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May 28 35 tweets 2 min read Twitter logo Read on Twitter
下書きなし。確証もなし。小説のつもりでどうぞ。いきます。
バーバラ・パーマーはチャールズ2世の寵姫(ロイヤル・ミストレス)の一人。そして最も悪名高いイングランドいちの悪女。

二つ名を『国家の呪い』或いは『国家の禍い』と称される超弩級の地雷女。

即ち、イギリス中が認める傾国の美女。 Image
バーバラは旧姓をヴィリアーズと言い、ヴィリアーズ家はピューリタン革命(三王国戦争)迫るイングランドに於ける鉄の王党派だった。何せ領袖たるバッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズは国王ジェームズ一世の寵臣であり、バイセクシャルである王の寝室まで共にしたとされるほどの間柄だった。 Image
次代の王チャールズ1世にもバッキンガム公とヴィリアーズ家は一蓮托生で忠義を尽くす。

しかし革命戦争が勃発するとバーバラの父は戦争の中、忠臣ヴィリアーズ家の義務として全ての資産を自らが編成する軍隊に捧げ、そして戦死してしまう。

バーバラは唐突に無一文になった。
「何でこんな! 私の人生いきなりどん底じゃないの!?」

自分とは全く関わりのないところでバーバラの人生は曲がり角を迎える。当時の女性は一人では生きていけない。母は再婚したものの暮らしぶりは良くならない。ヴィリアーズ家は王党派としてよく記憶されているのでイングランドにも居場所はない
バーバラは王党派の復権を祈るしかなかった。国王チャールズ1世が革命派に処刑されると、バーバラ達はその子供、皇太子チャールズ2世に忠誠を移し、日々その勝利を願う。嫌われ者のヴィリアーズ家に列する者はそれしか選択肢がなかった。バーバラは段々と荒れる。

「私の人生台無しだ!」
ロンドン美人と呼ばれ、王党派で最も美しいと当時から称された上、国王の寵臣の血を引くバーバラは何もなければ結婚相手など選び放題の器量良しだった。

それが美人は美人でも文無しで政治的に嫌われ者の家ではろくな結婚は望めない。彼女は被害感を募らす。

バーバラはやがて放埒に走った。
15才の時、8歳年上の同じく放蕩もののチェスターフィールド伯とバーバラは恋仲になる。家を介さない個人的な関係で、当時の女性としてはヤケクソ感がある。行状の悪さに目を顰めた家族はバーバラを結婚に押し込んで落ち着かせようと、保守的で真面目な下級官吏のロジャー・パーマーと結婚させる。
自尊心が強烈なバーバラは落ち着くどころではなかった。

「ロンドン美人の私が! 王党派いちの美女が! なんであんな冴えない男と!」

結婚してもバーバラはチェスターフィールド伯との関係を継続し、親族は完全にバーバラを持て余す。しかしある時転機が。
「いっそ、チャールズ陛下に会わせてみたらどうだ。並大抵の男で納得するような女ではないぞ」

こうしてバーバラはいとこからの意を受けて、ブリュッセルに亡命中のチャールズ2世に手紙を届ける役割を振られる。

チャールズ2世は大変な艶福家で、亡命中にも関わらず愛人を数多抱えていた。
「もしかしたら見初められるかも知れん……。と言うより、多分気に入られるのではないか。性格はアレだが、見た目だけはいい」

かくして見た目だけはいい地雷女がチャールズ2世の前に現れる。波打つ黒髪、悩ましげな紫色の瞳、大理石のような肌、豊満な胸、見栄えする長身、くびれた腰…… Image
「寵姫になって欲しい」

かくしてバーバラは一撃でチャールズ2世を射止め、筆頭寵姫となる。

「ま、私の器量なら当たり前でしょ。にしても寵姫ってのが気に食わんわね。本来なら王妃でも……」

別段それで国王に感謝するわけでもないバーバラ。彼女からすると王家のせいでえらい目に遭ってる。
バーバラの夫、ロジャー・パーマーはバーバラを国王に差し出した代償としてカースルメイン伯爵の地位を授かり、バーバラもまたカースルメイン伯爵となる。

しかしチャールズ2世は以後10年、ひたすらバーバラに振り回されることになる。
「陛下、早速ですが妊娠しました。貴方の子です」

チャールズ2世は泡を喰う。

「待て、タイミング的に早くないか!? 余ではなくカースルメイン伯爵の子では!?」

バーバラは泣いて怒って凄んで脅した。

「やる事やって責任は果たさないと!? それでも国王ですか!」
擦ったもんだの末にチャールズ2世はバーバラの第一子アンを認知する。やる事やったのは事実なのだから。

「いやでも、しかし、タイミング的に……」

「何か?」

「いや、その、何も……」

下半身を抑えられたチャールズ2世はバーバラに強く出られない。惚れた弱み極まりない。
同じようなやり取りはバーバラが身籠る度に起こった。奔放な上にチャールズ2世に恋愛感情がある訳ではないバーバラはチャールズ2世から分取ったお金で愛人を囲う。

三男ヘンリーが生まれた時はタイミング的に真っ黒だと流石のチャールズ2世も認知を拒否した。

「お前いい加減にしろよ!?」
バーバラは泣いて騒いで怒ってヒステリーを起こした。宮廷中に聞こえるくらい騒いだのでチャールズ2世の胃はキリキリする。

「ならこの子の頭を見てる前でかち割ります!」

めちゃくちゃ言い出したので最終的にチャールズ2世が折れた。なおこの子は皮肉にも忠実な軍人に育つ。
寵愛は得ても家格の低いバーバラは飽くまで寵姫でしかなく、王妃にはなれない。チャールズ2世はポルトガルからキャサリン王妃を娶る。しかし気位が高くて性格の悪いバーバラからするとそれすらも気に食わない。

艦隊を率いてポーツマスにやってくる王妃に会わねばならぬ国王をバーバラは妨害した。
「今、妊娠中なんですよ!? あなたやる事やって他の女を迎えに行くんですか!?」

「いや、それはそうだが公人としての国事行為で!」

「縁を切りますよ! 死んでやる!」

弁えない寵姫バーバラは四日間に渡って出発を妨害し、新婚の王妃に待ちぼうけを喰らわす。彼女からしたら王妃も競争相手。
そうして王妃がやってくると、王宮に堂々と自分の下着を物干しに掛けて存在感をアピールした。

『陛下の寵愛は私の物』

王妃がかなり嫌な気持ちになったのは言うまでもない。なお、当時の慣例に反して堂々と干された彼女の下着は当代の人達に『目の保養になった』と記された。
バーバラの悪評は海を超えてポルトガルにまで轟いており、キャサリン王妃は彼女を近づけるなと母王から言われていた。

「バーバラなる女官に近づかれたくありません」

キャサリン王妃は侍従にバーバラの名前を見つけると、削除した。しかしバーバラがそれでおさまるわけもない。
「王妃のチェンバーメイドになれないなら死んでやる!」

とバーバラは騒いだので、チャールズ2世は擦ったもんだの末、結局屈服し、バーバラの要求に従う。引き合わされたキャサリン王妃は鼻血を噴いて失神した。

「ポルトガル王女でイギリス正妃がなんでこんな屈辱を……」
この一件は相当後まで、と言うよりキャサリン王妃にとっては生涯忘れることのない屈辱となった。いくら何でも酷いと心あるイギリス人たちがキャサリン王妃側についたものの、チャールズ2世はこの件に関して王妃ではなくバーバラの側に終始ついたため、結局キャサリン王妃はこれを受け入れる。
『無冠の王妃』

とバーバラは称される。彼女の影響力は王妃を遥かに上回った。チャールズ2世から贈られるプレゼントもキャサリン王妃を遥かに上回る。寧ろキャサリン王妃に負ける事を絶対にバーバラは許容しなかった。

おまけに権勢欲も強い。国王との繋がりをタテに賄賂も取る。
「めちゃくちゃだ! 国家の呪いか! 国の禍いか!」

名画家が描いて額縁に入れたような悪行のバーバラに流石に批判が湧くも、誰も勝てない。彼女は最早イギリスで最も強力な存在だった。
とは言え、その立場は勿論不動ではない。彼女の立場は移り気で面食いのチャールズ2世の気まぐれと言う不確かなものだった。バーバラは23歳の時、強力なライバルを迎える。

フランセス・スチュアート。王家スチュアート家の遠縁で、僅か15歳の美少女だった。

note.com/elizabeth_munh…
『当代随一の美貌』とまで称されたフランセスにチャールズ2世はたちまち夢中になる。

「王妃がポルトガル人でカトリックと言うのもなんだし、もう彼女を王妃に挿げ替えればいいのではないか」

とすら言われる程。本来ならバーバラも面白くはない。

しかしまだ23とは言えバーバラは既に海千山千。
バーバラはフランセスを自らの居室に招き、懐柔した。

「何でも頼って下さいね。ふしだらな男性から若いあなたを守るのも年長者の義務ですよ」

バーバラは自らのベッドをフランセスと共有する。若い女性が年長の女性から守護を得るためにそうした習慣があるのは事実だった。
やがて二人はソフトな同性愛的な間柄にあると見なされる。

「微笑ましい事だ」

と言うのは何も知らない人の思うところで、実のところはバーバラからフランセスにかける保護兼圧力である。

「私たち、姉妹みたいに仲良しね?」

(目が笑ってない。怖……。これが寵姫の世界……)
フランセスはバーバラに勝てる気がせず、寵姫レースから離脱する。バーバラも別に止めなかった。

「別に憎かったわけでもないし、降りてくれるならそれはそれで」

こうしてバーバラはチャールズ2世の寵愛を独占し続ける。しかし如何なる彼女と言えども、男心を常に保持するのは不可能だった。
バーバラの対抗馬として平民出身のネル・グウィンが台頭し、チャールズ2世の心はやがて離れていく。

さらにルイーズ・ケルアイユなど、新しい寵姫がチャールズ2世の心を攫う。バーバラは飽きられて行った。ヒステリックで弁えない彼女をチャールズ2世も持て余す。
「ここら辺が潮時みたいね」

バーバラはまだチャールズ2世の情がある内に子供達への叙爵や結婚を働きかける。バーバラ自身も女公爵位を得た。

手切金気味にチャールズ2世はバーバラに地位と年金を贈る。

「頼むからスキャンダルは起こしてくれるなよ」

と最後に言い添える。
「ばーか」

と言ったかどうかはさて置き、バーバラはその後も好きに生きた。溜め込んだ莫大な財産と共に、若い美男子を囲う。彼女は男を思うままに操作する自信があったものの、最早年老い、国王の後ろ盾を失ったバーバラひ驚くほど無力で、逆に彼女は若い恋人に財産をむしられる。
「国王を掌で転がしたバーバラ・ヴィリアーズも老いてはこんなもんか。いや、案外……。陛下が甘かったのかもね」

バーバラは若い恋人と別れ、子供達の世話になりつつ余生を送る。

「ざまみろネル。私の勝ちだぞ」

憎まれっ子世に憚る。バーバラは68歳で天寿を迎えた。
女性が主体的に自らの運命を決めることが困難な時代、色香を以て成り上がり、没落したバーバラはイギリス史上最悪の寵姫として今も名を刻む。

絵に描いて額縁に収めたような毒婦。しかし、国王がどうしても手放せなかった、イギリス最高の傾国の美女。 Image

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May 28
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May 21
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答えは単純で、速かった。 Image
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May 19
シャルル・ド・バッツ=ド・カステルモール=ダルタニャン。通称ダルタニャンは17世紀を生きたフランス軍人。

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この際、父の姓であるド・バッツではなく母の旧姓であるダルタニャンを彼は選択する。

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May 19
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May 18
18世紀末まで女性はハンドバッグを持つ習慣がなく、概ねどこに行くにも手ぶらだった。

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