飯間浩明 Profile picture
1967年10月21日、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者(出版社社員ではありません)。『三省堂国語辞典』編集委員。著書『日本語はこわくない』PHP、『日本語をもっとつかまえろ!』毎日新聞出版、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』朝日新書、『ことばハンター』ポプラ社 他。『気持ちを表すことばの辞典』ナツメ社 も監修。
Jan 9 6 tweets 1 min read
なぜ「風邪を引く」と言うかについて、TBS「Nスタ」(1/9)で「貧乏くじを引く」「ババを引いた」という近代の表現と絡めて説明しており、驚きました。「風邪を引く」は平安時代からあることばで、時代的に不自然な説明です。番組がこの説をなぜ採用し、放送OKと判断したのか、不可解です。(続く) Image 「風邪を引く」の「引く」は、多くの国語辞典で「身に受け入れる」などと説明しています。たとえば、『三省堂国語辞典』の「風邪を引く」の項目では、「邪気のある風をからだの中に引き入れる」と説明します。その結果、いろいろな症状が起こるわけです。平安時代には「かぜ起こる」とも言いました。
Mar 4, 2023 7 tweets 1 min read
省略語のような(「乱れ」とされる)言語形式を、言語学者は叱ったりしません、という川原繁人さんの発言を読みました。全面同意です。言語研究にあたっては、言語現象すべてを大切で貴重な例として取り扱うのが基本のはずだからです。辞書を作る私も同じ姿勢です。ところが一方、(続く) ところが一方、言語学者が個人としてことばを批判することはある、という別の主張も読みました。これも同意します。つまり、専門家がことばを批判することは、ないはずだが、ある。これは、本心から言っているわけではない場合もあれば、学問的良心を忘れて批判に走っている場合もあるでしょう。
Mar 2, 2023 4 tweets 1 min read
「微に入り細にわたり」という私の表現が気になると、まとめサイトのコメントで指摘されました。発言者の辞書には「微に入り細を穿つ」しかないとのこと。「細にわたる」は雑学本などで誤用扱いされたりするのですが、「細を穿つ」と同様、遅くとも明治時代から実例があり、決して誤用とは言えません。 Image 一部の雑学本でバツとされる「微に入り細にわたる」「微に入り細に入る」は、古い例があるだけでなく、意味も不自然なところはありません。「細を穿つ」が細かい点まで穿鑿(せんさく)することなのに対し、「細にわたる」は細かい点にまで及ぶこと、「細に入る」は文字どおり中まで入ることです。
Feb 23, 2023 5 tweets 1 min read
マナーの提唱者が「私たちの仲間は、この言い方を正しいことにします」と言う場合、根拠がいらないというのは賛成です。たとえば「ありがとう」と言うためには、「有ること難し」が語源かどうかは関係ありません。ただ、「そう言わないとダメ」と、他の人の言い方を否定するのは別問題です。 「三省堂国語辞典」のスタンプでは、「……にも使える」「……として使われる」などと言ってはいますが、新しいビジネスマナー等を否定してはいません。新マナーの提唱者が従来のマナーを「ダメ」と言っているのに対し、従来のマナーも経緯を見れば「正当性」があると情報提供しているのです。
Apr 21, 2022 4 tweets 1 min read
デマが何万回もリツイートされているとき、それを否定するツイートをどのくらい拡散させれば十分か、というのは難しい。情報の内容にもよります。デマの拡散者の大半は、その真偽には興味がなくて、すぐに忘れる人々と思われる。そうした層のことは無視してもいい気もしますが、本当にそうかな。 デマというのは拡散したくなる要素を持っています。一方、デマを否定する情報は多くは常識的で、拡散力ではデマに負けます。元情報の真偽に興味がない人には、なかなか届かないものです。でもせめて、「元情報が真実かどうか知りたい」と思っている人には、確かな判断材料が届くようにしたい。
Oct 16, 2020 10 tweets 2 min read
「了解しました」がべつに失礼でないというまとめがトゥギャッターにできて、私の過去のツイッターも引用してもらっています。反応を見ると、「了解しましたを使うな」という意見に対して、疑問を呈する意見が並びます。私も疑問を呈する側です。〔以下連投〕togetter.com/li/1608681 私の「了解」関係でバズった発言は以下のものです。〈「了解しました」は「分かりました」とほぼ同等で、もう少し敬意がほしい〉として〈「了解いたしました」と言えば、何ら失礼ではなく〉と述べています。ただ、現在の私は単に「了解しました」でも気にならなくなりました。
Oct 14, 2020 6 tweets 1 min read
仕事などのため、複数の新聞を読む機会が多くなりました。ネットで読めない記事を読み比べると、今さらながら論調の違いがよく分かります。読み比べの必要性は昔から言われるけど、このネット時代、私を含めて常に実践している人は少ないのではないか。比較検討の力を養うためにはお勧めです。〔続く〕 SNSの言論がエコーチェンバー化(同じ考えの人だけで盛り上がる)しているのは確かだと思う。公平な見方をするためには、両方の言論を均等に読めばいいのだけど、どちらの陣営もことばが暴力的で読むに堪えない部分がある。むしろ、論調の違う複数の新聞を読むほうが精神衛生上はいいです。〔続く〕