デカルトが「方法序説」に書いた
①すべての既成概念を疑うか、ないし否定せよ
②確かと思われる事柄から、思想を再構築せよ
という二つの原理に従って思想を再構築すると、無意識のうちに次のような「誤解」が自分の中で育つ気がする。
「思想を根底から再構築したオレ、神にも比すべき存在」
特に①の作業はキツくて。素朴に信じていたもの、愛していたものをいったんは疑い、否定する。いわば皆殺しにするようなもの。そんな血まみれな作業を終えた末に「我思う故に我あり」という無味乾燥な発見をし、そこからまた確かそうなパーツで思想を再構築していく。その作業もまたしばしば無味乾燥。
あんまりつらかったから、「こんなつらい作業をしたオレ、えらいよね?立派だよね?世界で何人もいないよね?なんなら一人だけ?」と思いたくなる。それに、「我思う故に我あり」で折り返す直前に神殺しまでやっている。「我思う故に我あり」の後で神を再生するのだけど、いったん自分の手で殺してる。
その辺の事情から、無意識のうちに「自分は神にも比すべき存在、だってこんなつらくて苦しい作業、やり通したオレって偉いもの」という妙な自信が、つらい作業を行った代償としてほしくなるのかもしれない。
ブドウを食べようとして届かなかったキツネが「どうせあれば酸っぱいブドウに違いない」とバカにして立ち去った話があるけれど、それに心理的な変遷は似ていて、つらい作業を潜り抜けた自分は超人に生まれ変わったのだ、という認識をついつい持ちたくなるのかもしれない。
近代合理主義がデカルトによって確立されて以降、デカルトに直接間接に影響を受け、思想の再構築を行う知識人は多い。そして再構築を行った後は、誰が何を言ってもオレの言っていることの方が正しい、と信じて疑わない傲慢さを抱く人間が増えた。それはやはり、自分を神になぞらえているからかも。
こうしたデカルトの流れは、日本だと、昭和が終了するあたりまでずっと続いてきた。しかし、どうやら「絶対正しい」なんてないし、絶対正しい思想の再構築に成功した人間も存在しない、という認識が広まりつつあったのが、平成ごろの世界の傾向だったように思う。
大きな契機になったのは、ポパーの科学哲学かもしれない。ポパーは、科学的であるためには、その理論の弱点(これが証明されたら理論を撤回します)を示す必要がある(反証可能性を示す必要)、ということを述べた。これ、それまでの科学の印象を大きく変えることになった。
科学はそれまで、「科学的に証明された」という言葉を好んで使っていた。科学的に証明されたことは正しいので、もう疑う必要がない、という考え方をしていた。ところがポパーは、そうした理論は反証可能性という弱点を示していないから、科学的とは言えない、と喝破した。
たとえば、最も正しく疑いようがない、と思われているニュートン力学でも、「もし明日、リンゴが地面に落ちずに空に向かって飛んでいくようになったら、理論を見直します」という反証可能性をきちんと示している。いつでも覆される可能性を示しているからこそ、信用できる、というリクツ。
他方、「宇宙人はいる!」という理論は、「いない」という証明が不可能なので、検証しようがない。反証可能性を示していない。こうした「弱点」を示していない理論は、科学が扱える内容ではない、ということで、対象外にする。否定しているのではない。科学が扱える理論ではない、ということで外す。
科学が扱うのはあくまで、「これを証明されたら理論を引っ込めます」という弱点(反証可能性)を示した理論のみ、とすることで、科学はとてもスッキリした。そして、一見、「リンゴが空に向かって飛ぶことくらいあるだろうさ」と思われるのに、一つも起きない。リンゴでなくミカンでもいいのに。
反証可能性だらけなのに、反証がなかなか出てこない。こうした強靭な理論は信用するに足る、という考え方。弱点をさらけ出しても覆らないという横綱相撲な理論こそ、科学的なのだ、というのが、現在の科学の考え方。
こうした、謙虚さを備えるようになった科学からみると、デカルトの思想の再構築の方法は、とても乱暴。もう再構築を終えてしまっているので、基礎の方にある部品は抜き出せなくなって、もう交換が難しい。反証可能性も示しておらず、更新もできない、硬直的な構築物。
科学は、あらゆる科学理論の根底にあるような基礎理論であろうと、もし反証を示すような事実があれば見直す、という反証可能性をきちんと担保している。デカルトの思想の再構築という提案は、科学の柔軟な姿勢と比べると、ちょっと見劣りする。
私はもう、デカルトの提案したような、いったんすべてを全否定する、というラジカルなやり方はとらなくてよいと思う。信用できそうなものはまあ、とりあえず信用してかまわない。ただし反証可能性を示したうえで。そして反証がもし出てきたら、見直す。入れ替える。それの繰り返し。
デカルト以来、「疑う」は合理主義精神の持ち主なら当然のこと、と考えられている。疑うことを知らない者は安易に信じてしまう愚か者になってしまう、と。しかし私は、「疑う」ことをやたら自慢している人ほど、思い込みが激しいなあ、という気がしている。
「疑う」という行為は基本しんどくて、「オレ、これだけ疑ったんだから、これ、信じていいよね?これ、正しいよね?」という代償を求める心理が生まれやすい。しんどいことしたんだから、自分がたどり着いた結論は正しい、正しいに違いない、正しくなくっちゃ困る、という変な心理になる気がする。
私は、「疑う」必要なんてないと思う。では全部信じろということか?というと、そうではない。「疑う」よりも有効で、ピンポイントでその理論の妥当性を見極められる簡単な方法がある。「前提を問う」こと。
その理論が正しいとされる「前提」がある。その前提を問うと、あれ?ということが結構ある。そもそも前提に偏りがあるんじゃない?
たとえば「鉄はさびやすい」と言われている。けれどこの鉄って、本当に純粋な鉄?そう前提を問うた研究者が、徹底的に純度を上げてみると、鉄はさびなくなった。
「高圧の水素ガスにさらすと金属はもろくなる」と言われている。では、その「高圧」って?その前提を問うた研究者が、超高圧の水素にさらしてみたら、金属はもろくなるどころか丈夫になり、水素が金属に染み込まなくなった。前提が「高圧」から「超高圧」に変わると結果が変わった。
寒いより暖かい方が乾きやすいのは、中学校の理科でも習った飽和水蒸気量でも説明がつく現象。では、部屋干しするのに暖房と冷房、どっちが乾くか?答えは冷房。
中学教科書で習ったのは、湿度の出し入れがない密室が前提。でも冷房のように、結露を部屋に捨てるという「前提」が変わったら?
多くの理論は、成立するための「前提」がある。前提が成り立っている間はその理論は正しいけれど、前提が覆るとその理論はあてはまらなくなる。
だから、「前提を問う」という点だけ気をつければ、「疑う」みたいに、何でもかんでも疑わなきゃいけないしんどさはなくなる。
こういうことは、実験科学をやっている人は肌感覚としてすでに知っているし、身についていると思う。デカルト流の乱暴な思想の作り方は改めて、もうちょっとマイルドで柔軟で更新の容易な思想の作り方にしていってはどうだろう、と思う。

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14 Jan
「まんが医学の歴史」は大変面白いので、みなさん読んでみられることをお勧め。その中で、対照的な人生を送ることになった二人が紹介されている。ゼンメルワイスとリスター。この二人は、消毒が多くの患者の命を救うことをそれぞれ発見したのだけれど、人生が大きく違ってしまった。
ゼンメルワイスは、同じ大学病院にある二つの産婦人科で大きく死亡率が違うことに気がついた。いろいろ調べた結果、死亡率が異様に高い産婦人科では、産褥熱で亡くなった死体を医学解剖し、その手のまま出産をしていたことが原因であることを突き止めた。
そこで、ゴミの悪臭を消す力があることで知られていたさらし粉を溶いた水で手洗いするようにした。すると、産褥熱で死ぬ患者が激減した。消毒法の発見だった。ゼンメルワイスは「産婦を殺していたのは私たち自身だった」とし、この消毒法を広めようとした。
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14 Jan
教科書考。

私は受験勉強に関しては教科書主義。参考書は特定のもの以外は手を出さない、問題集に至っては手を出すな、という指導スタイル。教科書はいろいろ批判されるけど、後から振り返るとこんなに見事にコンパクトに必要十分な内容を網羅してるものがないから。
でも、「後から」って?
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授業を聞いてようやく理解の筋道が見え、でも授業を聞いただけでは筋道をたどるだけで精一杯なので、家に帰ってから今日聞いた内容を反芻し、「あ、なるほど、そういういみだったのか」と、ウシのような反芻動物的な学習をしていた完全に復習型。
でも不思議。
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12 Jan
自分を信じるとか、believe myselfとか、よく歌でも出てくる言葉。

実は私にはよくわからない。私は「信」と名付けられたからか、信じるって何だろう?ということをずっと考えてきたのだけど、自分のことを大して信じてない。サボりだし、卑怯だし、すぐ善人ぶるし、よく忘れるし。
若い頃、「何でいつもオレはこうなんだ!バカたれ!」「あー!また!前に二度とやらないって心に誓っただろうが!」と、自分を罵ってばかりだった。
三十代に入ってしばらくして、「うん、むり」となった。自分は欠点だらけなんだ。欠点のない人間のフリなんかしたってしゃーない。
等身大の自分を素直に認めるようになってようやく、ラクになってきた。欠点がないフリをしなくなったことで、欠点のところに仮想上の長所があるかのようなムリをしなくなった。すると変な失敗がない。変に自分を否定せずに済むようになったことで、逆に自分の強みも素直に認められるように。
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12 Jan
私は超人でないと手の届かない高みに興味がなくて、悟りを得た人間しかたどり着けない境地には興味がなくて、天才しか到達し得ない世界には興味がなくて、英雄にしかなし得ないことには興味がなくて。
ごくありきたりの私たちが、ほんのちょっとのことで改善を図れるような、そんな身近なものが好き。
社会は仙人で回っていない。ごく日常を生きている人たちで支えられている。社会は超人や天才や英雄だけで回されているのではない。むしろ日常のごく普通の人間がいなければ、彼らも果たして超人、天才、英雄と呼ばれたかどうか。私たち凡人がいてこそ。
天才にしかなし得ない、そんな思いつきやアイディアは、凡人である私たちには参考にならない。参考にしようがない。天才さんにお任せするしかない。それはそれでその幸運をありがたいと思い、利用させていただいたらよいと思う。
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2 Jan
日本とヨーロッパでは、有機農業への受け止め方が全然違うように思う。日本では、有機は健康によい、というイメージが先行。けれどヨーロッパは環境に悪影響が少ない、という理由で推進されている。
これは風土と歴史の違いによるのかもしれない。
日本は雨が多い。たいがいのものは洗い流されてしまう。広島は原爆のため、爆心地は向こう10年、草も生えないだろうと言われていたのに、翌年には生えてきた。雨が土を洗い流したからかもしれない。公害も、有害物質の排出止めたら大幅改善。化学農薬の効き目も比較的早くに失われる。
他方、ヨーロッパは大陸性の気候で、雨が比較的少ない。産業革命で石炭焚くと酸性雨が降り、多くの森林が失われ、なかなか回復しなかった。第一次、第二次大戦で化学兵器が使われると、非常に長い間汚染されたままだった。化学農薬もよく効く。いったん環境を汚染すると回復しづらいらしい。
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1 Jan
この記事を書いたら、化学農薬は無害で安全安心だとまで勘違いして読む人がいた。人体に蓄積する心配はまずなく、むやみに心配する必要はないと言う意味で書いたが、それ以上のことは言っていない。化学農薬は生態系のどこを痛めつけるかわからない点は注意が必要。
note.com/shinshinohara/…
実験室で化学農薬が天敵昆虫(害虫を食べる昆虫)に作用しないことを確認した上で農地に散布しても、害虫だけでなく天敵昆虫も姿を消してしまう現象が起きることがある。天敵昆虫は害虫以外も食べて生きていけるはずなのに。生態系のどこかを痛めつけ、天敵昆虫が生きていけない環境に変わるらしい。
私自身の体験。蒸留水だとお金がかかるということで、純水としては少し品質が劣るイオン交換水で微生物を培養した。すると、目的の酵素をほとんど作らなくなった。イオン交換水だって純度のかなり高い水のはずなのに。原因がわからず、蒸留水を使って培養したら元に戻った。
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