私は経済学者だとフレデリック・ソディとシルビオ・ゲゼルが好きというマニアックさで、しかも二人のアイデアのままではうまくいかず改変必要と考えているから、余計にマニアック。同意が得られにくいこと甚だしい。
「サピエンス全史」が喝破したように、お金のシステムは人間が生み出した最高の「虚構」。現実には存在しない虚構を、人間は思考の中で共有できるという特殊な能力のおかげで、あたかも存在するかのように保つことができる。虚構である以上、いかようにもねつ造可能。
ただし、ねつ造しようにも、多くの人にコンセンサス(同意)が得られなければ虚構は共有されない。虚構は共有されて初めて多くの人に信頼される。
私が考えてることがマニアック過ぎれば、誰も共有できない。すると、結局虚構を変えることはできない。虚構は、皆が納得してからこそ改変可能。
さて、ソディの何が気に入ってるかというと。「地球は無限?ありえねー」と喝破してる点。
ソディはもともと原子核などの物理学者で、ノーベル化学賞の受賞者でもある。ぞの後経済学者に転身し、みんなから「物理学や化学やっときゃよかったのに」と散々なこと言われた人。けれど。
物理学者なだけに、地球が有限なことを知り尽くしていた。ところが経済学は、無限に成長拡大が可能だという前提を持っていた。これは大きな矛盾。地球は有限であり、人類の活動である経済も当然有限。経済学に有限の思考を持ち込まなければ破綻する、と考え、独自の経済学を打ち立てようとした。
シルビオ・ゲゼルは、「お金が腐らないの、おかしい。だってこの世のものはすべて壊れるか腐るんだぜ?」と喝破した。
ゲゼルはロビンソン・クルーソーの例えで、これを説明している。クルーソーは無人島でなんとか自給自足の生活を送れるようになった。そこに一人の男が流れ着いた。
男はクルーソーに食べ物と服を貸してくれと頼んだ。クルーソーは利息付きで返すなら、と言った。すると男は「食べ物は借りた分、服も借りた分お返しします。それでもあなたは得をするのですから」と答えた。クルーソーは納得しない。同じ量返されたって、得になどなってないじゃないか、と。
男は次のように説明した。食べ物はカビたり腐ったりして、一年後にはかなりが失われる。服もネズミや虫に食われたりして、一年持つまい。私がそれを借り、一年後に借りたのと全く同じ量返せば、あなたは腐ったり損なわれたりするはずだった食べ物や服が、損なわずに手に入るのですよ、と。
そう。この世のものはすべて腐るか壊れるのに、お金は腐らない。少なくとも額面は全く変わらない。一万円は一万円のまま。こんな存在、お金だけ。むしろお金は信用創造などのカラクリで増えたりする。お金をたくさん持つお金持ちはお金が勝手に増えてく。お金のない人は日々の生活だけで精一杯。
こうして格差は広がっていく。トマ・ピケティ氏は「20世紀の資本」で、興味深い式を導いている。「r>g」。
お金持ちの持つお金の方が、社会全体の経済成長より早く増えてる、という式。社会全体で共有されるべきお金が、お金持ちにどんどん吸い取られる実態を暴いた。
現在のお金は、原則、増えるようにできている。そしてお金持ちは、お金の性質をよく知っており、増えたお金が自分たちのところに集まるように仕向ける。これに対し、労働者はお金を手に入れる方法は労働しかない。しかも生活カツカツ分しかお金をもらえない。だから労働者の手元ではお金が増えない。
お金持ちはお金を牛耳ることで、社会を牛耳る。労働者はお金を牛耳られることで支配される。本来、お金持ちは労働者の提供する労働によって生かされている寄生虫的な立場なのに、まるで支配者然として君臨する。我々のお金のおかげで労働者たちは生きていけるのだよ、と主客逆転した形となる。
まるでカマキリとハリガネムシの関係。ハリガネムシはカマキリに寄生し、カマキリによって養われている。なのにハリガネムシによって操られ、水辺に連れて行かれ、飛び込まされる。宿主操作と言われる現象だ。本来寄生者のお金持ちが労働者をお金の力で支配するのは、ちょうどハリガネムシに似てる。
人類を含めた動物は、植物によって生かされている。いわば動物は、植物に寄生してる存在。もし動物が植物より増えたら、植物はみな食い尽くされ、動物もやがて飢え、死んでしまうだろう。寄生する側は、常に宿主より小さな存在でないとバランスがとれない。
私は生物学者として、経済学の奇妙さを感じる。それでも、経済学の奇妙さも、自然現象の中で類似例をいろいろ発見できる。だとすれば、こうしたケースの方が好ましいなあ、という例を挙げることも可能。
お金持ちという寄生種は、アーバスキュラー菌根菌の立場になるとよいと思う。アーバスキュラー菌根菌は植物の根に寄生し、植物から栄養を取って生きる。これだけだったら、植物には何のメリットもない。しかしアーバスキュラー菌根菌は、大切な役割を果たす。リンを回収し、植物に渡す役割。
リンという物質は植物に必須の養分なのに、土中のアルミニウムなどと強固に結合し、取り出せなくなっている。アーバスキュラー菌根菌はリンを鉱物からひっぺがす特殊能力を持つ。植物は必要なリンをもらえてハッピー。アーバスキュラー菌根菌は栄養を植物からもらえてハッピー。
植物とアーバスキュラー菌根菌の関係は、互いにメリットがあるので「双利共生」と呼ばれる。寄生する側にしかメリットがない片利共生とは異なる。寄生は憎まれるが、双利共生ならありがたい。お金持ちはこの双利共生の道を探るべきだと思う。
お金持ちがそのように行動しやすいように、制度改変した方がよいように思う。双利共生した方がメリット大きいな、と感じるルールにすること。そうすれば、お金持ちは自分の欲望のままに動いても、自然と双利共生の道を歩むようになる。そんなルール改正が望ましい。
ルールというのは面白い。例えばサッカーは、最も器用な器官である手の使用を禁じるルール。「そんな不便なルールに従えるか!俺は手でボールを運ぶぞ!」と言い出すヤツが出てきても不思議じゃないのに、なぜか皆従う。むしろ不器用な足を使って新しい技を開発することに熱心になる。
スーザン・ストレンジはこれを「構造的権力」と呼ぶ。対照的なものに関係性権力があり、これは暴力や威嚇などで人を支配し、動かそうというもの。しかし恐怖で支配できる人数に限りがあり、しかも強制だから自発的行動が失われる。全員指示待ち人間になりかねない。これに対し構造的権力は。
「真面目に働けば給料もらえて平和に楽しく暮らせます。ズルをしたら牢屋に入れて自由奪われます。さあ、あとはあなたの好きにしていいです」と構造だけ用意し、後はメンバーの自主性に任せる。するとほぼ全員が自発的にルールの中で活動する。命令などしないのに。まるで丸い器に水が丸くなるように。
今の経済システムと政治運用は、お金持ちをハリガネムシに仕向ける「構造」がある。お金持ちは自らの生存本能に従っているだけで、ハリガネムシ的生き方を余儀なくされる。そしてその片利共生的な、寄生的な生き方を憎まれる可能性が高まっている。
経済システムや政治運用を変える必要がある。お金持ちがアーバスキュラー菌根菌や腸内細菌のように、宿主にメリットをもたらす双利共生な生き方を、欲望のままに過ごしていても自然と選択しちゃうような、「構造」を用意すべきだと思う。早くしないとお金持ちの撲滅を目指す動きが活性化しかねない。
誰かだけが得をする片利的な生き方ではなく、全体が活性化し、楽しめる構造を。「楽しむ」という要素が、従来の経済学にはあまり見られない。それはソディにしろゲゼルにしろ、アダム・スミスもリカードもマルクス、あまりそうしたニュアンスがない。まずは生きるのに必死な時代の思想だからかも。
でも、誰かだけが楽しく、誰かが悲しみ、苦しむ経済システムはよくないと思う。昨年のオリンピックで、スケボー選手が互いに挑戦をたたえ合い、失敗すると駆け寄り、励ます姿が印象的だった。他の競技では、プレッシャーに押しつぶされた体操選手がいたのと対照的。勝ち組負け組を生む悲しさ。
ええやん、工夫と挑戦をみんなで楽しんだら!勝ち負けにそんなに拘泥せんでええやん。敵?でも「今の素晴らしかった!」「今の惜しかった!」とたたえ合い、刺激しあえる構造。それを世界にもたらせるかどうか。
戦争が進行する中では夢物語。しかし戦後にどうしたらこの夢物語を実現できるか。
何か方法はないか。常に考え中。お金持ちはお金持ちで楽しく、働く人は働く人で楽しく。双利共生な社会構造をどうしたら作り上げられるのか。
私だけではとても無理。一緒に考えてくださる人が増えることを祈りつつ。
まとめました。

皆が楽しめる経済構造とは何か|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…

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May 23
「普通の教師は言わなければならないことを喋る。
良い教師はわかりやすいように解説する。
優れた教師は自らやってみせる。
そして、本当に偉大な教師というのは生徒の心に火をつける。」
ウィリアム・アーサー・ウォードの言葉というこれ、特に最後の段落は面白い。
子どもたちが通った幼稚園の通信簿?を見ると、「どんなことに意欲的に取り組んだか」が書いてあった。上手にできたとかではなく、ともかく意欲を見てるという内容。そして意欲的に取り組んだら先生は驚き、意欲的に取り組むことを楽しいと思えるように導いてくれてるんだな、ということがわかる。
今の小学校は私たちの頃よりずいぶん変わったけど、それでもシステム的に「何を教えたか」に軸足があり、意欲は学ぶことの手段に成り下がりがち。多くの子どもが小学校入学をきっかけに学習意欲を失うのは、意欲に着目するのではなく「何を教えたか」のカリキュラム消化に軸足を置かざるを得ないから。
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May 20
金融を学ぶことは、政策運営する立場でない場合、お金のやり取りから上澄みを掠めとる寄生虫的生き方を学ぶことになりやすい。あるいは逆に生き血を吸われにいくカモになること。私を含めた凡庸な人間は、真面目に働くことがまず基本。金融教育は「甘い話に惑わされるな」ならよいかも。
なお、三角関数は斜面を転がる勢いとか電流の波形とか、ものづくりに直結する内容。額に汗して働く人のための学問。
金融教育は、そうした働く人たちから株主としてお金を掠めとる悪知恵を教える寄生虫的ノウハウを教えることになりがち。
後者ばかりだとろくでもない世の中になる。
政策運営者は、真面目に働く人達が寄生虫のカモにならずに済むよう、社会システムをうまく構築し、寄生虫が支配的にならないように注意する必要がある(寄生虫は必ず発生するものなので完全撲滅は諦める)。金融教育を施すとみんなが寄生虫になりたがる。私は大いに疑問。
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May 20
現代子育ての弱点は「群れ遊び欠乏症」だと思います。子ども同士から受ける影響は大人からのものとは全く違い、喧嘩しながらも深く内省し、楽しいからガマンも覚え。発達障害のある子でも群れ遊びを数年経験すれば、経験から行動を補正する術を身につけられる子が多かったのではと思います。
また、子ども社会そのものも多様な子どもに揉まれることで、いかにいろんな子どもがいるのかを思い知り、かなり変わった子でも「いるいる、そんなヤツ、まあええやん、こうしたらええねん」と包摂し、それなりに子ども社会の中で扱える、子ども社会の錬度が高かったと思います。
しかし少子化が進んで子どもがおらず、一緒に遊ぼうとしても少人数、大人が多すぎて大人の「眼」の中でしか活動できなくなり、子ども社会が事実上消滅しました。それが今の子育てのやりづらさなのでは、と思います。子ども社会にもまれなくてもすんなりコミュニケーションできる定型発達しか適応不能。
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Apr 30
ビジネス記事や教育記事なんかを読むと、「失敗を恐れるな」なんて言い草を見かけるけど、おかしいと思う。この言葉の裏メッセージは「失敗は恐いものだ、だがしかし」というもの。失敗恐がってんじゃん。恐いのに恐れるなって言語矛盾。そんな風に思う。そもそも、失敗って楽しいもんだし。
私は、危険がない限り、失敗はとても大切で、恐がるようなもんじゃないと考えている。むしろ大変興味深く、楽しいものだと考えている。成功はつまんない。だって、予想通りのことが起きただけなんだから、学びがない。失敗とは、想定してないことが起きたということ。これは新しい出会い。ワクワク。
赤ちゃんを観察していると、大変興味深い。たとえば丸や三角、四角のプラスチックを穴に通すオモチャの場合、ついつい大人は早く「正解」にたどり着けるよう教えたくなる。何せ、赤ちゃんは丸を四角の穴に入れようとしたり、三角を丸の穴に遠そうとしたり、失敗ばかりしてるから。けれど。
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Apr 29
「バカなやつは教えようが何しようがバカのままだ」といった、人間の能力は生まれつき決まっているという意見に、私は猛反発してしまう。なぜだろうと考えると、もしその考え方をすべての大人がとったとしたら、若い頃の私は救われないままだったろう、と思うからだ。
若い頃の私は、それはそれはバカだった。まだ不良だったら進む道間違えてるだけで、能力的の有無まで否定する必要はない。むしろ不良やるには頭がよくなきゃダメなくらい。しかし私はクソ真面目だけが取り柄?で、本当に能力がなかった。勉強ダメ、運動ダメ、人付き合いダメ。性格悪い。取り柄なし。
けれど私は人に恵まれ、ポイントポイントでターニングポイントを迎えた。私は変わることができ、かつての私からは想像もつかないほど変わった。その変貌ぶりは結婚披露宴に表れた。新郎側からの挨拶は、ことごとく新郎をこき下ろすもので、新婦側からざわめきが聞こえてくるほど。
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Apr 29
四冊目の「思考の枠を超える」は、不幸なスタートを切った。発刊されたのは新型コロナの恐怖が最高潮に達し、書店も長期休業の真っただ中。多くの書店で平積みになることになっていたのに、書店が開いた時にはその期間が終了したというありさま。何とも運が悪い。
amazon.co.jp/%E6%80%9D%E8%8…
そのためか、4冊のうちまだ重版していないのはこの本だけ。ただ、この本は、私が他の3冊の本を書くことができた「基礎」をまとめたものでもある。もしこの基礎がなかったなら、他の3冊は書けなかったし、もちろんツイッターもこんなにつぶやけなかったろう。
私は若い頃、大変不器用なタチで、何をやってもダメだった。勉強もダメ、スポーツもダメ、人付き合いも苦手、何をやらせても不器用。何をやってもいいところがなかった。親戚の中で一番不器用という評判を得ていた。私自身、それを自覚せざるを得なかった。
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