、「憎めないおじさん」なんだが、清盛の方は政治能力と時代の波風と野心が違いすぎた。
清盛のワンマン性に、よくも悪くも従うことで成り立っていた平家は、清盛の最後の戯言を遵守する以外になかった。「政治的解決」の選択を自ら捨ててしまう。
「清盛の死」は、平家瓦解の象徴に語られるが、存命時から決して一枚岩ではなかったので、後継者が巧く立ち回り「先代がご迷惑をおかけしましたが、私は今後協調路線で行こうと思います」と表明すれば、たぬきの後白河は「最大利益が得られればどちらでもいい」なので、どうとでもなったとこはある。
案外、重盛はそこらへんを計算して振る舞っていたのではないかなと思うところもある。
「創業の父に暴れるだけ暴れさせ、権威と権限を過剰に拡大させた後、父が死んだ後、後継者の自分が妥協点まで縮め、それを”貸し”にして、朝廷と共存政策をすすめる」的な。
だが残念ながら、それを行う前に、清盛の前に重盛は死ぬ。宗盛にはそのラインの計算ができなかった。
もっといえば「政治家」でなかった。
案外、今週の佐殿改鎌倉殿の、「清盛の死を知って悔しがる」姿は、「自らの手で殺せなかった」ではなく、「このままでは清盛の死に逃げにされてしまう」ことを悔しがったのではないかと、思ってしまった。
頼朝もまた「政治家」だから。
平家側が「今ならまだ軌道修正できる」と気づく前に、平家を滅亡させなければ、政権を取れない。となると、このあとの源平の合戦がわずか数年で終わったという、時代を考えれば電撃戦と言ってもいい「速さ」だったのもわかろうというもの。
そういう意味では、先週後白河法皇に接近した、しゃれこうべおじさんの朝廷での内部工作が、意外と洒落抜きで明暗分けていたのかもな。
ちゃんと「呪い」をかけたわけだ。
そしてさらに言うと、この時平家が為損なった「創業者に暴れるだけ暴れさせて、死んだあとに責任をすべておっかぶせて、適度に権限を縮小させることで”貸し”にして共存権力を作る」をやったのが・・・義時であるとも言えるんだよな・・・
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