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今日は三方原?

#どうする家康
勝頼が脅威として描かれるのは新しい感じ。
鉄の中心部集団、って印象だったけど、そりゃ武田が来て怖くない人はおらんわな。
失望して見放した人たちと、見直して仕えた人と。
別に三河の武士達が特別忠義に優れたわけではないよね。
井伊直政、誕生。
こんなに望月千代女がクローズアップされた事はないかも。
おお、次回タイトルコール?

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May 28
下書きなし。確証もなし。小説のつもりでどうぞ。いきます。
バーバラ・パーマーはチャールズ2世の寵姫(ロイヤル・ミストレス)の一人。そして最も悪名高いイングランドいちの悪女。

二つ名を『国家の呪い』或いは『国家の禍い』と称される超弩級の地雷女。

即ち、イギリス中が認める傾国の美女。 Image
バーバラは旧姓をヴィリアーズと言い、ヴィリアーズ家はピューリタン革命(三王国戦争)迫るイングランドに於ける鉄の王党派だった。何せ領袖たるバッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズは国王ジェームズ一世の寵臣であり、バイセクシャルである王の寝室まで共にしたとされるほどの間柄だった。 Image
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May 21
歴史の写真や動画等で見覚えもあるこれはペニーファージング。アメリカ英語ではハイホイーラーと言う。

見ての通り非常に前輪が大きく、対照的に後輪が小さい。大いに流行したこのタイプの自転車だけど、見るからに乗りにくそうなのに何故流行ったのか。

答えは単純で、速かった。 Image
ドライス男爵が二輪の足蹴り車ドライジーネを開発して以来、自転車は産業革命と共に急速に進歩してきた。

1860年代にベロシロードと呼ばれる現代の自転車に近いものが作られるけど、このフレームは木材でかつサスペンションがないので非常に乗り心地が悪かった。
しかしそのわずか10年後には頑丈な鋼鉄フレーム。細くて軽くて強いワイヤースポーク。そして衝撃を和らげるゴムタイヤを備えた、軽くて頑丈な自転車が作れるようになる。これがペニーファージング。

最新技術の塊であるが故にペニーファージングを購入できるのは中産階級以上に限定された。
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May 20
生まれ育ちに恵まれる事なく、己自身の努力や才能で成功を成し遂げた人をself-made manと言う。18世紀半ばの実業家にして発明家、リチャード・アークライトこそは人類史にその名を残す最大のself-made manだった。 Image
アークライトは1732年、イングランド北西部ランカシャーはプレストンの生まれ。13人きょうだい(内生き残ったのは7人)の末っ子で、それほど裕福ではない仕立て屋の父を親に持った。

両親はアークライトに学校に行かせるだけの余裕がなく、アークライトは従兄弟から読み書きを教わる。
やがてアークライトは理髪師兼カツラ師に弟子入りした。この時代カツラの需要は高く、男性の正装としてまだまだ定番であり、固い仕事と言える。

22歳の頃にアークライトは独立し、その一年後、結婚して子供を儲けた。しかしわずか一年で奥さんは亡くなってしまう。
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May 19
シャルル・ド・バッツ=ド・カステルモール=ダルタニャン。通称ダルタニャンは17世紀を生きたフランス軍人。

彼は古より戦の絶えないフランス・スペイン国境ガスコーニュ地方の男であり、気性荒く勇猛果敢な『ガスコン』だった。 Image
ダルタニャンは成り上がりのブルジョワの次男あるいは四男として生まれる。何れにしても彼は家の財産を相続できる立場になく、自立を余儀なくされる。尚武の地ガスコーニュは昔からフランスの兵力策源地であり、ダルタニャンのような男はパリを目指して軍人になるものと相場が決まっていた。
この際、父の姓であるド・バッツではなく母の旧姓であるダルタニャンを彼は選択する。

と言うのも母方の祖父ジャン・ダルタニャンが近衛歩兵隊で旗手をやっていた事があり、軍人としてやって行くなら地方の小金持ちド・バッツよりも通りがよかったからだった。

こうしてダルタニャン物語は幕を切る。
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May 19
語りやれるほど頭に飲み込めんかったんで適当にやります。rtせんといてね。。。
イルミナティと言うのは18世紀のドイツの秘密結社。

オーガナイザーのヨハン・ヴァイスハウプトは元々カトリック最右翼であるイエズス会士だったものの、やがてイエズス会のやり方に疑問を持って行く。

極に位置した人が自分の考えに疑問を持つと正反対の極に走りがち。
ヴァイスハウプトは国王、教会、国家など、地上のありとあらゆる権威を否定する無政府主義者になった。秩序の極みのようなカトリック最右翼から極アーナーキストへ。

彼はヨーロッパのエリート階級が広く繋がるフリーメイソンを乗っ取ろうと画策し、フリーメイソン内部に秘密結社イルミナティを設立。
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May 18
18世紀末まで女性はハンドバッグを持つ習慣がなく、概ねどこに行くにも手ぶらだった。

荷物は使用人に持たせたり、馬車に積めばいいと言う考えもあったけど、日用品を収納する大きなポケットがあったと言うのが理由としては大きい。

これが女性用結びポケット(Woman's tie-on pockets)。 Image
15世紀ごろまでにはカバンというか、手持ちの袋のようなものもあったものの、16世紀ごろにポケットが発明されると手持ち袋は急速に廃れる。

理由は都市の過密化と犯罪の増加で、スリが多発すると大事なものは肌身離さず持つべきだと言う考えが生まれ、内ポケットが普及した。
この際、男性服のポケットは服に最初から縫い付けられていたけど、女性向けは着脱可能な腰巻き式だった。

当時の女性服は幅広のロングスカートで、ポケットはスカートの下のウエストラインに巻かれる。スカートに入れたスリットから女性は容易にポケットに手を入れる事ができた。 Image
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