ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) Profile picture
最後にやってきたテレビゲーム史研究家。開発史を後世に遺したい。ゲーム・本制作についてマイペースで呟きます。遠山茂樹作品集、ガンフロンティア、キャノンダンサー本など。日本自費出版文化賞入選【第22回】ギャラクシアン創世記【第23回】Mr.ドットマン -小野浩 全仕事-。BEEP、COMICZIN、メロンブックス他で取扱中
Jan 23, 2021 7 tweets 1 min read
私は論や説というのは当人の考えだから何を言ってもいい(報道は別)と思っていますが、もしかしたらわざとかもしれないけれど、1970年3月開催の大阪万博・古河パビリオンに出展されたのは“電車の運転”と“碁”のゲームです。この視座を用いれば後者“碁”の存在についても、もっと語られるべきでしょう。 “シミュレーターかどうかがポイント”なんて見方は危険極まりないです。何故ならエレメカの時代からシミュレーターという言葉を宣伝に使ったゲームは無数にあり、シミュレーターと名の付くマシンもあったけれど、それは広義でも何でもなく“ゲームそのもの”でしょう。コインオペレートマシンですしね。
Jan 21, 2021 12 tweets 3 min read
この記事にある史上初の純国産ビデオゲームが1973年11月に岩手大学の大学祭で発表された『電子パチンコ』及び『電子ボーリング』としたのは早合点だろう。当時、電気系の大学を志す若者は真空管やテレビジョン受像機に関する深い興味があり、民間は勿論企業でも60年代後期からこうした研究はあった。🤔 日本のネット上では“クラシックビデオゲームステーション オデッセィ”の寺町電人(@DentoTeramachi)氏が早くから国産ビデオゲームの源泉は1970年3月開催の大阪万博・古河パビリオンに展示された『電車の運転テスト』と啓蒙していた。又、同時に碁のゲームも出展されている。
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Apr 18, 2020 11 tweets 4 min read
“後の公式アナウンス”とは『キャプテンランサー』という名で開発されていた『ヘルファイアー』からです。勿論もう少し早い段階で自社ブランドによる流通を目指していたのが、中々上手くいかなかった様です。東亜プランはこれ迄多くの場所・部門に分かれていましたが、統合の話が持ち上がっていました。 達人・キャプテンランサーを開発中の陣容は本社が八王子にあり、営業と開発は飯田橋にあり、これを業務の効率を図る目的で荻窪の新本社ビルに統合しようとしたのです。実際に本社は1989年10月1日完成、運用されることになるのですが、その半年前にタイトーから販売されたのがヘルファイアーでした。