性別二元論批判は、身体的な女性の負担や困難を否定・矮小化する作用があり、女性のマイノリティー性を隠蔽するので、女性差別的。
本質主義批判も、身体的な側面と性別との関連を否定・矮小化する。
心身二元論批判も、性別の身体的な面と社会的な面をごちゃ混ぜにして身体面を隠蔽。
ジェンダー学の一部が、しばしば色々な事の根拠であるかの様に唱えるこれらの項目は、そもそも詭弁であるだけでなく、女性のマイノリティー性や、その要因の一つである身体的な負担や困難を否定・矮小化するので、差別的で有害。
生物学的とか遺伝子的とか、他の言葉を使う人も居ますが、生理や妊娠や出産や更年期や平均的な体格や筋力の差などの身体的な要因を無視したり、避けて通ろうとするのは、女性差別に他ならない。
これらの項目を信じてしまうと、女性差別的になるだけでなく、女性が自分たちの負担や困難を訴える時に、差別的・加害的な反応をしたり、制暴力被害者に対する二次加害になりやすい。
女性差別も、他の差別や支配や搾取も、何らかの力関係で、特定の属性・集団・個人に対して、強制的・支配的・加害的な点で優位に立つ側が、相手側に対してDV的に行動し、その振る舞いを詭弁で正当化する点が共通。
ジェンダー学の一部は、女性差別の維持や、女性の抗議の声を黙らせる作用があったり、女性が自分たちをマジョリティーであるかの様に錯覚し、「みんなのために」際限なく喜んでケア労働をする様に仕向ける作用があるので、非常に有害。
女性支配・搾取の為の屁理屈になりやすい詭弁の集合体を、最先端の理論だとか喧伝してしまったり、それを信じてしまったりしたのが間違いの元だと思うので、そういう点を早く改めて、女性差別的でない理屈になるよう修正するか置き換えるかしないと、その差別性に対する抗議が止むことは無いでしょう。
最先端の女性差別理論を西欧崇拝的に信奉し、直輸入し、本などの物品販売し、性別に於けるマイノリティーの当事者である女性に対して断りも無く、女性の抗議も無視して、性別概念の改悪・改竄や、性別関連法案や性別関連設備の改悪を進める原因になったのがジェンダー学の一部。
その特徴の一つは、全ての認識や概念を定義付ける境界が曖昧・恣意的であるという点を悪用し、女性のマイノリティー性に関する事柄で、境界の曖昧性を根拠にして、その概念や認識を否定・矮小化する事。
認識異常状態を作る認識妨害の詭弁。
境界の曖昧性を「恣意的」に利用するのが、まず、問題。
そして、境界の曖昧性を根拠にして、特定の認識・概念を「全否定できる」と思ったり喧伝するのも詭弁。
境界の曖昧性で、認識や概念を全否定するのであれば、全ての認識や概念を放棄する事になる。
それは、ニヒリズム的な、絶対性・無条件性を求めた場合に陥りやすい一面的な結論。
美味しい食べ物を食べて満足したりするのに、絶対的な理論的な裏付けはない訳です。
境界に曖昧性があっても、女性と男性の生殖で子供が生まれたり、女性に色々な負担や困難がある点は変わらない。
主観的な情報処理の世界に於いて、全ては情報であって、物理・身体的な情報も、それにまつわる概念も、情報という点では同じ。
そして、それらの情報は、全て曖昧な境界に依存していて、絶対的はない訳です。
なので、絶対者という点での神も、絶対正義も絶対的な真理も、有りえません。
しかし、肯定的な絶対性が絶対的に否定されたからと言って、お腹が減ったり、呼吸をしないと苦しくなったり、眠くなっておバカな妄想すら出来なくなったりする様な現象は、自覚装置・情報処理装置としての我々に絶対的な強制力を発揮します。
ウソだと思うのなら、呼吸を止めて自覚を維持できるか試してみると良いでしょう。
身体的物理的な側面は、この様に主観の維持すら出来なくする強制力があって、それらについての情報も「絶対」では無いにしても、他の概念や言語と比較すると圧倒的な面があるので「現実」であるとか感じられる訳です。
身体的・物理的な情報の強制力は、自覚装置・情報処理装置としての自分であるとか主観を「絶対視」したい様な個体、(自分たちが妄想した)神みたいになりたいと願ったり、自分は神なんじゃないか?とか、神に似た特別な存在だ、とか思いたがる人にとっては、不都合なのでしょう
「ネムネム、バブバブ」と寝落ちしてしまう「絶対者」は、暗殺も容易でしょうし、そもそもそれで「絶対者」と見なせる筈も無いですし。
ニヒリズム的な、絶対的な情報の不在から全否定に走る傾向は、身体・物理情報の堅さ、強制力を無視している点で、非現実的ですし、現状把握が十分ではありません。
ニヒリズム的な詭弁の屁理屈で、性別の身体的側面を全否定しようとするジェンダー学の一部が非現実的で、色々な現状把握が不十分なのも、同じ傾向を共有しているからなのでしょう。
ジェンダー学の一部は、性別ニヒリスト的。
そして、ニヒリストは粋がったりしやすいし、自滅的・病的になりやすい。
論理的に絶対性が有ろうが無かろうが、その論理機能に絶対的な強制力のある情報は、無視しようとしても強制的に機能停止されたり、強制的に性的な事に異常にこだわって処理の優先順位やコンテキストが変になったり、ニヒリズム的な全否定やジェンダー学の一部も、皮肉にもそういう強制力の作用の一つ。
絶対性を絶対的に求めてしまうのが、人間の妄想を掻き立てる強制的な根本原因の一つ。
で、求めてみたら見つからないと言って拗ねるのがニヒリズム。
無いものねだりをしてしまう仕組みの不条理や矛盾を直視して、そのアホらしさを感じながら、強制力を無視しないのが、カミユ的な姿勢かも。
まあ、身体的・物理的な強制力は、無視しようとしても苦しむだけですので。
ホトトギスを無理やり鳴かせようとするのは、支配的加害的。
鳴くまで待とうという光源氏計画的な姿勢も、ホトトギスから見たらキモイのかも。
鳴かないホトトギスは悪いホトトギスだとして、殺してしまおうとするのも侵略・支配主義。
ホトトギスが鳴くのはホトトギスの勝手でしょ、ならば平和的。
ホトトギスの側の事情や大人の事情を考慮して、ホトトギスを尊重し、無理強いせず、対話・交渉し、適切な対価などでもって「同意を得て」、できうる限り負担の無い形で鳴いてもらうのなら、双方の利害も一致したりして、エキタブルでエコエコあざといビジネスモデルが成立。
身体性別の二元性も、性別の社会的概念も、絶対的でないからと、ごちゃ混ぜにして攪乱転倒してすっ転んで非現実的になって、その正当化の為に詭弁=ウソの上塗りを重ねているのがジェンダー学の一部。
身体性別の二元性も、性別の社会的概念も、絶対的な根拠があろうが無かろうが、十分に強制力のある痛み苦しみ・被害・後遺症をもたらすので、それぞれの構造や現状を把握して、解消・緩和を目指しましょう、というのが、現実的で、現実的な様々な当事者の負担や困難を「頭の中から排除しない」姿勢。
残念ながら、現状では、反トランスを掲げる多くの人の頭の中からは、女性のマイノリティー性や、女性の身体的な負担や困難、(特に日本の)社会の女性差別や性暴力被害や二次加害や後遺症の蔓延や、支援や予防の圧倒的な不足などが、「排除」されがちなのが一番の問題。それは女性差別的なのです。
人間は、雌雄で生殖する哺乳動物で、身体構造にも違いがあって、幾ら屁理屈を捏ねても身体的な面の強制力には通常は勝てません。
おまじないを唱え続けても、身体構造が劇的に変化したりしないのです。幸いな事に?残念なな事に?
身体や身体の性別は、社会的に構築されているのではなく、物理的。
社会的に構築されてるのは、身体や身体の性別に付いての概念とか。それは、SexではなくGender。
身体面と概念面の強制力の違いに注意しましょう。
夢想的な人の場合、主観的な情報処理に頼りがちで、身体・物理的な情報を軽視したり無視しがちなのです。
文芸畑が女性差別的になりやすい原因の一つ。
他の芸術系でも、そういう傾向が。
革命願望的な見下し糾弾系の左翼の一部が、女性差別的になりやすいのも、夢想的な詭弁の集合体を「理論」であるかの様に錯覚しやすいからかもしれません。
現状の問題を少しは認識し、その改革を望むのは当然だと思いますが、物理次元の事象を無視したら妄想的に。
このスレッドは、いいねスパムが大豊作?
この時間帯に投稿すると、いいねスパムが付きやすい様な方な気がするのですが、深夜に活動している人を対象にしている?
「性」が含まれていたりすると反応する?
いいねスパムをブロックすると凍結されるという話があったので、最近は放置してますが・・・
@threadreaderapp unroll
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