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#どうする家康

三方原ね。
野戦で信玄に勝てる訳ないけど、織田と同盟してるんだし、てか格下の同盟相手なんだし、何をどうしても野戦せんとならんのよね。
今回の大河では、徳川は織田の格下の同盟相手であると言うのが強調されてると感じるから、籠城は無理だと言うのが自然と分かる。
とにかく面目としても、同盟相手へのポーズとしても、主力が戦わんわけにはいかんから、戦う事は大前提なのよね。
で、まぁ、その程度は見抜かん相手ではなく……
ナレ敗北してしまった。。。神の君が。。。
何をどうやっても戦略的に不利な立地なら、戦術的成果を最大限に戦略に活かすよう動くまでだと言わんばかりの信玄の戦強さは悪夢のようである。
野戦軍を幾つも幾つも持てん時代である。

国力で劣ろうが何だろうが要するに敵野戦軍を潰せば勝てるのである。力はパワー

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May 9
1915年、第一次世界大戦中のイギリスにて、軍需大臣を務めるロイド=ジョージが叫んだ。

「酒は我々の最大の敵だ!」

実感の籠った台詞と言える。なにせ彼自身とんでもない大酒飲みで、まるで節度を弁えられなかったのだから。

イギリスと酒の戦いが始まる。 Image
17世紀以降、酔っ払いはイギリスに於いて社会問題と化していた。貧民は度数が高くて安いいい加減なジンに耽溺し、『ジン狂い』と呼ばれる大酔っ払い時代が訪れた。ホガースの生きた18世紀には阿鼻叫喚となり、ジンの、ひいては酒のイメージは悪化する

「酒を止めよう!」

こうして禁酒運動が流行した
大英帝国の動力源たる労働者達を堕落から救うため、と言う大義名分のもと、さまざまな健全な娯楽が勧められた。スポーツ称揚なんかもその一つだし、酒類を販売しないフィッシュ&チップスを勧めたのもそう。

「素早い食事ですぐに満腹、健康に次なる労働へ! これぞ理想的な労働者階級」
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May 7
たぬき、歪んでるけど真っ直ぐと言うめちゃくちゃさ。
ヒーローきたぁ!
肌色多いからなんか妙にエロく見えてしまうわたしは()
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May 7
その日、イギリス中のテレビとラジオのチャンネルがBBCに合わせられた。レポーターが興奮気味に捲し立てる

「雨天にも関わらず300万人もの観衆が集まっています! 前日から座り込んでいた人もいました。雨の多い国イギリスらしい雨です!」

1953年6月2日、エリザベス2世の戴冠式が挙行された。 Image
1952年2月6日、第二次大戦を戦い抜いた国王ジョージ6世が崩御すると、その娘エリザベス2世が新たに女王として即位した。

前王の崩御の後、十分な時間を置いてから戴冠式を執り行うべしと言う慣例に則り、約1年の準備期間を設けてエリザベス2世の戴冠式は行われる事となる。
戴冠式は伝統に則る事になっていたものの、史上初の試みが取り入れられる事になっていた。それが、戴冠式のテレビ放送。

BBCから持ち込まれたこの案に、時の首相ウィンストン・チャーチルを始め閣僚達は反対する。

「このような厳粛な場に、テレビカメラのような俗なものを持ち込むなど」
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May 6
19世紀のイギリスが世界一の大国として君臨する原動力となった組織がある。それがブリティッシュ・インディアン・アーミー。英印軍。

彼らは、大英帝国の先兵としてインド国内は勿論のこと、ありとあらゆる方面に投入され、イギリスの植民地支配を支えた。 Image
英印軍は元々インドに駐在する東インド会社の軍隊として始まり、その頃は方面ごとにボンベイ軍、マドラス軍、ベンガル軍の三軍が存在した。

当時インドは無数の藩王国がひしめく纏まりに欠けた土地であり、藩王国の君主達はその時々の利害によってイギリスと結びつき、互いに争い合う。
しかしそれを逆手に取った東インド会社はやがてインドに君臨するようになり、治安維持や国境の警備と引き換えに事実上、インドを支配する。

英印軍は東インド会社のイギリス人士官とインド人志願者によって構成され、イギリス流の高度な訓練が施された彼らは藩王国の軍を数的劣勢でも圧倒した。
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May 6
今日は戴冠式だし、ジョージ4世のアホみたいに豪華な戴冠式の話をしようと思ったけど、心がインドに飛んだのでインドの話をするね。
ちなみにジョージ4世の戴冠式はこれ。

好きか嫌いかで言えば間違いなくわたしはこの人が好きだし、魅力ある人なんだけど、放蕩に関してはまるで擁護できんわね。
ジョージ4世の戴冠式には他にもイベントがあって、キングス・チャンピオンが最後に完全武装で出て来て場を沸かせた。なお最後の部分はわたしの思い込み勘違いで書いたからスルーしといて。
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May 5
ダンケルク撤退。いわゆるダイナモ作戦はイギリスの士気を高め、負けて撤退したにも関わらず『ダンケルク魂』はイギリスの不撓不屈を示す合言葉になった。

一方で余り話題にならない撤退作戦もある。それがダイナモ作戦の後で行われたエアリアル作戦だった。 撤退中の輸送船に文字通りいっぱいになった兵士達。
フランスと合同で戦うためにやってきたイギリス軍だけど、ドイツ軍の急速な進撃のために戦闘部隊と後方支援部隊との間がぶち抜かれ、前者はダンケルクに追い込まれて包囲を受ける一方、後者はフランスの西部に取り残されていた。

本来の予定ならばこの部隊は改めてフランスと共に戦う筈だった。
ところが相次ぐ敗報にフランス首脳部の心はすでに折れており、チャーチルはフランス軍を見切った。

こうしてまずイギリス海空軍の総力を挙げてダイナモ作戦が発動され、ダンケルクに取り残された40万人のうち、36万人が撤退する。

続いて西部に取り残された部隊のため、エアリアル作戦が始まった。
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