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Mar 11 7 tweets 1 min read Read on X
袴(はかま」は日本の文化です。
日本の洋装には「歴史」があります。

日本で洋服を着る様になったのは明治時代の文明開化から。
欧州(ヨーロッパ)の古い歴史の文化からファッション界に受け継がれて今に至ります。

日本の袴は「着物」時代から「洋装スタイル」へ移り変わる歴史的な背景がある。

「パンツ」の様な「スカート」の様な。
そんな「あいのこ」が今も廃れずに残っているのはなぜなのか?

それは「不完全」な中に「完成」された「日本人が愛する美」があるからです。

卒業式で今でも定番になったのは理由があって
つづく↓Image
大正ロマン代表の「ハイカラさん」がしっくりきます。
優雅で、高貴なイメージが「卒業式」などの衣装として残った日本の文化でもある。

あの「はいからさんが通る」に描かれている「袴」に「ブーツ」は
令和になった今でも受け継がれています(諸説ありますが日本の歴史を変えた漫画です)
着物だと動きづらくて「学業に支障をきたす」ことから
「もっと」動きやすい「袴」を生み出したのは「日本」のオリジナルで「初めての洋装」のスタイルです。

あの有名な矢印の着物の柄は
「矢絣(やがすり)」といって女子学生の定番の柄でした。「矢は一直線に真っ直ぐ進む」という意味が込められており「縁起物」とされています。

「卒業式と言えば袴」その由来は、明治時代に入るころ、当初は着物で学業に励むことが多かった女子学生
「着物だと動きづらい」ことから学業に支障をきたすとされ、着物よりも動きやすい「袴」が誕生しました。
大正時代に女性の社会進出に伴い、袴は女性の活動的な装いとして広く受け入れらたきっかけで
変化の走りから今に受け継がれています。

令和になっても卒業式に欠かせない袴となった由来には
卒業という人生の節目に「学び舎での象徴」として袴を着用する文化が続いているからです。

当時、女子教育の象徴として「袴姿」は知られた品格のあるスタイルとされていて、多くの女性が学業の場で着用していました。
そんな歴史的な背景と伝統が袴には秘められています。
図解は「袴」の様なパンツのパターン(服の設計図)日本の人は「袴」っぽいシルエットが好きなんですね。
技術的な話ですが、スカートとパンツのドッキングは「股上(またがみ)」が深くなります。
パンツの設計のポイントのひとつは「股下のカーブ」です。要らないところは削った方が「はき心地」につながります。

袴スタイルは日本人に受け入れやすい事から、形を変えて新たな「デザイン」として今も残っています。
「日本」の文化は宝です。受け継ぐ人がいなくなれば消えてしまいます。

袴は日本の歴史と文化の中で、その形状や用途を変えながら受け継がれていることを知って欲しい。
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はきにくいパンツの原因はパターンが悪いから↓ Image
どうでもいいかも知れないけど、日本人なら知っておいて絶対損はない。
ナゼ「男と女」服のボタン合わせが逆なのか? Image

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Feb 9
日本の後継者問題が切実な話。
これは以前働いていた会社での出来事。

その会社であるプロジェクトの企画をしていた。
日本製にこだわりをもち、生地から生産、すべてを日本のものづくりをするブランドです。
私は、名刺を見るとパタンナーという位置付けだったが、企画全般も管理するポジションでもあった。

ある日MD(一般企業の課長や部長と思ってください)が私のところにやってきて
「ごめん、出張行けなくなった。」と申し訳なさそうに言われた。
一緒に行くはずだった〇〇縫製工場の出張が他の商談とかぶってしまい、行けなくなってしまったらしく、私1人で行くことになった。

その日本の縫製工場は島根にある。
社長一台で築き上げた立派な縫製工場。長年の経験豊富な技術はすばらしく任せて安心な工場。

「一人で行くのか….」と不安もありながら、
飛行機の便が少ないから乗り遅れると最悪なので、目覚まし時計を3つセットして、なんとか5時起き。

MDに「いい菓子折りを渡すように」と言われていて
空港で売っていた東京名物の「人形焼」をおみやげに買った。
「雷おこし」と迷ったが、サクッとしていて私は好きだけど社長高は齢だしなぁ、、とお土産は気を遣うところでもある。

島根の空港に着くと工場の社長が待っていた。
つづく↓
社長は多分70近いかなって感じの男の人。方言なのか滑舌が悪いのか、何言っているか分からないことが良くあるが、
気持ちの優しい職人さん。日本の衣類業界を長年守ってきた人。
電話では良く話していたが、お会いするのは初めてだった。

「これ人形焼です!工場のみなさんでどうぞ!」と社長に渡したところ
「わしゃー甘いもんすきじゃてー。やわらかいもんがえーじゃなー、わっしゃしゃしゃ。」
みたいな感じで言われ、なんとなく意味は伝わったが、とりあえず、喜んでもらえて良かったと思った。

空港から社長愛用のKトラで工場へ向かった。
工場は山の中にあり、澄んだ空気が気持ちよかった。
こんなに緑に包まれた環境は、息苦しい東京の淀んだ空気を吸っている私にとって生き返る思いがした。

工場に着くと白い大きな犬が待っていたかの様にしっぽを振って私の所へ近づいてきた。
社長が、ワシと同じでもう高齢なんだがねー。と言いながら、犬までも歓迎してくれている感じが嬉しかった。
工場は自宅の横の敷地にあり、
中に入ると長い裁断台、ミシン、検品台、生地棚など申し分ないくらい広い空間の中に設置されていた。
従業員はそれほど多くなく、社長と奥さんの他に10人くらいが働いていた。

ミシンの設置してある部屋の壁一面にぎっしりと吊り下げられた金具類があった。

これは「ラッパ」と言われているミシンに設置するアタッチメントのこと。
この付属をミシンにつけることで、アームホールや裾など色んな箇所の始末が驚くほど綺麗に縫製できる。

社長言わく、既製品のラッパは高額な割に使いづらく、生地の厚みや、仕上げる巾などの関係もあるのだろう。
ざっと見て何百種類と壁にかけられていた。

全部自分で微調整を繰り返し自作しているとのことで、本物の職人とはこういう人のことを言うのだろうなと思った。
Read 9 tweets
Dec 24, 2024
本当のことなので何度も言いますが、服の質がどんどん落ちています。

日本の洋服産業が始まったのは明治時代からです。 ひと昔前の洋装技術は令和の服と比べると敵わない技術があります。

日本で服を生産していた時代は、今より「生地や設計」がしっかりしていて長持ちするし、縫製もきれいです。 一概には言えないけど少なからずみんな感じていると思う。

現在の洋服産業はファストファッションが主流の時代です。
つづく↓Image
かつて日本の衣類産業は日本製がほとんどでした。今は中国産業へと移り変わったのはみんなが知っている事ですが、残念なことに現在日本の衣料品は国内生産が2%を切っています。

「縫製」もそうです。現在中国では物価が上がり「人件費」や「物価」が上昇していることから「コスト」を下げるために、中国よりもっと奥の国「カンボジア」「ミャンマー」「ベトナム」「バングラデシュ」へ縫製工場が移りつつあります。
これ裏の話ですが、ほとんどと言っていい程、中国の傘下の縫製工場で中国が潤う産業なんです。(一部に日本や東南アジアの工場もありますが)

日本の洋服産業は明治時代から長年にわたり受け継がれて日本の技術は歴史の浅い安物ばかりを手がけている中国にはハッキリ言いますが敵わないです。
今は重要なパターン(服の設計)までも中国へ依頼するケースが増えつつあります。それは日本の技術者が減っている事もあり、若い人材を育てる事はどの企業も困難なことが言えるでしょう。

中国人がつくるパターンを良く目にしますが、服産業の歴史が浅く本気で技術がないです。日本では明治の時代にヨーロッパから洋裁技術を熱心に学び、技術を繋いできた歴史があります。

中国では日本の支持に従って大量に量産できれば良いと言う、技術を高めようとする意思はあまり感じられません。パターンは縫製しやすい方法を優先する考え方でできるだけまっすぐ縫うために平面的なとても簡単なパターンの作り方をしていて、これから向上するとも思えません。
Read 6 tweets

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