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22 Sep, 15 tweets, 1 min read
マイケル・S・ガザニガ『脳の中の倫理』(梶山あゆみ訳 紀伊国屋書店)

脳死やドーピング、法律が根拠とする自由意志といったトピックに即して、人間の倫理や道徳が、文化相対的、文脈依存的な条件を越えて、ある程度普遍的な反応であるということが論じられる。
特に興味を惹かれたのが9章「信じたがる脳」。

ー脳は電光石火のスピードで信念を生み出すことができる。ほとんど反射的に、と言ってもいい。
今では、信念を生み出すのは左脳だとわかっている。左脳は、世界から受け取った情報に何らかの物語を付与する仕事をしている。(…)↓
信念の大部分は、それが形成されるときに通用していた知識に基づく解釈にすぎない。なぜか心から離れないというだけなのだ。その事実を知れば、今私たちのまわりにあるさまざまな信仰や政治理念を、どうしてまじめに取り合えるだろう。P202
ー自分の自己イメージや知識、考え方の枠組みと一致しない情報を突き付けられたとき、左脳の解釈装置はひとつの信念を作り上げることによって、入ってくるすべての情報が意味をなすように、また現在進行形の自己感と齟齬をきたさないようにする。解釈装置は、パターンや順序や因果関係を捜す。P208
自己感と齟齬をきたさないようにする解釈装置ー左脳側頭葉の脳領域が大きく関与するーこの装置の性能がいいほど、「意味」の感覚が強くなる。
宗教ー文学的な「生の意味」とは、世界をホーリスティックに捉える感覚のことだが、それはこの解釈装置の性能に依拠している。
この解釈装置は、両刃の刃である。それは宗教ー文学的な生の深い統一感を与えるが、同時に、限られた情報を恣意的に繋げてパラノイアックな世界観を構築する基盤ともなる。
宗教家、文学者には、二つの側面がある。それは、生を深く生きるという「深さの次元」に人々を誘う光の側面、そして、世界を意味で塗りこめることで黙示論的、陰謀論的、パラノイアックな想像力に人々を巻き込んでいく闇の側面だ。
宗教的、文学的資質のある人は、左脳側頭葉の解釈装置が活発に働いている。世界は「意味」の感覚で満ちている。
脳神経外科医のノーマン・ゲシュヴィントは、側頭葉てんかんの患者とある種の文学者、芸術家に共通する症候群について、以下のように記述している。
1.過剰書字(大量の文章を書かずにいられない)、
2.過剰な宗教性(極端なまでに宗教性が強く、道徳への関心が高い)、
3.攻撃性(たいていは一時的なもので、暴力に発展することは少ない)、
4.粘着性(自分からは会話を終えられないなど、他者への依存度が高い)、↓
5.性的関心の変化(非常に強まるか非常の弱まるかの両極端になる)

この諸特徴に当てはまる文学者、芸術家は多い。ゴッホ、ドストエフスキー、キャロル、フローベール、スウィフト、ソクラテス、ピタゴラス、ニュートン、アレキサンダー大王、ユリウス・カエサル、……
左脳側頭葉は、私たちの自己感を維持している。信念とは自己感と感覚、知的情報の齟齬を埋めていく意味の体系のことなので、ここが活発になると、上記したような独特のパーソナリティーができ上る。
彼や彼女は、「自分の世界」を持っており、「自分の感覚」を持っている。
その「自分の世界」、「自分の感覚」が「深さの次元」において発揮されれば、それは芸術作品として結実するだろうが、フラットな社会のなかでは、パラノイアとして膠着する傾向にある。
彼や彼女にとって、信念は絶対なのだ。
面白いのは、この自己感を維持する左脳側頭葉が活発になっていて、それに感覚入力が伴わない場合、脳はこの状態を、「何者かの気配がする」「自分が自分の体から抜け出している」「神の存在が感じられる」などと解釈する、という点だ。
いわゆる宗教体験の脳神経学的(物質的)根拠は、左脳側頭葉の暴走(他の部位との協働の欠損)にあるのではないか、という仮説が考えられる。
もちろんこれは、宗教に価値がないという話ではなく、社会的・文化的意味とは別の文脈の話である。
吉本隆明は、戦争のとき、文学についてはかなり深く入り込んでいたけど、それは時局を正しく知るためには何の役にも立たなかった、と敗戦後、痛烈に己れの不明を実感したのだそうだ。
こうした不能の自覚が、戦後最大の思想家を産んだ。

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21 Sep
小塩真司編著『非認知能力』(北王子書房)

認知能力は、IQなどの「賢さ」の指標によって測られる。
だがじつは、人生における成功は、賢さ以上の要素に左右される。
その「賢さ以上の要素」をまとめて「非認知能力」と言う。 ImageImageImageImage
ここでは、非認知能力を、誠実性、グリッド、自己制御・自己コントロール、好奇心、批判的思考、楽観性、時間的展望、情動知能、感情調整、共感性、自尊感情、セルフ・コンパッション、マインドフルネス、レジリエンス、エゴ・レジリエンスの切り口でまとめ、それぞれ項目を専門の研究者が論じている。
興味深い件をいくつかフォーカスする。
グリット。これは人生の大きな目標に向けて、自分の行動を制御していく能力である。
単に自己制御能力が高いというだけでなく、自己制御が、さらに上位の目標によって統制されている状態を指す。
ここでは羽生結弦の生活が例として挙げられている。 Image
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21 Sep
人間関係のなかで、素のままの自分でいたいと思ったら、「素のままの自分というスタイル」を、つくりあげることですね。
このスタイルがチャーミングなら受け入れられる。鬱陶しいと感じられれば避けられる。
みなさん、周りの人に気遣いしながら生活してると思うんですけど、気遣い、怠い、って気分になることも多いですよね。それは、自分のスタイルをつくろうとしてないからです。
自分のスタイルをつくっていくと、気遣いも楽しくなりますよ。気遣いが、義務ではなく、贈与の意味を帯びてくるんです。
自然体で素敵な人っていますよね。あの人たちって、「自然体でいながら素敵でもある」ってスタイルをつくってるんですよ。
他者の目を排除することが自然体なわけではない。他者の目に応じるのもまた人にとっての自然です。スタイルというのは、まあ、おもてなしじゃないですか?
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12 Sep
人との関わりが多い生活を送っているが、それで煮詰まらないのは、人の言うことをほとんど聞き流しているからだ。相手が怒る気も失くすくらいに、いい加減なのである。それで嫌われないのは、おれが、相手が嫌だと感じる反応をしないからだと思う。
おれを嫌う人は「かまってほしい人」である。
だが、かまってほしい人ですら、おれといると、「ひとりでいる所作」を覚えていく。それがどうしても覚えられない人は、離れていく。
おれはいつもひとりでいるので、おれと関わる人も、いつもひとりでいてもらわなければ困る。
しかし、いつもひとりである者同士の関わりは、深く癒されるものだと、おれは感じている。
決して嫌な反応をしない誰かが、いつも何となく気にかけてくれている。とても良くはないか。
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12 Sep
管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』(ちくま文庫)

読書とは、
ー過去の痕跡をたどりその秘密をあばき、見いだされた謎により変容を強いられた世界の密林に、新たな未来の道を切り拓いてゆくための行為。P8
そうして、
ー自分はどんどん自分ではなくなっていく。P9
本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。↓
一冊一冊の本が番号をふられて書棚に収まってゆく様子は、銀行の窓口に辛抱強く並ぶ顧客たちを思わせる。そうではなく、整列をくずし、本たちを街路に出し、そこでリズミカルに踊らせ、あるいは暴動を起こし、ついにはそのまま連れ立って深い森や荒野の未踏の地帯へとむかわせなくてはならないのだ。↓
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11 Sep
ヒュー・プレイサー『ぼく自身のノオト』(きたやまおさむ訳 創元社)

何か他のことをやっていたいというのではなく、今日こそぼくは自分のやっていたいと思うことをやろう。
今日、ぼくは、何かのために生きたくはない。ぼくは、ただ生きてみたいのだ。P11
著者がこれを書いたのが1970年で、そのとき彼は32歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。内容は小説でも詩集でもない、個人の日記の抜粋。哲学者でも文学者でもない「みんなと同じ平凡な人間」の内省が、数年の間に百万部を売り尽くした。
ビートやヒッピーなど、アメリカのカウンター・カルチャーから出現した、最も興味深い書物、現象であると言っていいかもしれない。傾聴を説いたカール・ロジャースも、この本には大きな影響を受けたという。
自分の内なる声と現実との葛藤、その葛藤の乗り越え、挫折、苦悩、…。
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11 Sep
専門家と素人の違いは、専門家は素人よりその分野について熟知しているというところにその本質があるのではない。
専門家は「生のデータ」を扱っている、という点が決定的に違う。生のデータは、動的で曖昧模糊としている。
専門家の仕事は、そのカオスにパターンを見出すという実践知に基づいている。
パターンは、目的に応じて、常に限定的で一時的に与えられる仮説的なものに過ぎない。
例えば「風邪」はパターンだ。治療を目的として、「それらしい諸症状」という一次データに与えられる「限定的」「一時的」な「仮説」である。
風邪が「パターン」であることを、専門家である医者はよく知っている。
だが、素人は、そこに「風邪」という実体を見出してしまう。
素人の問題は、ある概念や言葉を、「仮説的」なものではなく「実体」と受け取ってしまうということにある。
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