雁琳(がんりん) Profile picture
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Nov 19, 2022 9 tweets 1 min read
何で人文系がこんな体たらくになったのかという理由、今やほぼ追放されたに等しい身だが中の人だから分かるんよな。個人的には、大学院重点化政策以後、キャリア形成競争が激化し、学振や科研費の争奪戦なり業績至上主義なりアウトリーチ活動なりを盛んに行うようになったことにその理由があると思う。 人文系の場合、何かが明確に発見されたり発明されたりすることが少ないので、競争主義を導入した際の実態が本質的に見え難い。そこで見える成果を何とか導入しようとすると、一人社会起業や一人NPO活動のようになり、要は社会運動や政治運動に必然的に近づいてしまう。「社会正義」が持ち出される。
Nov 17, 2022 4 tweets 1 min read
原作が難し過ぎて諦めたにわか歴十数年の僕が改めて、今でも子供にすら大人気と言われているこのコンテンツの息の長さの理由について考えてたが、zunさんが二次創作の自由を許したことがまず当然大きいとして、萌え志向ではない、つまりチンシコ志向ではないことが要因の一つではないかと気付いた。 やっぱりチンシコ志向だと、生きたコンテンツとしては中々長続きしないのだと思う。何故なら、シコった男達はその内飽きてしまうし、女に見抜かれると疎んじられたり剰えフェミに叩かれる。萌え志向でもチンシコ志向でもないが、チンシコ志向にも対応可能な辺りが東方の凄い所ではないか。
Aug 23, 2021 5 tweets 1 min read
「右傾化とか嫌韓化って言論人やメディア人でなく「名もなき人たち≒ネトウヨ」によって起こされたものなのだろう。知識人の存在意義はいまの時点で「ない」のだ。あずまん級でさえ要らない子なのだから。」 旧dadaさんのこれ、僕が昨日言った言論の「民主化」という話とパラレルだと思った。 これは確かにそうで、「つくる会」のメンバーは西尾幹二といい伊藤隆といい坂本多加雄といい芳賀徹といい本物のインテリだけど、そういう人達の言説が「ネトウヨ」の参照先となる理論的支柱かと言えば、これはそうではないもの。
Aug 22, 2021 4 tweets 1 min read
4s4kiを観てる(というか聴いてる)けど、この人やっぱすんごいな。全くロックじゃないけど、これこそ「現代の音楽」だな。 この、超高度な技術とセンスをを駆使しまくって、破壊的かつ刹那的な弱さをハイパー個人主義で肯定する感じ。Adoなんかにも通底するものがあると思う。
Aug 21, 2021 5 tweets 1 min read
サカナクション以降って言っても良いのかもしれないけど、フジロックのking gnu観ながら思うのは、「声」を「歌」ではなく「楽器」として使うようになったというのが本当に物凄い変化なんですよね。これは別の人とも話していたけど、特にボカロ以降メロディ自体が複雑化したこととリンクしている。 最早、「楽器」としての「声」であって、完全に「言葉」を聴かせないものになった。「言葉」を聴かせるのは、ヒップホップなりレゲエなりに寄っていった。これは、ラップバトルの隆盛とも関係があるだろう。日本特有の「歌」というものが退潮しているのが現代なのだ。
Aug 21, 2021 4 tweets 1 min read
king gnu、すんげえな。改めて思うけど、ちょっと見ただけで分かるスーパーバンドだわこれは。完璧なトータルコーディネートだ…… king gnuの裏番組がnumber girlな訳だが、所謂Jロックの始まりと、その文脈が一旦テン年代に捻れて切れた後の終着点という対比、だよなあ。色々と思うことがあるな。衝動に訴えかけるJロックは終わり、高度なテクニックを高度に纏め上げた上でポップにする完成度の世界になった、ということなのか。
Aug 20, 2021 6 tweets 1 min read
「話の進展次第で自分の今後の生活が困難となりうるという枷を一方的に課せられているマイノリティ側が本当に自由に遠慮なく議論に参加できる環境とはなりにくく、「学問の自由」が実現しているとは言い難い」というような理屈にも誤魔化されてはならない。この「学問の自由」は、最早理念ではない。 この理屈は、喩えて言うならば、どんな残虐非道で醜悪な犯罪を犯した犯罪者であってもきちんと裁判を受けられるような「法廷」をゆくゆくは必ず破壊することになるものである。絶対に賛同してはならない。
Aug 9, 2021 4 tweets 1 min read
歴史認識問題にしても、男女問題にしても、それぞれキャンセル出来ない「立場」があるから絶対に「同じ見解」にならないことを前提に折り合いを付けていくしかない、と最近思う。どちらも容易に「立場」をキャンセル出来るしそうすれば「同じ見解」になると思っている連中が問題をややこしくしている。 「キャンセル出来ない立場など無いのだ」という表向きの理念の標榜は、「私達の不利な立場をキャンセル出来なくしているのはこれまで私達を抑圧してきたお前達の方だ」「だからお前達がまず反省すべきだ」という論理を導き出すことが多い。これは一見非常に「ただしい」ものに見えるが誤りだと思う。
Aug 8, 2021 7 tweets 1 min read
フェミニズムとは、女性も主体になろう、例えそれが女性自身に出来なくても主体が享受する権利を女性も持てるよう社会を改善しようという運動だが、正に当の主体性そのものが男性性そのものであるために何でもかんでも批判し続けることで自己を維持するしかないという自家中毒に陥っている。 そういうフェミニズムの結末を踏まえて見ても、女が主体性を持つのは無理なんだと思う。それは女が男より動物であり、一貫したアイデンティティを自ら確立する必要が無い生き物だからである。文明の表舞台が殆ど男によって作られてきたのは当たり前なのだ。ただ、だからこそ男は生き物としては弱い。
Jun 9, 2021 4 tweets 1 min read
女は共感を求めるが、男は共感のみならず合理性をも求める点で、実は女よりもケアするのが面倒だという話がこの前友人から出て、膝を打った。女においては心身が初めから一致しているのに対して、男の心身は分離していて、人為的に一致させないといけない分、男の方が余計なものを必要とするのだ。 女は或る意味で「完璧」な動物だが、男は不完全な、完璧に動物に成り切ることが出来ない動物であると思う。単に生物として考えるならば、余計なことばかり考え、余計なことばかり行うのが、そうせざるを得ないのが男なのだと思う。
Sep 2, 2020 15 tweets 1 min read
BLM、全ての文化左翼的社会運動の形態的欠点が全て出ているように思う。「構造的不平等」を解決するために、まさにその「構造」の上に立てられた「黒人」アイデンティティを以て差別反対運動を行うとどうなるか、それが暴力と結び付くとどうなるかを全て体現しつつある。 マジョリティの暴力は悪い暴力、マイノリティの暴力は良い(というか仕方ない)暴力みたいな造反有理的な話になってしまうのが一番の問題なのだが、これの何がヤバいのかと言うとマイノリティ側の暴力を抑えられないだけではなくて、マジョリティ側も交渉の余地無しと判断して暴力に訴えることになる点。