稲葉寿氏の「感染症数理モデルとCOVID-19」という記事が話題となっています。その中でも「普遍的大量検査をおこなうことは、非常に有効な制御手段であると考えられる」との見解に賛同する人が多いものの、根拠として示されたグラフがよく解らないとの意見もありますので、私の理解の範囲で解説します。
稲葉寿氏の「感染症数理モデルとCOVID-19」の記事は以下のリンクです。
covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/3925
目次
・序
・検査率kとは?
・検査率k >0.23なんて無理?
・下に凸で減少とは?
・社会距離拡大政策rとは?
序:稲葉氏の記事では、上記グラフの解説において、文献[4]と文献[19]を引用しているのですが、文献[4]はまだ入手できなかったりします。一方、文献[19]には、上記グラフそのものは出てこなかったりするのですが、文献[19]を参照しながら説明します。
aimspress.com/article/doi/10…
なお、文献[19]は、いわゆる『PCRの特異度は99%である』という説を採用していたり、無症候感染者Eが発症者Iを経ることなく回復者Rになるルートがなかったり、今ではちょっと疑問がある前提の文献なのですが、文献[4]は入手できないので、柔軟に対応することも必要です。
・検査率kとは?
上記記事には検査率kの定義が記載されていないので、この点で既に意味が解らないという意見がありました。この点、定義が文献[19]と同じであると仮定すると、1日あたりに検査する人数と全人口との比率となります。ざっくり言うと、k=0.23は、毎日3千万人を検査することになります。
ただし、正確には全人口ではなく、全人口から隔離者Qと回復者Rを除いた、感受性保持者(健康者)Sと無症候感染者Eと発症者Iの人達です。
ここで注意したいのは、文献[19]の検査率kは、健康者Sと無症候感染者Eだけでなく、発症者Iに対しても同じ比率で検査を行う設定だということです。
これは「大量検査(massive testing) 」の定義の問題かもしれませんが、大量検査とは、発症者は必ず検査を受けさせることを前提に、健康者Sと無症候感染者Eの中から無症候感染者Eを見つけ出すための別途の検査なのだと思うので、文献[19]の検査率kの設定は妥当であるかに疑問が残ります。
・検査率k >0.23なんて無理?
定義の是非はさておき、k=0.23が毎日3千万人を検査することであるならば、それは現実的ではないはずです。にも拘らず、稲葉氏は「普遍的大量検査をおこなうことは、非常に有効な制御手段であると考えられる」と結論付けているのはなぜでしょうか?
この点は非常に重要な論点を含んでいて、BuzzFeed学派の人たちは、大量検査によって実効再生産数を1以下に下げるのは現実的ではないとの立場である一方、似たような結果から稲葉氏は大量検査は非常に有効だと述べている。
buzzfeed.com/jp/yutochiba/s…
なお、尾身氏は、上記記事中やコロナ分科会資料などでも、この論文を引用し、人口の5%に毎週検査を行い、陽性者を隔離したとしても、「実効再生産数」は2%しか低下しないと説明しています。
thelancet.com/journals/lanin…
似たような結果なのにも拘わらず、稲葉氏が正反対の結論に至る理由もこのグラフにあるのです。特に稲葉記事における下記説明は重要です。
「検査率k に対してRe が下に凸で減少していることに注意する」
「社会距離拡大政策を同時に行う」
正直なところ、検査を沢山すれば感染を制御できることは自明な問題なのです。文献[19]に書かれているような複雑なモデルを考える必要はありません。ベーシックなSIRモデルの方程式を見ただけでも明らかなのです。「検査は少ない方がよい」なんて議論は論外なんですよね。口にするのも恥ずかしい。
・下に凸で減少
実は、検査を沢山すれば感染制御できることは自明な問題ですが、下に凸で減少することは自明ではないのです。実効再生産数を小さくするには、(a)発症者を隔離する(b)社会的距離を拡大する(c)大量検査をする、の3つが考えられますが、下に凸で減少となるのは(c)大量検査のみとのこと。
文献[19]には、(a)発症者を隔離する(b)社会的距離を拡大する(c)大量検査をすることの3つについて計算した結果が掲載されています。どれも実効再生産数を小さくする効果を有しますが、下に凸で減少となるのは(c)大量検査のみです。それどころか(a)発症者を隔離する方法では1以下にできないとのこと。
稲葉氏の「検査率k に対してRe が下に凸で減少していることに注意する」との説明の背景には、(c)大量検査には、(a)発症者隔離や(b)社会的距離拡大にはない特性があり、この特性に注意すれば「検査率がもともと低い集団で検査率を高めることに大きな効果がある」ということなのです。
大量検査だけで実効再生産数を1以下にするには、毎日3千万人も検査をする必要があり、それが不可能であっても、毎日3万人の検査しかしていない国(例:日本)が検査を増やした時の効果は大きいのだから、費用対効果が高いのです。いわゆる弾力性の観点から好ましいとの見解なのです。
・社会距離拡大政策rとは?
社会距離拡大政策rも、稲葉氏の記事に定義が書かれていなかったので、この点で既に意味が解らないという意見がありました。ただし、社会的距離を拡大すると、実効再生産数を小さくすることができるのはよく知られている事実です。
covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/3925
文献[19]の記載からどのような定義であったかを推測すると、感染率βの代わりにβ(1-r)とすることで、実効再生産数を小さくすることなのでしょう。つまり、文献[19]の(b)社会的距離拡大と(c)大量検査のシナリオを組み合わせたものが稲葉記事のグラフに相当しているはずです。
当たり前のことですが、大量検査をしたからといって、他の対策をしてはいけないという決まりがあるわけではないのですが、何故か「人口の5%に毎週検査を行い、陽性者を隔離したとしても、「実効再生産数」は2%しか低下しない」みたいな議論をいつまでもしているのですよね。
buzzfeed.com/jp/yutochiba/s…
この点、稲葉氏の記事でも指摘されているのですが、「大量検査の流行抑止効果に対する懐疑的な態度が、その後の各国における経験によって修正されず、検査態勢の充実を遅らせる政治的効果を生み出したとしたら残念である」ということが
尾身氏がよく引用するKucharski AJ et al, Lancet Inf. Dis. 2020は、R=2.6のときに「人口の5%に毎週検査を行い、陽性者を隔離したとしても、「実効再生産数」は2%しか低下しない」のであって、他の対策と組み合わせれば結果も変わってくるはずなのです。
つまり、尾身氏が引用するシナリオは図表1で言えば、赤矢印のルートで実効再生産数を1以下にするもので、日本では国民の自粛行動で、R=1.2ぐらいまで頑張っているのだから、後は政府が青矢印の部分を頑張って下さいということです。
それに、毎日3千万件の検査というのは政府目標と大きく離れていますが、少なくとも11月時点計画で、1日54万件程度の検査(分析)能力の確保を見込むとの話はでていることを考えても、上記青矢印のシナリオは、実現可能な範囲に入ってくると考えられるのです。
以上、ちょっと長くなりましたが、稲葉寿氏の「感染症数理モデルとCOVID-19」という記事における「普遍的大量検査をおこなうことは、非常に有効な制御手段であると考えられる」との見解の根拠として示された下記グラフについて、私の理解の範囲で解説しました。
covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/3925

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23 Jul
PCRデマが発生した理由(とりあえず陰謀説は否定する)は、単純にPCR検査の仕組みが解っていなかったのだと思います。そもそもPCRの検査は例の2×2の表計算を使うべきではありませんでした。あの2×2の表計算の背後には図のような頻度分布があることが前提だったのです。1/n
確かに、このような分布が得られる検査であれば、疾患群が少ない(事前確率が低い)場合は、カットオフを超える被験者が偽陽性ばかりになるし、坂本史衣のいうように「感度、特異度はトレードオフの関係」になるかもしれません。2/n
buzzfeed.com/jp/naokoiwanag…
でも、PCRの検査は上記分布が得られるような検査ではないですよね。検体を採取して装置にセットしたときにプライマーに反応するDNA/RNAがいくつ残っていますかの問題で、こんな感じの増幅曲線が得られるというものです。つまり、本質的に2×2の表計算の出番が無い。3/n
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