約一月ぶりとなる、金沢城の「意外なネタ」シリーズその46は鶴の丸についてです。休憩館からの展望が素晴らしい鶴の丸は、北を三の丸、西を二の丸、南を本丸・東の丸付段に囲まれた小曲輪となります。
#金沢城
この曲輪は北側の三の丸とは内堀で隔てられていますが、現状では写真のように途中で途切れています。ですが、本来の堀はもっと手前=東側まで延びていました(ちなみに写真奥側に延びる内堀も、明治期に埋め立てたのを平成に入り復元したものです)。ここで、おや?となります。
そう、内堀を東に伸ばした先には巨大な百間堀と高石垣、そして延々と連なる土塀があるのです。では江戸時代、この石垣には内堀が「穴」を開けていたのでしょうか?勿論、そんなことはありません。
実は、こんなふう(↓)に、土塀と石垣により、江戸時代の内堀と百間堀は隔てられていました。両者の深さは全く異なりますから、これは一種の「水戸違い」と言えます。
では、内堀が百間堀に接するポイントが何処だったかというと、石川門左方で、石垣と太鼓塀が一段低くなる、まさにこの場所になります。意識すれば割りと分かりやすいですね。
城内側から見ると、この土塀に直行して石垣が少し東西方向に延びています。これがまさに鶴の丸の石垣遺稿になり、往時はこの石垣に添って塀が延び、その奥に内堀が延びていました。拙者、こういう痕跡大好き侍、義によって以下略。
明治初年の古写真にも、このようにちらっと鶴の丸土塀が見えます。なんてえちえちなチラ見せなんだ(*´Д`)ハアハア
以上、本日の「城吸い」に基づく鶴の丸特集その1でした。その1なので、2以降が続きます(´∀`*)ウフフ。
なお、前回特集はこちら↓から。
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