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Jun 6, 2023 5 tweets 1 min read
日本ハンバーグ史の前編、公開となりました

「「ハンバーグ」にソースをかける人が知らない真実」

toyokeizai.net/articles/-/676…

先日は、昭和時代のハンバーグの調味法アンケートにご回答いただきありがとうございました
(続く) ↓


ありがたいことに2754件ものご回答をいただきました

昭和時代にハンバーグを食べた者にとっては、ハンバーグはケチャップとソースで食べるというのは常識的なことなのですが、なぜあらためてアンケートをとったかというと
(続く)
Jan 6, 2023 14 tweets 2 min read
『幕末単身赴任 下級武士の食日記』(『ブシメシ!』として漫画化)を読んだ方はご存知でしょうが、幕末の江戸では普通に豚肉が売られており、また、外食業で豚鍋も提供されていました

昨日言及した通り、その頃の近畿圏では牛肉食が広まっており、幕末に限っていえば
(続く)
「東の豚肉、西の牛肉」となっていたわけです
twilog.org/ksk18681912/da…

これが明治時代になると一転して「東の牛肉、西の魚」となり、牛肉食を東京がリードすることになるのですが、それはさておき

江戸では文政年間(1818~1830年)頃から、豚の飼育と豚肉食が盛んになっていたようです
(続く)
Jan 5, 2023 4 tweets 1 min read
朝日新聞さん、嘘言っちゃいけませんぜ

>お好み焼きは明治期に「洋食焼き」として広がったが、ソース・マヨネーズはわりと新参者だという。戦後の一時期まではだし汁でこねた生地と具だけを味わう時代が長く

大阪のお好み焼きは戦前からソースが基本です
(続く) bit.ly/2VUadAd


こちらのお好み焼き資料集を「大阪」で検索すればわかりますけど、戦前の大阪のお好み焼きはソースを塗るのが基本、代替で醤油を使うくらい

「だし汁でこねた生地」なんで事例はないです
(続く)
Jan 5, 2023 9 tweets 1 min read
1960年代の青春映画といえば若大将シリーズ

加山雄三演じる主人公の田沼雄一は、明治から続く老舗すき焼き屋の息子という設定です

明治時代の東京のすき焼き屋は「牛肉屋」と呼ばれており、肉の小売も行っていました
(続く)
つまり東京では肉屋の跡取りが青春映画のスターとなっていたのですが

『食肉の部落史』(のびしょうじ)によると、近畿地方では様子が違っていたようです

“戦前近畿においては全体として肉屋=被差別部落と分かちがたい実態であった”(P217)
(続く)
Jan 4, 2023 11 tweets 2 min read
江戸時代の牛肉食といえば、有名なのが彦根藩の牛肉

井伊家から各藩へ送られた牛肉の味噌漬けおよび干し牛肉ですが、「井伊家御用留」(井伊家文書) の記録に残っているのは1781年以降

意外と江戸時代も終わりの方の記録しか残っていないんです
(続く) Image
ただ、山本博文の「江戸の食生活史」(三田村鳶魚『娯楽の江戸 江戸の食生活』所収)によると、1740年頃の江戸では市中に薬用の干し牛肉が出回っており、病の幕臣には将軍用の干し牛肉が下賜されたとあるので、この頃には井伊家から将軍家への薬用牛肉贈答が行われていた可能性があります
(続く) ImageImage
Jan 2, 2023 13 tweets 3 min read
「農林水産省が知らない東京郷土料理」

その一つが馬肉のすき焼き、通称桜鍋
urbanlife.tokyo/post/80198/

文中にある通り、明治時代末に馬肉を最も多く消費していた都市が東京でした
(続く) ↓
東京の馬肉食の詳細については『串かつの戦前史』を参照してください
amazon.co.jp/dp/B093SJ24QX

現在ではすっかり廃れてしまいましたが、同じように廃れたどじょう料理を農水省が東京郷土料理認定しているのですから、桜鍋も認定すべきでしょう
(続く)
Sep 24, 2021 12 tweets 2 min read
作家の岡本かの子は昭和4年、夫である漫画家岡本一平、後に画家となる息子岡本太郎、そしてかの子の愛人2人とともに渡欧、昭和7年まで足掛け4年の長い外遊生活をおくります。

その際食べたイギリス料理についての考察が、エッセイ『欧洲土産話』に書かれています。 このころからイギリスはメシマズ国だと認識されていたようですが、かの子はその原因の一つは食材にあると考えます。

”何故イギリスに料理が発達しないかと申しますと、イギリスが食料品の天恵に乏しいということが第一の理由ではないかと考えます。”
Sep 23, 2021 15 tweets 2 min read
内閣統計局は大正15年10月と昭和2年5月に23400人の食事内容を調査。栄養分析を行い、その結果を『家計調査報告』にまとめました。 これは給与所得者(サラリーマン)の動物性食品摂取量を収入階層別にまとめたものです。

魚介類、肉類の摂取量は収入による差が認められません。

鶏卵と牛乳の摂取量は収入が多いほど多くなりますが、その差は多くても十数グラム/日。僅かなものです。
Sep 22, 2021 10 tweets 2 min read
間が空きましたのでおさらいから。

現在のテーマはヴィクトリア朝イギリスの都市部の中産階級の日常食についてです。

アレックス・ソイヤーの『The Modern Housewife』やビートン夫人の『The Book of Household Management』は、この都市部の中産階級の主婦や料理人向けに書かれた本です。 Image 『The Modern Housewife』には、中産階級の中でも上流の家庭の献立例(ディナー)が載っています。

1.スープか魚料理(一日置きにどちらかを交互に出す)
2.リムーブ(大きな肉料理 塊肉のローストやローストターキーなど)
3.アントレ1品(カレーやhash、cutletやコロッケなど) Image
Aug 19, 2021 13 tweets 2 min read
イギリスといえばローストビーフ。

しかしながら『Mrs. Beeton's book of household management』によると、19世紀半ばのイングランドの家庭で最もよく食べられていたのは、ビーフではなくマトンだったそうです。 ImageImage こちらの小論によると、1880年代のイギリスはヨーロッパ最大の牧羊国で、約2900万頭もの羊を飼っていたそうです。
bit.ly/3k7GzEw

おそらく、羊毛生産を終えた老廃羊が、食用として大量に出回っていたのでしょう。
Jul 25, 2021 10 tweets 2 min read
雑誌食道楽の昭和6年2月号に、伊藤忍々洞という俳人が「力士と食べ物」というエッセイを書いています。

この伊藤忍々洞という人、角界の食事に呼ばれることが多かったらしく、食道楽誌上にたびたび相撲と食をテーマとしたエッセイを書いています。 伊藤によると、力士たちは地方巡業を重ねるうちに全国津々浦々の美味しいものに触れて、自然と食通となっていくのだそうです。

現在も、力士といえば全国の美味しいものを知っているという印象がありますが、昭和初期においてもそのようなイメージはあったようなのです。
Jul 24, 2021 11 tweets 2 min read
今年も土用丑の日がやってきますが、醤油と味醂の甘辛いタレで焼くという調理法がなければ、これほど鰻がありがたがられる事もなかったのではないでしょうか。

フグもまた、ちり鍋(てっちり)という食べ方がなければ、今日のような高級魚としての地位を築いていなかったのでは、と思います。 Image 安永4年(1775年)の『繪本世都之時』(北尾重政)におけるふぐ鍋パーティーの絵です。

このように江戸時代にもふぐ鍋はありました。

味付け法はわかりませんが、小皿もなく鍋に直接箸を入れているので、味噌か醤油で煮ていたのでしょう。 Image
Jul 23, 2021 9 tweets 2 min read
「フグの食文化―フクらむ魅力 ナニワを魅了」

この記事において取材を受けた際、現在全国のフグ消費の6割を大阪が占めると聞いて意外な感じがしました。

東京や神戸と異なり、戦前の大阪にはフグ禁止令がでており、それであるがゆえにフグ食後進地域であったという印象を持っていたからです。 Image そこでまず大阪でフグが解禁された日を調べましたが、これが資料によってバラバラ。

『聞き書 大阪の食事』によると昭和6年に解禁。

『食道楽 昭和14年3月号』の座談会だと去年すなわち昭和13年。 ImageImage
Jun 14, 2021 12 tweets 2 min read
「チコちゃん」去年1月31日放送「なぜお肉屋さんでコロッケを売っている?」

答え:洋食のコックさんがお肉屋さんに転職したから

チョウシ屋という店の創業者がポテトコロッケを発明し、昭和2年に日本初のコロッケを売る肉屋を開店したという話。

この話、全て嘘です。

チコちゃんに叱られる.com/8779.html 嘘その1

東京では大正時代から肉屋がコロッケを揚げ始めました。

大正12年の関東大震災後には、肉屋でコロッケを揚げる習慣が広がります。

昭和2年創業のチョウシ屋は、他の肉屋の習慣に追随したにすぎません。
Jun 13, 2021 16 tweets 2 min read
”関東大震災までは、全部いっかんづけです。二かんづけなんていうのは戦争たけなわになってからですね。(中略)そうなると、どの店も二個とか三個とかまとめて出すようになってきたんです。”(『面談たべもの誌』 石毛直道) 吉野寿司三代目吉野昇雄によると、二かんづけ(二個セット)が流行りだしたのは昭和12,3年、日中戦争の頃からだといいます。

(もっとも吉野昇雄は、『鮓・鮨・すし―すしの事典』においては、二貫漬けが流行ったのは戦後からと主張しています)
Jun 12, 2021 14 tweets 1 min read
小説『小僧の神様』のモデルともなった幸寿司の杉山宗吉は、大正7,8年ごろ、それまで7個ずつ出していた寿司を、量を減らして2個ずつ出す方式に改めます。

”一個では少なく、三個では多いと考えたから”がその理由ですが、もう一つ理由がありました。

”勘定もしやすく、また手間もはぶけ”るから。 Image 2つ目の理由については説明が必要でしょう。

杉山宗吉の発言の意味は、1個ずつ出すよりも、2個ずつ出したほうが勘定が楽で手間も省けるというものです。

手間についてはわかると思いますが、勘定については寿司屋独特の習慣を知らないと意味が通じないと思います。
May 4, 2021 16 tweets 3 min read
明治時代初期に「西洋料理」として日本に流入したイギリス料理。

イギリスにおいて米を主食とする料理といえばカレー。

カレーはインド発祥なので、スパイスとアブラと塩っけでご飯を食べさせます。 しばらくすると日本人はイギリス料理に「旨味」があることに気づき、これをオカズとしてご飯を食べるようになります。

真っ先にご飯の友となったのが、洋食屋台のシンプルシチュー(これには旨味はありません)と、hashed beef。

hashed beefをご飯にかけた和風西洋料理が、ハヤシライスです。
May 3, 2021 13 tweets 3 min read
シチューというのは英語。その名の通り、イギリス発祥の料理です(フランスではラグーというはず)。

イギリスにおける代表的シチューといえば、アイリッシュ・シチュー

1861年に出版され大ベストセラーとなったThe Book of Household Managementのirish stewレシピを見てみましょう。 羊肉とじゃがいもと玉ねぎを、塩と胡椒と水だけで煮る。

実にシンプルなシチューです。

最近のアイリッシュ・シチューは野菜やハーブをゴテゴテ入れたりビーフストックを入れて茶色くしていますが、本来のアイリッシュ・シチューは水と塩だけのシンプルなシチュー。
May 2, 2021 10 tweets 2 min read
”「ザ・シチュー(シチューとしか呼びようのない料理)」”

”本当においしいのでこれ以外のもの一切入れちゃだめ!”

あーこのシチュー食べたことありますわ、三十数年前の新世界で。
新世界名物あづまのシチューうどんのシチューがまさにイナダさんのシチューなんです(ただし牛肉)。

写真は玉置標本さんのレポートから。
bit.ly/2SgviaB Image
Jul 5, 2018 11 tweets 2 min read
さて、何度か引用している映画「風立ちぬ」の一場面、主人公たちが関東大震災直後の縄のれんで、どんぶり飯をかきこんでいる場面です。

江戸時代には普及していなかった大きなどんぶりは、この一場面のごとく、大正時代には確実に存在していました。 大正時代に米騒動をきっかけにして生まれた簡易食堂で提供されていたご飯は、1合5勺の「丼飯」でした。
bit.ly/2IUFdIv

これは吉野家のどんぶり山盛りに相当します。つまり、「風立ちぬ」のような、吉野家なみの大きさのどんぶりが、大正時代には存在していたのです。