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May 19 12 tweets 1 min read Twitter logo Read on Twitter
語りやれるほど頭に飲み込めんかったんで適当にやります。rtせんといてね。。。
イルミナティと言うのは18世紀のドイツの秘密結社。

オーガナイザーのヨハン・ヴァイスハウプトは元々カトリック最右翼であるイエズス会士だったものの、やがてイエズス会のやり方に疑問を持って行く。

極に位置した人が自分の考えに疑問を持つと正反対の極に走りがち。
ヴァイスハウプトは国王、教会、国家など、地上のありとあらゆる権威を否定する無政府主義者になった。秩序の極みのようなカトリック最右翼から極アーナーキストへ。

彼はヨーロッパのエリート階級が広く繋がるフリーメイソンを乗っ取ろうと画策し、フリーメイソン内部に秘密結社イルミナティを設立。
フリーメイソンを乗っ取り、自らの思想で上書きする事で理想を達成しようと目論んだ。

性質上イルミナティはスパイとカウンタースパイの手法に優れており、儀式を重視する名誉クラブじみたフリーメイソンと比べると正に秘密結社。順調に規模を拡大するイルミナティ。
しかしフリーメイソンには名士も多い。それこそ領主階級とか。

フリーメイソン内部でアナーキーな思想を伝播させ、若い貴族が感化されるのを見るとドイツの領主達は仰天し、カトリック教会と共にイルミナティ潰しに動く。

ヴァイスハウプトは指名手配を受けてあちこち逃げ回り、イルミナティは壊滅。
かくしてその活動期間は12年に終わる。

しかしその後まさかの展開でフランス革命が起こった。イルミナティの事をまだ覚えていた人達は仰天。

「地下に潜ったイルミナティがフランスで革命を起こした!?」

何せもうイルミナティは実態がないのだから影だけが幽霊のように恐怖を煽る。
こうして歴史の波の狭間に消えゆくはずの秘密結社はフランス革命と結びつけられる事で体制側から本気で恐怖を買う謎の巨大組織となり、本家本元が存在しないのである種フリー素材化する。陰謀の陰にいつもお馴染みイルミナティ

オカルトブームが始まると魔術と絡められたり。元々は思想集団なのにね。
同様に変な解釈をされて陰謀論の文脈に取り込まれてるのが19世紀の終わり頃にイギリスの貴族が設立した円卓会議と言う秘密結社。

これはエリートイギリス人向けの排他的クラブで、アフリカ植民地支配を強力に成し遂げるべしと言う帝国主義的理念に共感した人達の繋がりだった。
当時こうした排他的な秘密クラブはそんなに珍しいことではなく、思想を同じくする社会的エリート達が互いに認めた者のみを非公開のクラブに招待して紐帯を保つと言うのはよくある事だった。

しかし謎めいた秘密結社は外部の、あるいは望んでもそこに入れなかった人達の想像を掻き立てる。
20世紀の中頃こうした秘密結社の研究が始まり、やがて個々別々で思想も時代も異なる秘密結社達は組織図で繋がれる

「イギリスによる世界支配の構想だ!」

こうして陰謀論が生まれ、イルミナティはその頂点におさまる。ドイツの田舎で10年ちょっとしか持たなかった組織は空想の世界で遂に頂点に立った Image
李下に冠を正さずとは言うけど、変に秘密にすると周りの想像が暴走するもんかしらね。

アナーキーな思想のイルミナティがピラミッド型の組織を管理して楽しいとは思えないんだけどw
あ、ないと思うけど1000超えたら消すからね。

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May 21
歴史の写真や動画等で見覚えもあるこれはペニーファージング。アメリカ英語ではハイホイーラーと言う。

見ての通り非常に前輪が大きく、対照的に後輪が小さい。大いに流行したこのタイプの自転車だけど、見るからに乗りにくそうなのに何故流行ったのか。

答えは単純で、速かった。 Image
ドライス男爵が二輪の足蹴り車ドライジーネを開発して以来、自転車は産業革命と共に急速に進歩してきた。

1860年代にベロシロードと呼ばれる現代の自転車に近いものが作られるけど、このフレームは木材でかつサスペンションがないので非常に乗り心地が悪かった。
しかしそのわずか10年後には頑丈な鋼鉄フレーム。細くて軽くて強いワイヤースポーク。そして衝撃を和らげるゴムタイヤを備えた、軽くて頑丈な自転車が作れるようになる。これがペニーファージング。

最新技術の塊であるが故にペニーファージングを購入できるのは中産階級以上に限定された。
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May 20
生まれ育ちに恵まれる事なく、己自身の努力や才能で成功を成し遂げた人をself-made manと言う。18世紀半ばの実業家にして発明家、リチャード・アークライトこそは人類史にその名を残す最大のself-made manだった。 Image
アークライトは1732年、イングランド北西部ランカシャーはプレストンの生まれ。13人きょうだい(内生き残ったのは7人)の末っ子で、それほど裕福ではない仕立て屋の父を親に持った。

両親はアークライトに学校に行かせるだけの余裕がなく、アークライトは従兄弟から読み書きを教わる。
やがてアークライトは理髪師兼カツラ師に弟子入りした。この時代カツラの需要は高く、男性の正装としてまだまだ定番であり、固い仕事と言える。

22歳の頃にアークライトは独立し、その一年後、結婚して子供を儲けた。しかしわずか一年で奥さんは亡くなってしまう。
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May 19
シャルル・ド・バッツ=ド・カステルモール=ダルタニャン。通称ダルタニャンは17世紀を生きたフランス軍人。

彼は古より戦の絶えないフランス・スペイン国境ガスコーニュ地方の男であり、気性荒く勇猛果敢な『ガスコン』だった。 Image
ダルタニャンは成り上がりのブルジョワの次男あるいは四男として生まれる。何れにしても彼は家の財産を相続できる立場になく、自立を余儀なくされる。尚武の地ガスコーニュは昔からフランスの兵力策源地であり、ダルタニャンのような男はパリを目指して軍人になるものと相場が決まっていた。
この際、父の姓であるド・バッツではなく母の旧姓であるダルタニャンを彼は選択する。

と言うのも母方の祖父ジャン・ダルタニャンが近衛歩兵隊で旗手をやっていた事があり、軍人としてやって行くなら地方の小金持ちド・バッツよりも通りがよかったからだった。

こうしてダルタニャン物語は幕を切る。
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May 18
18世紀末まで女性はハンドバッグを持つ習慣がなく、概ねどこに行くにも手ぶらだった。

荷物は使用人に持たせたり、馬車に積めばいいと言う考えもあったけど、日用品を収納する大きなポケットがあったと言うのが理由としては大きい。

これが女性用結びポケット(Woman's tie-on pockets)。 Image
15世紀ごろまでにはカバンというか、手持ちの袋のようなものもあったものの、16世紀ごろにポケットが発明されると手持ち袋は急速に廃れる。

理由は都市の過密化と犯罪の増加で、スリが多発すると大事なものは肌身離さず持つべきだと言う考えが生まれ、内ポケットが普及した。
この際、男性服のポケットは服に最初から縫い付けられていたけど、女性向けは着脱可能な腰巻き式だった。

当時の女性服は幅広のロングスカートで、ポケットはスカートの下のウエストラインに巻かれる。スカートに入れたスリットから女性は容易にポケットに手を入れる事ができた。 Image
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May 16
猛将とはリスクとリターンを天秤にかけてリターンを取る攻撃型の武将であり、知将とはリスクを取って博打を避ける守備型の武将。

ウェリントン公爵は圧倒的に後者で、リスクを避けた堅実な用兵を得意とする。
しかし彼の場合、ただ堅守を固めるだけでは済まない。 Image
1807年、フランスとスペインの間に密約が交わされる。スペインはフランス軍の領内通過を黙認し、フランスはポルトガルをスペイン越しに攻撃する。スペインは見返りにポルトガルの一部を与えられる予定だった。

ナポレオンの狙いは彼の対英経済封鎖を破るポルトガルを征服し、イギリスを締め上げる事。
ポルトガル軍はフランス軍の敵ではなく、ポルトガル王家は泡を喰って植民地のブラジルまで逃げ出した。ポルトガル総督にはナポレオンの義弟ジュノー将軍が任命される。さらにナポレオンはスペインとの約束も反故にして、王家を追い払い、実兄のジョゼフをスペイン王に就けた。

タダでは済まなかった、
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May 15
イギリスで美味しい思いをしたければ、簡単な事だ。三食とも朝食を摂ればいい。

有名なエスニックジョークだけど、言うだけはあってブリティッシュ・ブレックファストとコンチネンタル(大陸式)ブレックファストは大分異なる。

ところで何でこうなったのか。 ImageImage
古来、イギリスでは朝食はよくないものと思われており、教会は朝のミサの前に腹に何か入れて来ることを禁じていた。神前に列するんだから腹の中は空っぽにしろと言う理屈だけど実のところは居眠りが嫌だったのかもしれない

それでもお腹が空くのは仕方ないので、英語で朝食を断食破り(breakfas)と言う
この朝食文化の守り手が中世イングランドにおける田舎郷士、後のジェントリ達だった。

彼らはフランス系王朝プランタジネットに仕えつつ、地方のアングロサクソン名士として王家とは関係のない文化の守り手である事にアイデンティティを持っていた。

そして彼らが大事にしたのが、朝食の文化。
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