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たまーに、日本人がほとんど知らない知識を基に解説。気づきがあったスレッドはリポストして頂けるとありがたいです。 https://t.co/ckbORiKSZL←以前のポストはハイライトにあるので、よかったら参考までに。 質問は返信でお願いします。
tantris Profile picture Rockhopper Profile picture 丹羽伸夫(ゼット変人) Profile picture 3 subscribed
Dec 13, 2023 16 tweets 2 min read
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フリーメイソンについて今回は触りだけ

欧州で覇権を握っていたカトリックで腐敗が横行

聖職者ルターが、間違った教義を広めるカトリックに従うと天国に行けないと危機感

正しい教義を広めるため、聖職者ルターは庶民が読めないラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳

聖書に基づかない行動を行っていたことが庶民にばれ、カトリックの権威が崩れる

かしこい連中の一部が、キリスト教の世界観を飛び越えて物事を考え出す

その考え自体が異端のため、一部の知識層はフリーメイソンなど秘密結社に流れる

カトリックとフリーメイソンの戦い

こういったフリーメイソンの流れから生まれたひとつが「米国」であり、ひとつが「共産主義」Image 2/
無知な人は、フリーメイソンの話題を出すこと自体「悪」とし、中身も理解しないまま0:100で陰謀論だと批判する。

一方で、”思考停止した”陰謀論者たちは、フリーメイソンをあまり理解しないまま「悪のシンボル」として手あたり次第に紐づけて批判する。
Dec 11, 2023 16 tweets 4 min read
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ほとんどの日本人が知らないイスラエル側のテロ行為のまとめ
1948年~2007年までの193件

①1948年9月17日 イスラエルとアラブ諸国の間の国連調停者ベルナドッテ伯爵が、エルサレムのアルモン・ハナツィフ付近で護送車に乗っていたところを殺害された。殺害はテロ組織「レヒ」によって行われた。

②1949年12月12日 ベン・グリオンと政府の他のメンバーの命が狙われた。テルアビブのケセム映画館でクネセトの討議が行われていたとき、精神障害のあった23歳の男、アブラハム・ツファティがクネセトに侵入。彼は武器を取り出し、政府のテーブルを狙ったが、クネセトの議員たちによって寸前で止められた。

③1950年2月21日 クネセトの総会議場に爆弾を仕掛けようとした。

④1950年3月15日 「地下組織ツリフィン」がエルサレムの教育省事務所に爆発物を仕掛けようとした。

⑤1951年1月18日 エルサレム北部の近隣で、「地下組織ブリス・ハカナイム」のメンバーが、所有者が安息日に運転した自家用車を燃やした。また、エルサレムのエグド・バス社の車庫にガソリンを浸した袋を放置した。

⑥1951年5月15日 「地下組織ブリス・ハカナイム」のメンバーは、エルサレムのクネセトの議場に爆弾を設置しようとし、同時に軍事教練センターにも爆弾を設置しようとした。

⑦1952年3月28日 賠償協定に反対する「地下組織ツリフィン」のメンバーが、西ドイツのアデナウアー首相にブービートラップを仕掛けた小包を送付。

⑧1952年4月1日 ブービートラップを仕掛けた封筒を送りつけ、アーネスト・ビハム教授(西ドイツ賠償協議交渉団団長)を暗殺しようとする企て。

⑨19526月21日 安息日の公共交通機関の強制停止を阻止するため、世俗派がエルサレムの宗教運輸相ダヴィド・ズヴィ・ピンカスを暗殺しようと、自宅のドア付近に爆発物を仕掛けた。大きな物的損害があったが、けが人は出なかった。

⑩1952年6月24日 「地下組織ツリフィン」が、賠償協定に抗議してブービートラップを仕掛けた小包を送り、西ドイツのアデナウアー首相を暗殺しようとした。

⑪1952年10月5日 ヘルート党のドヴ・シランスキーが、賠償協定に抗議してテルアビブの外務省事務所に爆発物を仕掛けようとした。

⑫1952年11月8日 「地下組織ツリフィン」の3人のメンバーが、チェコ政府のチェコ系ユダヤ人エリートに対する迫害に抗議して、夕方、チェコ大使館の隣で、ペール缶の中に爆弾を仕掛けた。

⑬1952年12月4日 Kfar Shiloakh近郊で6個の爆弾が発見される。爆発したのは3つだけであった。この事件に関する他の詳細は不明。この攻撃は過激派ユダヤ人によって計画されたと考えられている。

⑭1952年12月5日 テルアビブのチェコ領事館で手榴弾が投げ込まれた。この襲撃に関連して3人の容疑者が逮捕された。「地下組織ツリフィン」が犯行声明を出した。

⑮1953 年2月9日テルアビブのソ連公使館で爆発があり、3人が負傷。攻撃は「地下組織ツリフィン」の小規模グループによって行われた。

⑯1953年4月16日 「地下組織ツリフィン」のメンバーが、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの作品を演奏しようとしたことに反発し、著名なヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツを襲撃。ハイフェッツは軽傷を負い、出国。

⑰1953年5月26日 イェシーバーの学生2人が不審な状況で逮捕された。爆発物を持っていたことが判明。彼らはエルサレムにある教育省の建物のひとつを破壊しようと計画していたことが明らかになった。その後、2人の少年は「地下組織ツリフィン」の宗教部門にいたことが判明した。

⑱1953年6月8日 イスラエル政府は「地下組織ツリフィン」の存在を発表。

⑲1953年7月1日 テルアビブで、ガソリンを使ってチェコ領事の車に火をつけようとする事件が発生。理由は不明だが、車に大きな損傷はなく、火は消し止められた。共産圏におけるユダヤ人エリートの扱いに対するこの抗議は、「地下組織ツリフィン」のメンバーであるイシャヤフ・シャラビによって行われた。

⑳1953年9月6日 「地下組織ツリフィン」のメンバーが、賠償協定に関係するドイツ船が停泊しようとしていたハイファ港に爆弾を仕掛けようとして捕まった。

㉑1957年3月2日 テロ組織「レヒ」の元メンバーが、イスラエル右翼から第二次世界大戦中にナチスを援助したと疑われていた中道左派政党「マパイ」のシンパ、イスラエル・カストナーを襲撃。

㉒1957年10月29日 モシェ・ドゥエクがクネセトの総会に手榴弾を投げ込む。4人が軽傷を負う。

㉓1972年8月 メイル・カハネとその同僚がローマのリビア大使館への「駆け引き攻撃」を計画していたことが明らかになる。

㉔1978年4月4日 予備兵イズラエル・レダーマンが、西の壁の広場付近を歩いていたパレスチナ人労働者に発砲。前日に予備兵アブラハム・ドイッチュがパレスチナ人に殺害されたことへの復讐であった。

㉕1980年6月2日 ユダヤ地下組織によるヨルダン川西岸のパレスチナ人市長襲撃事件。3人が重傷、2人が中傷、5人が軽傷。

㉖1982年4月10日 エルサレムのベイト・ハケレムに住む極右活動の経歴を持つ精神障害の兵士アラン・グッドマンが、自分の武器で四方八方を撃ちながら神殿の丘に侵入。岩のドーム・モスクに侵入した後、彼は制圧され、ようやく警察が到着した。この襲撃で2人が死亡、4人が重傷、7人が軽傷を負った。

㉗1982年4月18日 急進的な正統派ユダヤ教の極右シオニスト政党「カッハ」の活動家グループが「ヤミットの地下壕」に立てこもり、キャンプ・デービッド合意後のシナイ半島撤退計画が実行された場合、自爆して集団自殺すると脅した。

㉘1982年12月1日 テルアビブとヨルダン川西岸入植地エロンモレの住民アッシャー・ラボが、シェケムで乱射事件を起こしている最中に逮捕された。彼は4件の殺人事件の容疑者であった。

㉙1983 年2月11日ヨナ・アヴルシミが、左翼運動「ピース・ナウ」主催のデモの参加者に手榴弾を投げつけた。平和活動家エミール・グリーンツヴァイクが死亡、9人が負傷。

㉚1983年2月22日 友人たちとヘブロン・ヤッタ通りを車で走っていた21歳の極右シオニスト政党「カッハ」活動家イズラエル・フクスは、カラチニコフ・ライフルを発砲し、自分の車を通り過ぎようとしていたヤッタ村の住民を殺害した。彼は39カ月の禁固刑を言い渡された。

㉛1983年7月8日 パレスチナ人による入植者アハロン・グロス殺害の反動として、ヘブロンの市場で4軒の商店が放火された。この襲撃は、キリヤット・アルバにあるシェイブ・シオン・イェシバの学生たちによって行われた。入植者たちは強さを誇示するために市場に入ってきて、地元のパレスチナ人、ヘブロンの住民に対して暴力的な振る舞いをした。負傷者は出なかったが、大きな物的損害が出た。

㉜1983年7月26日 ユダヤ人地下組織のメンバー3人が、ヘブロンのイスラム大学で銃撃テロを起こした。人の学生が死亡し、33人が負傷した。

㉝1983年10月30日 ユダヤ地下組織のメンバーがヘブロンのモスクに爆発物を設置した。

㉞1983年11月21日 カチの活動家が東エルサレムのアル・ファジャー新聞社がある建物に火炎瓶を投げつけた。負傷者はなかった。

㉟1983年12月9日 テロ組織「TNT(Terror Against Terror)」のメンバーがシオン山のフランシスコ会修道院の入り口、シオン山のギリシア正教神学校の入り口、Dormition教会の入り口の門、Beit Safafaのモスクの入り口に爆発物を置いた。

㊱1983年12月11日 エルサレムで手榴弾が爆発。テロ組織「TNT」のメンバーが攻撃を行った。

㊲1983年12月11日 テロ組織「TNT」のメンバーはエルサレムでアラブ人の車に放火した。

㊳1983年12月12日 テロ組織「TNT」のメンバーがベツレヘム近郊のKfar Husanの民家の入り口にブービートラップの手榴弾4個を置いた。手榴弾のうち2個は爆発した。負傷者はなかった。

㊴1983 年12月20日アイン・ケレム一味はアザリア村のモスクとギリシャ正教会の入り口にブービートラップの手榴弾を仕掛けた。イスラム教徒の首長と修道女が軽傷を負った。

㊵1984年1月1日 ユダヤ人地下組織のメンバーがヘブロンのモスクにブービートラップの仕掛けられた爆発物を残した。アリ・ベカ・モスクでは、爆発でムエジンが軽傷を負った。

㊶1984年1月6日 匿名の人物がエルサレムのNevi’im通りの教会に放火。後日、「ヤド・ラクヒム」という組織が犯行声明を出した。負傷者はなかった。

㊷1984年1月15日 アイン・ケレムの修道院の修道女のアパートのドアに手榴弾爆弾が仕掛けられた。

㊸1984年1月26日 「リフタギャング」による神殿の丘での集団攻撃計画は阻止された。

㊹1984年3月5日 テロ組織「TNT」のメンバーが、パレスチナの町Mizra’at A-SharkiaとRamallahの間を走行中のアラブ人バスを待ち伏せして銃撃攻撃を行った。人が軽傷を負った。

㊺1984年3月5日 東エルサレムのホスピス病院近くで手榴弾が爆発。テロ組織「TNT」メンバーが責任を負う。負傷者はなし。

㊻1984年3月27日 エルサレムのShuafat地区で火炎瓶を投げ、Alkhatef地区で車に放火し、アラブ人に危害を加えようとした罪で起訴された。検察側は、これらの行為はユダヤ人に対するパレスチナ人の攻撃に復讐するためだと主張した。容疑者はベイト・エル在住の5人。この襲撃でアラブ人村ミズラアト・ア・シャルキアの6人が軽傷を負った。

㊼1984年4月29日 ユダヤ人地下組織のメンバーが、東エルサレムから来た5台のアラブ人バスに爆発物を仕掛けようとして捕まった。

㊽1984年10月22日 エルサレム旧市街のカフェで、兵士David Ben Shimolが手榴弾を仕掛けた。カフェに座っていた若者が急いで手榴弾をゴミ箱に投げ入れ、多くの死者を防いだ。この爆発で10人が負傷した。

㊾1984年10月29日 ダヴィド・ベン・シモルが、エルサレムでヘブロン行きのアラブ人バスに対戦車ミサイルを発射。この攻撃でパレスチナ人学生のジャマール・イスマイル・アル・マタルが死亡、8人が重傷を負った。1人が中傷、1人が軽傷。

㊿1984年12月14日 2人のイスラエル人、イーライ・ヴァヌヌとニール・エフロニは、ジクロン・ヤアコヴ近くのガソリンスタンドに車を満タンにするために立ち寄ったアラブ人を殺害。彼らが捕まった後、この攻撃はパレスチナのテロ攻撃でユダヤ人が殺害されたことへの復讐であったと主張した。

51. 1985年5月19日 マアレ・アドゥミム近郊で、ユダヤ人タクシー運転手ダヴィド・カスピ殺害の復讐のためにアラブ人タクシー運転手ハミス・トゥタンジを殺害した容疑で、兵士、将校、学生の容疑者3人が逮捕された。

52. 1985年7月7日 テルアビブのシェファー通り23番地にあるエホバの証人センターの入口で手榴弾が発見された。その前に、燃えたタイヤが建物に投げつけられた。「ヤド・ラクヒム」が犯行声明を出した。

53. 1985年7月17日 ハイファのZimビル近くで、領土からのアラブ人労働者が集まる場所で爆発物が爆破された。容疑者4人が逮捕され捜査されたが、後に釈放された。

54. 1985年10月3日 アロン=モレ在住の入植者が、シェケムで少女を殺害したとして有罪判決を受ける。

55. 1986年1月10日 ユダヤ人タクシー運転手が殺害されたことへの復讐として、正体不明のグループがパレスチナ人の居住地域として知られるレホボトのヤコブ通りに爆発物を仕掛けた。カーン・ユーニス出身の労働者4人が中程度の負傷を負った。

56. 1986年5月30日 Givah Hatzorfati(French Hill)地区のBar-Kokhba通りにあるエルサレム出身のアラブ人のアパートのドアが、民族主義的な理由で放火された。

57. 1986年7月1日 ヘブロンのユダヤ人居住区に住む4人の入植者は、「衛兵協会(Association of Guards)」のプロの衛兵であったが、激しい攻撃と脅迫で告発された。襲撃はヘブロンの中心部で行われ、その結果パレスチナ人1人が軽傷を負った。

58. 1986年10月20日 ガザ地区の難民キャンプJabalyaの清掃労働者Khalil Belushaは、アシュドドの路上で匿名のユダヤ人に刺され、重傷を負った。

59. 1986年10月21日 バトヤムの3人の若い住民が、警察官に変装して、アラブ人清掃労働者が住んでいたハギボリム通りの家に侵入。彼らは労働者に暴力を振るった。労働者はガザ地区の住民で、イスラエルに一時的に滞在していた。攻撃の結果、2人が死亡した。

60. 1986年11月17日 エルサレムのイシバ学生4人が、アラブ人所有のガソリンスタンドに損害を与えようとした疑いで逮捕された。アラブ人が殴打され、車が破損し、火炎瓶が投げ込まれた。この襲撃により物的損害が生じ、アラブ人1人が軽傷を負った。

61. 1986年11月20日 エルサレム旧市街のMaaleh Khaltziaに住むアラブ系イスラエル人のアパート(イシバ・シュブ・バニムの近く)で放火。カチで活動していたイシバの学生4人が逮捕された。大きな物的損害が発生し、アラブ人の所有者が軽傷を負った。

62. 1986年11月24日 パレスチナ人に殺害されたイシバ学生エリヤフ・アマリの追悼集会の最中、未知の入植地の入植者3人がエルサレムのマアレ・ハルディア通りに行き、イスラエル・アラブ人2人を襲い、軽傷を負わせた。

63. 1986年12月14日 Emanuel-Kalkilya道路でKalkilya住民の車に発砲した容疑者(Sharon住民)が捜査された。パレスチナ人に怪我はなかった。

64. 1986年12月18日 エルサレムのDung Gateに近いパレスチナ人宅の近くで、ブービートラップの手榴弾2個が発見された。

65. 1987年2月25日 石を投げつけられたバスのセトラーの乗客が、極右シオニスト政党「カッハ」の活動家、入植者自警団「道路安全委員会(Committee for Security on the Roads)」のメンバーとともにハルクルの街に入り、街の住民を激しく攻撃した。大きな物的損害が生じた。

66. 1987年6月10日 キリヤット・アルバの住民である4人の入植者がベイト・ジャラに侵入し、通りかかったベツレヘム近郊の難民キャンプ、デヘイシェのアラブ人住民を刺そうとした。パレスチナ人は軽傷を負った。

67. 1987年9月13日 イスラエルの若者2人が、民族主義を理由にアラズ族のネゲヴ・ベドウィンを襲撃。ベドウィンは中程度の負傷。

68. 1988年1月11日 Beitin村付近を車で移動していたBenjamin地区の入植者2人が、投石してきたパレスチナ人に発砲。入植者の1人はベンジャミン地域評議会の代表であるピンチャス・ワラーシュタインで、2人目は彼と一緒に移動していた警備員であった。その結果、若いアラブ人1人が死亡し、2人目は中程度の負傷を負った。

69. 1988年2月 パレスチナ解放機構の外務報道官ファルーク・カドゥーミのいとこであるアラブ人労働者が、パレスチナ人のカドゥム村近くの石積みの道路封鎖地点に到着した際、イスラエル車の同乗者に射殺された。入植者は逮捕され、警察の捜査が開始された。

70. 1988年2月22日 Hermeshの入植地の住民がパレスチナ人の村Bik’a Al-Sharkiyaの地域に入り、村の住民である若いアラブ人の少女に発砲した。入植者は逮捕され、警察の捜査が開始された。

71. 1988年2月26日 Khomeshの入植者4人がパレスチナ人のBurka村の地域に到着し、村の住民を攻撃した。入植者たちは村に手榴弾を投げ入れた。物的被害は大きかったが、負傷者はいなかった。

72. 1988年3月16日 グリジム山の入植者約30人がジェニン近郊に到着。入植者たちは地元住民を激しく攻撃し、石を投げた。攻撃の結果、地元パレスチナ人2人が死亡した。

73. 1988年4月6日入植者がパレスチナ人村Beita付近に到着し、発砲した。その結果、村のパレスチナ人住民2人が死亡した。

74. 1988年5月6日 シロ在住の入植者がパレスチナ人のトゥルムス村に入り、村はずれで羊を守っていた羊飼いたちに発砲した。パレスチナ人が被弾し、1人が死亡、2人目が中程度の負傷を負った。

75. 1988年6月3日 未知の入植地からの入植者が、ヘブロン近郊のパレスチナ人村Shiukhに到達。強さを誇示するため、彼らは財産を破壊した。これに反発したパレスチナ人が抗議し、入植者が発砲。パレスチナ人村民1人が死亡。

76. 1988年8月19日 オル・イェフダ町のイスラエル人青年が、ガザから来たパレスチナ人労働者が滞在していた小屋に放火。パレスチナ人はこの攻撃で死亡。

77. 1989 年3月23日ミグダリムとタプアフの入植者が、イツリンの町の生徒であるパレスチナの少年を村の近くで射殺。この襲撃は、サマリア地方でイスラエルのバスが火炎瓶で襲撃されたことに反応したものであった。パレスチナ人の少年は死亡した。警察は入植者を逮捕し、捜査を開始した。

78. 1989年4月1日 セトラーがアル・アザリア村のパレスチナ人を射殺。

79. 1989年4月11日 エルサレム旧市街のヤッファ門付近で、イスラエル軍の制服を着た匿名の人物が発砲。アラブ系住民を殺害し、東エルサレムからの労働者3人を負傷させた。暗殺テロ組織「シカリイ派」が犯行声明を出した。

80. 1989年4月13日 パレスチナ人の町ナハリンで国境警備隊がパレスチナ人6人を殺害した襲撃で死亡した人々の葬儀に向かう途中、入植者がナハリン-フサン間の道路でパレスチナ人を殺害し、その友人に重傷を負わせた。

81. 1989年5月17日 ジェニン郊外で車に乗っていた入植者が、その地域を通りかかったパレスチナ人を射殺。パレスチナ人はJilkmus村の教師で、その場で死亡した。

82. 1989年6月21日 イェシバト・ケヴァー・ヨセフ(「ヨセフの墓」)の入植者約5人がKafel Khars村に到着し、村に住む学生のパレスチナ人の少女に発砲した。少女は死亡した。

83. 1989年7月30日 ラフィアヤムの入植者が、エレズ検問所とベイト・ハヌンの間の地域で、ガザから来たアラブ人労働者を射殺。

84. 1989年8月21日 パレスチナ人が村の入り口にバリケードを築いているときに、エフラットの入植者がパ レレスチナ人の村Tekoahに到着。入植者はパレスチナ人(村の若い学生)を射殺した。パレスチナ人はその場で死亡した。

85. 1989年12月11日 イスラエル市民が2件の別々の事件でパレスチナ人の少年2人を射殺。ガザの住民は、ガザ市内のガソリンスタンドからほど近い場所で撃たれ、ヘブロンでは青年が射殺され、その友人が重傷を負った。

86. 1990年5月15日 カルキリヤ近郊で車に石を投げつけられた入植者が、カルキリヤに住むパレスチナ人学生を銃撃。パレスチナ人は死亡。

87. 1990年5月20日 最近軍隊を除隊し、リション・ルジオンに住む若いイスラエル人アミ・ポッパーが、リション・ルジオン近くのブラディム・ジャンクションに到着し、パレスチナ人、当時そこにいたガザからの労働者に発砲。パレスチナ人7人が死亡、3人が重傷、8人が軽傷を負った。

88. 1990年8月6日 キリヤット・アルバに住むナクション・ウルフは、キリヤット・アルバ近くで車を運転中、ヘブロンから来た25歳のパレスチナ人女性に発砲した。女性は死亡した。

89. 1990年11月7日 Tapuakh入植地の入植者約5人がパレスチナ人の村Luban A-Sharkiaの近くの畑に入り、村の農民2人に発砲した。人のパレスチナ人は死亡した。

90. 1990年11月26日 未知の入植地の入植者がパレスチナの都市アルビラ付近に到達し、同市のパレスチナ人タクシー運転手を銃撃した。パレスチナ人は死亡した。

91. 1991年1月13日 多数の入植者が入植地Eilon Moreh近辺に達し、アラブ人に遭遇。彼らは棍棒で彼を殴り、パレスチナ人は殺された。

92. 1991年6月7日 Susyaの入植者がパレスチナ人の羊飼いを射殺。

93. 1991年6月26日 Bnei Naimの入植者3人が、Hebron-Beersheba間の道路でパレスチナ人のタクシーに発砲。ダハリア在住のパレスチナ人タクシー運転手は重傷を負った。入植者たちは逮捕され、事件の状況を明らかにするために警察の捜査が開始された。

94. 1992年1月26日 入植者自警団「道路安全委員会」に所属するヘブロンのユダヤ人入植地の入植者約50人が、市内のカラット・ア・シェイク地区に到着し、地元のパレスチナ人に対する力の誇示として、彼らを激しく殴打した。入植者たちはパレスチナ人に発砲し、パレスチナ人4人が負傷した。

95. 1992年11月16日 エルナカム・アンダーグラウンドのメンバー、カハナ・チャイ(「カハネは生きている」)の若いメンバー4人が、エルサレムの肉屋市場に手榴弾を投げ込んだ。その結果、パレスチナ人の金属加工工が死亡し、他の5人が軽傷を負った。犠牲者はエルサレム北部のAラム地区の住民であった。

96. 1993年1月19日 投石に対し、グーシュ・カティフの入植者がガザのセジャヤに住む若いパレスチナ人を射殺。ガザのバイパス道路での出来事。

97. 1993年3月2日 パレスチナ人から投石を受けたユダヤ人トラック運転手が、東エルサレムのラス・アル・アムード出身のパレスチナ人を射殺。

98. 1993年3月9日入植者ウリ・マギディシュが殺害された後、ガネイ・タルの別の入植者がアラブ人労働者を射殺し、別のパレスチナ人に重傷を負わせた。襲撃はRafiah-Khan Younis道路で起こった。

99. 1993年3月24日 Susya出身の入植者Yoram Shkolnikは、縛られていたパレスチナ人を射殺した。このパレスチナ人が縛られていたのは、以前、2人が別の入植者の車で移動中に、その入植者を刺そうとしたためであった。Image 2/
100. 1993年5月31日 マアケ・アドゥミム出身の入植者が、アル・ラム出身のパレスチナ人兄弟2人が入植者に投石した後に発砲した。発砲はエルサレム北部のアル・ラムジャンクションで起こった。兄弟のうち1人が射殺され、もう1人は軽傷を負った。

101. 1993年7月26日 4人の入植者がヘブロンのMesharka Fuka地区で民家に発火。地元のパレスチナ人1人が軽傷を負い、大きな物的損害があった。

102. 1993年10月17日 ヘブロンのユダヤ人入植地の入植者数十人(道路安全委員会所属のKach活動家)が、ヘブロンのAvraham Avinu地区と中心部のGross Squareでパレスチナ人を攻撃し、アラブ人に石を投げつけた。その結果、地元のパレスチナ人10人が軽傷を負った。

103. 1993年11月3日 4人の入植者が、ヘブロン-エルサレム道路を走行していたハルクル-ヘブロン出身のパレスチナ人労働者の車を銃撃。パレスチナ人に怪我はなかった。

104. 1993年11月7日 ドラックマン師の運転手であった入植者エフライム・イオビが殺害された後、極右シオニスト政党「カッハ」のメンバーであったグシュ・カティフとヘブロン地域の入植者の間で多くの騒乱が発生した。約40~50人の入植者がヘブロン近郊のメアラット・ハマクペラ(「祖先の洞窟」)に到着し、パレスチナ人労働者をリンチしようとしたが、治安部隊が現場に到着し、リンチを阻止した。逮捕者は出なかった。騒乱の最中、6人のパレスチナ人が入植者にナイフで刺された。被害者はヘブロンのKharat A-Sheikh地区の出身。

105. 1993年11月9日 数百人の入植者たちは、入植政策に関わるあらゆる面でラビン政府の自制と呼ぶものに反発し、闘争を強化することを決意した。入植者たちはクファル・ダロム近くのグリーン・ハウスが立ち並ぶ地域に到達し、そこでパレスチナ住民に発砲した。エリコ出身のパレスチナ人2人が負傷した。

106. 1993年11月16日 ヘブロンとキリヤット・アルバのユダヤ人入植地から数十人の入植者が「マクペラの洞穴」に到着し、アラブ人を攻撃した。入植者たちはアラブ人を激しく殴打し、石を投げつけた。パレスチナ人11人が負傷し、1人が重傷、他は軽傷であった。

107. 1993年12月5日 キリヤット・アルバからの入植者数十人が、ヘブロン中心部でパレスチナ人に発砲し、同市の住民に負傷者(重傷1人、軽傷3人)を出した。また、入植者たちはエルサレム北部のアル・ラムジャンクション近くのレストランに石を投げつけた。物的損害はあったが、負傷者はいなかった。入植者たちは逮捕され、警察はこの出来事について捜査を開始した。治安部隊が現場に到着し、事態を沈静化させた。

108. 1993年12月5日 Kharsina Hillの近くに礼拝に来ていたKiryat Arbaの入植者約10人が、車で通りかかったパレスチナ人に気づき、車を止めて彼と対峙した。東エルサレム出身のパレスチナ人は入植者たちに撃たれ、死亡した。入植者たちは逮捕されず、警察が捜査を開始した。治安部隊が現場に到着し、事態を沈静化させた。

109. 1993年12月9日 シロに住む学生である16歳の入植者が、Turmus-ai村の畑に行き、パレスチナ人の村人を射殺した。

110. 1993年12月11日入植者がヘブロンの中心部に行き、四方八方に銃を乱射し始めた。パレスチナ人が銃撃で死亡。入植者は発砲を止めなかった。軍隊が来て事態を沈静化させた。

111. 1993年12月12日 キリヤット・アルバの極右シオニスト政党「カッハ」活動家2人が、入植者の殺害に対する復讐として、タルコミア村のベドウィン3人を殺害。殺害はタルコミアに通じる未舗装道路で行われた。

112. 1994年2月27日 極右シオニスト政党「カッハ」の活動家でキリヤット・アルバ在住の医師であったバルーク・ゴールドスタインは、イスラム教徒が「マクペラの洞穴」で礼拝している最中に発砲した。パレスチナ人39人が死亡、9人が重傷、92人が中傷、68人が軽傷を負った。

113. 1994年3月22日 ウジ・メシュラムと彼の仲間たち(約110人)はヤフドの自宅に集まり、イエメン人の子どもたちの失踪を調査する政府委員会を設置するという彼らの要求が満たされるまで、立ち去ることを拒否した。彼らはサブマシンガン、こん棒、火炎瓶で武装していた。家に近づく者は誰でも発砲すると脅した。包囲は31時間続き、家の中にいた人々と警察との間で銃撃戦があった。火炎瓶が中央部門司令官のギャビー・リスト警察少将に投げつけられ、背中を負傷した。

114. 1994年3月28 キリヤット・ガット在住のダニエル・モラリは、拳銃を使ってパレスチナ人のトラック運転手を殺害した。この殺害は、アドラに住む入植者であるモラリの兄がパレスチナ人に殺害されたことへの反動であった。

115. 1994年3月30日 Khomesh近くのDeir A-Sharaf地区で、入植者が通行中の車から発砲。シェケム地域出身のパレスチナ人少年に命中。

116. 1994年4月14日 シロ在住の入植者である冷却技師ナタン・エンゲルスマンが、ラマッラ地区のアル・ジブ村を車で通過中。同村に住むパレスチナ人妊婦を射殺。

117. 1994年4月28日 ウジ・メシュラムと行動を共にしていた活動家が、テルアビブの旧港で開かれていたパーティーに手榴弾を投げ込んだ。少女2人が負傷。

118. 1994年5月17日 約30人の入植者(Kiryat Arbaの住民とヘブロンのNir Yeshivaの学生)が、ヘブロン中心部のPoliceman’s Squareで投石。その結果、パレスチナ人4人が重傷、11人が軽傷を負った。

119. 1994年7月1日 エルサレムの森で入植者がパレスチナ人を射殺。労働者の輸送を生業としていたパレスチナ人は、東エルサレムのシルワン村の住民であった。

120. 1994年9月2日 イェホヤダとエイタン・カハラニの2人の兄弟が、エルサレムのマルハ・モール付近でパレスチナ人を殺害しようとして失敗し、捕まった。後に、彼らが総合保安部の監視下にあり、殺人を防ぐためにライフルを妨害していたことが明らかになった。

121. 1994年9月11日 警察はパレスチナ人3人の殺害に結びつける十分な証拠を発見し、「リベンジ・アンダーグラウンド」のメンバーを逮捕した。容疑によると、3人はタクミアの北を車で走り、村のパレスチナ人住民を射殺した。逮捕されたとき、彼らは別のテロ行為を実行する途中だった。

122. 1994年9月18日 キリヤット・アルバ出身の入植者メイル・コレンは、エルサレムでパレスチナ人に対する銃撃テロを実行しようとして逮捕された。

123. 1994年10月30日 ラビのウジ・メシュラム師と手を組んだ活動家が、ニッツァン刑務所の警備担当官ベニー・アビラム上級所長を襲撃。朝、彼が自宅を出たとき、3人の活動家は近くに駐車していた車から3発の銃弾を彼に撃ち込んだ。彼は首、胸、顔を負傷した。負傷しながらも彼は拳銃の発砲に成功し、襲撃者たちは2人が負傷した後に逃走した。捕まったのはヨアヴ・シェヴィとアヴネル・サイドであった。

124. 1995年3月1日 ネターニャのユダヤ人男性が東エルサレムのアラブ人の背中を刺す。事件はエルサレムのガゴット・ガリシアで起こった。アラブ人は重傷を負った。ユダヤ人男性は、この刺傷はパレスチナのテロ攻撃に対する復讐であると主張した。

125. 1995年8月14日 プロのガイドであるベイト・エル出身の入植者が、ドゥラ・アル・ケラ村のパレスチナ人住民を射殺。アルティスの丘での出来事。

126. 1995年11月5日 イスラエル首相イツハク・ラビンがテルアビブのマヘイ・イスラエル広場で暗殺。テロリストはバト・イラン大学の法学生イガル・アミール。

127. 1996年9月17日 ウジ・メシュラム師の信奉者の武装セクトに属する若いユダヤ人が東エルサレムのアラブ人女性を刺殺。刺殺事件はエルサレム旧市街のヤッファ門で発生。パレスチナ人女性は軽傷を負った。

128. 1997年1月2日 ヘブロン中心部のグロス広場で、マーレ・アドゥミム出身の兵士ノアム・フリードマンが個人所有の武器で発砲。ヤッタ村のパレスチナ人労働者7人が負傷。パレスチナ人1人が重傷、2人が中傷、4人が軽傷。

129. 1997年8月4日 ヤッタ村のパレスチナ人がヘブロン南部、カルメル入植地近くで撃たれた。パレスチナ人は負傷により死亡。

130. 1997年11月30日 エルサレムのShimon Hatzadikの角にあるShmuel Hanavi通りでパレスチナ人が刺された。パレスチナ人は軽傷。警察は、後に「連続刺傷犯チャイム・パールマン」と呼ばれる極右シオニスト政党「カッハ」のチャイム・パールマンによる犯行とみている。

131. 1997年12月1日 エルサレムのムスララ地区で、アラブ人学生3人が住むアパートのドア付近に爆発物が仕掛けられた。放火犯は、爆発物はアラブ人へのメッセージであり、彼らは近隣で歓迎されていないというメモを残した。

132. 1998年2月17日 エルサレムMea She’arim地区のBatei Warsaw通りでパレスチナ人青年が刺された。パレスチナ人は軽傷。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃と考えた。

133. 1998年3月10日 エルサレムのReishit Khokhma通りでパレスチナ人青年が刺された。パレスチナ人は中程度の負傷。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃であると考えた。

134. 1998年3月12日 エルサレムのMea She’arim地区でアラブ人が刺され、中程度の負傷。パレスチナ人は軽傷。警察は、これが「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃であると考えた。

135. 1998年4月29日 エルサレムのMea She’arimでヨルダンからのアラブ人観光客が刺された。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃と考えた。アラブ人は軽傷。

136. 1998年5月3日 エルサレムのMea She’arim近くのIdo Hanavi通りで、3人のアラブ人学生が借りていたアパートのドア付近に爆発物が仕掛けられた。放火犯は、これはアラブ人学生へのメッセージであり、彼らは近隣で必要とされていないというメモを残した。

137. 1998年5月7日 エルサレムのパレスチナ人パン屋従業員がベイト・イズラエル通りで刺された。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃だと考えた。アラブ人は傷のため死亡。

138. 1998年5月14日 エルサレム在住のパレスチナ系アラブ人労働者が刺された。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃だと考えた。アラブ人は傷で死亡。

139. 1998年6月18日 ヘブロン近郊のベイト・ハガイに住む2人の若者が、パレスチナ人を死亡させたことを認めた。入植者たちは、ヘブロン出身のパレスチナ人を棒で殴って殺害した。

140. 1998年7月14日 エルサレムのオリエント・ハウス付近で、東エルサレムShuafat出身のパレスチナ人が、爆発物の入った袋により軽傷を負った。

141. 1998年10月26日 Itamarの入植地の若者Gur Hamalが、丘の上の若者の入植地の1つに行く途中で出会った年老いたパレスチナ人を殺害。

142. 1998年10月27日 ネゲヴのキブツ・サアドのユダヤ人男性が、ユダヤ人警備員ダニー・バルガスの殺害に反発して、イタマル入植地近くのオリーブ畑で、ベイト・フォリック出身のパレスチナ人労働者に投石。パレスチナ人は傷がもとで死亡した。

143. 1998年12月2日 エルサレムのシュムエル・ハナビ通りで、エルサレムのアブディス出身のパレスチナ人が刺殺された。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃であると考えた。

144. 1999年1月13日 東エルサレムのRas al-Amudinに住むパレスチナ人が刺された。警察は、これも「連続刺傷犯チャイム・パールマン」による攻撃であると考えた。

145. 2000年10月7日 サマリアのKfar Bidiya付近で、入植者が(他の人々とともに)パレスチナ人に発砲。テロリスト、その人数、居住地など、その他の詳細は不明。村の住民であるパレスチナ人は負傷により死亡した。

146. 2000年10月8日 セトラーがビディヤ村に入り、パレスチナ人に投石を開始。パレスチナ人1人が死亡。

147. 2000年10月13日 ハイファ出身の兵士、ダニー・ティックマンとフェリックス・ミルナーは、ラマラでイスラエルの予備兵2人がリンチされたことへの復讐を決意し、車で市内のアラブ人居住区に向かった。そこで彼らは通行人に自動小銃を発砲した。

148. 2000年10月20日 オリーブを収穫していたBeit Fourikのアラブ人が入植者に殺害された。詳細は不明。

149. 2000年10月30日 エルサレム出身の宗教的ユダヤ人男性が、オーガスタ・ヴィクトリア病院の警備員であったエルサレム出身のパレスチナ人に発砲。パレスチナ人は軽傷。

150. 2000年11月14日 セトラーがラマラ地区のKfar Malek地区でパレスチナ人に発砲。パレスチナ人はラマラ地区のアスカル難民キャンプ出身で、発砲により死亡した。

151. 2000年11月14日 13人の入植者が、Kfar Malek地区のA-Sabkh交差点でパレスチナ人の車を石打ちにした。運転手はアスカル難民キャンプの野菜販売員で、石が当たって死亡した。入植者がどこから来たかは不明。

152. 2000年12月7日 エレズ検問所付近で入植者がパレスチナ人に発砲。入植者がどこから来たのかは不明。

153. 2000年12月9日 ヘブロンのユダヤ人入植地の不特定多数の入植者が、入植者が銃撃されたテロ攻撃の復讐としてパレスチナ人を銃撃。パレスチナ人は死亡した。

154. 2000年12月11日 ヘブロン出身のパレスチナ人の子どもを襲撃したキリヤット・アルバ出身の入植者(同地の地域評議会のメンバー)が逮捕された。子どもは重傷を負った。襲撃はヘブロン近郊のKharsina Hillで起こった。

155. 2000年12月17日 セトラーが彼の村の近くでKfar Aboudのパレスチナ人を銃撃。パレスチナ人はその場で死亡した。

156. 2000年12月22日 入植者がBeit Haggaiジャンクション付近でパレスチナ人を銃撃。パレスチナ人はその場で死亡した。

157. 2001年3月12日 Magen David Farmの入植者3人がパレスチナ人の羊飼いに発砲した疑いで逮捕されたが、証拠不十分で釈放された。パレスチナ人は重傷を負った。

158. 2001年4月5日 ヘブロンのバイパス道路で、Bat AyinグループのメンバーがKhalkhulのパレスチナ人2人を銃撃し、軽傷を負わせる。

159. 2001年6月20日 ネターニャの市場で働くアラブ人でアクラバ村に住むバサム・サラクは、ネターニャでのテロ攻撃の後、襲われた。その後、彼は数十人の入植者に2度目に襲われ、中程度の負傷を負った。

160. 2001年7月4日 ハイファに住む若いエリラン・ゴランは、ユダヤ系アラブ人夫婦の家に爆発物を置き忘れた。爆発物は発見され、間もなく解体された。

161. 2001年7月20日 パレスチナ人がキルヤト・アーバの住民2人を射殺した後、入植者5人がクファール・イドナのラジュブ一家が乗っていた車に発砲。人が死亡、1人が重傷、3人が中程度の負傷。

162. 2001年8月18日 ハイファに住む若いエリラン・ゴランは、アラブ人テロリストに手を貸していると疑っていたハイファの家族の車にブービートラップを仕掛けた。人の子供が間一髪で発見し、爆発物は爆破された。

163. 2001年8月28日 ハイファのアル・ハジ・アブダラ・モスクで小型爆発物が爆破された。市内に住むJamila Egberiaが軽傷を負った。爆発物を仕掛けたのはハイファに住む若いエリラン・ゴラン。

164. 2001年8月29日 アル=クッズ地区Khizme出身の27歳のGedua Kanaanが、アル=クッズ地区An’ata付近で、彼の車に発砲された銃弾により死亡。

165. 2001年9月17日 バット・アイン・グループの一団がヤッタのパレスチナ人学校に爆発物を仕掛けた。子ども7人が軽傷を負った。

166. 2001年9月17日 イスラエルの大臣Rehavam Zeeviが暗殺された後、数十人の入植者がBurin-Izhar道路でパレスチナ人のトラック運転手を襲撃。この攻撃で武器は使用されなかったが、パレスチナ人1人が中程度の負傷、2人目が軽傷を負った。

167. 2001年10月11日 サマリア南部のウツリン村近くの5番道路で、バット・アイン・グループの一団がトラックに発砲。トラックに乗っていたパレスチナ人2人が負傷した。

168. 2001年10月23日 自動小銃による発砲が、パレスチナ人6人が乗っていた走行中の車に向けられた。攻撃した車には5人の入植者が乗っていた。攻撃はヘブロン地区のBnei Naimの町の近くで起こった。パレスチナ人6人が負傷し、1人が重傷、5人が軽傷を負った。攻撃はBat Ayinグループによって行われたと考えられている。

169. 2002年2月15日 ベイト・アヌン村の入り口に爆発物が設置されたが、これはバット・アイン・グループによるものと見られる。

170. 2002年3月6日 「子供の怒り(Revenge of the Infants)」と呼ばれるユダヤ人組織がTzur Bakherの学校での爆発を引き起こした。

171. 2002年4月1日 バット・アイン・グループの一派がパレスチナ人の車を銃撃し、パレスチナ人2人が死亡。

172. 2002年5月12日 バット・アイン・グループに属する4人の入植者が、エルサレムのA-Turにあるパレスチナ人学校に爆発物を放置。爆発物は治安部隊によって発見された。

173. 2002年5月15日 極右シオニスト政党「カッハ」の指導者の一人であるノアム・フリードマンとラビ・レヴィンガーの息子であるメナケム・レヴィンガーを含むバット・アイン・グループに属すると疑われる入植者が、パレスチナ人に対する攻撃計画に関与している疑いで尋問された。

174. 2002年6月14日 カルメイ=ツールの入植者が殺害された後、カルメイ=ツールの入植者2人がパレスチナのハルクル村に到着。彼らは村人を攻撃した。入植者たちは、農民が自分の土地で仕事をするのを妨げた。その結果、パレスチナ人2人が軽傷を負った。1人は土地を耕しに来ていた農民で、もう1人はその土地を所有する家族のエンジニアであった。

175. 2002年7月28日 居住地不明の入植者10人以上が、パレスチナ人に殺害された入植者エリエゼル・ライボビッチの仇を討つために、ヘブロンの地域に到達した。入植者たちはパレスチナ人の少年を刺し、弟を殴った。人のパレスチナ人は重傷を負った。

176. 2002年7月28日 居住地が不明な25人以上の入植者が、入植者エリエゼル・ライボビッチが殺害された復讐のために、ヘブロンのジムジュム一家の家に行き、一家の娘ニビンを射殺した。この家族は無作為に選ばれたもので、入植者を殺害した者たちとは何のつながりもなかった。

177. 2002年8月15日 Beit Anunの交差点で爆発物が発見され、負傷者なく解体された。どうやらBat Ayinグループが残したものらしい。

178. 2002年9月17日 ヘブロン南部のYatta村にあるZif学校の生徒5人が、Bat Ayinグループが残したと思われる強力な爆発物で負傷した。

179. 2002年10月1日 Tapuachの不特定多数の入植者がパレスチナ人の村Yasufの地域に到達し、その地域でブドウを収穫していた人々を怯えさせるために発砲した。パレスチナ人1人が軽傷を負い、パレスチナ人の所有物が盗まれた。

180. 2002年10月7日 イタマルからの入植者がパレスチナ人のアクラバ村の果樹園に到達し、果樹園にいた農民に発砲した。パレスチナ人1人が死亡し、2人が中程度の負傷を負った。

181. 2002年10月7日 イツハルの入植者がビュリン村の果樹園に入り、オリーブを収穫していたパレスチナ人農民を攻撃した。パレスチナ人はこの攻撃で死亡した。入植者が使用した武器は不明。

182. 2002年10月16日 イタマルからの多数の入植者がアクラバ村に到達し、果樹園でオリーブを収穫していた村の農民に対して銃撃攻撃を開始した。この攻撃でパレスチナ人1人が死亡、2人が中程度の負傷を負った。

183. 2002年10月28日 Pnei Khaverの正体不明の入植者2人が、Bnei Naim村のオリーブ収穫人に発砲。負傷者はなし。

184. 2003年1月19日 匿名の入植者3人組が、ヘブロンのパレスチナ人の瓦葺き職人をナイフで襲い、軽傷を負わせた。襲撃はヘブロン近郊のMe’arat Hamachpela(「祖先の洞窟」)で起こった。

185. 2003年3月5日 国境警察のダヴィド・スミルノフは、その1年前に殺害された。復讐のため、彼の妹がエレズ検問所付近でパレスチナ人を轢き、重傷を負わせた。

186. 2003年10月24日 エリラン・ゴランがアラブ系クネセトの議員イッサム・マフールの車にブービートラップを仕掛けた。仕掛けが作動したとき、マフールの妻は車内にいたが、負傷することなく脱出に成功した。

187. 2004年1月16日 ハイファの青年エリラン・ゴランは、パレスチナのテロリストに協力しようとしていると疑われたアラブ系イスラエル人イッサ・ガナイムの車にブービー・トラップを仕掛けようとした。爆発物は発見され、間一髪で解体された。

189. 2004年1月30日 ハイファの青年エリラン・ゴランは、アラブ人と一緒にいるところをよく見かけた若いイスラエル人少女が住んでいた建物の階段に爆発物を仕掛けた。爆発物は発見され、間もなく解体された。

190. 2005年5月3日 アブラハム・モルデカイ・レフコヴィッツ、エリツール・レビンシュタイン、モルデカイ・モルディ・レヴィンシュタインの3人が、イスラエルの交通量の多い道路(ネティヴェイ・アヤロン)で車に点火しようとして逮捕された。彼らの目的は、交通の流れを妨げるような多くの交通事故を引き起こすことで、ガザからの切り離し計画に抗議することであった。

191. 2005年5月4日 イスラエル陸軍の脱走兵エデン・ナタン=ザダは、ハイファからイスラエル北部のアラブ人都市シュファラムに向かうエグド・バスに乗った。バスがシュファラムに到着すると、彼は乗客と運転手に発砲し、4人を殺害、負傷者を出した。ザダは市民がバスを制圧した際に死亡した。

192. 2005年8月17日 アッシャー・ワイスガン、シロの入植地入口でアラブ人労働者2人を射殺。

193. 2007年5月14日 ジュリアン・スフィールがアラブ系イスラエル人のタクシー運転手を射殺。エルサレムからテルアビブまでタクシーで移動した後、犯人は水を飲むために運転手を自宅に招き、ナイフで刺した。

「Jewish Terrorism in Israel」より引用
Nov 7, 2023 34 tweets 3 min read
1/
たまには真面目に歴史の話。

テロ行為について、ハマス側を一方的に批判してイスラエル側を擁護している人たちが一部にいるので、シオニストは20世紀最悪のテロ攻撃を行っているというあまり語られない話。 Image 2/
1895年、「国民国家」という西洋のイデオロギーに触れたウィーンの新聞記者ヘルツルが、ユダヤ人にも国家が必要だとして「ユダヤ人国家」と題したパンフレットを出版した。
パンフレットの冒頭には「ユダヤ人はその気になれば、独自の国家を有するであろう」と書かれており、物語はそこから始まる
Oct 11, 2023 20 tweets 1 min read
1/
人間は復讐(ふくしゅう)をする権利を生まれながらに持っている。

しかしそれを個人が行おうとすると、遂行する力が無かったり、復讐する対象が間違っていたり、やられた行為に対してのつり合いが取れていなかったりする。 2/
個人が復讐権を行使すると間違いが起こる。結果、憎しみが連鎖する。力が支配する世界になる。秩序が壊れる。

国家は安寧秩序を構築するために、個人の復讐する権利を取り上げ、代わりに国家が刑罰という形で復讐を執行する。
Jun 24, 2023 29 tweets 4 min read
1/
ワグネルのクーデター

2023年6月23日
ワグネルの後方陣地にミサイルが撃ち込まれる。
ワグネルの親分プリゴジン氏は、ロシア軍が後方から撃ってきたと非難。 2/
ロシア連邦国防省は、ワグネル軍中央軍事委員長プリゴジンの「後方キャンプの攻撃」に関する発言は真実ではなく、ただの情報提供であったと報告。

軽くあしらう。
May 5, 2023 10 tweets 2 min read
1/
彼らは、主張も途中から変わっている。

彼ら自身が「プラスミドゲート」と呼んでいたように、最初は環状ブラスミドが入っていたことを彼らは問題視していた。
ところが、いつからか「DNA混入」に主張がうつり、3月19日にプラスミドの有無を調べた新田氏を論点ずらしやストローマンと非難しだした。 2/
3月時点では自分たちも問題視していたはずなのに、今ではその議論が無かったかの様になっている。
それどころか、その論点で検証した”当時の話し”を一方的に蒸し返し、それを誤解が内容に説明したら、環状プラスミドのことを話す奴は論点ずらししてると非難している。
Apr 26, 2023 5 tweets 1 min read
政府・与党が、在留資格がない子どもらに「在留特別許可」を与える方向で検討を始めた。
news.yahoo.co.jp/articles/66f8c…

親の仕事の都合などで母国に帰る子供なんて世界中でごまんといる。
立憲民主党の立ち位置は、在日・帰化人にやさしい政党だからまだ分かるが、保守の皮をかぶり騙し続ける売国自民党。 帰国したときに母国の言葉が喋れないなら、自分の母国の言語を教えなかった親を恨むべきだし、母国で差別を受けるなら母国の人々を恨むべき。

そして、母国に愛想つかして、やっぱり日本がいいと思うなら正当な手続きで来日して、働いて帰化をすればいいだけ。
Apr 23, 2023 5 tweets 1 min read
1/
安倍元首相は経済が全くダメで、それを補うために竹中平蔵やその一派の高橋洋一にレクチャーを受けた。結果、政策は彼らの影響下にあった。

彼らは金融資産に金を流すスキームを猛プッシュ。もちろんこれは大失敗、量的緩和をしても経済の大した刺激にはならず膨大な借金だけが生まれた。 2/
植田日銀新総裁は「本物」だと私は思ってる。

なぜなら今までの論文や発言などから、金融村の中で唯一と言ってもいいぐらい、彼らの間違ったやり方に異を唱え続けていたと分かるから。
経済を深く深く理解してる側から発言をしてるのが分かるから。
Mar 20, 2023 6 tweets 2 min read
サウジは、パキスタンへのさらなる救済や無利子融資の提供を拒否した。
パキスタンは、今後3年半で約800億ドルの国際融資を返済する必要がある。しかし、外貨準備高はわずか30億ドルしかない。
デフォルトを回避するために現在IMFと厳しい交渉中とのこと。
middleeasteye.net/news/saudi-ara… イラクとイランが国境警備を強化する協定に署名
イラクのクルド人地域との境界を強化することを目的とのこと
aljazeera.com/news/2023/3/19…

イスラエルがイラン本土の攻撃とクーデターの煽動のために使っていたクルディスタン地域、イランイラクが国境警備を引き締め。
Mar 19, 2023 6 tweets 1 min read
1/
イランとサウジの和平合意。
「この和平合意は長くは持たないだろう」と米国は懐疑的な見方をしている人もいる。

これについてイランの内情を踏まえながら簡単に解説
jp.wsj.com/articles/u-s-s… 2/
2022年9月16日にマーサー・アミニ事件が起こった。

頭のスカーフから髪がはみ出しているとして、22歳の若い女性がイランの道徳警察によって逮捕され、連行後、意識を失って死亡したという事件
Mar 19, 2023 6 tweets 1 min read
29/
米国は沖縄から戦力を引き上げた。
オーストラリアに原潜の配備を決定した。
日本は戦場で防衛ラインの外だ。
それでも彼らは気づかない。気づかないふりをしている。 30/
日本が今買っているトマホークは、中国の艦艇を叩くものであって、本土を攻撃するものではない。
中国は日本本土を攻撃してくるが、相手は核を持っているので日本は絶対に中国本土を攻撃できない。

それなのに政治家は敵基地反撃能力とかいって国民を誤魔化している。
Mar 16, 2023 10 tweets 1 min read
1/
以前も話したがいま参考にすべきはリーマンショックではなく1929年世界恐慌
当初、株の売買は証券会社たち一部の専門家だけのモノだった
ところが第一次世界大戦でチャップリンなどが「みんなで国を支援しよう」と戦時国債をキャンペーンしたことが契機になって、債権や株の売買が国民にも浸透した 2/
新規が流入し、市場規模が拡大することによって市場で回るお金は多くなり、株価は上がり続ける。

銀行はそれを煽り続けた。
何も知識がない素人に銀行屋たちがアドバイスして、株や債券はどんどん身近なものになっていった。
Mar 15, 2023 39 tweets 2 min read
1/
「含み損の問題」を理解してなかった金融屋や株屋たち。彼らはシリコンバレー銀行破綻によってようやくその問題に気づき始め、リーマンショックの再来か?的なことを分析して専門家面を保とうとしてる。

しかし。彼らは目先の銭金の視点しか持っていない。彼らの代わりに少し別の視点から解説 2/
3月13日 シリコンバレー銀行とシグネチャー銀行が破綻したことに対して、バイデン政権は預金者を救済するために介入した。預金者のパニックを鎮めるために。

これについて、私たちはバイデンたちが”誰を”救済したかを注意深くみる必要がある。
Mar 12, 2023 14 tweets 5 min read
1/
放送法の一連の文書について、総務省が公式に世に出してるので、せっかくなので簡単?にまとめてみた。
soumu.go.jp/main_content/0…

まず、放送法について前提知識から… twitter.com/i/web/status/1… 2/
この件に反対する山田総理秘書官(この行政文書での個人的なハイライト)
・磯崎補佐官は官邸では影響力がない。総務省はここまで丁寧に付き合う必要はないだろうと酷評(ちなみに長谷川補佐官は影響力あると発言)
・今回の話は、ヤクザに絡まれたって話… twitter.com/i/web/status/1…
Mar 11, 2023 11 tweets 3 min read
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シリコンバレー銀行の破綻
SVBファイナンシャル・グループは3月9日に、有価証券210億ドルを売却し、より期間の短い国債に再投資した。そして、この売却によって18億ドルの損失が発生するので、損失を埋めるための22億5000万ドルの株式による資金調達計画を発表した。… twitter.com/i/web/status/1… 2/
前から指摘してるとおり、現在起こっているのは「債務証券の価格が暴落」「流動性の低下」


その原因は、FRBが段階的に金利を上げ続けていることによって、既存の債券を誰も買いたがらなくなったから。… twitter.com/i/web/status/1…
Mar 10, 2023 9 tweets 2 min read
1945年3月9日から10日の早朝、アメリカ軍は「ミーティングハウス作戦(東京大空襲)」を開始し、1,700トンの焼夷弾を民間人居住区に投下しました。

焼夷弾による被害の90%は民間の住居で発生し、「軍事目標」に命中したのはわずか10%でした。
民間人に対する人道的犯罪としては歴史上最大のものであり、広島や長崎よりも即死数が多く、10万人の市民を瞬時に絶滅させ、100万人のホームレスを引き起こしました。
Feb 25, 2023 35 tweets 1 min read
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高橋杉雄氏は「なぜロシアは西側という勝ち馬に乗る選択をしなかったのか」というのがリアリズムでは説明できないと主張しているが、これは十分パワーポリティクスの原理で説明できる。

しかし、それを理解するには、米国や西側の汚さを理解しないといけない。
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高橋氏の主張はこうだ
①ロシアがバンドワゴン(勝ち馬に乗る)を選択しなかったのはアイデンティティの違いによるもの
②ロシアが戦争を選択したのは「NATOの拡大」ではなく「中国の台頭」によるもの
③結局のところ一つのイズムだけでは説明できない

こんな感じだろうか。
Feb 24, 2023 23 tweets 1 min read
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ドイツはどうなるんでしょうね。

思い返せば、ドイツと日本は昔から同じ立場に置かれてましたね。
大戦前は共産主義に対抗し、大戦中は英米に対抗、大戦後は米国に、、、、

一番最後はバブル崩壊の時でしょうか。 2/
日本のバブル崩壊のとき、日銀は米国からのあり得ない無理な利上げ圧力に晒されていました。

そんな中、当時ドイツ中銀の総裁だったティートマイヤー氏だけが日本の立場を理解し、協調した立場を取ってくれたのが日独協調の最後だったのではないでしょうか。
Feb 12, 2023 43 tweets 4 min read
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昆虫食と病気について

動物は進化の過程で「昆虫を食べる動物」と「食べない動物」に分かれていった。

昆虫の殻は「キチン」という物質だが、肉食性動物ではキチンの分解能力がほぼ失われている。

academic.oup.com/mbe/article/39… 2/
人間はキチンを分解す酵素「キチナーゼ 」自体は合成はしているようだが、ph4と酸性度は低く、さらに活性の中心となるN末端領域はその機能を著しく低下している。

つまり、人間は進化の過程で昆虫を食べないように進化したといえる。
kogakuin.ac.jp/faculty/gradua…
Feb 12, 2023 11 tweets 2 min read
食用コオロギの粉末を学校給食に
nikkei.com/article/DGXZQO…

新規参入しかいないまだ手探りの業界で、まだ信用の少ない業者が作った、安全性もロクに分かっていない食材を、若者に率先して食べさせるんだから狂ってる。 上の世代がまずは実験台になるってことなら、まだ理解できる。

徳島のことは知らないし、私が生まれ育った地域はもっと日本の最果てだから、そういう文化が色濃く残っていただけかもしれないが、親や上の世代の人間には、「子供は宝だ」「子供たちだけは、、」と、そういう哲学を教わって育ってきた。
Feb 11, 2023 25 tweets 3 min read
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2023年2月9日 ゼレンスキーのインタビュー

ミンスク合意にウクライナを独立させようという意志は入っておらず、ただロシアを満足させるだけのモノだった。
なのでミンスクの合意項目は端から眼中になかった。
spiegel.de/ausland/wolody… 2/
しかし、ミンスク合意のお陰で「話し合いで解決できるプラットフォーム」が公式に出来た。
捕虜交換の問題に焦点をあて、これを発展させようとした。

メルケルとマクロンには、ミンスク全体に関しては実施することができないと話した。