1)2020年10月4日、NHKはノーベル賞ウィークに合わせて、「科学技術立国支える 大学院の博士課程学生数 ピーク時の半分に」と報道した。しかし大学院生の数は、1990年から30年間の推移を見た方がよく分かる。その前の経緯も含めると、よりよく理解できる。少し解説したい。
www3.nhk.or.jp/news/html/2020… Image
2)大学院という制度は一応、戦前からあった。例えば、世界的数学者で、江戸時代の和算から欧風の近代数学に一人の努力で追いつき追い越した高木貞治も、明治期の帝大大学院に一時期は在籍したと記憶する。もちろん一人では無理で、恩師の藤原利喜太郎や菊池大麓、D.ヒルベルトの影響も大きかった。
3)戦前の大学院は研究者養成の特別の機関だったが、戦後、新制大学が多く作られたのと同時に(駅弁大学とも揶揄されたが私は良いことだと思う)、学術会議と同年1949年に、大学院も制度的に充実。研究者養成を行う国立大学に大学院は増加。私学は比較的少なかったが、大学院を設置可能となった。
4)1960年代は高度経済成長の10年で、高校進学率が急上昇、1955年〜75の20年間に進学率は50%→95%まで増え、日本の基幹産業を支えた。その結果、大学進学希望者も必然的に増加。私の子ども時代は理工系ブーム、大学進学率も少し遅れて急上昇、10%→35%となる。大学は大人数のマスプロ教育で対応。
5)高校、大学、大学院の進学率の上昇の推移は、文部省・文部科学省の学校基本調査、というので、分かる。 Image
6)大学進学率の上昇後、大学院の進学希望者も増加。例えば私の大学院1年目の1977年にはもうOD問題、オーバードクター問題(博士の就職難)が大問題だった。この当時の若手研究者は、このまま推移すればどうなるか詳細をシミュレーション計算し、雑誌「素粒子論研究」に掲載、アピールを繰り返した。
7)当時の若手の主張は、何より研究費が少ない、政府の研究開発費のGDP比は日本は1.8%、これは欧米諸国の2.3%より大幅に少ない、これを充実せよ。ところが運命の皮肉。1970年代はオイルショックで日本の省エネ技術が大発展。1980年代にこれが大成功して輸出攻勢、バブル期に全研究費は大幅に増加。
8)1980年代末には日本の研究開発費はGDP比で3.5%になり、欧米を凌駕。当時のバブル期には自動車輸出、白物家電、半導体、工作機械などが売れ、集中豪雨的輸出、対米貿易黒字も大幅増。米国は大赤字。日米貿易摩擦・戦争となった。米国は日本の半導体に100%関税など、まるで今の米中経済戦争と同じ。
9)ところがさらに皮肉なことに、この1980年代に増えた日本の研究開発費3.5%はなんと、企業分が増えただけだった。そこに目をつけた米国は、日本に「Free Rider論=基礎研究ただ乗り論」を吹っかけた。曰く日本はずるい、米国の基礎研究を応用して金儲けだけしている、許せない。こうして日米交渉に。
10)貿易交渉は1989年開始、日米構造協議、SII = Structural Impediments Initiativeと呼ばれた。Impediments=障害で、日本の商習慣や何より政府の研究開発費は少ない(企業が多いだけ)とイチャモンをつけてきた。この中で、何と日本の工学博士も少ないから増やせと言ってきた。これが今に繋がる。
11)どういうことか。確かに、日本の工学部は修士で民間企業に就職する人が多く、工学博士は少なかった。そこで米国は博士を増やせ、早期に政府の研究開発費を2倍にせよと要求した。そこで日本では、横並びに、大学設置基準を変え(いわゆる大綱化)、いわゆる大学院大学化を強行することになった。
12)日米構造協議SIIが如何に日本社会を破壊したか触れる。1980年代はバブル期で公共投資も多く、当時の土建関係の金丸信と小沢一郎の両氏は大丈夫と思ったのだろう、10年間で何と430兆円もの公共投資を約束。その結果、1990年代の急なバブル崩壊の中で、国債と建設公債が大幅増。これも今に繋がる…
13)大学院大学化に話を戻す。
とにかく米国の外圧で急に、根拠もニーズもない中、大学院を急に増やすことになった日本は何をしたか。「大学設置基準の大綱化」の中、当時の教養部を解体(教養単位の自由度増)、全部を学部とした上で、学部教員を大学院担当に。これで大学院生の増加に対応した。
14)これが日本の大学院大学化の背景だった。例えば最初に大学院大学化した東大理学部の場合、物理学科の定員75名に対して、大学院の物理学専攻の定員は150人だった(と記憶する)。この結果、他の国立大学の院生は東大の院に取られる事態となり、他大学も慌てて大学院大学化。私が居た阪大も同様。
15)これが続くと何が起こるか。大学院定員が全国的に大幅に増え、希望者はそれほどいない。競争率は低下、2倍を切り、定員未満の院も多数…の時期も。私は多くの学部生に院進学を進めたが…。1990年代の末に一巡したが増えない。社会人大学院へ行こうの大宣伝も、当時の日本企業には無理だった。
16)しかし時は科学技術基本法の時期と重なる。第1期科学技術基本計画1996-2000年で「ポスドク1万人計画」なるポスドクの一時支援策を提案、研究者を増やそうとした。それが実は高学歴ワーキングプアにも繋がったかもしれない。日本社会が外圧で変わった後の状況の一つだとすれば悲しい。
17)私自身も7年半ポスドクを経験したので何も言えないが(私より15年後の)2000年頃は、少しずつ景気も回復。総合的に恐らく1991年から大学院に入りやすい時代になったこともあって、大学院進学率は徐々に上昇を続けた。それがこの図。平成2年頃から増加、平成22年まで増加を続けた。図の下の黒線。 Image
18)これでやっと、冒頭のNHKニュース、日本社会の博士取得者が減り始めた、に繋がる。再度、進学率の推移を見ると。確かに、平成23年(2011)から大学院進学率が(も)減り始めている。これはなぜか。Googleの博士の多さなどIT社会で有利な筈なのに。ここから先は、私の仮説と意見表明を行いたい。 Image
19)1980年代の中頃、私はスェーデンのウプサラ大学の実験室で、友人の同国院生と雑談していて驚愕した。彼らは大学院へ行くと給料を国から支給される。それは当然で、同年代で就職すれば給料がもらえる、院へ行けば逆に学費を払うと仮にすれば、誰も院に行かないから、国の政策だと説明を受けた。
20)日本の学費は1973年の大学入学者から、2年で2倍くらいのペースで十数年間、上がり続けた。その前は年間1万2千円、月謝千円の世界だった。なぜ上がり始めたか。進学率上昇で私学が増え、国立大との学費差が問題に。国は「受益者負担」なる論理を持ち出した。教育は本人の利益だからという理屈。
21)しかしそれは間違っていると私は考える。なぜなら、教育の結果、社会全体もメリットを受けるからだ。本人の利益にもなるが、それだけではない、そこがポイントだ。この混同の術を詭弁と呼ぶ。本人と、社会と、その両方のメリットを考えるべきだ。すると一方的に上げるだけではない論理が成立。
22)どこで学費をバランスべきか。少なくとも教育費が高く、大学まで出せないから二人目は無理で少子化という現実は異常だ。1990年代末に始まる自殺者3万人時代、私も大学で、学生が経済的困難の中でも無理している現実を知った。OECD諸国で日本の高等教育の公費支援は最低だ。これは再考すべきだ。
23)日本の高等教育は「総教育支出のうち私費負担で賄われる割合は65%。OECD平均30%の2倍以上。日本は高等教育段階での授業料がOECD加盟国の中で最も高い国の一つ。特に私学在学者の授業料が高い。高等教育機関の教育支出の51%は家計負担(OECD平均21%を大きく上回る)。」
oecd.org/education/skil…
24)IT社会になり、社会の技術化の次、社会の数理化、データ化、AI化、自動化。日本でも2025年には年間100万人、大学生必修で「数理・データサイエンス・AI教育」を実施予定。その中で皆が自己実現と自己決定権の自覚ができる社会にしたい。より良い教育は必須だ。格差社会の門前払いは間違いだ。
25)なぜ日本では、大学院進学率が下がり始めたのか。私の仮説は、大学院で学ぶ(学費を払う)よりも、早く就職したい人が増えたから。つまり日本の限界の進学率があのレベルを意味する。しかし学部ではやっと学問がわかり始めた段階だと思う。私もそうだった。是非とも大学院へ行って欲しいと思う。
26)私の結論を書く。『生涯「学習」社会』は間違いであり、これからの日本は(世界は)『生涯「研究」社会』を目指すべきだ。そう私は言う。人間の本姓は学習だけで終わるわけがない。学習のすぐ先に「研究」がある。その訓練をする場所が大学院だ。誰もが大学院へ行ける社会にしたいと思う。以上。
A)統計データを補足。出典は文科省の学校基本調査。
A1)上:大学院在籍者の「男女別の数の」推移
  下:同在籍者数の「男女比率の」推移。
これは女性の院生は数はまだ少ないが、多分、女性の方がアカデミックキャリアの蓄積志向が高い事を示唆する、と読めると思う。しかし今後はまだ分からない。 Image
A2)上:大学院の在籍者の「数の」推移、国公私の別。
  下:大学院在籍者の「比率の」推移。
国私の比率の一定さに驚くが、多分偶然。理由:私学の大学数・学部数は増え続けた。大学院を置く割合は私学は少ないものの院生数は増加傾向。加えて全体の女性院生の伸び率が大で、私学の数を押し上げた。 Image
ご指摘に従い、見やすいようにグラフの線の色を、上下(二枚)で、揃えましたので、同じ文面で再送します。
A)統計データを補足。出典は文科省の学校基本調査。
A1)上:大学院在籍者の「男女別の数の」推移
  下:同在籍者数の「男女比率の」推移。
これは女性の院生は数はまだ少ないが、多分、女性の方が危機感が強く、アカデミックキャリアの蓄積志向が高い事を示唆すると思う。しかし今後は分からない。 Image
A2)上:大学院の在籍者の「数の」推移、国公私の別。
  下:大学院在籍者の「比率の」推移。
国私の比率の一定さに驚くが、多分偶然。理由:私学の大学数はこの間増え続けた。大学院を置く割合は私学は少ないが、院生数は増加傾向。加えて全体の女性院生の伸び率が大で、私学文系の数を押し上げた。 Image
以上、今回NHKの大学院に関する報道に補足した。また今後の大学院の方向性:「生涯『研究』社会」にも言及した。ただし思わぬ誤解もあるかもしれない。ご指摘頂ければ有り難い。
これも私から見た、大学院の一断面にすぎない。まだ書くべきことはあるが、この辺りでまとめる。ご参考になれば幸いだ。
参考文献(例)
1) 宮原将平、川村亮 編『現代の大学院』、早稲田大学出版部、1980年.
2)文部省『学制百年史』、1972年.
3)青木健一、樋口淳、シリーズ「OD問題と学術体制」第1回、「OD数の最新資料とその分析1」、雑誌『素粒子論研究』62-5、1981-2.
4)文部科学省「学校基本調査」、年次統計.

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2 Oct
日本学術会議の会員指名問題は、一般生活に政治的な党派性がある以上、学術の世界にも党派性があることを、無視できないと、お相いに腹を括ったらいいんじゃないですかね。歴史的に言うと、特に1960年代は学術会議の反対決議が多くて、その後、徐々に今のように骨抜きになった歴史を踏まえて。
2)学術会議は、決議も政府への勧告さえも、政府は無視して構わない(法的根拠がない)。そ当初は勧告に従って大学附置研究所も多数、設置されたが、長年を経て附置研は改組転換。国立研が増加。学術会議は対応できず。反対決議ばかりで役立たずと政府からは無視され、その改組を強要され、今に至る。
3)一般マスメディアも、こんな時だけではなくて、日本学術会議が、今まで、どういう経緯を経てきたのか、どういう決議を出しているのか、例えば東日本大震災の時でも良い、何を社会に向けて発信したのか、一度でも報道したことがあるのだろうか。

もっと報道してはいかがだろうか。
Read 25 tweets
21 Sep
12)
これを見ると、今後どう推移するか、見えてくるのではないだろうか。逆に、日本は、こういう戦略をとっている、という言い方もできる。つまり今後も、こうやって「騙し騙し」時間を稼いでワクチン開発を待つ、という感じであろうか。
13)
この戦略をHammer and Dance戦略と呼ぶ。これは2020年4月上旬に、西村大臣もテレビでポロッと口に出していたので、日本政府は、こう考えていることがわかる。9月中旬には小池都知事もハンマーアンドダンスとテレビで言っていた。公知の戦略である。
medium.com/@tomaspueyo/co…
14)
The Hammer and the Danceとは
1)ハンマーとは:仮に最初期に、感染者数が増えすぎてロックダウン(または緊急事態宣言)をした場合、それをハンマーで叩いて無理やり減らすという意味を込めて、「ハンマー」と呼ぶ。
Read 37 tweets
11 Sep
M8の巨大地震は普通は海底が震源。しかし例外は1891年の濃尾震災。震源は岐阜県根尾村の水鳥(みどり)断層。昔の理科の教科書には6mの断層写真は定番だった。その時、大垣の私の曽祖母は嫁入り直後。大垣は震源に近く、家屋が倒壊。曽祖母は閉じ込められたが、その家は指物師。鋸で何とか救出された。
承前)この話を私は、1997年頃に聞いた。そして驚愕した。何故なら、この時にもし、曽祖母が救出されていなければ、私は存在しなかったからが一つ。もう一つは、こういう話(一種の災害伝承)がいかに伝わりにくいものか、実感したから。1995年の阪神淡路大震災の後だから、話が聞けたのだろうと思う。
話が前後したが、この濃尾震災は1891年(明治24) 10月28日午前6時37分で、朝御飯の準備などで火を使う時刻。火災が多く発生したらしい。私の曾祖母の場合も、火の手が迫ってきていた中で、鋸で救出されたと母は言った。これは、阪神淡路大震災で我々が認識したそのまま。私は言葉も出なかった。
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2 May
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1)科学者と政治家の中間団体を作るべき。諮問委員会の中に専門委員会を作る。放射線防護の例に学ぶと、UNSCEAR(科学)と行政の間にICRPがある。ICRPには4委員会(第3=医学、第4=社会応用)。科学者の提言は、よく聞けば分かる通り、こういう条件でこうなる、に過ぎない。
コロナ時代の政治。
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コロナ時代の政治。補足2
この(添付した)東京都千代田区の昼間人口と夜間人口に関するデータ(引用)の出典は、こちらです。ここで私が何か誤解している可能性もあるので、何か問題があれば、よろしくご指摘お願い致します。
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