今回は、新型コロナの伝播の特徴と(少なくとも初期の)クラスター対策の関係について一般の人々たちにも解るように、可能な限り解りやすく説明することを試みたい。実は大学入試レベルの数学を少しはみ出る程度の内容を含んでいるのだけど、直感的に理解できるように工夫する。
それでは先ずはウォーミングアップに、くじ引きの問題を考えてみたい。このくじ引きは1回1円で当たりくじの確率は100分の1で賞金は200円だ。しかも手持ち資金が続く限り何度でもチャレンジしても構わない。賢明なあなたは「賞金の期待値は2円か、割の良いくじ引きだな」と考えるだろう。
ところが、ここで大きな問題がある。あなたは10円しか持っていないのだ。当たりの確率が100分の1では、当たりを引くまでに資金が尽きてしまう可能性が高い。もし運よく10回以内に当たりを引くことができれば、獲得賞金を元手にくじを引き続けて億万長者にもなれるのに残念だ。
では、もしあなたが100円持っていたならどうだろうか。実はそれでもあなたが破産してしまう確率は45%程度ある。
これは破産確率と呼ばれる大学入試の頻出問題だ。破産確率の問題は、確率漸化式や漸化式の解方の理解を問うことができる。(参考:高校数学の美しい物語)
manabitimes.jp/math/973
直感でも解ると思うが、このくじ引きの破産確率では、手持ち資金が少ないほど破産確率が高く、手持ち資金が多いほど破産確率が低い。例えば、手持ち資金が10円の方が100円よりも破産確率は高い。重要なことは、このことは当たりの期待値が掛金を上回っていても起こるということだ。
さらに、当たりの期待値が同じでも、伸るか反るかのバラツキ(ギャンブル性)が高いほど破産確率も高い。これは直感だけでは必ずしも明らかではないかもしれないが、例えば、確率10分の1で賞金20円よりも、確率100分の1で賞金200円の方が破産確率は高いことは直感的ではないだろうか。
ここでは少し辛抱して、バラツキが高いほど破産確率も高いことの説明をもう少し続けたい。
数学的に記述すると、このくじ引きにおける手持ち資金n円のときの破産確率a_nは、以下のような漸化式を満たす。ここで、pは当たりの確率、kは損益比(今回は掛け金が1円だから賞金そのもの)だ。
この漸化式を簡単に説明すると、資金n円のときにくじを引くと、当たりが出た場合、1円払ってk円を得るから資金がn+k-1円になり、外れると1円払って資金がn-1円になるからであり、破産確率a_n+k-1とa_n-1が解れば、破産確率a_nが計算できるということを示している。
高校数学では隣接3項間漸化式の解き方を教わるが、この漸化式はn+1ではなくn+k-1となっているので高校数学の知識では解くことができない。でも実はこの漸化式は高校数学で習った方法と似たような方法で解くことができる。特性方程式の解を使って、ごにょごにょやる例の方法だ。
少しだけ説明すると、この漸化式の特性方程式はx=p*x^k + (1-p)となるが、この方程式はx=1に自明な解を持つ。そして、0<x<1の区間にもう一つの解をもつ。というか、自明解x=1の近くにもう一つの解をもつ。このもう一つの解をλとしよう。
理屈はさておき、解1,λがあれば一般項はa_n=Aλ^n + Bだろうと考えて、破産条件a_0=1と打ち止め条件a_N=0からA,Bを決定し、N→∞とすれば、a_n=λ^nを得る。解法は以下サイトないし前掲高校数学の美しい物語が参考になる。kogures.com/hitoshi/webtex…
破産確率がa_n=λ^nであることが解ると、当たりの期待値が同じでも、伸るか反るかのバラツキが高いほど破産確率も高いことを示すための方針も立つ。λ^nはλに関する増加関数なのだから、期待値(当たり確率p×損益比(=賞金)k)を一定にしながら、特性方程式の解λの変化を調べればよい。
特性方程式x=p*x^k + (1-p)は、高次多項式だから解の公式のようなものはないけれど、0<x<1の区間に解λがあるのだから、ニュートン法でも使って数値解を計算することは簡単だ。期待値を固定しながら損益比kを動かすと、このような増加関数になる。
結局、破産確率がa_n=λ^nであったので、幾つかの手持ち資金n円の場合を計算すると以下のようになり、当たりの期待値が同じでも、伸るか反るかのバラツキが高いほど破産確率も高いことが解る。
また、損益比kを固定して手持ち資金n円を動かしたグラフは以下のようになり、手持ち資金が少ないほど破産確率が高く、手持ち資金が多いほど破産確率が低いことも解る。
ここまでの議論をまとめておこう。多少は難しい部分もあったかもしれないが、博打の問題としては、どのようなときに破産確率が高くなるかは直感的にも理解できるのではないだろうか。
さて、本題の新型コロナについてだが、上記したくじ引きの破産確率と同様の特徴をもっている。この図は押谷氏の「COVID-19への対策の概念」の資料か抜粋したものだ。新型コロナでも多くの人が誰にも感染させず、一部の人が沢山の人に感染させる。jsph.jp/covid/files/ga…
誰にも感染させない人を外れくじに対応させ、沢山の人に感染させる人を当たりくじに対応させると、くじ引きの問題と同じ確率の問題となる。くじ引きの例で当たりの期待値を2円にしたのは、押谷氏の例では再生産数が2であることに合わせたものだ。当たりの確率は極端な数字にしているけど。
そして、くじ引きの問題と新型コロナの問題は、同じ確率(気取った言葉では「確率過程」)の問題なのだから、同じ性質を持つ。つまり、新型コロナでは、「破産確率」が「絶滅確率」になり、次のような対応する性質を持つ。
そして、くじ引きの破産確率として作成したグラフも、概ねそのまま絶滅確率のグラフとして利用することができる。現実の新型コロナの伝播では、1等賞、2等賞、3等賞みたいなものが連続的な分布をしているだけだ。
そして、実は、少なくとも初期の『クラスター対策』は、このような絶滅確率の性質に基づいて計画されていた。西浦氏もそのことについて何度か述べている。最も解りやすい公開資料はこれだろう。「8割おじさん」のクラスター対策班戦記【前編】chuokoron.jp/science/114407…
たった1段落の文章だけど、新型コロナの伝播が持っている重要な性質が書かれている。というか、ここに書かれていることをターゲットとしてこのスレッドは構成されている。このスレッドを理解できれば、ここで説明されているクラスター対策の要点についても理解できるはずだ。
ちなみに、もう少し数学的なことが書かれている西浦氏の解説としてはこんなものもある。こちらには絶滅確率がn乗で書けることなども書かれている。
m3.com/open/iryoIshin…
どうだろう?ここ1年ぐらい『クラスター対策』なる用語がうんざりするほど連呼されてきたのだけど、このスレッドを読んでから改めて西浦氏の解説などを読んでみると、『クラスター対策』に違った印象を受けるのではないだろうか?
少なくとも当初のクラスター対策は、絶滅確率の高さに期待して、ウイルスが自然に絶滅する方向への介入を試みた。でも、絶滅確率は感染者数に依存して大きく減少してしまうのに、その後も「日本独自の素晴らしい対策」みたいにクラスター対策が語られてきた。国体護持の意味みたいに変遷したのだ。
実のところ、その後に「クラスター対策」の用語を連呼していた連中の多くは、対策の背後にある新型コロナの性質とは無関係に、キャッチ―な言葉のイメージに便乗していただけなのだろう。そんなものは、科学者というより、相手を言い負かせればそれでよしとするコンサルみたいな言動でしかない。
それとゼロコロナなんて無理みたいな主張を耳にするけど、新型コロナのどういう性質に基づいた主張なのだろうか。少なくともクラスター対策は、新型コロナの「消えやすい」という性質に基づいた。手遅れになるほど蔓延してしまったから無理という主張なのだとしたら、不手際の責任は誰なんだという話。
当然だけど、「クラスター対策は賛成」という主張と「ゼロコロナは無理」という主張は両立しない。そんなものは、絶滅確率は高いけど絶滅は無理と言っているようなものだ。
なお、このスレッドで説明したことは、新型コロナの特徴にとどまり、クラスター対策の効果を正当化するものではない。イメージに便乗して「クラスター対策」の言葉を連呼していた連中を正当化できないのは勿論だが、本来的クラスター対策が絶滅確率を高める方向に介入できていたかは別問題だ。
ただし、本来的クラスター対策の背後にあるアイデア自体は一理あると思うし、観測されている現象からは、新型コロナが「消えやすい」性質をもっていることも正しいように思っている。

もっとも、1日に2000人以上感染者が見つかり第4波が迫る現在は絶滅確率に期待することなんて困難だろうけどね。

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20 Dec 20
稲葉寿氏の「感染症数理モデルとCOVID-19」という記事が話題となっています。その中でも「普遍的大量検査をおこなうことは、非常に有効な制御手段であると考えられる」との見解に賛同する人が多いものの、根拠として示されたグラフがよく解らないとの意見もありますので、私の理解の範囲で解説します。
稲葉寿氏の「感染症数理モデルとCOVID-19」の記事は以下のリンクです。
covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/3925
目次
・序
・検査率kとは?
・検査率k >0.23なんて無理?
・下に凸で減少とは?
・社会距離拡大政策rとは?
Read 25 tweets
23 Jul 20
PCRデマが発生した理由(とりあえず陰謀説は否定する)は、単純にPCR検査の仕組みが解っていなかったのだと思います。そもそもPCRの検査は例の2×2の表計算を使うべきではありませんでした。あの2×2の表計算の背後には図のような頻度分布があることが前提だったのです。1/n
確かに、このような分布が得られる検査であれば、疾患群が少ない(事前確率が低い)場合は、カットオフを超える被験者が偽陽性ばかりになるし、坂本史衣のいうように「感度、特異度はトレードオフの関係」になるかもしれません。2/n
buzzfeed.com/jp/naokoiwanag…
でも、PCRの検査は上記分布が得られるような検査ではないですよね。検体を採取して装置にセットしたときにプライマーに反応するDNA/RNAがいくつ残っていますかの問題で、こんな感じの増幅曲線が得られるというものです。つまり、本質的に2×2の表計算の出番が無い。3/n
Read 18 tweets

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