私が指導した子どものほとんどは、いわゆる勉強のできない子だった。ただ、学年最下位クラスの飛び抜けて成績の悪い子を除けば、ほぼ例外なく「難しく考え過ぎ」。素直にシンプルに考えれば答えを導けるのに、答えもなんなら出てるのに、「いや、そんな簡単なはずはない」と難しく考え、間違える。
こういう子に「シンプルに考えろ」と言ってもムリ。今まで散々間違えまくり、何が正解か分からなくなってる。正解だと思ったら間違いだとされた経験ありまくりなので「シンプルに考えろ」はひっかけ問題のワナだとさえ考えるくらい。
何より「教えられ過ぎ」ている。あんな方法もあればこんな方法もある、あんな解き方もあればこんな解き方もある、と盛りだくさんに教えられ、どの方法をとったらよいのか分からなくなっている。断片的で中途半端な知識が、シンプルに解くのを難しくしてる子が大変多かった。
難しく考え過ぎる「呪い」を解除するため、私はその子が難しく考える方へ、考える方へとつきあった。すると子どもは、「先生がつきあってくれるのだから合ってるに違いない」と考え、ウキウキして答えを出す。そして「あらー、間違い、残念」。すると子どもは愕然として、さらに難しく考える。
私はその難し思考に喜んでつきあう。「どうしてそう考えたの?ほう、なるほど、面白いなあ」と笑いながら、間違った答えの導き方につきあう。子どもは今度こそ正解だと思って答えを出す。「うーん、残念。違うかったねえ」。
子どもは悲鳴を上げて「ヒントちょうだい!」と言ってくる。「ここはどうなってるの?」と、その子が過去に難しく考えすぎたことのあるやり方を示すと、「あ!そういえばそうだった!」と喜んで、また独自の難し思考をたどって、答えを出す。もちろん間違い。
何度も難しく考えすぎ、間違いまくり、音を上げて「どうやるの!いい加減教えてよ!」と、言ったら「教科書見てご覧よ」と勧める。すると、もう間違えたくないので丹念に読む。すると、意外にシンプルな解き方でよいことに気がつく。「先生だましたな!」と怒る。けど、一度で覚えてしまう。
たまに、たまたまいきなり正解を出すことがある。そうした時は、その子が戸惑いそうなことを言う。「え?本当にそれでいいの?」するとその子は動揺し、あえて難しく考え出し、次々に間違った答えを導く。その解き方にとことんつきあう。散々つきあった結果。
「もうどうしたらいいかわからん」と白旗上げたときに、やはり「教科書見てみたら?」というと、教科書を読む。すると「先生だましたな!最初の答えで合ってたやんか!」
「ハッハー、だまされたなあ」と私は笑う。こんな風にわざと難しく考えるように導き、徹底してつきあうと。
子どもは私に騙されるまいと、シンプルに考えるクセがつく。私がニタニタ笑う時は大概、難しく考えすぎてかえって正解から遠ざけられる時だと子どもは悟り、答えはシンプルなはずだ、と考えるようになる。私が「ええ~ほんま~?」と嬉しそうな顔をするときは。
もう騙されるまい、と、さっさと教科書を見るようになる。私の出すヒント(と見せて、その子が陥りやすい難し思考への道)なんかにつきあったら、一時間くらい空費することを思い知った子どもは、そんなくらいなら教科書を見てシンプルな解き方を理解した方がマシ、となる。
こうした経緯をたどると、子どもは難しく考え過ぎる「呪い」が解ける。答えの導き方は意外にシンプルだということを痛感する。私が散々道に迷うようにわざと導いたことで、そして答えはいつもシンプルだと思い知らされたことで。
いわゆる勉強のできない子は、中途半端なノウハウとかが邪魔して、知識を着実に積み上げることができなくなっている。まずは中途半端な知識を一掃し、シンプルに考えるクセをつけないと、基礎のしっかりしてない机に荷物を載せるようなもの。ドンガラカッシャーン!と崩れてしまう。
難しく考えるクセをなくすには、「シンプルに考えろ」だけではムリ。ややこしい問題がこの世にはたくさんあることを変に知ってるから、「だまされないぞ」と警戒してる。だから私は逆に、難しく考えたら間違えるということを散々経験してもらう。そのために徹底的につきあう。
この人が嬉々としてつきあうときは難しく考えすぎて間違う時だ、と学習すると、子どもはシンプルに考えるようになる。素直に考えるようになる。教えてどうにかしようとするのではなく、本人に通観してもらう方が、「呪い」は解きやすい。
シンプルに考えるクセがつくと、実は難しいとされる問題も、シンプルな考えの積み重ねでしかないことに気がつく。変な小技を利かせて解こうとしなくなる。そうした姿勢が身につくと、成績の悪かった子も、着実に学習が積み上がるようになる。空回り感がなくなる。
もし指導してる子が「いや、なんでこんな簡単な問題をそんなに難しく考えているのか?」と思われる場合、その子は難しく考えすぎてる可能性がある。その場合は、難しく考えすぎる「呪い」を解くことから始めた方がよいように思う。
まとめました。

難しく考えすぎる「呪い」の解き方|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…

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Apr 28
これは同感。女の子はどうしたわけかコツコツ型が多く、少しずつ、少しずつ、しかし着実に成績上がるけど、爆発力を示さない子が多かった。
男の子はどうしたワケか爆発型が多く、普段はダラダラして全然成績伸びないのに、中三夏休み過ぎて部活終わると爆発的に成績上げるの多かった。
私の感触では、女の子で爆発型は1~2割、男の子でコツコツ型は1~2割。いないことはないけど少ない。なぜそんな性差が生まれるのかわからない。私はボーヴォワール「第二の性」を読んでいたので、先天的ばかりとも思わないのだけど、なぜそうなるのか、とても興味深い現象だとは思う。
後天的な理由の一つに、親の接し方が違う、という可能性がある。このツイートでもあるように、なぜか男の子と女の子で母親の接し方が大きく異なるケースを見かける。異性の子どもと同性の子どもとで、接し方が微妙に違うというのが、文化的に影響与えるのかも。
Read 14 tweets
Apr 27
寄り添う、傾聴、共感とかの言葉が出ると、文句なしに「それはいいことだね」と礼賛したり、あるいは「それは「寄り添う」とは違う」と、定義に拘泥(こだわり)したりする。私はどちらも苦手。言葉の意味は(極論すれば)どうでもいいから、具体的にどうすることなの?を理解したい。
具体的に理解しようとする場合、言葉の定義や言葉の説明をいくら聞いても空中戦みたいで、私にはチンプンカンプン。わかるようでわからない。要するにどういうことなん?と、首を傾げる。いくら言葉で言葉の説明されても、物わかりの悪い私は首を傾げてばかりになる。だから。
具体的事例を集めることにしている。「寄り添う」がうまくいった事例とえらいことになった事例を並べて、何が違うのかを考える。「傾聴」してるようにどちらも見えるのに、うまくいくケースとそうでないケースがあるのはなぜか?共感が劇的な効果を出す時とかえって悪化する時は何が違うのだろう?
Read 7 tweets
Apr 26
人の相談に乗るのに、「寄り添う」って必要なのかな、と思う。寄り添われたら嬉しい。しかし先日まとめたように、溺れた人が救助に来た人を踏み台にして息を継ごうとするので、寄り添った人間が深みに沈められるリスクがある。「寄り添う」よりよい形はないものか。
「寄り添う」は、寄り添われる側からしたらありがたい。甘えられると思うから。だから急速に依存してしまうことがある。溺れる者がワラをもつかむように。しかしそれをされると寄り添った人間もたまらない。全エネルギーを「寄り添う」ことに奪われ、全精力を失いかねない。
ドリカムの「サンキュ」の歌にある情景が程よい距離感のように思う。何かつらいことがあったのだな、と察し、そばにいるけど、あれこれ聞かない。励まそうともしない。ただ一緒に花火をして楽しむ。
やがてつらかった体験を話しても共感するわけではない。「えらかったね」と静かにいたわる。
Read 17 tweets
Apr 20
百円ショップに行くと、前まで百円だったであろうサイズのプラスチック容器が二百円に。三百、五百円も多い。価格がかなり混在。店の様子を見て「ああ、これ、三十年前の雑貨屋、金物屋だな」と感じた。
百円ショップが大阪や京都で目立ち始めたのは、阪神大震災以後だったように思う。数百円はするはずのラジオペンチが百円。やはり数百円はするはずのドライバーが百円。価格破壊の王様だった。
昔のモノの値段は「納得の価格」だった。ペンチは日本全体でこのくらい売れるんだろう、それをいくつかの工場が分担し、職人が手分けして作るんだろう、生活するには1日このくらいのお金が必要、一人の職員が1日に作れるペンチの数はこのくらいだろうから、この値段になるんだな、と。
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Apr 20
先日バズったデイサービスのツイートで、私が耳にした「子供だましみたいなことをやらせやがって」という件だけど、それだけ嫌がっている高齢者の方々でも、喜んでチーチーパッパ、を楽しめる方法がある。子どもと一緒にやること。
祖母が入所しているところに、まだ赤ん坊だった息子と一緒に行くと、高齢者のみなさん、笑顔が輝いた。ものすごくうれしそう。女性だけでなく、男性の方まで。わあ、皆さん子供好きなんだなあ(嫌いな方がいらっしゃるのはもちろんだが)、と驚いたことがある。息子の周りにワラワラと、車いすが。
Eテレの番組「Eダンスアカデミー」を見ていた。デイサービスなのか、高齢者の方々が簡単な体操をやっていた。介護士のお姉さんが明るく声をかけるのだけれど、幼稚園児にかける言葉に似ていて、それが不服なのか、多くの高齢者の方が嫌そうに体操していた。中には嫌がってしない人も。
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Apr 19
気力が湧かないとき、次を気を付けている。
①意識的に余裕をこじ開け、休むこと。
②気力はそのうち湧いてくるもんだ、と、待つこと。
③気力のない自分を許すこと。
④気力が湧いても使い切らないこと。
トシをとって、何度も無気力にさいなまされた結果、そうするほかないということに気がついた。
気力を失うときはたいがい、「あれもしなくちゃ、これもやらなきゃ」と気持ちが追いまくられている。実際の業務をこなすだけでも精一杯なのに、心はすでに次の業務を早くやらなきゃいけないのに、と焦る気持ちでいっぱいで、目の前の作業に集中できない。集中できないから効率がひどく悪い。
効率が悪いからいつまでたっても終わらない。次の作業に移っても「また次の業務をやらなきゃ」と、ますます心に焦りが重くのしかかり、ついに心がつぶれる。耐え切れなくなる。ウツと同じ状態になり、気力が湧かなくなる。世の中が灰色に見える。感動が失われる。
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