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いんたーねっとRAFちゃんねる
Oct 28, 2024 29 tweets 4 min read
1957年3月初旬、ホーカー社の主任設計者シドニー・カムはブリストル・エンジン社のフッカー技師に苛立ちながら電話を入れた。

「いつあなたは私に会いに来るのだ?」

フッカーはキョトンとした。

「何の話ですか?」

カムは声を荒げた。

「お前のエンジンの件だよ! それに合う飛行機を用意してやったからすぐ来い!」

ショウが始まった。

航空機を殺すのに華麗な空中戦をやる必要は必ずしもない。飛行場がなければどんな強力な航空機も飛べない。

大戦中猛爆撃に遭ったドイツはこの事を身に染みて理解し、ために滑走路なしで発進できる航空機を欲したものの、ペーパープランを脱する事は出来なかった。 トリュープフリューゲル。垂直に発進する事を企図したドイツの実験戦闘機で、失敗に終わった。
Aug 25, 2024 26 tweets 1 min read
殺人事件において最も雄弁な証言者は死体そのもので、死体が見つかった時点で犯人は9割がた追い詰められる。では、その死体を消してしまえば?

ジョン・ジョージ・ヘイグはそれを実行し、6人、あるいは9人を溶かして消した。 Image ヘイグは1909年に厳格なプロテスタントの家庭に生まれた。音楽の才能があり、頭がよく回る人物で、オックスフォードやケンブリッジにも多数合格者を輩出する名門グラマースクールに奨学金を得て入校した。

しかし彼はやがて真面目に学び働くよりは、楽して儲ける事を考えるようになる。
Aug 21, 2024 17 tweets 2 min read
大戦を代表するRAFの戦闘機、スピットファイアとハリケーンの初期タイプは、7.7ミリ機銃8門と、他国の戦闘機と比較して特徴的な武装をしている。例えばゼロ戦が20ミリ機関砲2門、7.7ミリ機銃2門。

この武装に影響を及ぼしたのは、僅か13歳の少女だった。
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戦間期、イギリスは目覚ましく発展を遂げる航空機にどのような武装が相応しいか悩んでいた。

互いに高速で移動しながら弾丸を命中させるのは至難の業で、しかも航空機は年々高速化する。

フレッド・"ガンナー"・ヒルはWW1以来この問題に挑戦し続けた空戦砲術の専門家だった。 Image
Jul 15, 2024 26 tweets 2 min read
もし上流階級や貴族に生まれたら? さぞや立派な暮らしで労働からは解放されて優雅に過ごせることでしょう。

でも上流階級にも色々ある。上の上なら上等だけど、上の下なら生活は苦しいどころか、いっそ平民の方がまだマシだと思う事もあるかも知れない

今日はそんな上の下身分について話しましょう コッツウォルズはグロースターシャーにおいて最大の面積を持つ丘陵地帯で、その名は『羊の丘』を意味する。今でもここは近世初期で時計が止まったかのような長閑な街並みが広がり、景観を利用して観光を産業とする。

その名の通り、かつては牧羊と羊の交易で栄えた。
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Jul 7, 2024 35 tweets 3 min read
1591年9月、エリザベス1世は恒例の国内巡幸の際、ハートフォード伯の邸宅に立ち寄り、歓待を受ける。

二日目の晩餐では庭に1000品以上の贅を凝らした料理が並べられたものの、最も目を引いたのはライオン、ユニコーン、馬、牛などを模した砂糖の彫刻だった。

『砂糖革命』が世界を変える。 Image ヘンリー7世が北方航路開拓にカボットを送ってから約100年後となる16世紀末エリザベス1世の代、イギリスは北アメリカに盛んに植民船団を送り出す。

この頃、イギリス伝統の産業である羊毛は頭打ちの状態にあり、国内は不況、また増加する人口を養いきれずキャパシティオーバーに陥っていた。
Jan 1, 2024 21 tweets 2 min read
フィッシュ&チップスほどイギリスらしいものはないと言われる。ブリティッシュパブに行けば必ず置いてるし、イギリス全土にはフィッシュ&チップスの屋台が一万件以上はあると言う。

ところでその歴史については恐らく余り知られていないものの、どちらも外から齎されたものとされる。 Image フライドフィッシュの起源はユダヤ人にあり、彼らの食習慣とフライドフィッシュは強く結びついていた。

イギリスにおけるユダヤ人の歴史は11世紀、ウィリアム1世の時代に遡り、再興しかけていた貨幣経済に一早く乗れたユダヤ人達の財力に期待してウィリアム1世は入植を募る。
Dec 5, 2023 14 tweets 1 min read
父が大事にしている桜の木を戯れに斧で切ったワシントンは、穏やかに語りかける父に正直にその罪を打ち明けた。

たとえ我が子であろうと、斧で武装している以上は下手に刺激せず、一先ず懐柔を図ると言うアメリカらしいエピソードね()

冗談はさて置き、この桜の木のエピソードは非常に有名でありつつ、現代では捏造だろうと言われている。今日はその背景を軽く話しますか。
Image メイソン・ロック・ウィームズはメリーランド州の19人兄弟の末っ子。1759年産まれでワシントンとは27歳違い。即ち、青春時代を迎える頃にはワシントンは独立戦争の英雄であり、輝かしい建国の父だった。

イギリスに留学して神学を修めたウィームズは帰国すると牧師となる。
Dec 3, 2023 24 tweets 3 min read
19世紀初頭、イギリス料理は不味かった。

ドイツから渡って来た化学者は余りの不味さに真剣な面持ちで購入した食品を睨む。

「まずいな……」

パン、チーズ、ビール、ワイン、コショウ、酢、菓子、クリーム、茶……。ありとあらゆるものが不味かった。

「……命に関わるぞ」

1820年、イギリスはロンドン。

おおよそ口にし得るありとあらゆる物に毒物が添加され、市民は日々、緩慢に死へと向かっていた。
Image フレデリック・アークムはドイツの小邦、シャウムブルク・リッペ生まれの化学者。父はユダヤ人だったものの、プロテスタントに改宗してシャウムブルク伯に仕え、アークムが僅か3歳の時に亡くなる。

一刻も早く独り立ちせねばならなくなったアークムはギムナジウムで英語を学び、薬局に徒弟奉公に入る Image
Nov 24, 2023 11 tweets 1 min read
中世におけるイングランドの大敵とは?

デンマーク人かフランスか……。それよりもっと恐ろしかったのがオオカミだった。

中世イングランドが飛躍するためにはこの大敵の討伐抜きにはあり得ず、オオカミはブリテン島を巡るイングランドの最初のライバルだったかも知れない。 Historic UK "Great wolf slayer" 元々イングランドはオオカミの多い土地として古来知られており、ローマ時代やその後のアングロサクソン時代、特に都市部を離れた地方ではオオカミがよく見かけられたと当時の僧侶達の記録に残っている。

6世紀頃にはWuffa、或いはウォルフピープルを名乗る部族も存在した。
Nov 15, 2023 21 tweets 2 min read
1838年7月7日。イギリス北部ノーサンバーランド沿岸。強風と荒波を受けつつも怯む事なく一艘のボートが進んでいた。

「待ってて! 今行くから!」

岩場に頼りなく残され、救助を待つ人々へとボートは走る。この日、新たなヒロインが誕生した。 RNliより、Grace darling story 19世紀前半に実用化し、初めの頃、河川用に使われてきた蒸気船は急速に進歩して外洋航行に使われるようになってきた。

絶え間なく争い続けてきたヨーロッパの列強国もナポレオン戦争が終わると秩序を保ち、平和が続くと交通量も増え、交易が盛んになる。蒸気船は新時代の技術と持て囃された。
Nov 14, 2023 34 tweets 3 min read
巨象の如きガレオン船は悲鳴をあげていた。身を守るための数多の砲も、賊に備えた用心棒もまるで役に立たない。波間に浮く木の葉の如き小舟が十重二十重とガレオン船を取り巻き、じりじりと包囲を狭める。たとえ身は大きくとも、狼に囲まれた羊に出来ることは何も無かった。

「か、海賊艦隊だ!」

船長は絶望の声を上げた。

「バッカニアだ! ヘンリー・モーガンがやって来たんだ!」
Wikipedia、バッカニアより。 ヘンリー・モーガンはウェールズ生まれの海賊、軍人、そして政治家。

この手の人物にありがちな事で、前半生はよく分かっていない。ただ、生まれ故郷にいてもうだつが上がらないと早期に見切りをつけて危険渦巻く新天地に活路を見出す冒険者気質の人間だった事は間違いない。 Historic U.Kより、Sir Henly Morgan
Nov 11, 2023 17 tweets 1 min read
1980年代、ヒスパニック(スペイン語話者)がアメリカで拡大し、二言語教育が施行されるようになると、アメリカの保守層は反発し、英語公用語化(English Only)の動きが高まる。1983年には英語公用語化団体、U.S Englishが創設された。

こうした動きは、マイノリティ達に脅威と映る。 「U.S EnglishはヒスパニックにとってのKKKと同じだ!」

運動は極右的なものと見做され嫌悪される。しかしU.S English側は上手く立ち回った

「同化政策をやろうと言うのではありません。スペイン語を始めとした言語はアメリカの大事な財産です。ただ『英語を話せない』のは彼らの権利を奪います!」
Nov 6, 2023 19 tweets 3 min read
ホームズ死す!

1893年12月、世界的名探偵シャーロック・ホームズは仇敵モリアーティと相打ちとなり、共にスイスはライヘンバッハの滝に落ちた!

民衆は英雄の死を嘆き、真の殺人者たる作者ドイルに誹謗中傷が降り注いだ。已む無くドイルは再びペンを取る。

「さて、どう辻褄を合わせたものか……」 Wikipediaより、ライヘンバッハの滝 エドワード・ウィリアム・バートン=ライトはインド生まれのイギリス人エンジニア。幾つかの職を経た後、招聘されて開国間もない日本にやってくるも、ここで彼は柔術と出会う。

「凄い! まるで魔法のように人が次から次へと投げ飛ばされていく。それも背が低くて痩せた男相手にだ!」 Journal of Manly arts
Nov 5, 2023 14 tweets 1 min read
チャールズ・アルジャーノン・フライアットは第一次世界大戦中のイギリス商船船長で、戦時中にドイツ軍の捕虜となり、戦争犯罪者として処刑された。

何故民間人が正規戦を戦う軍隊によって処刑されたのか? 今日はそれを話しましょう。 Image フライアットは大戦が始まった当時、イギリスとオランダを繋ぐ商船の指揮を執っていた。

ドイツ外洋艦隊は圧倒的な戦力を誇るイギリス大艦隊によって海上封鎖を受けていたものの、ドイツは切り札として潜水艦隊を急ピッチで整備し、ろくな対策も取れないイギリス海軍を翻弄。海峡は危険な海となった。
Nov 4, 2023 15 tweets 2 min read
アルフレッド・ハットンは19世紀から20世紀にかけてのイギリスの剣豪、軍人。また著述家。

剣に天凛の才があり、12歳の頃にフェンシングの手解きを受けて以来腕を上げ、20歳で軍に入隊する頃にはイギリスに並ぶ者のいないフェンサーになっていた。 Image 自らの連隊に着任したハットンはレイピア、サーベル、銃剣など様々な近接武器を持ってきて、どれでも構わないから掛かってくるよう宣言する。新参者の生意気な挑発に、たちまち名うての下士官が銃剣を手に挑みかかった。結果は一瞬で出る。

「つ、強い!? いや、もう一本だ!」
Nov 1, 2023 6 tweets 1 min read
おはよう。

ヘンリー8世が崩御するまではまだまだ装甲騎士の時代も現役だったんだけど、メアリー1世くらいから鎧も後退し、レイピアが流行する。

するとレイピアを使った刃傷沙汰が増加し、社会問題になった。 刺突を得手とするレイピアは殺傷力が高く、斬撃を得手とする従来のブロードソードに比べると、相手を戦闘不能にするのではなく殺害する危険性が高い。

市井では刃傷沙汰に巻き込まれた時に少しでも優位を保てるようにとレイピアの長さはどんどん長くなっていった。
Oct 26, 2023 13 tweets 2 min read
これまで何度か19世紀のスポーツの発展について何度か述べてきた。しかし『スポーツマンシップ』と言う言葉が普及するのは意外と遅く、20世紀手前ごろとなり、しかもそれは『スポーツマンシップの欠如』を戒めると言う形で現れる。

これは何を意味するのか。 Wikipediaより、スポーツマンシップ。 そもそもイギリスでスポーツと言えば、それは狩りを指した。かつて鹿狩り、やがて狐狩りこそが王道のスポーツで、当然それを享受するのは貴族や上流階級に限定される。

ハンティングはゲームであり、また社交の一環で、勝ち負けよりも礼儀やルールの遵守、プレーの在り方が重視される。
Oct 20, 2023 17 tweets 2 min read
7月12日前後に北アイルランドを訪れる際は注意が必要となる。何故ならば現地住人を真っ二つに分けるイベントが行われるから。

それが、トゥエルブス、別名をオレンジメンズデー Image アイルランドはイギリスにとって最も近い植民地だった歴史があり、北部にはブリテン島からの入植者に起源を持つプロテスタントが多いのに対し、南部は土着のアイルランド人に起源を持つカトリックが多い。

もちろん北部にもカトリックはかなりいるものの、エリート層はプロテスタント多数。
Oct 13, 2023 20 tweets 2 min read
1948年7月17日。ギリシア陸軍伍長コンスタンティノス・ディミトレリスは号令と共に銃を置き、軍服を脱いで運動着に着替えた。

走り出す。 Image 1936年8月16日、ベルリンオリンピックが終わると、次なる1940年オリンピックの招聘合戦が始まり、最終的に東京がこれを制した。その次となる1944年オリンピックにはロンドンと決まる。

しかしベルリンオリンピック以後国際情勢は急速に悪化し、日本は日中戦争の泥沼に沈む。
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Aug 29, 2023 17 tweets 1 min read
1968年4月5日、RAFの主力戦闘機、ハンターが単機でロンドンに飛来し、這うような高度で轟音を響かせながら飛行する。その行先にはタワーブリッジがあった。

バカがヒコーキでやってくる。 Image 大戦後、勝利の立役者RAFは一転して日陰の存在に落ちた。軍用機の開発はお金がかかる。左右の政党が互いの計画を政争の具にして脚を引っ張り合った結果、RAFの軍用機開発計画は混乱する。

そこにきて更に混乱に拍車をかけたのが、ミサイル万能論だった。
Jul 15, 2023 25 tweets 2 min read
1940年9月15日、バトル・オブ・ブリテンは最高潮を迎えていた。RAFの消滅を確信したドイツ空軍はロンドンに猛攻を掛ける。戦闘機軍団は総出で迎撃に当たった

「くそっ! 弾切れだ! ヤバい、宮殿に向かってる!」

爆撃機を追撃するパイロットは焦った。

「こうなったら……」

新たな伝説が始まる Image レイモンド・タワーズ・ホームズは1914年生まれで、大戦中、予備志願パイロットとしてRAFに参加する。正規の軍人ではなく、民間人の立場で戦争に参加した『シチズン・パイロット』だった。

彼は1936年、同僚の勧めでRAFの民間人向け飛行プログラムを受講し、予備パイロットとして登録された。 Image