コロナの発祥地はアメリカ合衆国だった?!

第二部:2019年夏、フォート・デトリックで何が起きていたのか
〜WHOによるフォート・デトリック査察が必要とされる至極もっともな理由
①第三章:フォート・デトリック概史
〜アメリカ合衆国陸軍未来戦展望司令部(United States Army Futures Command)の一機関としてのフォート・デトリックの過去と現在から今のコロナウイルス・パンデミックを超えて見えてくるもの
②1943年3月9日、元の飛行場敷地92ヘクタールに154ヘクタールを買い足し、初期建設費125万ドルでアメリカ軍生物兵器戦争ラボラトリーキャンプ・デトリック(フォート・デトリック)がメリーランド州フェデリック郡に建設されました。
③フォート・デトリックスの最初の本格的な活動は炭疽菌の大量培養でした。1943年8月から1945年12月までの間に、ハツカネズミ60万頭・モルモット3万頭・サル166頭を含む17種類の動物が実験用に使用されたと言います。
④戦後冷戦期になると、さらに膨大な国家予算を注ぎ込みながらフォート・デトリックは規模を拡大し続けました。
⑤同じ頃にインディアナ州ビーゴ郡には病原体大量培養施設が、ミシシッピ州ホーン・アイランドとユタ州グラニット・ピークに巨大野外実験場が建設されていましたが、プロジェクトの中心はフォート・デトリックでした。
⑥生物兵器開発研究施設フォート・デトリック(USAMRIID)は、同じくメリーランド州にある化学兵器開発研究施設エッジウッド・アーセナル※と並んで未来戦争戦略構想(US Army Futures Command)の双璧とされ、その活動は”マンハッタン計画と同レベルの戦時下の安全保障上の最高機密”とされていました。
⑦※エッジウッド・アーセナルは化学兵器開発研究施設である。フォート・デトリックから北西わずか6キロ遡った場所に位置する。、フォート・デトリックと並び、後のプロジェクト112では中心的役割を果たした。1948年から1975年にかけて、約7000名の米軍兵士が人体実験に参加した。
⑧VXガス、サリン、有機燐化合物、カルバミン酸殺虫剤、マスタードガス、スコポラミン、LSD、PCP、大麻、3-キヌクリジニルベンジラート、催涙ガスなどの刺激物、アルコール、カフェイン、そしてそれらの解毒剤が研究された。このフィルムは、1958年にLSDを使用した人体実験した時のもの。
⑨一糸乱れぬ兵士たちがLSDの影響で変化する様子がフィルムに捉えられている。
⑩●”100万リットルの巨大試験球”:
One-Million-Liter Test Sphere”(クラウドチェンバー、ビルディング527、エイトボールなどの名前でも知られている。):
⑪その名の通り、100万リットルの容積を持つ巨大な球体施設。高さ4階建、ステンレス炭素鋼壁厚25mm、総重量131トンの球体構造は、内部での爆弾の爆発に耐えるように設計されていました。1947年着工、1950年完成・稼働開始。
⑫Q熱、野兎熱などの空気感染試験、生物兵器爆弾の爆発実験が行われました。稼働開始の1年間だけで2000頭のアカゲザルが実験に用いられたと言います。
⑬●”ビルディング470”:
7階建て煉瓦造り。1953年、完成。アンソラックス・タワーの名前で知られていました。7階建てですが、実際は各階にキャットウォークをつけた吹き抜け構造で、内部には容積2,500ガロンの複数の巨大な微生物増殖装置が備え付けてありました。
⑭建物は密閉構造で、一階にある巨大なベンチレーターによって常に負圧の状態に保たれるように設計してありました。しかし、一般のオフィスビルのように見せかけるために、偽の窓や窓枠がつけてありました(窓枠をレンガ壁に取り付けただけのダミーで内部には通じていない)。
⑮ビルディング470は炭疽菌、野兎熱菌、ブルセラ菌培養の完璧な実験装置として機能し、本格的な兵器用の大量培養はアーカンザス州とインディアナ州の施設で行われていました。

1969年までに、実戦用大量破壊生物兵器として実際に開発され、大量培養されていた微生物は次の7つです。
⑯❶anthrax(炭疽菌):炭疽症の病原体となる細菌。土壌が一度汚染されると汚染は半永久的に持続する。ワクチンの効力は十分とは言えない。そのことから生物兵器としての使用はむしろ難しい。
⑰にもかかわらず、空中散布法、炭疽菌ミサイル、炭疽菌爆弾(E61 anthrax bomblet)、ヒト及び家畜を標的にした作戦が開発された。ちなみに炭疽菌空中散布法は731部隊石井四郎の発案である(夜桜作戦)。
⑱❷tularemia(野兎熱):野兎病菌を原因とする人畜共通感染症。極めて感染力が強く、また重篤化しやすい。炭疽菌、ペスト菌、ボツリヌス菌、エボラウイルス、天然痘ウイルスなどとともに最も危険とされるBSL-4に分類されている。
⑲❸brucellosis(ブルセラ菌):波状熱やマルタ熱の原因菌。潜伏期間は通常1~3週間であるが、数カ月に及ぶ場合もある。主な症状は不明熱で、その他に倦怠感、疼痛、悪寒、発汗などインフルエンザ様だが、腰背部痛など筋骨格系の症状が出ることが多く、脾腫や肝腫を呈する事もある。
⑳発熱は、主に午後から夕方にかけて、時に40度以上となるが、発汗とともに朝には解熱するという間欠熱が数週間続いた後、一時の軽快を経て、再度、間欠熱を繰り返す、いわゆる波状熱として知られている。
㉑❹Q-fever(Q熱):コクシエラ属の細菌による感染症。潜伏期は2~3週間で、突然の高熱、悪寒、頭痛、筋肉痛や関節痛、吐き気、嘔吐、下痢、胸の痛み、胃痛、体重減少、乾いた咳がみられることがある。多くは7~10日で回復。
㉒❺Venezuelan equine encephalitis virus(ベネズエラ馬脳炎):空気感染し、たいへん感染力が強く、わずか10〜100個のウイルスで感染する。ヒトやウマ・ラバ・ロバなどが感染すると重症の脳炎となる。
㉓❻botulism(ボツリヌス菌):ボツリヌス毒素は主に四肢の麻痺を引き起こす。重篤な場合は呼吸筋を麻痺させ死に至る。その他、複視・構音障害・排尿障害・多汗・喉の渇きがみられる。一方、発熱はほとんどなく、意識もはっきりしたままである。
㉔❼Enterotoxin type B(外毒素タイプB):黄色ブドウ球菌の作る強力な毒素で、食中毒の原因毒素。

人間対象の、恐ろしい生物学的兵器研究の悪魔の晩餐会メニューはまだまだ続きます。生物学的兵器としての完成を目指して次の20種類以上の病原体・毒素が研究・開発されていました。
㉕❶ Smallpox(天然痘):天然痘ウイルスを病原体とする感染症。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。
㉖❷Eastern equine encephalitis(アフリカ睡眠病):ツェツェ蠅が媒介する寄生性原虫トリパノソーマによって引き起こされる人獣共通感染症。病状が進行すると睡眠周期が乱れ朦朧とした状態になり、さらには昏睡して死に至る疾患。
㉗❸Latin America hemorrhagic fever(南米出血熱):アレナウイルス科に属するウイルスによって引き起こされる出血性熱性疾患。ウイルスを持つネズミとの接触(糞尿、汚染された食品、食器、塵や埃の吸入などに)よって感染する。また患者との接触によって感染することもある。
㉘発熱、筋肉痛、頭痛、眼窩後痛、血小板減少症、中枢神経障害、嘔吐や下痢などがみられる。致死率は20%を超える。
㉙❹ Hantavirus(ハンタウイルス):重篤な腎症候性出血熱やハンタウイルス肺症候群を起こすハンタウイルス属の総称。
㉚❺Lassa fever(ラッサ熱):ヤワゲネズミの体内に存在し、また患者の咳やくしゃみに含まれるウイルスのよって感染する。発熱、全身の痛み、嘔吐、下痢、粘膜からの出血がおこります。耳が聞こえにくくなったり、手足が震えたり、いろいろな症状が現れ、死亡することもある。
㉛❻Coronavirus(コロナウイルス):省略

❼ Melioidosis(類鼻疽):類鼻疽は類鼻疽菌の 感染によりおこる人獣共通感染症で、感染しても多くは不顕性感染であるが、発症すると死亡率は高く、難治性、再燃性である。
㉜❽Bubonic plague(ペスト):ペスト菌による感染症。症状は、発熱、脱力感、頭痛などがある。感染して1-7日後に発症する。感染者の皮膚が内出血して紫黒色になるので黒死病とも呼ばれる。ノミによって伝播されるほか、野生動物やペットからの直接感染や、ヒト―ヒト間での飛沫感染の場合もある。
㉝感染した場合、治療は抗生物質と指示治療によるが、致死率は非常に高く、早期に治療した場合の死亡率は約10%だが、治療が行われなかった場合には60%から90%に達する。
㉞❾Yellow fever(黄熱病):ネッタイシマカなどの蚊によって媒介される黄熱ウイルスを病原体とする感染症。潜伏期間は3 - 6日で、突然の発熱、頭痛、背部痛、虚脱、悪心・嘔吐、下痢で発症する。発症後3 - 4日で症状が軽快し、そのまま回復することもある。
㉟しかし、重症例では、数時間から2日後に再燃し、出血熱を引き起こす。発熱(高熱)、腎障害、鼻や歯根からの出血、吐血、血便を伴う下痢、子宮出血、黄疸などがみられる。黄熱病の死亡率は、30 - 50%。
㊱➓ Psittacosis(オウム熱):オウム病クラミジアによる人獣共通感染症。インフルエンザ様の症状を呈する異型肺炎、あるいは肺臓炎の型と、肺炎症状が顕著 ではない敗血症様症状を呈する型とがある。高熱で突然発症する例が多く、頭痛、全身倦怠感、筋肉痛、関節痛などがみられる。
㊲比較的徐脈、肝障害を示すこと が多い。呼吸器症状としては、乾性あるいは湿性咳嗽がみられ、血痰、チアノーゼを認める重症例もある。
㊳病態は上気道炎や気管支炎程度の軽症例から肺炎まで 様々であるが、特に初期治療が不適切でARDS や重症肺炎に至った場合、さらに髄膜炎、多臓器障害、ショック症状を呈し致死的な経過をとることもある。
㊴⓫ Typhus(発疹チフス):シラミによって媒介される発疹チフスリッチケアと呼ばれる細菌による感染症。6〜15日の潜伏期間を経て発疹チフスを発症します。初発症状は39度を越す突然の発熱。このとき頭痛、悪寒や、筋肉痛、吐き気、手足の痛みなどを伴う。
㊵発疹チフスによる発熱は2週間もすると治癒に向かう。発疹は発熱から数日後に体幹(胴体部分)から全身に広がる。熱がある期間に症状が重症化することもあり、意識がもうろうとして、うわごとを言ったり幻覚を見たりすることもある。なかには命に関わるケースもある。
㊶⓬Dengue fever(デング熱):蚊をベクターとしたデングウイルスに感染することで発熱、眼痛、筋肉痛、発疹などを呈する。重症化してデング出血熱やデングショック症候群を発症することがあり、早期に適切な治療が行われなければ死に至ることがある。
㊷⓭Rift Valley fever(リフトヴァリー熱):リフトヴァリー熱ウイルスによる人獣共通感染症。重症化すると、網膜炎、髄膜脳炎、出血熱を呈する。網膜炎に至った患者の50%は失明し、髄膜脳炎の場合は重い神経学的後遺症、出血熱では致死率が50%に達する。
㊸⓮Chikungunya(チクングニア熱):ネッタイシマカやヒトスジシマカなどのヤブカによって媒介されるチクングニアウイルスの感染症。発熱と関節痛は必発であり、発疹は8割程度に認められる。
㊹関節痛は四肢(遠位)に強く対称性で、 その頻度は手首、足首、指趾>膝>肘>肩の順であり、関節の炎症や腫脹を伴う場合もある。関節痛は急性症状が軽快した後も、数週間から数ヶ月にわたって続 く場合がある。その他の症状としては、全身倦怠・頭痛・筋肉痛・リンパ節腫脹である。
㊺また出血傾向(鼻出血や歯肉出血)、 結膜炎や悪心・嘔吐をきたすこともある。また、重症例では神経症状(脳症)や劇症肝炎が報告されている。
㊻⓯Late blight of potato(遅期ジャガイモ疫病):カビ類によって引き起こされるジャガイモの病気。葉枯れ、茎枯れ、根腐れ、芋の生き腐れを起こす。ヨーロッパで流行してしばしば飢饉の原因となった。
㊼⓰ Rinderpest(牛疫):牛疫ウイルスを原因とする偶蹄類の感染症。家畜伝染予防法における法定伝染病であり、対象動物はウシ、スイギュウ、ヒツジ、ヤギ、ブタ、シカ、イノシシ。牛疫の患畜および擬似患畜は、牛肺疫・口蹄疫・アフリカ豚熱の擬似患畜と共に殺処分の義務がある。
㊽2010年までに牛疫を世界から撲滅する計画がFAOによって策定され、活動が続いており、2011年に撲滅宣言が発表された。感染症で撲滅宣言がなされたのは1980年の天然痘についで2例目であり、ヒト以外の動物では初めて。
㊾⓱Virulent Newcastle disease(ニューキャッスル病):ニューカッスル病ウイルスによる鳥類の感染症。感染鶏から鼻水、涙、排泄物に多量のウイルスが排泄されて、鶏群内で伝播する。ウイルス保有鶏の導入、感染野鳥の侵入、汚染物あるいは人による持込によって他の鶏群に伝播する。
㊿緑色下痢便、奇声や開口呼吸などの呼吸器症状、脚麻痺や頚部捻転などの神経症状を示す。内臓強毒型では、肉眼的には消化管のリンパ組織(腺胃、小腸パイエル氏板、盲腸扁桃など)の出血・壊死が特徴的である。また、脾臓の白斑、結膜炎がみられる。
51. 組織学的には、脾臓の多発性巣状壊死、肝臓類洞の血栓形成、ファブリキウス嚢、胸腺、腸管リンパ組織などにおけるリンパ球壊死・消失、マクロファージ増殖、偽好酸球浸潤、出血がみられる。骨髄の壊死もみられる。
52. 結膜では、結膜上皮細胞増殖、結膜上皮下組織の血管壊死、血栓、出血、水腫がみられる。強毒神経型では、脳脊髄における非化膿性脳炎、膵臓の壊死がみられる。
53. ⓲Avian influenza(鳥インフルエンザ):A型インフルエンザウイルスが鳥類に感染して起きる鳥類の感染症。水禽類の腸管で増殖し、水中の糞を媒介に感染するが、宿主の水禽類では発症しない。家禽類の鶏・ウズラ・七面鳥等に感染すると非常に高い病原性をもたらす。
54. 世界中の養鶏産業にとって脅威となっている。
55. ⓳エボラ出血熱:エボラウイルスによる感染症。2~21日ほどの潜伏期間を経て、発熱や筋肉痛、頭痛、喉の痛みなど一般的な“風邪”のような症状に始まり、嘔吐や下痢などの消化器症状や発疹を伴う。血小板が減少し、出血しやすい状態になる。致死率が90%にも上るとの報告もある。
56. 多くの場合、後遺症として関節痛、視力障害、聴力障害などが遺る。
57. ⓴Ricin(トウゴマ(ヒマ)毒)、Abrin(トウアズキ毒):リシンはトウゴマ(ヒマ)の種子から抽出される猛毒。最低致死量は体重1kgあたり0.03mg。毒作用は服用の10時間後程度(たんぱく質合成が停止、それが影響していくことによる仕組みのため)。
58. リシン分子はAサブユニットとBサブユニットからなり、Bサブユニットが細胞表面のレセプターに結合してAサブユニットを細胞内に送り込む。
59. Aサブユニットは細胞内のタンパク質合成装置リボゾームの中で重要な機能を果たす28S rRNAの中枢配列を切断する酵素として機能し、タンパク質合成を停止させることで個体の生命維持を困難にする。この作用は腸管出血性大腸菌や赤痢菌の作るベロ毒素と同じである。
60. 戦時中はエアロゾル化したリシンが、化学兵器として使用された事もある。また、たんぱく質としては特殊な形をしているため、胃液、膵液などによって消化されず、変性しないが、80℃で変性する。トウゴマは世界中で毎年100万トンほど生産されている。
61. アブリンはトウアズキから抽出される猛毒。リシンと似た作用機序を持つが、毒性はリシンの75倍も強い。

ヒトだけでなく農業畜産物を壊滅させ、人工的に飢饉を起こすことを目的に、次のような生物兵器も開発されていました。
62. ❶rye stem rust(ライ麦黒錆病)
❷wheat stem rust(小麦黒錆病)
❸rice blast(イネいもち病)
❹Foot-and-mouth disease(口蹄疫)
❺Rift Valley fever(リフトバレー熱)
❻Rinderpest(牛疫)
❼Blue-tongue disease(青舌病)
❽Bovine viral diarrhea(牛ウイルス性下痢)
❾Goat pneumonitis(ヤギ肺炎)
63. ➓Mycobacterium(マイコバクテリア属)
⓫Vesicular stomatitis(水疱性口内炎ウイルス)
64. 病原体・毒素散布・拡散システムとして開発された爆弾類

❶M33 cluster bomb(M33型クラスター爆弾):最初に大量生産された生物学的兵器ミニッション
❷M114 bomb(M114型爆弾):M33 cluster bomb内部に充填されるパイプ型サブミニッション
65. ❸E77 balloon bomb(E77型風船爆弾):日本の風船爆弾にヒントを得て作られた農産物壊滅用生物学的兵器。
❹E86 cluster bomb(E86型クラスター爆弾)
❺E120 bomblet(E120型細粒爆弾)
❻M143 bomblet
❼Flettner rotor bomblet
66. ●朝鮮戦争での使用

1950年6月25日から1953年7月27日の間にこの東アジアの小さな半島に投下された爆弾の量は、第二次世界大戦で投下された爆弾の全量を遥かに凌ぐものでした。しかし、そこで使われたものは通常の爆弾だけではありませんでした。
67. 中国人民志願軍本部がその最初の報告を受けたのが1952年1月28日のことでした。仁川で天然痘が流行しているという報告でした。さらに2月から3月にかけて、チョーオン郡、平壌、金化郡、そして満州でも流行しているという報告が入りました。
68. 13人の朝鮮人兵士、16人の中国人兵士がコレラおよびペストに感染していることが判明し、さらに最近死亡した44名の兵士が髄膜炎菌性髄膜炎に感染していたことがわかりました。
69. 沖縄の在日米軍基地から飛び立ったアメリカ空軍機が病原体に感染したベクター(ノミ、シラミなどの虫)を大量に撒き散らしていたという疑いが浮上し、オーストラリアのジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェットらが多数の目撃証言を元にこの疑いは事実として支持しました。
70. イギリスの著名な生化学者であり中国研究家のジョセフ・ニードハムをはじめとして、フランス、イタリア、スエーデン、ブラジル、ソビエト連邦から優れた科学者、医師で構成された「中国・朝鮮の生物学的戦争についての国際科学調査委員会」は、
71. 多くの目撃証言、診察・治療にあたった医師たちの証言、遺体からのサンプル、爆弾の薬莢、4人のアメリカ人捕虜などの証言をもとに、1952年9月15日の最終報告として「アメリカ合衆国は朝鮮において生物学的兵器を使用していた」と結論づけています。
72. 報告は、アメリカ軍のこの作戦において、旧大日本帝国の731石井部隊が深く関与していたことを示唆しています。石井四郎、北野 政次、内藤良一、その他の日本の生物学的兵器の専門家たちは、1951年に貨物船で朝鮮に渡った際に生物学的戦争を実行するに十分な資材を現場に運んだとされています。
73.報告書は、石井四郎が1952年の早い時期にさらに二度、韓国に渡り、1953年3月にさらにもう一度、韓国に渡ったいう主張はじゅうぶん信頼に値するものだと結論づけています。
74. 報告書は、「石井の訪朝という事実がなければ、朝鮮における生物学的兵器の大規模使用がアメリカと日本の共謀であったのかどうかという疑問が、調査委員会のメンバーの意識に沸き起こることはほとんどなかっただろう」と述べています。
75. ※この報告の詳細は、2018年に初めてPDFフォーマットで閲覧可能になりました。✌️documentcloud.org/documents/4334…
76. ●キューバ〜カストロ政権の弱体化及びレジーム・チェンジを狙った戦略としての生物学的兵器使用

1962年、船積みされた砂糖にCIAが病原菌汚染していたという疑惑。
77. 1963年、キューバ政府補佐役だったカナダ人農学者がキューバの七面鳥をニューキャッスル病に感染させるよう、5,000ドルを受け取っていたという疑惑。
78. この疑惑について、このカナダ人農学者は、「金は受け取ったが、実行はしなかった」と証言していますが、多くのキューバ人、そしてアメリカ人の中にさえあの時の大流行で大量の七面鳥が死んだ原因がアメリカの秘密生物学的兵器使用だったことは定説となっている。
79. 1971年、西半球で大流行したアフリカ豚インフルエンザの発祥地はキューバでした。結果として50万頭の豚を殺処分することになったこの大惨事の責任はアメリカの秘密生物学的兵器使用であるとキューバ政府は主張しています。
80. 事件発生から6年後、ニュースディ紙は匿名の情報源を引用し、「あれはCIAの支援を受けた反カストロ工作員の仕業で、1971年、キューバ経済を不安定化させ、国内で反カストロ運動の波を作り出すために事件発生の6週間前にキューバにアフリカ豚インフルエンザを持ち込んだのだ」とスクープしました。
81. ウイルスは、匿名のアメリカ合衆国情報局工作員によってパナマ・カナル・ゾーン米軍事基地からキューバ人工作員に手渡され、拡散されたと見られています。
82. ニクソン政権が1973年にジュネーブ協定を批准し、攻撃的生物学的兵器使用禁止宣言をした後も、キューバに対してアメリカが生物学的兵器を使用していたとキューバ政府は主張しています。
83. 1981年、キューバで30万人が感染し、158名の死者を出したデング熱は、アメリカ軍がデングウイルスに感染させた大量の蚊をばら撒いたためだったとされています。
84. 蚊、ノミ、シラミなどをベクターとした大規模な実験を1950年代を通じてアメリカが繰り返していたという事実からも、「ありえない話ではない」という人も少なからずいます。
生物学的兵器研究は、フィデロ・カストロ暗殺の手段としても再三にわたって
活用されました。
85. ●臨床人体実験(Operation Whitecoats):
1954年〜1973年にかけてフォート・デトリックで行われていたボランティアを使った生物学的兵器の臨床人体実験。特に”良心の兵役拒否者”などからボランティアを募り、実験のリスクとその後の治療体制についての説明を受けたのち、
86. 本人の同意に基づいて人体実験の被験者になったと言います。良心に基づいて兵役を拒否した「七日目のキリスト降臨教会」のメンバーがよく知られていますが、19年間でのべ2,300名の兵士が被験者になったといいます。
87.
※このドキュメンタリーでは、恐ろしい人体実験が愛国的行為として描かれ、エイト・ボールなども輝かしい科学の最先端として描かれています。
88. 野兎病、Q熱、黄熱病ウイルス、リフトヴァリー熱、A型肝炎ウイルス、ペスト菌、ベネズエラ馬脳炎、その他の病原体が使用され、実験後、被験者は抗生物質投与などの治療を受けました。
89.被験者になることと引き換えに二週間の休暇を与えられた兵士もいました。この申し出に80%の兵士が同意し、実験に参加しました。
※同意書

実験中の死者は報告されていません。しかし、参加者は実験後の献血を禁止されていました。実験後の長期調査に参加した人は全体の50%です。
90. ごく一部の人が漠然とした体と不調を訴え、少なくとも一人が深刻な健康被害に陥ったと報告されています。
91. ●昆虫類を使った大規模野外実験

培養した病原体に多くの人や家畜を感染させるためには、つまり兵器として使用するためにはそれを効果的に運ぶ蚊、ノミなどのベクターの存在が不可欠です。冷戦期(1950年代)には、黄熱病ウイルスに感染させた蚊を月産1億匹ペースで生産する方法が開発され、
92. また生産した大量の蚊を飛行機から市街上空でばら撒き、時間の経過とともにどれくらいの割合で蚊が生き残り、市民の血を吸うことができるか、飛行機の高度や速度、蚊の解放の仕方などと合わせて最も効果的な組み合わせを調べるために実際にオープンスペースで実験が行われていました。
93. もちろん、実験のことは市民には知らされていませんでした。
94. ❶Operation Big Itch(“痒い痒い”大作戦):1954年、感染させていないノミを充填したカプセルが作られ、その効果がさまざまな状況下で試験されました。この時、カプセルから抜け出したノミが飛行機の3人の乗組員を刺すという事件が起きました。
95. ❷Operation Big Buzz(“ブンブン”大作戦):1955年、感染させていない30万匹の蚊をジョージア州のある市街地に低空飛行でばら撒き、どれくらいの蚊が生き残って住民の血を吸うかという実験が行われました。

❸Operation Magic Sword(“魔法の剣”大作戦)
96. ❹Operation Drop Kick(“ドロップキック”大作戦):生物学的兵器で”一人当たり殺すのにいくらかかるかコスト”計算試験。
97. ❺Operation May Day(“メイ・ディ”大作戦)
※これらの作戦の資料は部分的に機密解除され公開されていますが、その資料ですら多くの部分が墨で塗りつぶされて詳細がわからないようにしてあります。
98. ❻沖縄嘉手納基地での実験
実は、沖縄の嘉手納空軍基地にフォート・デトリック支局とも言えるベクター研究所があり、そこでは病原菌ベクター(媒介者)の戦略的効果を研究するために、多くの種類の蚊を含む”医学的に重要な”節足動物を養殖しています。
99. そこでは”沖縄の植生”を調べるとともに”大気と海洋において虫と節足動物の自然な拡散を調べるために飛行性昆虫と節足動物の捕獲採集”が行われているのです。
100. ❼Project 112(プロジェクト112):
対ソビエト戦を想定し、1962年〜1973年の11年間にアメリカ合衆国国防総省が行った生物・化学兵器秘密実験の大規模プロジェクト。プロジェクト立案者であり、指揮監督下のはケネディ政権下で国防長官を務めたロバート・マクナマラである。
101. プロジェクト112の名は、それがマクナマラが署名した150のプロジェクトのうち112番目のプロジェクトであったことに由来する。カナダ、イギリス、オーストラリアがこのプロジェクトに共同参画している。
102. プロジェクト112の研究テーマは病原体や化学物質をばら撒いて、いかにして敵の機能を一時的に麻痺させるかということであった。
103. 少なくとも50件の実地試験が行われ、そのうち少なくとも18件で擬似病原体(例、Bacillus atrophaeus(萌芽菌・枯草菌):枯草菌、セレウス菌、炭疽菌、破傷風菌、ガス壊疽菌、ボツリヌス菌、クロストリジウム・ディフィシルなどは発芽を生じ、物理的化学的耐性が強い。
104. 枯草菌は通常は病原性を示さないので、減菌の指標として広く利用されている。1950年代にフォート・デトリックで開発された。)が使用され、少なくとも14件でサリン、VXガス、催涙ガス、その他の擬似物質が使われた。
105. 試験場はイギリスのポルトンダウン、カナダのラルストン、また対戦艦生物化学戦争を想定して少なくとも13隻の戦艦で実験が行われたという。プロジェクト112に関する情報の多くが未公開のままである。
106. プロジェクト112にはバラエティに富んだ数多くの研究テーマがあった。例えば、
「戦艦が生物学的兵器エアゾールで攻撃された場合の防御法の開発」、「広い海洋上における生物学的兵器使用効果と天候との関係」、「ジャングルにおける生物学的兵器の拡散浸透度の研究」、
107. 「生物学的兵器エアゾール雲による極地温度逆転の研究」、「沖合で黄熱病ウイルスに感染させた蚊を拡散することの生物学的兵器としての可能性とその効果の研究」、「生物学的兵器で島の上に建てられた建築物を攻撃した場合の可能性の研究」、
108. 「さまざまな条件下における生物学的兵器(病原体)の生存率の研究」などです。

プロジェクト112では実際に次のような病原体とその擬似物質が使用されました。
❶野兎病菌
❷セラチア・マルセッセンス菌
❸大腸菌
❹バチルス菌
❺ブドウ球菌生成毒タイプB
❻茎枯れ病菌
109. 1965年5月、フォート・デトリックの秘密工作員によって、ワシントンD.C.エリアの一角に炭疽菌擬似細菌バチルス菌を散布してその生存率を調べる秘密の実験が行われました。散布した場所は2箇所、一つはグレイハウンド・バス・ターミナル、もう一つがダレス国際空港北ターミナルでした。
110. スーツケースの中に隠し込まれた特殊噴霧器によってバクテリアがばら撒かれました。
またフォート・デトリックは1966年6月7日から10日にかけて、ニューヨークの近鉄でバチルス・サブチリス(Bacillus subtilis)菌を充填した電球を落として割り、拡散させる実験をしました。
111. この実験の結果、市町村自治体レベルでパンデミックを引き起こすことがじゅうぶん可能であることがわかりました。ニューヨーク市警察、輸送交通当局にこの実験のことは全く知らされていませんでした。
112. 戦艦などが生物化学兵器で攻撃された場を想定した研究が、SHAD(Shipboard Hazard And Defense)です。これは攻撃を受けてもこちらの戦力が損なわれることなく戦闘を継続するにはどうしたらいいのかという研究で、
113. USS Granville S. Hall (YAG-40)、USS George Eastman (YAG-39)といった老朽化した戦艦、タグボート、潜水艦、戦闘機などが実験に使用されました。SHADに関する多くの情報が機密解除されておらず公開されていません。
114. この研究の中心であったユタ州のデザレット・テスト・センターが1970年代に閉鎖された時、そこで40年間にわたって研究された記録、ドキュメントの全ては複数の軍事施設に分散して保管され、調査しようとする者たちのチャレンジを阻んでいます。
115. 2000年5月にCBSのイブニングニュースで、プロジェクト112(特にSHADに関して)で病原体や化学物質にさらされた被害者のレポートが放送されるまで、アメリカ国民はプロジェクト112の存在すら知りませんでした。
116. 番組は、テレビプロデューサーでジャーナリストのエリック・ロンガバルディの1994年から6年間にわたる調査に基づいて制作されていました。人体実験のモルモットとして何一つ知らされることなく軍人や一般市民が使われていたというニュースは一大センセーショナルに発展し、
117. 議会が本格的な調査を開始します。マイク・トンプソン上院議員は、「彼らは私に言った。彼らは「使用するのはただの擬似物質なので心配するには及びません」と言ったんだ」と語り、
118. アメリカ合衆国退役軍人省は3億ドルをかけてSHADで擬似物質に曝された軍人の健康状態についての調査を開始しましたが、内容はいまだに公開されていません。
119. ●生物化学兵器大規模実験場としての沖縄
120. 1962年11月30日、沖縄在日米軍の中の一部隊である第267ケミカル・カンパニー・オペレーションに新しい任務が与えられ、さっそく翌12月1日から沖縄市知花の軍事貯蔵所で部隊は早速任務を開始しました。
121. 第267ケミカル・カンパニーというのはアメリカ軍の中でも、特にCBRN(
❶Chemical Weapon:化学兵器,
❷Biological Weapon:生物学的兵器,
❸Radioactive Weapon:放射性物質兵器,
❹Nuclear Weapon:核兵器の四部門)に特化された専門部隊であるUnited States Army Chemical Corps
122. (アメリカ軍ケミカル・コープス)の一部隊です。彼らに与えられた新しい任務とは、対北朝鮮戦闘用に大量の生物化学兵器を沖縄に運び、貯蓄しておくことでした。
123. (第267ケミカル・カンパニーの任務を記した書類)
upload.wikimedia.org/wikipedia/comm…
124. コード名YBAと呼ばれる”積荷”が沖縄に着いたのが、1963年5月でした。”積荷”の量の多さとその危険な積荷を取り扱う作業の性質から部隊はすぐに人員不足に陥り、第267ケミカル・カンパニーは軍に部隊の増員を要求しています。
125. 次のコード名YBAとYBBが到着したのが1年後の1964年5月でした。三回目にコード名YBFと呼ばれる積荷が着いたのが1965年5月、全てのYBBを沖縄市知花兵站貯蔵所RED HAT(コード名:赤い帽子)に収納し終えたのは1965年8月でした。
126. 知花の”赤い帽子”に貯蔵された生物化学兵器は、北朝鮮ではなくベトナム戦争で使用されることになりました。枯葉剤を満載したB52が沖縄の基地から飛び立って、それをベトナムの森と川と田と畑と人の上にばら撒いたのです。
127. 史上最悪の環境破壊と現在に至るまでも続いている夥しい数の癌患者、バースデフェクトをもたらしましたが、実は”その効果を確かめるための”実験が沖縄で行われていたのです。
128. 米国会計検査院(Government Accountability Office)2004年5月14日の報告では次のように言っています:govinfo.gov/app/details/GA…
129. 「1962年から1974年までの期間、アメリカ国防総省はプロジェクト112と呼ばれる機密の生物化学兵器実験プログラムを実行していた。その実験で、アメリカ合衆国軍人、国防省の文民や建設請負業者、外国籍者、その他の人々が実験で使用された生物化学兵器に接触していた可能性がある。
130. (続き)それを実証するための当時の資料、一切のデータベースが消去されて入手できない状況ではあるが、何百という機密の実験がプロジェクト112枠外のところで実行されていたものと我々は確信する。
131. くわえて、様々な情報源から得られる情報は、関係する全ての軍人が生物化学兵器の実験に携わっていたことを暗示している。また、何百というこれと同様の生物化学兵器実験がプロジェクト112で実行されていたことを我々は知った。
132. (つづき)調査は、少なくとも31件の生物学的兵器の野外実験がさまざまな軍事インスタレーションにおいて実行されていたことを示している。残念ながら、実験の参加者を特定することは疎か、その正確な人数を把握することすらできない。
133. (つづき)加えて、我々は、1993年と1994年の報告において、何百もの放射性物質兵器、化学兵器、生物学的兵器の実験が実行され、数千・数万もの人々が実験のモルモットになっていたと述べた。
134. (つづき)さらに私たちは、アメリカ軍ケミカル・コープスが、敵を機能不全に陥らせるための兵器を開発するために、機密の”医学的”実験プログラムを実行していたことを明らかにした。このプログラムには、神経ガス、神経ガス解毒剤、精神錯乱性化学物質、刺激性物質などの開発が含まれている。
135. (つづき)軍の資料は、この実験に参加した合計7,120名の陸空軍の軍人を特定した。しかしながら、米国会計検査院はプログラムや人体実験の規模の正確な情報入手は不可能であると結論せざるを得なかった。人体実験に供せられた人々の正確な数を知ることはできないだろう。」
136. 以上、2004年5月14日米国会計検査院報告から

なお遡って1994年の米国会計検査院報告には次のようにあります:
137. 「ユタ州ダグウェイ郡は、ソルトレイクシティから約130キロの距離にあり、軍のオープンエア実験場として使用されていた。数十年にわたり、ダグウェイは、数々の生物化学兵器実験場だったのである。1951年から1969年にかけて数百、あるいは数千というヒト・動物・植物に有害な病気をもたらす
138. (つづき)バクテリアやウイルスを使った実験が実行されていた。そして、その実験場こそがダグウェイ郡であった。このオープンエア実験場で繰り返された実験で、どれくらいの数の周辺住民が有害な病原菌やウイルスに晒されたのかは不明である。」
139. 歴史学者のシェルドン・H. ハリスは、その著『死の工場群:日本の生物学的兵器研究1932-1945と、アメリカの隠蔽工作(Factories of death: Japanese Biological Warfare, 1932-1945, and the American cover up)』の中で次のように書いています:
140. 「その実験プログラムは、少なくとも1963年度の予算を十分に確保され、1962年の秋に開始された。アメリカ軍ケミカル・コープスにとって、極めて野心的な心躍る試みだったに違いない。実験は、その範囲を海上実験だけでなく、極地環境及び熱帯熱帯環境を視野に入れて設計されていた。
141. 実験は、おそらく、それぞれの実験の指揮将校がその時試みようとしていた調査対象に沿って実行されたが、”衛星用地”についてはあげなかった。これらの衛星用地のいくつかはアメリカ合衆国本土にあり、その他は諸外国にあった。
142. しかし、いずれにしてもその目的が、生物学的兵器における人体・動物・植物の反応を確かめるということにおいて共通していたのである。これらの実験は、エジプトのカイロ、リベリア、韓国、そして日本の”衛星用地”である沖縄で1961年もしくはそれよりも早い時期から実行されていた。
143. 沖縄での農作物壊滅実験は実はプロジェクト112発足より少なくとも1年前から実行されており、それは数々の輝かしい発見上の成果をあげていた。この時の成果が、より大規模で本格的なプロジェクト112へと引き継がれていったのである。
144. 農作物壊滅実験とは、沖縄やアメリカ合衆国中西部・南部の研究所に生物学的兵器専門家たちが1961年に実行した小麦黒銹病菌と稲いもち病菌を使った野外散布実験を意味している。そこでデータ収集においてかなりの成果が得られたことが、続く1962年度の著しい予算増加に貢献することとなった。
145. そしてそれは同地域におけるより大規模な実験の実行を意味していた。膨大な予算が、ベトナムにおける”枯葉剤森林破壊”と”農作物壊滅”ための”technical advice(技術的アドバイス)”料として投入された。
146. 1962年度末までに、ケミカル・コープスが”枯葉剤用化学物質”についてアメリカ合衆国政府と交わした契約は1,000件以上に登る。沖縄の実験プロジェクトは、確かに彼らにとって”甘い甘い果実”だったのである。」
147. ※黒銹病菌や稲いもち病菌はテヌアゾン酸という黴毒(マイコトキシン)を生成する。ヒトや家畜などに対して 急性もしくは慢性の生理的あるいは病理的障害を与える物質である。産生菌が死滅しても産生されたマイコトキシンは残り、熱分解されにくく、環境の変化などでは分解されず除去は困難である。
148. 沖縄市知花の“赤い帽子”が生物化学兵器の大規模貯蔵基地としての役割を一応終えたのが1969年です。第267部隊の23名のメンバーと一般市民一人が神経ガスを浴びて負傷していたことが明らかになり、世論の反対が厳しくなったためです。
149. 大量の生物化学兵器は、1971年にハワイから西南西1,514kmの太平洋上に浮かぶジョンストン環礁に移されることになりました。
150. もちろん、この移送作業そのものが大変危険なことは言うまでもありませんが、もっと深刻なことは、この太平洋の小さな貯蔵基地から仮に毎日大量の漏出があったとしても何か深刻な事件が起きるまで気付く人は誰もいないということです。
151. いえ、たとえ事件が起こっていても誰も気づく人はいないというべきでしょうか。大量の魚や海鳥が死んだり、大量のイルカが発狂したり、魚を食べた人が知らないうちに病気になったとしてもそれとジョンストン貯蔵基地との関係を連想する人はおそらく誰もいない。
152. 「専門家たちは環境汚染を疑いつつ首を傾げている」と一般的な環境問題に問題を移し替えて誤魔化し、メディアがそれをしばらく報じた後、人々はすっかり忘れてしまうのです。
153. 『エージェント・オレンジと沖縄枯葉剤実験』by ジョン・ミッチェル:jonmitchellinjapan.com/agent-orange-o…
154. 「今日(こんにち)、250名以上のアメリカ退役軍人が1960年代と1970年代の沖縄でエージェント・オレンジが備蓄されていたと主張している。
彼らの中の多くが、沖縄の基地ではフェンス周り、道路、アンテナファーム、滑走路の除草用に日常的に使われていたと主張している。
155. (つづき)また、余分な枯葉剤や傷んだドラム缶を埋めたと主張する者もいる。アメリカに移送して処分するよりもずっと安上がりだからだ。
156. (つづき)彼ら退役軍人たちの多くが、ベトナム戦争で地面に降り立った軍人や直接に枯葉剤を浴びたベトナム人が罹った同じ疾病に苦しんでいる。彼らの子供たちの中にも同じ疾病の見られるものがいる。
彼ら退役軍人たちは実際に沖縄で撮影した枯葉剤の入ったドラム缶のカラー写真を持っている。
157. (つづき)当時、アメリカ軍基地で働いていた日本人の証言も、その事実をさらに裏付け流者になっている。
加えて、ペンタゴンの公式記録が沖縄の軍事用枯葉剤存在を証明している。
158. (つづき)ベトナム戦争期、沖縄の枯葉剤備蓄を証明する数多くの書類の中でも、特に1971年のあるものは、1970年代初めの沖縄嘉手納空軍基地に25,000本ものドラム缶に詰められたエージェント・オレンジがあったと記している。
159. (つづき)2013年と2014年には、かつて嘉手納空軍基地の敷地として使用されていた場所から80本以上のエージェント・オレンジのドラム缶が発掘された。調査の結果、それらの枯葉剤が枯葉剤2、4、5-TそしてTCDDダイオキシンであることがわかった。
160. (つづき)日本と世界の科学者たちが、これはアメリカ軍が沖縄にこれらのダイオキシン枯葉剤を備蓄していた証拠であると結論づけている。
161. (つづき)現在、沖縄で軍事用ダイオキシン枯葉剤にさらされたことが原因で病気になった退役軍人への補償が進行している。
162. (つづき)そこには1960年代初めにダイオキシンを浴びた一人の海兵隊トラックの元運転手、汚染し老朽化した防護服から枯葉剤を浴びた一人の軍人、1960年代末に那覇から嘉手納空軍基地の間を運転しているうちにエージェント・オレンジを浴びて病気になった軍人などが含まれている。
163. (つづき)この運転手に関しては、補償が決定するまでに10年もかかってしまった。」

本文、終わり。
164. 不法廃棄された危険な化学物質は、エージェント・オレンジだけではありません。例えば、ドラム缶に入れて埋められたPCB油が際限もなく米軍基地敷地跡から見つかっています。これらの写真は8本のドラム缶が発掘され、付近の土壌は基準値の1700倍も汚染されていることがわかったときのものです。
165. 残りどこにどれくらいの化学物質が不法に埋められているのか全くわかりません。記録すらないからです。また、発癌性があることがわかりアメリカ本国で禁止されているグリホソートを含む除草剤ラウンドアップが日本では規模の大きな農地から小さな個人宅の庭の除草にまだ幅広く使われています。
166. シェルドン・H. ハリスやハル・ゴールドは戦前戦中に日本が行なっていた生物学的兵器研究と戦後のアメリカの生物学的兵器研究の秘密の関係を調査しました。
167. その結果、ハリスは、アメリカの情報機関が戦後、❶研究内容を極秘情報にすることと、❷石井四郎をはじめとする731部隊幹部らを戦犯として裁かないことの二つを条件に731部隊からその研究結果を受け取っていたと書いています。
168. 日米間のこの秘密取引は、その後、戦前戦中、大日本帝国が満州において行っていた人体実験の事実を日本政府閣僚が公然と否定し得ることを許す欺瞞の地盤を提供することになりました。
169. ペーパークリップ作戦では、ナチス・の核兵器開発、生物化学兵器開発に携わった1600人ものドイツ、オーストラリアの科学者・医師・技術者を雇用しています。ウォルター・シュライバーWalter Schreiber、エーリッヒ・トラウブErich Traub、カート・ブルームKurt Blome
などが含まれていました。
170. ●事件・事故・不祥事
フォート・デトリックでは過去に少なくとも4名の研究者が感染事故によって死亡しています。
171. 2001年に発生したアメリカ炭疽菌事件の犯行に使用された炭疽菌株の出どころはフォート・デトリックでした。犯行は当時炭疽菌ワクチン開発チームのリーダーだったブルース・イビンズによるものとされ、訴追される前に自殺して事件は終結しています。
172. 事件の捜査の過程で重要参考人として名指しされたスティーブン・ハットフルの履歴書が多くの虚偽が含まれていることが発覚し、高レベルのセキュリティ・クリアランスを持つはずのフォート・デトリックの採用選考・人事管理の実態が実は杜撰極まるものであることが明らかになりました。
173. フォート・デトリックでは、化学兵器の材料となる多数の有害な化学物質も扱っていました。
フォート・デトリック・エリアBと呼ばれる399エーカーの土地が1970年まで危険な化学物質、病原体、放射性物質の排気場所として使われていました。穴を掘って大量の廃棄物を埋めていたのです。
174. またエリアB-Gridと呼ばれる土地とエリアB-20 Southと呼ばれる土地が野外焼却処分場として使用されていました。これらの他にも場所のわからない30以上の廃棄場所があったとされています。
175. 1992年、フォート・デトリックとその周辺エリアの地下水がトリクロロエチレンやテトロクロロエチレンで汚染されていることが判明しました。1968年、エリアBに廃棄したトリクロロエチレン55ガロンドラム缶8本が汚染源の一つであると考えられています。
176. また未処理のエージェント・オレンジを埋めたり、空中散布さえしていました。

『フォート・デトリックでのエージェント・オレンジ空中散布』 by リチャード・リーヴ:wjla.com/news/local/fam…
177. 「何十年も前にフォート・デトリックがエージェント・オレンジを空中散布していたと、近所に住むほぼ全員が癌に侵されたある家族は訴える。多くの家族の命を奪ったのはその散布が原因だと家族は信じている。
178. (つづき)もう50年もたった今でも、スティーブ・コーエルはその時のことを鮮明に記憶している。彼が10歳の時だった。フォート・デトリックの近くで自転車に乗っていたら、ヘリコプターが頭の上を飛んでいた。
179. (つづき)「それが、ちょうど彼の頭の真上に差し掛かった時、なんだか得体の知れないチリのようなものが降りかかってきました。私の着ていたシャツ、ズボン、気がつくと私はすっかりそのチリに塗れていました」と彼は言った。
180. (つづき)「そういうことが少なくとも5回はありました。今から思えば、あれはエージェント・オレンジだったのだと思います」と彼は言った。
181. (つづき)「私は非ホジキンリンパ腫と診断されました。医師は、一般的に言ってそれはエージェント・オレンジが原因であることが多いと言いました」と彼は言った。現在61歳になるコーエルは、もう10ヶ月間も血液の癌と闘っている。「この癌が私を殺すかもしれません」とコーエルはいった。
182. (つづき)「フォート・デトリックから出てくるものが人を殺しているのです」とスティーブの母親グレース・コーエルは言った。
183. (つづき)87歳のその母親は彼女の7人の子どものうち6人を癌で失っている。彼女は、フォート・デトリックのエージェント・オレンジ散布と有害化学物質埋立処理が、彼女の家族を二世代にわたって殺し続けていると信じている。
184. (つづき)「ここでは毒の小川があちこちに流れています。私たちはモルモットなのです。彼らは何が私たちの体を蝕んでいるのか、ちゃんと知っていて、それをやっているのです。私たちは毒と一緒に生活しているのです」と彼女は言った。
185. (つづき)「同じようなことはコーエルさん一家以外のたくさんの人々にも起きています。ここには、はっきりと統計学的に優位な癌患者集団のクラスターが存在しているのです」と、やはりフレデリック市在住のキャサリーン・ローズは言った。
186. (つづき)フレデリック市の癌患者で組織された非営利団体クリステン・レニー基金が開催したフォーラムを中心に、彼等はフォート・デトリックに対し集団訴訟を計画している。現在、少なくとも66名がこの集団訴訟に参加している。
187. (つづき)「ここの住人のほとんどが深刻な疾患に苦しんでいるのです。私たちが決して望まないことです」ジュリー・ニコラスは言った。彼の妻も癌の犠牲者である。
軍は、フォート・デトリックで約30ポンドのエージェント・オレンジを使った実験をやったことを認めている。
188. (つづき)しかし、ヘリコプターでそれを散布した”記録はない”と主張している。実験で軍が使用したのは、散布機の付いたトラックで、それはテントで包んであったというのである。
189. (つづき)「誰であれ訴訟を考えている人は、軍の過失を証明しなければなりません。軍が過失を認めない場合、もちろん誰にも訴訟を起こす権利はあります」と軍お雇いの弁護士は強調する。彼は、巨大な軍産コンパウンド相手に弱い市民団体が訴訟で勝つことはないとタカを括っているかのようだ。
190. (つづき)アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)は、埋め立て処理された工業用溶剤、エージェント・オレンジ廃棄物、放射性廃棄物が地下水を汚染した可能性はあると言っている。
191. (つづき)「汚染された地下水からだけではなく、水や土、そこから蒸発する水蒸気を呼吸することで人々は汚染されていくと考えられます」と、住民側弁護士ジェニファー・ジャックマンは言った。
192. (つづき)ナショナル・アカデミー・オブ・サイエンスは、エージェント・オレンジに含まれるダイオキシンと癌罹患の間にある繋がりがあることを確認している。
193. (つづき)一方で、流行病予防学者でジョン・ホプキンス公共保健大学のトム・バークは、フォート・デトリックが住民の癌の原因であると証明することは難しいだろうと言っている。
194. (つづき)「フォート・デトリックが癌患者の増加に関係していると疑うことはできます。しかし、それが絶対の証明になるかというと、それは別の話。答えはノーですね」とバーク医師は言った。
195. (つづき)「私は、彼らに状況を改善する努力をしてもらいたい、少なくとも、彼らが私たちに何をやったのか、その過失を認めてもらいたい、問題を解決してほしい思っているだけです」とコーエルは言った。

本文、終わり。
196. フォート・デトリックを中心にして同心円状に癌の発症エリアが広がっています。そして、住民からの訴訟・反対運動が絶えません(その反面、フォート・デトリックはフェデリック郡で最大の雇用をもたらしています。支配の構造です)。
197. 世界中にある米軍基地に併設して、大小の生物化学兵器貯蔵基地が200以上も存在すると言われています。

第二部:2019年夏、フォート・デトリックで何が起きていたのか
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198. 第三章:フォート・デトリック概史〜アメリカ合衆国陸軍未来戦展望司令部(United States Army Futures Command)の一機関としてのフォート・デトリックの過去と現在から今のコロナウイルス・パンデミックを超えて見えてくるもの

了。😗💨

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