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12 Sep, 4 tweets, 1 min read
人との関わりが多い生活を送っているが、それで煮詰まらないのは、人の言うことをほとんど聞き流しているからだ。相手が怒る気も失くすくらいに、いい加減なのである。それで嫌われないのは、おれが、相手が嫌だと感じる反応をしないからだと思う。
おれを嫌う人は「かまってほしい人」である。
だが、かまってほしい人ですら、おれといると、「ひとりでいる所作」を覚えていく。それがどうしても覚えられない人は、離れていく。
おれはいつもひとりでいるので、おれと関わる人も、いつもひとりでいてもらわなければ困る。
しかし、いつもひとりである者同士の関わりは、深く癒されるものだと、おれは感じている。
決して嫌な反応をしない誰かが、いつも何となく気にかけてくれている。とても良くはないか。
いつもひとりでいるのはさみしくないですか?と聞かれたことがあるが、さみしいですよ。
ただ、そのさみしさが、うれしいんです。
さみしさが苦しい人は、同じような人と一緒になればいいと思うんだ。
さみしさがうれしい人と、おれは付き合っていく。

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12 Sep
管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』(ちくま文庫)

読書とは、
ー過去の痕跡をたどりその秘密をあばき、見いだされた謎により変容を強いられた世界の密林に、新たな未来の道を切り拓いてゆくための行為。P8
そうして、
ー自分はどんどん自分ではなくなっていく。P9
本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。↓
一冊一冊の本が番号をふられて書棚に収まってゆく様子は、銀行の窓口に辛抱強く並ぶ顧客たちを思わせる。そうではなく、整列をくずし、本たちを街路に出し、そこでリズミカルに踊らせ、あるいは暴動を起こし、ついにはそのまま連れ立って深い森や荒野の未踏の地帯へとむかわせなくてはならないのだ。↓
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11 Sep
ヒュー・プレイサー『ぼく自身のノオト』(きたやまおさむ訳 創元社)

何か他のことをやっていたいというのではなく、今日こそぼくは自分のやっていたいと思うことをやろう。
今日、ぼくは、何かのために生きたくはない。ぼくは、ただ生きてみたいのだ。P11
著者がこれを書いたのが1970年で、そのとき彼は32歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。内容は小説でも詩集でもない、個人の日記の抜粋。哲学者でも文学者でもない「みんなと同じ平凡な人間」の内省が、数年の間に百万部を売り尽くした。
ビートやヒッピーなど、アメリカのカウンター・カルチャーから出現した、最も興味深い書物、現象であると言っていいかもしれない。傾聴を説いたカール・ロジャースも、この本には大きな影響を受けたという。
自分の内なる声と現実との葛藤、その葛藤の乗り越え、挫折、苦悩、…。
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11 Sep
専門家と素人の違いは、専門家は素人よりその分野について熟知しているというところにその本質があるのではない。
専門家は「生のデータ」を扱っている、という点が決定的に違う。生のデータは、動的で曖昧模糊としている。
専門家の仕事は、そのカオスにパターンを見出すという実践知に基づいている。
パターンは、目的に応じて、常に限定的で一時的に与えられる仮説的なものに過ぎない。
例えば「風邪」はパターンだ。治療を目的として、「それらしい諸症状」という一次データに与えられる「限定的」「一時的」な「仮説」である。
風邪が「パターン」であることを、専門家である医者はよく知っている。
だが、素人は、そこに「風邪」という実体を見出してしまう。
素人の問題は、ある概念や言葉を、「仮説的」なものではなく「実体」と受け取ってしまうということにある。
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10 Sep
おれは、だいたいいつも同じことばかり言っているのだが、それを一言でまとめると、「人生を、自分自身として生き直す」ということに尽きる。
不倫や離婚や象徴的な親殺しをポジティブに評価したり、フェミニズムやアナーキズムを支持したり、ドロップアウトやホームレスの体験を楽しんだり、二項対立を乗り越える理路を探ったり、からだや自分の声を傾聴する術を考えたり、恋やデートやセックスといったプレイフルな性愛関係を寿いだり、…
考えてみれば、おれがやってることは、「人生を自分自身として生き直す」という実践で、おれの言葉は、自分自身をエンパワーするために発せられているものだ。だから、同じように「自分自身を取り戻そう」としている人にとって、何かしらのヒントになるのかもしれない。
Read 4 tweets
6 Sep
防衛反応しか持たない親から愛をもらうのはとても難しいことです。そうした親を持った子は「宇宙の孤児」になります。
でも、悲しむこともありません。宇宙には生きとし生けるものが満ち満ちていますから、そこから生命力と夢を育んでいくことができます。

花丘ちぐさ
ここで言われていることは、必ずしも親と和解する必要はないということです。
自らを「宇宙の孤児」と認める。それは親を捨てるということです。
その人には、親に歪められてしまった自分を幸せにすることで、負の連鎖を断ち切るという、その大きな仕事が待っているのです。
けっきょくのところ、人は、自分で自分を救うしかありません。自分の中のままならないものを子供に投影して、さんざん子供を痛めつけてきた親自身、自分で自分を救うしかないのです。
子供が親を捨てることは、むしろ親が自分で自分を救うチャンスを与えてあげるということにも繋がっていきます。
Read 35 tweets

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