しばやん Profile picture
京都のお寺に生まれ育ち、大学卒業後は普通の会社に就職し、2019年1月に勤務先を定年退職。ブログ「歴史逍遥『しばやんの日々』」で日本の歴史や文化、GHQ焚書の紹介等について記事を書いています。 https://t.co/COUaXFOJoz 著書『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』

Mar 13, 8 tweets

1920年に多くの日本人及び朝鮮人が間島州(現中国吉林省)で虐殺されている。この事件を琿春(こんしゅん)事件と呼んでいるが、犯人は匪賊(徒党を組んで掠奪・殺人を繰り返す盗賊集団)及び支那脱走兵等であった。

この事件の半年前には、アムール川河口にあるニコラエフスク(尼港)で、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件(尼港事件)があり多くの日本人居留民が虐殺されたが、日本人が匪賊に襲撃される事件新聞に大きく報道されたのは琿春事件が最初である。

賊の来襲は二回にわたり、メンバーの中には馬賊(ばぞく:馬に乗って悪事を働く匪賊)のほか、支那脱走兵、ソ連の赤軍パルチザン(非正規軍)将校、朝鮮人がいたという。尼港事件の時も日本人は酷い殺され方をしたのだが、琿春事件は尼港事件よりも酷かったとも言われている。
shibayan1954.com/degital-librar…
da.lib.kobe-u.ac.jp/da/np/01003418…

その後も匪賊による日本人殺害事件が続き、1922年6月に、琿春に近い頭道溝の領事分館に約三百名からなる馬賊が来襲している。

この事件は頭道溝事件といい、朝鮮人独立運動家が馬賊(馬を用いて襲撃する満州の匪賊)の協力を得て間島頭道溝の日本領事館分館を破壊し放火して、仲間の独立運動家を脱走させた事件なので掠奪が目的ではなかったのだが、この事件で二人の日本人が死亡し、三人が重傷を負った。

当時の満州では馬賊による掠奪事件などが頻繁に起こっていたのだが、その当時の支那には盗賊団のような連中を取り締まる力がなかった。

次に大きく報じられたのはおそらく大正12年5月の津浦線における土匪掠奪事件で、この時は約千人の土匪(匪賊)が線路を破壊して列車を転覆させ、乗っていた15名の外国人を身代金目的で捕え、イギリス人とアメリカ人がそれぞれ1名殺害されたのだが、幸い日本人被害者はゼロであった。

この事件は臨城事件と呼ばれているものでWikipediaにも記述があるが、英米が激怒して国際的に大問題となり、強気の交渉によって外国人は翌月に全員無事に解放されている。ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8…

当時は新聞で匪賊の解説をしている記事が出ている。例えば、大正12年5月19日の中外商業新報にはこう記されている。

官兵が匪賊と本格的に戦うこともせず、逆に匪賊に武器を売るようでは国の治安が良くなるはずがない。匪賊の出没する地域では、支那人はその後も長い間匪賊に襲撃され、被害は年々酷くなっていった。

盗みであろうが、身代金目的であろうが大量の支那人を殺戮する必要はないはずだ。では何のために支那人を大量殺戮したのかを考えていくと、恐怖を煽ることが目的であった可能性が浮かび上がる。そうなると前回の記事で書いた「漢民族を満州に移住させるため」に支那各地で暴虐な行為が行われたとする仮説が納得できるものになるのだ。章炳麟は満州に漢民族を千五百万人移住させようと計画したというが、漢民族は満州に移住地を定めてインフラを整えるようなことは何もしなかった。にもかかわらず実際には三千万人の漢民族が移住した。確たる証拠があるわけではないが、共産党の指令に基づいて動いていた共匪や兵匪がいたのではないだろうか。

大阪時事新報の1931年5月14日の記事では「共産土匪」と記されているが、共産党の支持のもとに動いていた匪賊で「共匪」とか「赤匪」などとも呼ばれた。このような行為が支那各地で行われていたようである。

画像は昭和7年4月28日の大阪朝日新聞の記事だが、同年3月1日に満州国が建国されて、そのインフラ整備や農地開拓などのために多くの日本人が移住し生活をしていた。しかしながら満州には「兵匪」が跋扈しており、居留民を守るためには軍の力を頼るしかなかった。

満州国の軍隊による匪賊討伐をあてにすることはできなかった。昭和7年(1932年)5月3日の大阪朝日新聞によると、兵匪を討伐する約束で派遣された満州国軍が兵匪側に寝返ったことを報じている。

満州国の治安改善は日本軍が頼みの綱であったのだが、わが国が軍隊を派遣したことで「日本に侵略の意図あり」との支那の得意とするプロパガンダで欧米列強に訴えた。戦後のわが国の支那に関する歴史叙述は当時の支那のプロパガンダに近いものになってはいないか。

兵士になるまでに日本では勉強をして試験に合格し、厳しい訓練を受ける必要があったのだが、支那における兵士採用はわが国とは全く異なっているのだ。

昭和8年3月19日から連載された満州日報の記事に支那兵がいかにして集められ、彼らが匪賊を討伐に命じられた時に実際かれらがいかなる行動をとるかが記されていて、これがなかなか面白い。

支那の匪賊のことを知らずして支那の歴史は語れないと思うのだが、とくに満州に関しては、匪賊による被害が何度も出ていたことを知らずして、日本軍が満州に配備されていた理由を正しく理解できるとは思えない。
shibayan1954.com/degital-librar…

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