ゾウの鼻だけを見て、それをゾウの全体像だと思い込むのが大間違いな様に、何かの一部分を全体と取り違えるのは、間違いの元。
条件付きで成立する事を、無条件に成立するかの様に思い込むのも、同じ様な間違い。
絶対的では無いものを絶対的と思い込む「絶対視」は、人間が陥る基本的な問題の一つ。
時間や空間や位置についての限定条件がある事柄を、普遍的であるとか、恒久的であると思い込むのも、論理という何らかの体系やその体系の中の各種の前提条件に依存する事を絶対的・確定的だと見なすのも、「絶対視」の一種で、基本的には同じ間違い。
取り扱う情報が絶対的であると見なせる場合、前提条件の検討が必要なくなるので、情報処理が簡素化されます。
効率的に、大量の情報を処理したり記憶するには、入力情報を疑似的に絶対視して、前提条件の存在を無視すると色々と簡略化される。
その様な情報処理に慣れ切ってしまうと、前提条件の検討を行い、その情報の確かさを調べる習慣が減ったり無くなったりしたり、情報を確定的・絶対的に取り扱う悪癖に囚われて考え方が固定的になりやすい。
固定的・確定的・絶対的な観念の情報世界に慣れ切っていると、「例外処理」に対応できず、「想定外」の事でパニックになりやすく、柔軟性を失いやすく、自分の持つ固定観念に縛られ、それと異なる考えを持つ人間と争いになりやすい。
絶対視、神格化を行うのは、自分を縛り、自分の情報世界を固定化する事で、一種の(疑似的な)安心感・絶対感をえられるのですが、その代償として、前記のような弊害があるので、あまりお勧めできませんし、社会的に責任のある立場の人間が陥ると有害。
また、絶対視や神格化による疑似的な安心に依存する人は、特定の対象を絶対視・神格化しつつ、他の事を絶対視・神格化しないという「ご都合主義的」で「ダブスタ傾向」があるので、単に「何でも信じやすい」という子供にありがちな弊害よりも、たちが悪い。
論理が体系や条件に依存していて、絶対的ではあり得ず、論理的な絶対性の非在を認識し始めた場合、その理解を全ての認識や論理・言説に適用する方向に進む傾向と、一部の自分にとって嫌な論理や言説にだけ適用する傾向に分かれやすい。
全ての論理や言説や思考について適用したがらない傾向は、それまでに絶対的であると信じて疑わなかったことが全て絶対的では無く、自分の中の情報処理の流れを全部見直す必要が出て来て、情報世界がひっくり返る事になるからだったりします。
自分の中の希望や倫理観・価値観・世界観がひっくり返ってしまい、絶望が発生し、「どう生きるのか?」とか問い始めたり、その問いに絶対的な答えが無いことに気付いたり、情報世界の中での絶対的な足場となる確定性・絶対性が無いことで浮遊感・落下感を覚えて不安や恐怖を感じるから。
また、人間社会の中には。価値第一主義と言うか、価値絶対主義的な考え方も多いので、絶対的な価値の非在が明らかになると、自分には価値が無いと思い、価値が無いものは存在しない方が良いと思ったりして、希死念慮を抱いたり、限定付き・条件付きの考え方に慣れるのも一苦労する場合もある訳です。
絶対的な倫理や価値や道徳やその他の安直な行動指針がないので、ある意味で絶対的に自由であると思っても良いのですが、それは、「情報の取り扱い」についての自由であって、身体や物理的な世界についての情報は、絶対では無くても強制力がとても強いので、無視すれば痛い思いをしたりする訳です。
呼吸をしなくてないけない、という絶対的な決まりはありませんし、論理的に呼吸をしないと死ぬ絶対的な情報もありませんが、試しに呼吸を止めてみれば、一分か二分で身体的・物理的な情報の津波に流されて、呼吸を再開するわけです。
つまり、絶対的な価値や道徳や倫理が無くて、「論理敵には」どう生きようと完全に自由であるとしても、身体や物理的な情報を考慮しないと、情報処理を続ける事すら出来ないのが、この世の人間という動物として生きていく上での基本的な事実。
さらに、各自がどう考えようと、どう生きようと「理論的には」完全に自由であっても、考え方の違う人間の間に摩擦や対立が起こる場合があるのも、ほとんど自明と思えるのですが、そういう点を認識しない人間も存在していて、摩擦や対立の可能性を高める。
また、自分が取り扱う情報や記憶の中に、何故か他の情報や身体的・物理的な情報よりも「強制力」があって、否定し難く絶対的に思える様な認識が存在する場合があります。
この様な情報には、トラウマなどに由来する場合や、前世的な見方などをしないと訳が分からないものや、全く説明不可能な物なも。
客観的に他の人に説明できて、納得されやすい場合を除き、これらの記憶や認識などは基本的に自分にも他人にも謎であったり、それが自分の考え方や行動様式に影響を与える場合には、色々な問題の原因になったりする事もある。
説明不可能であったり説明困難な認識の強制力が強い人は、その認識に由来する言動が生息環境の規範から外れている場合、異常であるとか、病気であるとか見なされやすく、周縁化されやすい。
他の人に加害的な行動様式に繋がる場合には、何らかの行動制限が必要になる事も。
他の人に加害的な行動様式は、他の人の負担や困難を増やす傾向。
誰しも、常に、他の人の負担や困難を多少は増やしたり、減らしたりしながら生きているので、全く加害性の無い人間は居ません。
全ての人間は、基本的に絶対的ではない情報を絶対的であると思い込む傾向を幼児期から抱えたままで、絶対視・神格化の問題を抱えたままで生きていて、それぞれの絶対視や神格化の対象を守ったり推したりする傾向があって、その対象が異なると争ったり加害的な行動をしたり、偏見や差別的な傾向も持つ。
なので、他の人への加害性を減らしたい場合、絶対視や神格化の傾向の減少・緩和を続けたり、摩擦や対立しやすい構造を認識して、その回避や対話を目指したり、他の人の負担や困難やその原因などについて理解や想像を深める様にするのが好ましいと思います。
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