「周縁化」に関する考え方で、中心部を絶対視したり、境界を絶対視するのも問題なのですが、周縁化された人たちを絶対視するこのにも問題がある点が見過ごされたり、見て見ぬふりをされがち。
アファーマティブアクション的な要素が必要だとしても、絶対視や神格化は、誰に対しても行わない方が良い。
無批判の大絶賛が大量発生するのは、学問的には異常だと私は思うのですが、日本のジェンダー学の一部では、それが日常茶飯事。
絶対視や神格化は、支配的・加害的な傾向との親和性も高く、色々な問題が起きやすいし、そもそも論理的にも間違い。
特定の「中心・境界・周縁」だけを絶対視し、複層的に重なり合って存在する他の「周縁化の構造」を無視するのは、「ダブスタ」。
実行すればもちろん、表明すると加害性が発生する様な設定の属性で、被害側が周縁化され、その属性が「中心」として作用する点を無視するのは、差別・加害の扇動効果が。
単一の構造だけに集中し、他の層・構造を見たがらない傾向は、こだわりの強さ、思い込みの強さと関連している場合や、罪悪感・自責の念などと結びついた忌避傾向の影響が大きい場合なども。
崇拝・追従傾向が強いと、そもそも自分で勝手に考えて、悩んだり間違ったりしながら学ぶ練習も足りなかったり、そういう習慣が無かったりするので、権威と見なす他の人の言葉を鵜呑みにして、それに固執する人も結構居ますし。
こういう話でも人間の設計仕様の問題が大きく、論理が前提に依存している事の認識や、それらの前提を検討する癖の徹底や、全ての認識がいい加減である事による絶望との付き合い方や、人間の身体や感情や思考や自覚などの諸要素の把握や育成で、仕様上の問題の解消・緩和を続けないと変化は望めない。
周縁化の構造や境界に着目し、境界の曖昧さ・恣意性などを認識するのも良いと思うのですが、それらの検討の対象が、余りに部分的で、人間が性に関する事に異常にこだわる傾向の影響を受け過ぎだし、身体や物理的な側面への忌避傾向も強すぎで、夢想的・文芸的・耽溺傾向に行きがちなのがバトラー系。
結果的に理論構成が上手くできないので、修辞やレッテル貼りや他の詭弁術に走ってしまうし、各種の絶対視や神格化に依存して、特定方面への批判精神も発揮されなくなる。
そして、都合の悪い方面は、徹底的に悪魔化して排除する事で、自己防衛を計る。
左翼女性の疑義や抗議の存在さえも認識せず、全部宗教右翼だと決めつけて無かった事にしようと頑張ってきた点くらいは、自己批判しても良いと思うのですが、それすらもしない。
当事者やアライの一部が、自分の周囲の左翼的な女性たちの動きを見て危機感を抱き、報告しても知らん顔の人も多いし。
左翼女性たちに対して、右翼だ統一協会だと決めつけたりして罵倒し、蔑称を使って周縁化し、悪魔化したのも、その人たちの自己同一性の侵害ですし、間違いを認めて早く謝罪した方が良いと思うのですが。
単一の視点・文脈に固執すると、間違いの元だと思います。
権力勾配も、周縁化の構造も、幾つも重なり合っていたり、組み合わっていたりするから、交差性も発生する。
そして、属性間で、逆の勾配の複数の軸があったり、逆の周縁化が起こりやすい場合もあって、摩擦や対立や相互差別になる事もある。
単一の軸、単一の構造、単一平面でしか考えない傾向が強いと、そういう複層的な構造が見えなくなってしまって、反差別のつもりで差別的・加害的な言動を続ける事になりやすい訳です。
相手の負担や困難を認識しようともしないで、相手を尊重する事など出来ませんし、協調も共存にも程遠い。
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