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21 Sep, 32 tweets, 2 min read
小塩真司編著『非認知能力』(北王子書房)

認知能力は、IQなどの「賢さ」の指標によって測られる。
だがじつは、人生における成功は、賢さ以上の要素に左右される。
その「賢さ以上の要素」をまとめて「非認知能力」と言う。 ImageImageImageImage
ここでは、非認知能力を、誠実性、グリッド、自己制御・自己コントロール、好奇心、批判的思考、楽観性、時間的展望、情動知能、感情調整、共感性、自尊感情、セルフ・コンパッション、マインドフルネス、レジリエンス、エゴ・レジリエンスの切り口でまとめ、それぞれ項目を専門の研究者が論じている。
興味深い件をいくつかフォーカスする。
グリット。これは人生の大きな目標に向けて、自分の行動を制御していく能力である。
単に自己制御能力が高いというだけでなく、自己制御が、さらに上位の目標によって統制されている状態を指す。
ここでは羽生結弦の生活が例として挙げられている。 Image
彼の生活においては、全てが、スケートで四回転半するという目標に向けて合理的に統制されている。
このグリットは、興味の一貫性にブレがないことに強い特徴がある。そのため、目標追求の中で困難や挫折に直面しても、粘り強く努力し続けることができる。
羽生結弦は、「逆境は嫌いじゃない。弱いというのは強くなる可能性がある」「つらい経験をするほど、はい上がる力が出ると思う」等と発言しているが、その粘り強さは、彼の生活全体を統制する大目標にブレがないからである。その能力をグリットと呼ぶ。
グリットが高い人は、神経症傾向が低いことが示されており、不安や抑うつを感じにくい。また楽観的で、ポジティブ感情を経験しやすく、人生満足度が高い総じて、幸福度の高い生き方が可能になる。
グリットの能力が発揮できるということは、私が私という物語を生きるというアイデンティティ、ナラティブの能力にも関わる。グリットが強く発揮された生き方について、アルフォンソ・リンギスがそのあり様を美しく描出している。
好奇心。一口に好奇心と言っても、興味型と焦燥型とがある。
興味型は、知識が得られるという期待に裏づけられており、この特性が高いと、新奇性を好み、さまざまな物事に対してポジティブ感情を抱きやすい。
一方で焦燥型は、情報の不一致や矛盾による剥奪感(あるいは、モヤモヤ感)で起きる好奇心探索であり、この特性が高いと、ネガティブ感情を抱きやすく、曖昧さを嫌う傾向が高くなる。
好奇心は、いずれにしろ、「適度な情報のズレ」を起点として駆動する。つまり、まったく予期もしないような過度な新奇性は、怖さや不安からくる回避モードを喚び起こしてしまう。
したがって、経験や学習によって背景知識が大きいほど、回避行動ではなく、好奇心探索が優勢になる。
批判的思考についての論文で、興味深かったのは、批判はあくまでも「正しい判断をする」という目的指向型の思考であるという指摘。
例えば「楽しい雰囲気にする」という目標では批判的に考えない方がよい場面も多い。その文脈をメタ認知できる能力が重要になる。
楽観性は適応や精神的・身体的健康に強く相関する。楽観性の高い人は低い人よりも、免疫機能が高く、手術後の回復が早いことや風邪を引きにくいことが報告されている。
この理由としては、ストレスフルな事態に陥った時に選択するコーピングにあるという見解が有力になっている。
楽観性の高い人は、目標達成を妨害するようなストレスフルな事態に陥っても、その目標を達成することができると期待するため、接近型のコーピング(問題解決、素トレッサーや情動の統制など)を用いて目標に立ち向かう。目標への積極的なコミットをやめないため、結果的に目標の達成につながりやすい。
これに対して、楽観性に低い人は、ストレスフルな事態に遭遇したとき、その目標を達成できるとは思えなくなり、回避的コーピング(ストレッサーやネガティブな情動の回避、無視など)を取りやすい。そのため、目標達成に必要な問題へのコミットが阻害され、適応的な結果に結びつきにくい。
自尊感情の項で興味深かったのが、それが「自己理解の多面性とそれぞれの側面の分化の程度」ーすなわち自己複雑性の自覚に依拠している、という指摘である。
自己複雑性が高い人ほど、成功や失敗のフィードバックが自己評価を変化させる程度や、ストレスが抑うつに及ぼす影響に対して緩衝作用がある。
自己複雑性とは、つまり、自尊感情を支える肯定的な自己評価の領域がたくさんに分かれている、ということである。
例えば、仕事で上司に叱られても、恋人に慰められればそれでケロッとメンタルが回復してしまう、というような状態のことだ。
自尊感情は、現実の自己と理想の自己が一致して自己受容に至るプロセスのなかで得られる感情だ。
この場合、理想の自己を「超自我」「他者の呪い」として退け、現実の自己をそのまま受け入れる、ーありのままの自分を受容するという態度と、自分を理想の自己に近づけるという態度の二つの方途がある。
前者の態度は自尊感情の受容的側面で、自己受容、自己好意、自己肯定感、自己価値観、真の自尊感情などと呼ばれることがある。
後者の態度は自己評価、自己有能感、コンピテンス、自己効力感、自己有用感と呼ばれることがある。
このどちらが正解というわけではない。この二側面はそれぞれに異なる適応的役割をもっている。
自尊感情はつねにこの両方の側面の綱引きのなかで実現する。
自尊感情を高めるよう介入する場合、自尊感情を高めること自体を目的としない方がよい。経験を伴わない自信過剰な考えを植え付けることによっても、自尊感情は高まるが、それはこの社会の中で生きる力を削いでしまうことにもつながる。
セルフ・コンパッション。これは、失敗や傷ついた経験の後に、自分の感情を“バランスよく”受け入れ、その経験が他の人たちとも共通していることを認識し、自分に優しい気持ちを向ける能力のことをいう。
それは、自分を誇大評価する自己愛とは似て非なるものだ。
また、自己憐憫とも、それは違う。自分の傷ついた悲しい気持ちに寄り添うというのは、自分で自分の否定的感情に共感して、一緒に嘆き悲しむということではない。そのような態度を取れば、否定的な感情に支配されてしまうだろう。
セルフコンパッションとは、悲しい苦しいという自己否定の渦のなかでも、自分の良いところや今現在ある肯定的な感情に気づき、そのすべてを受け入れていくという態度なのである。
マインドフルネス。これは無念無想になることではなく、どの瞬間にも頭が空っぽではないことに気づき、さらにそれらに手を加えようとせず、ただ眺めている状態を実現することを指す。
マインドフルネスは、何か困難な状況にあるとき、いったん「する」という能動的なモードを停止するための技法だ。
理想と現実のギャップを直ちに解消する方法が見当たらない場合、「する」という能動モードを続けると、「どうして自分はこんな問題を抱えているのだろう。この先どうなってしまうのだろう」という「反すう」が始まる。
反すうは抜け出すことが困難な悲観的・自己批判的な思考のサイクルであり、抑うつや不安を高めるのみならず、集中の困難を招き、解決に向けた思考や行動を妨害することがわかっている。反すうの状態にあるとき、人は、不快な情報にだけに目が向いた視野狭窄状態にある。
反すうを抜け出すには、抜け出そうとしてはいけない。禅問答のようだが、要は「する」という能動的モードを停止しなければならない。「ある」という受動モードに頭のスイッチを切り替える必要があるのだ。その技法がマインドフルネスである。
マインドフルネスは、①観察(感覚や思考に気づきを向けること)、②描写(感情や思考を言葉で表現できること)、③気づきを向けた行動(目の前の物事に十分な意識を向けること)、④内的体験に反応しないこと(感情や思考に巻き込まれることなく、一歩下がってそれらを眺めること)、↓
⑤体験を評価しないこと(感情や思考を価値判断することなく受け止めること)、⑥自他不二の姿勢(自分と他者を同程度に思いやること)という6つの因子が含まれている。
マインドフルネス特性が高い人は、例えばロックダウン下における心理的健康が高いことや、感染の恐怖による心理的な悪影響が緩和されることが報告されている。
社会生活における適当との関連としては、コミュニケーションの質・共感能力・友人関係の満足度の高さといった対人場面での適応、↓
仕事の満足度・パフォーマンスの高さ・燃え尽き症候群の予防といった職場での適応に寄与することが示唆されている。さらには、創造性・学業への動機づけ・スポーツ選手の競技能力といったパフォーマンスを高めることも示唆されている。
さて、多様な非認知能力だが、こうした能力のほとんどは、どこかで自己認識という認知的な側面を含んでいる。非認知能力と認知能力とは切り離されて独立した能力ではなく、強い相関性のなかで、全体として機能するものであると捉える必要がある。

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22 Sep
マイケル・S・ガザニガ『脳の中の倫理』(梶山あゆみ訳 紀伊国屋書店)

脳死やドーピング、法律が根拠とする自由意志といったトピックに即して、人間の倫理や道徳が、文化相対的、文脈依存的な条件を越えて、ある程度普遍的な反応であるということが論じられる。 ImageImage
特に興味を惹かれたのが9章「信じたがる脳」。

ー脳は電光石火のスピードで信念を生み出すことができる。ほとんど反射的に、と言ってもいい。
今では、信念を生み出すのは左脳だとわかっている。左脳は、世界から受け取った情報に何らかの物語を付与する仕事をしている。(…)↓
信念の大部分は、それが形成されるときに通用していた知識に基づく解釈にすぎない。なぜか心から離れないというだけなのだ。その事実を知れば、今私たちのまわりにあるさまざまな信仰や政治理念を、どうしてまじめに取り合えるだろう。P202
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21 Sep
人間関係のなかで、素のままの自分でいたいと思ったら、「素のままの自分というスタイル」を、つくりあげることですね。
このスタイルがチャーミングなら受け入れられる。鬱陶しいと感じられれば避けられる。
みなさん、周りの人に気遣いしながら生活してると思うんですけど、気遣い、怠い、って気分になることも多いですよね。それは、自分のスタイルをつくろうとしてないからです。
自分のスタイルをつくっていくと、気遣いも楽しくなりますよ。気遣いが、義務ではなく、贈与の意味を帯びてくるんです。
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他者の目を排除することが自然体なわけではない。他者の目に応じるのもまた人にとっての自然です。スタイルというのは、まあ、おもてなしじゃないですか?
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12 Sep
人との関わりが多い生活を送っているが、それで煮詰まらないのは、人の言うことをほとんど聞き流しているからだ。相手が怒る気も失くすくらいに、いい加減なのである。それで嫌われないのは、おれが、相手が嫌だと感じる反応をしないからだと思う。
おれを嫌う人は「かまってほしい人」である。
だが、かまってほしい人ですら、おれといると、「ひとりでいる所作」を覚えていく。それがどうしても覚えられない人は、離れていく。
おれはいつもひとりでいるので、おれと関わる人も、いつもひとりでいてもらわなければ困る。
しかし、いつもひとりである者同士の関わりは、深く癒されるものだと、おれは感じている。
決して嫌な反応をしない誰かが、いつも何となく気にかけてくれている。とても良くはないか。
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12 Sep
管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』(ちくま文庫)

読書とは、
ー過去の痕跡をたどりその秘密をあばき、見いだされた謎により変容を強いられた世界の密林に、新たな未来の道を切り拓いてゆくための行為。P8
そうして、
ー自分はどんどん自分ではなくなっていく。P9
本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。↓
一冊一冊の本が番号をふられて書棚に収まってゆく様子は、銀行の窓口に辛抱強く並ぶ顧客たちを思わせる。そうではなく、整列をくずし、本たちを街路に出し、そこでリズミカルに踊らせ、あるいは暴動を起こし、ついにはそのまま連れ立って深い森や荒野の未踏の地帯へとむかわせなくてはならないのだ。↓
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11 Sep
ヒュー・プレイサー『ぼく自身のノオト』(きたやまおさむ訳 創元社)

何か他のことをやっていたいというのではなく、今日こそぼくは自分のやっていたいと思うことをやろう。
今日、ぼくは、何かのために生きたくはない。ぼくは、ただ生きてみたいのだ。P11
著者がこれを書いたのが1970年で、そのとき彼は32歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。内容は小説でも詩集でもない、個人の日記の抜粋。哲学者でも文学者でもない「みんなと同じ平凡な人間」の内省が、数年の間に百万部を売り尽くした。
ビートやヒッピーなど、アメリカのカウンター・カルチャーから出現した、最も興味深い書物、現象であると言っていいかもしれない。傾聴を説いたカール・ロジャースも、この本には大きな影響を受けたという。
自分の内なる声と現実との葛藤、その葛藤の乗り越え、挫折、苦悩、…。
Read 11 tweets
11 Sep
専門家と素人の違いは、専門家は素人よりその分野について熟知しているというところにその本質があるのではない。
専門家は「生のデータ」を扱っている、という点が決定的に違う。生のデータは、動的で曖昧模糊としている。
専門家の仕事は、そのカオスにパターンを見出すという実践知に基づいている。
パターンは、目的に応じて、常に限定的で一時的に与えられる仮説的なものに過ぎない。
例えば「風邪」はパターンだ。治療を目的として、「それらしい諸症状」という一次データに与えられる「限定的」「一時的」な「仮説」である。
風邪が「パターン」であることを、専門家である医者はよく知っている。
だが、素人は、そこに「風邪」という実体を見出してしまう。
素人の問題は、ある概念や言葉を、「仮説的」なものではなく「実体」と受け取ってしまうということにある。
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