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May 13 16 tweets 8 min read Read on X
家に帰ろう 8千キロ歩いて

1920年代アメリカ
NYから車の誘いは全て断り徒歩の旅を続ける女性がいた
非常に無口で「シベリアに行きます」としか言わない彼女はボロボロの服で左右違う男性用の靴を履き、護身用に鉄の棒を持ち4年間山林や荒野をひたすら歩いた
判明してる足跡だけで8千km以上になる↓ Image
彼女の名はリリアン・アリング
1896年か1900年生まれで、寡黙な彼女や周囲からの断片的な情報からはポーランドかベラルーシ、ロシアのどこかから放浪癖のある婚約者を追ってアメリカに来ている
婚約者は見つからず、NYでの暮らしに疎外感も感じたアリングは帰国を決意
1926年までNYで汽船の渡航費を Image
貯めるべく必死に働くが、これは非常に高額で全然足りず図書館に向かう
そこでシベリアまでのおおまかなルートを構築
まさか歩いて帰ろうとしてるのか?と思うがそのまさかだ
彼女は婚約者ではなくロシア革命から逃れた説や、病気の家族に下に向おうとした説もある
そしてその年のうちに出発 Image
1日48kmのペースで進む彼女が歴史に現れるのは1927年9月10日
カナダ西端ヘイゼルトンから北97km地点で職務質問を受けている
当時画期的だった露米電信網構築の為二人が競っていて、その一人ペリー・コリンズが築いたユーコン・テレグラフ・トレイルという山林の中の小径があった Image
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隔絶の地を命懸けで切り開き、多くの犠牲者も出た難事業だったが、彼のベーリング海ルートは失敗
しかし途中に数々の町ができた
この電信網の保全の為に31~48kmごとに作業員の保全小屋があったんだよ
その一つキャビン2の電信作業員はボロボロの風体で明らかに栄養失調状態の彼女を発見して驚愕 Image
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心配して声をかけるもアリングは歩みを止めず「シベリアに行きます」と言うだけ
作業員は当局にすぐ連絡
ワイマン巡査が現場に来たけど、もうすぐ冬だしこのまま行かせると結果は明らかで非倫理的だと感じ、行かせてくださいと懇願する10ドル札2枚と4.6mの鉄の棒を持つ彼女を浮浪罪で逮捕 Image
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鉄の棒は護身用で野生動物に使ってませんなどと主張した彼女だが2か月間模範囚が入るオーカラ刑務所農場に収監
命を守るための措置だった
厳冬期が終わり釈放されるとバンクーバーのレストランで働き再び資金調達し出発
ペースは一日48~64kmに上がっている
ここから足跡が分かりだすのだが、 Image
なぜかというとカナダ・ブリティッシュコロンビア州警察が彼女の情報を共有し、安全確認の為にテレグラフトレイル沿いの各キャビンを訪問する様アリングに頼んだからだ
警察情報で立ち寄る町では彼女を待っていることもあった
電信作業員達も彼女を支援し、訪問したアリングに衣服や食事を与えている Image
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彼女が男性用の服を着て靴がバラバラだったのはこの為だ
電信網の保守作業には土地柄犬ぞりが不可欠で小屋に犬達がいたんだけど、1928年9月28日にキャビン8を訪れたアリングに、一人じゃ寂しいだろと作業員ジム・クリスティさんがブルーノという犬を彼女に譲っている
ポスト最初にいた犬がそう Image
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ブルーノは悲しいかなクズリ(貂熊・ウルヴァリン)用に仕掛けられた毒餌で亡くなってしまったが、生涯彼と共にいると誓っていたアリングさんは剝製にしてブルーノと共に歩んだ
ドーソンの町にたどり着いた彼女はコックとして働きボートを購入
寡黙で会話や人付き合いを避け続けミステリーウーマンと Image
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して知られる存在になっている
8か月の不可解な滞在でいい男性ができたという伝聞もある
古いボートを修繕し、郵便局員が彼女を見たというノームを経てアリングは1929年遂にベーリング海峡に到達、したと思われる
ここから情報が錯綜
1943年にイヌイット人が回想した内容によると、北米最西端に近い Image
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集落テラー周辺で一人の女性を見たという
「彼女はわずかな荷物が入った荷車の様な機械を引いていた。荷物の上には奇妙にも死んだ白黒の犬がいたのさ。だが足跡は増水した川のほとりで途切れておったのだ。可哀そうにな。」
アリングの特徴にかなり近そうで、長年海峡付近で亡くなったと思われていた Image
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しかし1975年に驚くべき情報が現れる
この年に出た雑誌トゥルー・ウェスト・マガジンにアリングの旅が紹介されるとある投稿があった
エルモアと名乗る読者によると彼が1965年にロシア人の友人から聞いた話としたうえで、そのロシア人が1930年に体験した奇妙な出来事が綴られていた Image
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彼はノームの西240kmのロシア領プロビデニヤの海岸にいたんだけど、浜辺で数人の役人が誰かを尋問してるところに出くわした
外国同士だけど先住民族には関係なく普通に行き来があり、船賃を払えば外国人も渡れた
当局はまあ黙認したり捕捉しようにも中々できなかったんだけど時折こうやって捕まる人も Image
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そこには尋問される3名のディオミード諸島(画像中心)のイヌイット男性と一人のコーカサス人の女性がボートの近くに立ってた
女性は自分はアメリカでは部外者だった、ここまで必死に歩いた、故郷に向かう、私はようやく帰った、というような事を話しているのをそのロシア人は聞いたという Image
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この女性がリリアン・アリングだったかは誰にもわからない
寡黙な彼女はこの旅を生涯誰にも話さなかっただろう
でも彼女だったらいいなと思うよ
この物語は時を経ても人々を惹きつけ、本や映画、舞台やオペラ作品になっている
canadashistory.ca/explore/settle…Image
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Dec 13, 2024
ラコタ族最後の暗号通信兵

二度の大戦中、部族固有言語の難解さからアメリカ先住民族が暗号技術を習得し無線通信兵として採用されていた
太平洋戦線に従軍したラコタ族のクラレンス・ウルフ・ガッツさんもその一人
終戦後彼は軍の最後の命令だった沈黙を守った為、21世紀まで誰も彼を知らなかった Image
また彼の暗号技術が必要になるかもしれないと軍は思ったのだろう
拉致の被害を避けるためもあり秘密を知る者は少ない方が良く、誰が暗号話者かを知るのは戦場でもタブーだった
その名が世に知られたきっかけは2002年のヒット映画ウインドトーカーズ
米軍でコードトーカーと呼ばれた先住民族無線通信兵の物語で、対日戦をはじめ約450名が投入されたナバホ族コードトーカーの一人と主演のニコラス・ケイジの交流が描かれているImage
映画公開後、誰が第二次世界大戦のコードトーカーだったか知ろうという動きが広まり、17の部族と100人以上の暗号話者が特定された
残念ながらそのほとんどは亡くなっていたがクラレンスさんが数少ない生き残りの一人と知られ人生は一変した
それまで彼はただの大酒飲みの農夫としか見られていなかった Image
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Nov 26, 2024
132年前に隠されたメッセージを発見

スコットランド南西部の半島にある築209年のコーズウォール灯台を定期点検に訪れた技術者たちは、灯台内の戸棚に隠しパネルがあるのを発見
その先の手が届かない場所に手紙入りのボトルを見つけ大興奮
もし宝の地図だったら秘密にしただろうと冗談を言っていた↓ Image
ほうきの柄とロープを使って慎重に珍しい形状の、恐らく石油を保管してたボトルを入手
技術者で灯台守を担当するミラー氏は、開ける時手が震えたという
コルクは癒着してて、苦心しつつ丁寧に抜くと中には筆記体で書かれた132年前のメッセージが
その中身だが1892年9月4日と記され、 Image
当時のコーズウォール灯台・霧信号所のランタン交換、設置作業に関わった4名の技術者の名前(写真左から二番目の人の名前もある)と灯台守チームの3名の名前、20世紀初頭まで存在した灯台ランタンとレンズの製造会社の名前、製作技術者3名の名前が誇らしげに書かれたものだった Image
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Sep 29, 2024
オーストラリアに移住した最初の日本

1873年に軽業師としてオーストラリアに到着したこの画像の桜川力之助と7歳の息子で弟子の戸川岩吉がそう
入国の際にサクラガワ・リキノスケが通じず彼はサナルカワ・デチェノスキとされてしまった上に姓と名が入れ替わったがそれで通した
これが後に一族を救う Image
桜川力之助は1848年、戸川岩吉は1865年にともに江戸で産まれた
二人の正式な関係は判らないが、ともかく親子だった
19世紀半ばに正式に鎖国政策が終わった日本だったが、かといって気軽に庶民が海外移住できる時代でもない
主に研究者や貿易目的でパスポートは発行されたが、厳格な規制をくぐりぬけ、
外国人実業家が日本の芸能人、主にアクロバットを生業とする軽業師達を興行に起用しようとパスポート取得を支援していた
フランス人実業家雇われ1872年10月7日に開港地だった横浜村の当局は桜川一家にパスポートを発行
翌日すぐに船でインドに向かった
ここで活動した後翌年彼らはトーマス・キングに
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May 9, 2023
17世紀のフランスに有名オペラ歌手と男装の剣豪という二つの顔を持つ高位の女性がいたんだけど、修道院に入れられた新しい彼女の為に潜入して彼女のベッドに掘り起こした尼僧の死体を置いて放火して二人で脱出
死刑判決を受けるも逃亡
設定すごいのに逸話がどれも無茶苦茶すぎて悪人列伝の方に名が残る Image
彼女の名はジュリー・ドービニー
父ガストンはアルマニャック伯ルイ・ド・ロレーヌに仕え、ルイ14世の王室厩舎を任されていた人物だった
彼は娘を他の男性の家臣たちと同じように厳しく育て、乗馬、馬の管理、フェンシング、拳闘にはじまりギャンブルや過度の飲酒まで10代の彼女は嗜むようになる
そんなジュリーは剣の腕と美しさが際立つようになり、14、5歳頃に主君のアルマニャック伯の愛人に
ほぼ同じ年に伯爵の計らいで父は昇進し彼女はモーパン卿という男性と結婚
以降ラ モーパンとして知られる事になるが、地方行政に携わる夫とは別に伯爵は彼女をパリの手元に置き続けた
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May 7, 2023
キラキラしたMVだなあ
めっちゃ青春
オーストラリア・クラーゲンフルト出身の今年デビューアルバム出した18歳
15歳で曲作ってその年にウィーンのポップフェストに出てる
父親はカリンシアのネイキッドランチってインディロックバンドで歌い俳優もやるオリバー・ウェルター
が、音楽は独学だそう
ポール・マッカートニー、デヴィッド・ボウイ、ハリー・スタイルズに影響を受けた
このMVとかHeroesやもんな
父(4枚目)と同じく俳優もやってて昨年はウィーンのブルク劇場でシェークスピアのお気に召すままに出演したほかビルギット・ミニヒマイヤーと映画で共演
メイク、ネイル、古着を好む ImageImageImageImage
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