しばやん Profile picture
京都のお寺に生まれ育ち、大学卒業後は普通の会社に就職し、2019年1月に勤務先を定年退職。ブログ「歴史逍遥『しばやんの日々』」で日本の歴史や文化、GHQ焚書の紹介等について記事を書いています。 https://t.co/COUaXFOJoz 著書『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』
Jan 15 6 tweets 2 min read
剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではないかと思われる。
武田寅男 著『国民武道講話』を読むと、GHQが焚書処分した理由が何となく見えて来る。
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西洋にもフェンシングと称する剣術が存在するが、日本の剣道とは全く異なる。武田は、「フェンシングという名称自体が、Fence ―― 垣、防御の意味に他ならぬ。まず自己を安全にしておいて、それで敵を倒そうというのが、最も巧みに考えられた西洋武術の根本精神であると言ってよい」と書いているがその通りだと思う。

戦う相手にとって「常に死んでかかるという精神」で戦う相手ほど嫌なものはないだろう。このような精神教育や武道教育をGHQが嫌ったことは間違いないだろう。Image
Nov 30, 2025 18 tweets 4 min read
そもそも南京防衛戦の最高指揮官でありながら無責任にも南京から逃亡した唐生智は、多くの兵士を死に至らしめて、本来ならば蒋介石により処刑されてもおかしくないのだが、どういうわけか処刑を免れている。

そればかりではない。のちに彼は栄転して一九四九年に湖南省知事を命じられ、その後中国国民党革命委員会の委員、全国人民代表大会の常務委員会委員を歴任している。

さらに唐生智の故郷・湖南省永州市にある彼の旧居(樹徳山荘)は「国家重点文化財保護単位」に指定されている。なぜ唐生智が中国の英雄のように扱われているのか、多くの日本人が疑問に思うに違いない。shibayan1954.com/history/taisho… 日本「南京」学会会長の東中野修道氏は台湾にある国民党党史館で閲覧した『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』という極秘文書に、極めて重要なことが書かれていることを発見された。そもそも「中央宣伝部国際宣伝処」とは何のために作られた組織なのか。
『南京事件 国民党秘密文書から読み解く』には、次のように記されている。Image
Nov 18, 2025 5 tweets 3 min read
戦後の歴史叙述では、1919年3月1日にソウルで起きた「三・一独立運動」について、「日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動」とされ、3月1日以降朝鮮全土に拡大していったことや、北朝鮮も韓国も3月1日を記念日としていることは明記されているのだが、この運動もアメリカの宣教師の煽動により行われたことが、どういうわけか欠落している。

当時の新聞記事では当初は「某国」と国名を伏せられていたが、後に「米国」であることが各紙で報じられている。
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いくら日本人が善政を行ったとしても、もし朝鮮人が「独立」して善政を行うことが出来る力があるならば、「独立」が良いと考えるのが当たり前だ。要するにアメリカ人宣教師は、「独立」という魔法の言葉を用いて、日韓の分断をはかろうとしたのだ。

恐らくこの動きは、同年2月13日にわが国がパリ講和会議国際連盟委員会において人種差別撤廃提案を提出したことと無関係であるとは思えない。
同年3月14日の大阪朝日新聞は次のように伝えている。Image
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Nov 17, 2025 6 tweets 2 min read
中国に於ける排日運動が活発化したのは、第一次大戦後の1919年(大正8年)に開催されたパリ講和会議においてわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された以降のことである。この時に中国人に排日運動を仕掛けたのは英米人の宣教師であったことが記録されているのだが、このような工作活動がいきなり実を結ぶとは考えにくい。中国に何らかの権益を得た列強諸国は、さらなる権益拡大のための活動を早くから積極的に行っていたと考える方が自然である。

大正4年(1915年)1月6日から「大阪毎日新聞」で掲載された「日支不親和の一因」という連載記事に、支那に於ける自国の権益拡大のために西洋列強がいかにして支那民衆から支持を得ようと動いたかが記されている。shibayan1954.com/degital-librar…Image
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欧米列国は権益を手にするや宣教師を送り込み、病院や学校を建設して地元民との交流をはかりながらそれなりの効果が出ていたという。では欧米列強はどの程度の宣教師を送り込んだのであろうか。この記事には、続いてこう記されている。 Image
Nov 16, 2025 15 tweets 5 min read
昭和12年(1937年)8月に発生した第二次上海事変で日本軍は苦戦を続けていたが、相次ぐ増派により攻勢に転じ、ようやく11月9日に上海全域を占領している。しかしながら上海線における日本軍の戦死者は9115人、負傷者は31257人と大きな犠牲が出た。

日本軍はもともと戦闘を上海地区に局限する方針であったのだが、追撃戦の進行と共に限界線が西方に移動したため、12月1日には松井石根軍司令官に対し、海軍と協力して南京攻略せよとの命令が下されている。

12月5日蘇州に到着後、松井大将は「南京は中国の首都であるから、その攻略は世界的事件である。故に慎重に研究して日本の名誉を一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍といえども抗戦意思を失いたる者および一般官民に対しては寛容慈悲の態度で愛護せよ」と指示し、参謀部が起案した「南京城攻略及び入城に関する注意事項」を要約すると、次のようなことが書かれている。これらの注意事項は東京裁判の速記録で確認できる。
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そして12月9日に飛行機にて南京城内の中国軍に降伏勧告文を撒布し、翌10日正午までの回答を要求した。勧告文の全文は新聞にも報じられている。
勧告文は蒋介石総統ではなく唐生智南京防衛司令官宛となっていたのだが、実は蒋介石は二日前に南京を脱出していた。 Image
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Nov 14, 2025 4 tweets 2 min read
GHQにより焚書処分された『支那三十年』(昭和17年刊)の著者である長野朗は、中国で排日運動が始まった大正八年(1919年)に北京にいて、身近でその動きを観察した人物である。

この本には、戦後の一般的な歴史書には絶対に書かれていない、中国の排日運動の実態が描かれている。文中の「欧州戦争」は、「第一次世界大戦」のことで、「休戦ラッパが鳴り響」いたのは、第一次大戦が終わった大正7年(1918年)11月のことである。shibayan1954.com/degital-librar…Image 当時中国には国定教科書がなく、商務印書館とか中華書局とかいうところで勝手に教科書が作られていた。排日が流行になると盛んに排日記事を入れた教科書が売り出されるようになり、初めて排日教科書が現れたのは大正八年(1919年)で地理の教科書が最初だったという。

その教科書には、例えば「日本」について「日本は島国なり、明治維新以来国勢驟(にわか)に盛なり、我が琉球を県とし、我が台湾を割き、我が旅順大連を租借し、朝鮮を併呑し、奉天、吉林に殖民し、航業商務を我国各地に拡張す。」と、沖縄も台湾も、もともと中国の領土であったかのように書かれていたという。

その後国民政府が成立すると、政府自ら排日教科書を編纂し、いろんな教科で排日を盛るようになったのだが、背後には英米が盛んに動いていた。Image
Nov 12, 2025 5 tweets 2 min read
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。戦場俳句は、記録や小説とは一味も二味も違っていて、兵士たちの汗や涙が伝わって来るものがある。shibayan1954.com/degital-librar… 最初に紹介したいのは支那事変が起きた翌年の昭和13年に島東吉が著した『新戦場俳句と作法』というGHQ焚書である。著者の島については詳しいことはわからないが、昭和10年に『俳文読本』を著しており、俳人として活躍された人物のようだ。冒頭には次のように記されている。 Image
Nov 10, 2025 6 tweets 2 min read
日本人はイスラム教のことを詳しく学ぶ機会はほとんどなかったのだが、イスラム教徒の移民が増えて各地で様々な問題が起こっているわが国の現状を考慮すると、もう少しこの宗教のことを知る必要がありそうだ。笠間杲雄 著『大東亜の回教徒』(GHQ焚書)の冒頭にある「回教概説」は非常に判りやすく書かれている。

イスラム教もキリスト教も一神教であり、神様は一人しかいないと考え、さらに偶像崇拝を禁止していることは知っている人が多いと思うのだが、では「偶像排斥」の徹底ぶりがそれぞれがどの程度であるかを知ることは重要である。
shibayan1954.com/degital-librar…Image 16世紀に来日したイエズス会のルイス・フロイスの記録には、宣教師らが領主や信者を教唆して、寺を放火させたり仏像を破壊させたことが詳しく記されている。当時において仏像などを破壊する行為はイエズス会宣教師達にとっては正しい行いでありそのためにわが国では多くの寺院が襲われたのだが、一方当時のヨーロッパにおいては「偶像崇拝禁止」は必ずしも守られておらず、キリスト教布教拡大のために大教会に壁画が描かれたり、キリストやマリアの像が彫られるなどしていて、そのための資金作りに免罪符が売られたりしていた。

マルティン・ルターは矛盾だらけのローマ教会に抗議して宗教改革を起こし、聖書の原点に戻りカトリック(旧教)と袂を分かつこととなる。
このような経緯から、キリスト教のプロテスタントの教会では宗教画が描かれていないのだが、イスラム教の場合はさらに徹底して偶像排斥が行われ、異教徒の文化財を破壊する事件が起こっている。

アフガニスタンの山岳地帯にあるバーミヤン渓谷にユネスコの世界文化遺産に登録されていた石仏や仏教画などの大半が、2001年にタリバン政権の手によって爆破されたことは記憶に新しい。Image
Nov 9, 2025 11 tweets 4 min read
台湾の「佛網電子商城」というサイトに「南京唯一の脱出路であった下関(シャーカン)付近では、日本軍が南京に侵攻する前から、逃げようとする南京守備隊を中国の督戦隊が城壁の下から南京守備隊を銃撃し、兵士たちは押しつぶされて死亡した」と書かれている。
この事件は「挹江門(ゆうこうもん)事件」と呼ばれているのだが、わが国では1937年12月12日(日曜)の夜遅くに起きたこの事件に触れている解説書はほとんどない。shibayan1954.com/history/taisho…Image 南京は周囲を高い城壁に囲まれていていくつかの城門が存在するのだが、挹江門というのは南京城の北西にあり揚子江に最も近い場所にある城門である。門を抜けると下関(シャーカン)と呼ばれる地域になるが、門の周辺に大量の中国兵の死体が折り重なって残されていた。しかしながら、十二日にはこのあたりでは日本軍との戦闘は行われていないので、多くの兵が死亡した原因は中国側にあるとしか考えられない。

Wikipediaに、ニューヨーク・タイムズのダーディン記者が「挹江門事件」について書いた記事が翻訳されている。Image
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Nov 7, 2025 5 tweets 2 min read
太平洋に点在するポリネシア・メラネシア・ミクロネシアの島々は、今では「南の楽園」などと呼ばれているが、この島々はかつてわが国の領土であった。

17世紀になってスペインがこの地域一帯を植民地化し、フィリピンと共に「スペイン領東インド」を形成したが、19世紀末にドイツも植民地経営に乗り出し、1884年に北東ニューギニア及びニューアイルランド諸島、ニューブリテン諸島、ソロモン諸島北部をイギリスとの協議を通じて獲得後、米西戦争に敗れたスペインから1899年にカロリン諸島マリアナ諸島を買い取り、ドイツ領とした。

1914年7月に第一次世界大戦が勃発し、わが国は日英同盟に基づき8月に対独宣戦布告し、10月14日に赤道以北の独領南洋群島(ミクロネシア)を占領したのち軍政が布かれ、大戦終結後の1919年5月のパリ講和会議において、先にわが国が占領していた赤道以北の独領南洋群島(マリアナ・マーシャル・カロリン等の諸島)の委任統治国が日本に決定した。以降1945年8月の第二次世界大戦の終戦に到るまでの約30年間、「南の楽園」が「日本領(委任統治領)」であった歴史があるのだが、戦後は施政権が米国に移されたのち、漸次独立を果たしていった。
shibayan1954.com/degital-librar…Image GHQ焚書リストの中に南洋群島について記された、太平洋問題研究所 編『南を衝け』という本がある。南洋群島について学ぶ機会は戦後においてはほとんどなきに等しいのだが、そのことは戦前に於いてもそれほど変わらなかったようだ。
戦前の地理や歴史の教材に於いて、南洋群島がどのように扱われていたかがこの本の序文に書かれている。Image
Nov 3, 2025 8 tweets 2 min read
GHQ焚書リストの中には、なぜこのような本を焚書処分したのかと思うようなタイトルの本が少なからず存在する。軍事のことを書いたわけではなく思想書でもない本の多くが焚書処分されているのだが、「日本語」に関する本まで多くが焚書処分にされていることは意外であった。

例えば言語学者の石黒修が昭和16年に著わした『日本語の世界化』がGHQによって焚書処分されている。

石黒は、昭和初期に於いてエスペラント語の教育者として何冊かの著書を出しているが、その後大東亜共栄圏を始めとする外国における日本語教育に関与した人物である。
彼は多くの著作を残しているが、GHQの焚書処分にかかったのは、この一冊のみである。shibayan1954.com/degital-librar… 大東亜共栄圏における共通言語として日本語の普及が図られたのだが、そのことによりアジア世界に日本語が急速に広まって行った。同上書には次のように記されている。 Image
Sep 4, 2025 12 tweets 3 min read
GHQによって焚書処分された支那事変(日中戦争)の写真集の紹介の続きだが、上海と南京での戦いを中心に画像と解説文を紹介させていただく。言うまでもなく、中国と左巻きの歴史家は南京で大虐殺があったと今も主張している。
shibayan1954.com/degital-librar… 通州事件のあとも支那兵による挑発行為が続き、日本政府は支那の治安悪化を受けて、日本人居留民約三万人を引き揚げる方針を決め、上海の港から日本に帰還する予定で八月九日には日本人が上海に集まっていた。
しかしながらその日に上海海軍特別陸戦隊の大山中尉とほか一名が支那保安隊に虐殺される事件(大山事件)が起きている。そもそも租界地周辺は非武装地帯になっており、支那兵の駐留も許されず支那保安隊のライフル所持も許されていなかったのだが、大山中尉らはライフルと銃剣で見るも無残な状態で虐殺されていたのである。
わが国は保安隊の撤退と防備施設の撤去を要請したのだが、南京の軍事委員会は逆に約三万の兵を集めて上海に駐留する日本軍の掃討を準備したという。
Sep 2, 2025 8 tweets 2 min read
昭和18年に国際日本協会が大東亜統計叢書の第一部Ⅶとして刊行した『印度統計書』がある。ほとんどのページが統計数値だけの書物なのだが、こんな本までがGHQによって焚書処分にされている。
ボースはイギリスが統治するようになって以降、識字率が過去二世紀間に6割から9%になったと書いていたが、第46表に「識字者及び英語を読み得る者」がp.81~82に男女別に集計されている。「教育者」とは、学校教育を受けたという意味で、この表は学校教育を受けたかどうかという観点でまとめられており、学校教育は受けていないが字が読める人数は母数から外されている。この数字をもとに識字率を計算するために表を作り変えてみると次のようになる。
shibayan1954.com/history/englan…Image 全インドの識字率が8.5%という数字から、9%とするボースの主張が正しいことがわかる。2百年前の識字率は6割だったという主張については統計がないので確認不能だが、かつてのインドは歴史的に見ても極めて豊かな国であった。GHQの焚書処分を受けたラインハルト・フランクの『虐げられし印度』にはこう書かれている。Image
Aug 20, 2025 12 tweets 4 min read
昭和9年までに刊行された満州事変に関する写真集を『国会図書館デジタルコレクション』で探すと14点が確認できるが、そのうちの4割以上の出版物がGHQによって焚書処分されている。そして写真集に解説されている内容は、戦後刊行の歴史書とはかなり異なる
shibayan1954.com/degital-librar…Image 1931/9/18の柳条湖事件は満州事変の発端となった事件だが、事件当時はわが国及び支那以外の国々は満鉄を爆破したのは支那兵であると認識していた。ところが1960年に刊行された雑誌の記事を根拠に満鉄爆破は支那軍ではなく関東軍の自作自演と書き換えられていった。 Image
Aug 16, 2025 6 tweets 2 min read
特高第一課係長であった宮下弘が書いた『特高の回想』に、ソ連のスパイグルーブであるゾルゲ諜報団を一斉検挙した経緯が記されている。
きっかけは伊藤律の取調べで、伊藤が宮下に、転向するので保釈してほしいと持ち掛けたところから始まる。 shibayan1954.com/history/taisho…Image
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実はこの北林トモという女性がゾルゲ事件の発端になるのだが、宮下は伊藤の話を聞いて、これはコミンテルンのアメリカ支部、つまりはソ連のスパイだと直感した。この段階では宮下も、この女性がゾルゲや尾崎に繋がるとは考えていなかったが、宮下は上司の了解を得て伊藤を釈放した
Aug 15, 2025 8 tweets 3 min read
GHQが焚書処分したリストの中に『兵隊の撮つた戦線写真報告』があり、その中に作家の火野葦平自身が撮影した写真を紹介したコーナーがある。火野は写真は素人ではあると自ら語っているのだが、兵士や支那人の表情をよく捉えていて、いい写真が少なくない shibayan1954.com/degital-librar…Image 火野葦平は昭和戦前・戦後期に活躍した小説家で、1937年に支那事変に応召し、翌年彼が戦地で書いた徐州会戦の従軍記『麦と兵隊』(GHQ焚書)がベストセラーとなったほか多くの作品を残している。1938年に彼が廣東で撮影した写真と文章。 Image
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Aug 15, 2025 5 tweets 1 min read
GHQに焚書処分された『民族戦』で著者の長野朗は、支那の侵略は表面の統治や経営権等に関係なく、まるでウィルスのように民族を膨張拡大させることにより勢力を拡大してきたことを述べている。
shibayan1954.com/degital-librar…Image 長野朗はさらに、支那民族=漢民族が数千年にわたり周辺の民族を侵略し得たのは、「支那が農業の民であるのに、周辺の民は多くは牧畜又は遊牧をやっていたからで、牧畜は農業に敵わないのである。…鍬を大地に打ち込んだものは永久に土と結着して動かない。」と書いている。
Aug 14, 2025 14 tweets 4 min read
GHQ焚書リストで満州関連の本を探していたら、『満州戦線 ペン画集』という本が目にとまった。少し読むと満州戦線の様子や満州の建物や自然風景が描かれている。著者の太田政之助は漫画を描きながらペン画の腕を磨き陸軍省新聞班満州特派員として出征した shibayan1954.com/degital-librar…Image 太田は大本営嘱託画家として満州や北支に従軍し「漫画伝単戦」に携わった。「伝単」というのは、戦時において敵国の民間人や兵士の戦意喪失などを目的として撒かれる印刷物で、彼の漫画入りの伝単は中国の一般民衆によく読まれ効果があったことから、彼は勲章を二回拝受したという Image
Aug 10, 2025 8 tweets 2 min read
ゾルゲ事件の首謀者の一人として1941年に逮捕され1944年に死刑に処された尾崎秀実が獄中で書いた手記には、尾崎しか知りえない事柄がかなり詳しくかつ具体的に書かれており、しかも長くて論旨が明快ですでに判明している史実と矛盾することがない。
shibayan1954.com/history/taisho… 尾崎は、自分を信頼して重要情報を伝えてくれた人々を裏切りかつ迷惑をかけたに心を痛めたことは述べているものの、ソ連にわが国の重要情報を伝えたことについては詫びている訳ではない。しかし許されないことをやっていたことは分かっており、いずれ逮捕されることを覚悟していた Image
Jul 24, 2025 5 tweets 2 min read
伏見韶望(しょうぼう)著『日本人の本領』(GHQ焚書)は、日本の様々な人物に関するエピソードを集めた本で、登場人物は著名な武士や政治家、軍人、財界人から市井の人物まで様々である。どこから読んでも結構楽しめる本である。
shibayan1954.com/degital-librar…Image たとえば、西郷隆盛と大久保利通とのやりとり。 Image
Jul 10, 2025 5 tweets 1 min read
『虚実と真実の闘い』(GHQ焚書)には、わが国の同盟国である独伊の首脳は、米英ソは裏で繋がっていてその三国を操っているのはユダヤ人であることを喝破していたが、日本の識者の多くは、そのことに気が付いていなかったことが記されている。
shibayan1954.com/degital-librar… ユダヤ人は欧米の主要言論機関を支配していて、報道を通じてターゲットとした国あるいは異民族国家同士の対立を生じさせると、秘密結社を用いてその対立を激化させたり暴動を仕掛けたりするようなことを繰り返したが、背後でユダヤ人が動いていることについては報道されなかった