ちなみに江戸時代の注釈書にある「諾子(なぎこ)」という本名説も確証があるわけではなく(その文献以外の記録が残っていない)、そもそも「諾」という字を名前に使って「なぎ」と読ませることも、古い使用例では
『枕草子』を読むと、筆者自身は「清少納言」という呼称を気に入っているようで、特に上司である中宮定子から「少納言よ」と呼びかけられると子犬のように喜ぶ作者の顔が行間から滲みます。少なくとも作者はその名前(とそれに紐づく仕事や人間関係)に、強い愛着とプライドを持っていた。
『枕草子』を読んでいると、この作者はそういう「ある種の覚悟」を持って書いていたのでは、と思うことがあります。この話、もう少し続きます。
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