syounan.tansuke Profile picture
There are no facts, only interpretations.    Friedrich Nietzsche Science is a culture of doubt. Religion is a culture of faith.   Prof. Feynman

Jan 7, 2023, 12 tweets

【ウイルスという迷信が終るとき】
どんなウイルスにも存在証明がない 件

ウイルス分離、写真撮影、ゲノム解析の際に使われた方法を精査しなければなりません。それはCOVID-19、ウイルス学の全てが崩壊する時です
1/12⬇️ @mqa1En7Flf8tei4

ウイルス存在の最も決定的な証拠は人間のような宿主の中から直接見つけることだが、患者から粘膜や血液を採取しても、1個のウイルス粒子も発見されない。
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考えてみたらごく当たり前のこと。
ところがこれをやっていないのが「ウイルス学」なのです。
その理由は検体の中にはウイルスが少な過ぎてこのやり方では何も出て来ない、だからウイルスを培養する必要があるのだそうです。 3/12⬇️

ここで素朴な疑問:
「ヒトの検体中にはウイルスが少な過ぎる」「何も出て来ない」🐵?
だったら感染なんかしないはず・・・
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しかも対照実験によって、実は検体なしでも細胞は死ぬことがわかっています👇
「ウイルス」を用いない状態で実験をしても同じ結果が出るということです。
つまりウイルスを培養しているという話自体ウソということになります。5/12⬇️

そこでベイリー医師は「検体からの直接分離」についてこう提案します👇
では、コロナに感染していると言われる人たち数百人、数千人からサンプルを採取し、それらを総合してみたらどうだろう。 6/12⬇️

なのでコロナは「存在証明がされていない」と言うより「分離されていない」と言った方が具体的で問題の核心に迫れるのです。 7/12⬇️

8/12⬇️

ウイルスの存在を主張する側がこの実験をやって結果(ウイルスは出て来ない)を認めることは決してないでしょう。
それをやればワクチン、ウイルス関係の薬、治療方など、これまでのすべてが終わってしまうからです。
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それを食い止めるため、今後も「検体にはウイルスが少なすぎる」「ウイルスは生きた細胞内でしか増殖できない」などと言いわけをし、検体から直接ウイルスを発見するのではなくそれを🐒の腎臓細胞に混ぜ、そこから「ウイルスを発見」し続けるのでしょう。
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ウイルスの存在証明というと難しい話のような気がしますが、たったこれだけのことができないということです。
わかってみればこんなわかりやすい詐欺に何十年も騙されていたのです。
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私たちに今できるのは彼らに間違いを認めさせることよりも、一人ひとりが事実を知って、この「ウイルス」という巨大で人為的な迷信から離れることではないでしょうか。prettyworld.muragon.com/entry/70.html

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