私はもともと、「ひらめき」が全然ないタチ。教科書で習ったことを丸暗記して解くことはできても、少しでもアレンジのある問題だとパニックになり、どうにも解けなくなる、実に柔軟性に欠ける子どもだった。人間関係でも「今日はこうしよう」と心に決めていても、違った事態になると頭真っ白。
小学校の時、彫刻刀で木の板を削る宿題が。それを見ていた弟が、自分もやってみたいと言って、母親に同じ板を買ってもらった。で、彫刻刀で何を彫り出したかというと、木のスプーン。私は衝撃を受けた。家には金属のスプーンしかない。木のスプーンなんて見たことないのに、どうやって思いついたのか!
私は母にせがんで、もう一枚板を買ってほしいとねだった。「あんたはマネしたいだけやろ」と一蹴された。私はしょんぼりして宿題に戻った。
弟はしばしば、見たことも聞いたこともないものを作り出すのがうまかった。私には到底できない芸当。
もう一人の弟も、不思議な能力が。パックマンという家庭用ゲーム機。私はなかなかクリアできなかったのに、その弟は全面クリア。しかも奇妙なことに、まったく同じコースを同じ調子で動かすだけで、全面クリアしていた。なぜそんな方法を発見できる?
その弟は、ゲーム電卓でも同じように「必勝法」を発見してしまった。簡単なボクシングゲームで、顔面かボディーをパンチするだけのもの。しかし敵のスピードがどんどん速くなり、私は全く勝てなかった。しかしこの弟は、あっさり全面クリア。なぜ?
弟は、特定のリズムで、上、下、上、下、とパンチを単調に繰り返すだけ。たったそれだけなのに、猛スピードになっている敵を翻弄、あっさりストレート勝ち。私もマネしてそのリズムでやってみたら、全面クリアできた。それにしても。どうやってそんな方法を見つけられるのだろう>
弟たちは二人ともスポーツがうまかった。かたや、私は不器用。ボールを使う球技系はまるでダメだった。剣道を始めてようやくマシにはなったのだけれど。なぜ私はダメで、弟たちは何でも上手にこなし、しかも新たな発見や創造ができるのだろう?悔しかった。
年を取って分かってきたのは、「頭でっかち」だったということ。そして弟たちは、既存の知識は脇に置いて、目の前のものを観察するのに長けていたのだろう、ということに気がついた。私は自分から、既存の知識の檻の中に閉じこもっていた。
木の板からスプーンを取り出した弟は、私が木を彫るのを見て、へこみがあることに気がついたのだろう。へこみに水がたまりそう。あ、スプーンと同じだな、という連想が働いたのではないか。ならば、木からスプーンを彫り出せるかも!と発想したように思う。
パックマンやゲーム電卓を攻略した弟は、ただ闇雲に敵の動きに翻弄されていた私と違い、「うまくいくパターンがあるのではないか?」と仮説を立て、いろんな動きを試しては修正する、ということを繰り返していたのだろう。観察し、仮説を立てる、その繰り返しで、攻略方法を編み出したのだろう。
私は大学生になってから、自己改造を試みた。ともかく頭でっかちなのを、どうにかできないか。そんな悩みの中で、最初にヒントになったのが「荘子」。その中で、包丁の語源にもなった料理人、庖丁(ほうてい)の物語が紹介されている。
庖丁は王様の前で牛を解体して見せた。まるで音楽が流れるがごとく、踊るがごとく、スパスパと巨大な牛が解体されていく様子を見て、王様大感激。「さぞかし、お前のその刃物はよく切れるのだろうな」と質問した。すると、庖丁の答えは意外なものだった。
「私の包丁は何年も研いでいません。普通の料理人は『切ろう』とするので刃が骨や筋にあたり、刃こぼれしてます。だから研がずにはいられません。しかし私は牛をよく観察し、筋と筋のスキマがみつかったら、そこにそっと刃を差し入れるだけです。ですから刃こぼれせず、むしろ鋭くなるくらいです。」
私はこのエピソードを読んで、自分の何がまずかったかが分かったような気がした。私は、庖丁が批判した「普通の料理人」と同じで、頭の中の牛のイメージを目の前の牛とゴッチャにして、「このへんに筋があるはずだ、あるべきだ」で刃を入れてしまい、筋や骨に当ててしまうのだろう。
他方、庖丁は、それまでにもたくさんの牛を解体した経験知識があるはずだが、それを脇に置き、まず目の前の牛を虚心坦懐に観察し、スジとスジのスキマはここではないか、ということが見えてくるまで、ともかくよく観察したのだろう。そのうえで刃を差し入れるから、無理なく解体できたのだろう。
これと似た話が「新インナーゲーム」にある。テニスでバックハンドがうまくなった生徒に「うまくなったね」とほめると、とたんにホームランやネットに引っかかる球を増産。「違うよ、さっきはこう打っていたよ」とフォームを指導すると、さらに動きはぎこちなく。生徒は茫然、頭真っ白。
そんな指導経験をしていた著者のガルウェイ氏は、教える、指導する、ということをやめてみた。その代わり、次のように声をかけてみた。「ボールの縫い目を、スローモーション再生している気分で見つめてごらん」。すると、再びバックハンドが上手に打てるようになった。
ガルウェイ氏は、身体を動かすのに意識と無意識(ガルウェイ氏によれば、セルフ1、セルフ2)が働いているという。意識は体を動かすのがド下手くそ。意識が身体の操縦権を握った途端、体の動きはぎこちなくなる。指導すればするほど下手になったのはそのため。
しかし、ボールの縫い目に視線を集中させることで、意識が「見る」ことに熱心になると、身体の操縦権が無意識に映る。無意識は、手首、ひじ、肩、体幹のひねり、足の広げ具合、ひざ、足首、体重の移動、そうした無数の身体の動きを同時並行で処理するのに優れている。無意識にゆだねればうまくいく。
ところが、意識は身体の操縦がヘタクソなくせに、「体はこう動かす」という妙なイメージを持ち、今の身体の状態をかなり無視する。意識が特定のイメージを持ち、その通りに動けと身体に命令すると、だいたいろくなことにならない。
「庖丁」のエピソードで、普通の料理人が刃こぼれさせてしまう、という話も、勝手に自己イメージを膨らませて、目の前の事物を虚心坦懐に観察することができなくなってしまうからだろう。どれだけ知識や経験があっても、目の前の事物を虚心坦懐に観察する。それが大切なのだろう。
では、「虚心坦懐に観察する」とは、どんな状態なのだろう?それは老荘思想の大家、福永光司さんが「荘子」のあとがきで書いていたエピソードが参考になった。それは、福永氏が少年時代に経験した、実際のエピソード。
母親がある日、「あの木をまっすぐ見るには?」とクイズを出した。その木はどこからどう見ても曲がっていた。木を切って矯めてまっすぐにする、という答えで満足しそうな母親でもないし。いろいろ考えた挙句、福永少年はギブアップした。すると、母親の答えは意外なものだった。
「そのまま眺めればいい」
私はこう解釈している。私たちは「まっすぐ」という言葉を聞いた途端、心に「まっすぐとはこういうものだ」というイメージ、規準を抱いてしまう。するとその途端、すべてのものが「まっすぐ」か「曲がっている」か、二つの一つの評価、判断しかできなくなる。
しかしそうしたイメージや価値規準を脇に置き、虚心坦懐に木を眺めたら。風が渡り、葉ずれの音が聞こえてくる。虫が樹液を吸いに来ている。木肌から良い香りがする。木漏れ日が心地よい。なんと力強い根だろう。様々な情報が、五感を通じてなだれ込んでくる。
「まっすぐ」というイメージ、規準を心に抱いた途端、木から「まがっている」という情報しか取れなくなっていたのに、イメージや規準を脇に置いたら、とたんに五感から膨大な情報が流れ込んでくる。母親の言った「まっすぐ見る」とは、心に規準を抱かず、「素直に見る」という意味だったのだろう。
過去の知識、経験があると、過去のそうしたもので価値規準が心に生まれがち。しかしそのために、目の前の事物を「素直に眺める」(虚心坦懐に観察する)ができなくなってしまう。どれだけ知識や経験を積もうとも、目の前の事物を観察するときには、いったん脇に置くことが大切なのだろう。
では、脇に置いてしまう知識や経験は無駄なのか、役に立たないのか、というと、そうではない。知識や経験は、たとえ脇に置いたとしても無意識のうちに「目のつけどころ」として役に立つ。着眼点を教えてくれる。
たとえば、「水晶とは、透明度の高い石英のこと」と教えてもらい、石英がどんな石かを教えてもらうと、それまで「路傍の石」として、視界に入っていてもまったく無視していたのに、石英がよく目につくようになる。もしかしたら水晶かも?と。知識があると、無意識は着眼点として自動採用してくれる。
だから、たくさんの知識、経験を積むことは重要。そうした知識、経験が「目のつけどころ」、着眼点を無意識に教えてくれるから。無意識は着眼点を採用し、感度を上げてくれるので、目の端に入ったものでさえ「あ!石英だ!」と気づかせてくれる。
知識や経験は無駄にならない。無意識に着眼点を教えてくれるから。けれど観察時は、知識や経験を脇に置くこと。虚心坦懐に観察すること。そのことを自覚して訓練した結果、かつて非常に不器用で、創造性のかけらもなかったのが、だいぶマシになった。大人になってからも変われるものなんだな。
まとめました。

虚心坦懐に観察する|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
このあたりの話は、拙著「ひらめかない人のためのイノベーションの技法」でも紹介しています。
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拙著「思考の枠を超える」も似たような視点から紹介しています。
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11 Nov
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