勉強ができる人、プロ野球選手、ピアニストなど、その道を極めた人たちが必ずしも教えるのが上手いといえないのはなぜだろう?もしかしたらムダのない教科書のごとく、膨大な経験から抽出されたエッセンスだけを教えようとするからではないか。ムダを排除して教えようとするからではないか。
深層学習(機械学習)を取り入れるようになった人工知能では、これまで無駄だとされてきた失敗を大切な学習内容だと捉えている。ロボットアームにものをつかませる学習では、うまくつかめなくて落とすという体験も大切にする。成功の周辺も学ぶことで初めて成功の輪郭が浮かび上がるから。
昔は、職人が長年の経験から抽出した無駄のない動きをロボットアームに学ばせるというやり方をとっていた。しかしこうした学習だと、成功以外のことができない。少し箱の角度が違っていただけでもう何をしたらよいのかわからなくなっていた。しかし深層学習だと。
膨大な失敗体験のおかげで、応用が利く。箱が傾いてたり大きさが違っていたりしても、過去の失敗体験から「これをやったらうまくいかない」から、「こうしたらうまくいくかも」という仮説を立てられる。失敗体験は、たとえ未知なことが起きても仮説を立て、柔軟に対応するための重要なデータベース。
子どもを観察していると、「あ!ぼくこれ知ってる!」という親しみがあるかどうかがその分野に興味を持つかどうかで重要。息子はもともと星に全く興味を持っていなかったが、「あ!しし座!キュウレンジャーの!」と、ヒーロー物で見たものから星の本に入っていった。ほんのちょっとした架け橋。
他方、親しみという名の架け橋がないと全くと言ってよいほど子どもは興味関心を示さなかったりする。大好きな何かが架け橋になると、興味関心がそれを手がかりにどっと広がっていく。「びじゅチューン」をきっかけに芸術作品に興味関心が広がるように。
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これからその分野をまっさらな状態から学ぼうとする人間には、遊び、楽しみ、面白さ、親しみといった、学問的には無駄に思えるものがのりしろとして必要なように思える。教えるのが上手い人は、子どもの中にある親しみのあるものをうまく見つけて、そこから興味関心を引き出すのが上手かったりする。
これは「自分の言葉で話す」という、以前考察した話に通じるかもしれない。初めて学ぼうという者にとって、それは何の親しみも関心もない。それを学べったって、無理な話。それを理解してもらおうとするなら、相手にわかる言葉、響く言葉を紡げるかが大切。
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それについては何の知識もない、まっさらな人間を新しい場所に連れ出そうとするなら、その不安を解消するばかりでなく、その人が面白そう!楽しそう!と思うものをのりしろにし、新しい分野とつなげるという作業が必要。それは学問的には無駄なこと。けれど初学者にはとても大切。必須と言ってよい。
これが、勉強のできる人、スポーツの上手い人、ピアノが上手な人には「ただのムダ」に見えてしまうらしい。それよりも、自分が幾多の練習を重ねて見えてきたエッセンスとの出会い、それに気づいた時の感動を伝えたい、教えたいという気持ちが先行してしまいがち。
しかし、巧者の人たちは気づいていない。エッセンスに気づいた感動は、幾多の失敗を重ねるという深層学習と同じ経験の積み重ねをしないと得られない感動だということを。そして、つまらない練習に見えてもやがてその感動に出会えるから、ということでムリにでもつらい稽古をさせるのだけど。
恐らく、自分も学びはじめには、自分の中の楽しい、面白いと思うものとののりしろがあったからこそ稽古を始めたのだ、という最終の頃の記憶が恐らく曖昧になってる。そのため、つらい稽古でも、やってりゃそのうち感動に出会えるから、という信念のもとに、つらい稽古を強いてしまいがち。
でも、稽古の果てでエッセンスと出会える感動は、膨大な失敗があるからこそ得られるものであって、初めて学ぶ人間からしたら何も面白くない。「HeとかSheの時は三人称単数のエスがつくんだよ!」と語ったところで、子どもはポカーンとして聞くしかない。
初学者には、もっとゲーム性があった方がよいように思う。例えば主語が違うだけの文章をたくさん並べて、子ども達に「何か法則に気がつかない?」と聞いてみた方がよい。「あ!heとかsheが最初の時には、二番目の言葉にエスがつくんじゃ?」とか。子ども自身に法則を見つけさせる。
先生が教えるんじゃなくて、生徒に見つけさせる。クイズやなぞなぞのように、普段慣れ親しんでるゲームのように。それは、一通り学んだ巧者からすればムダな時間。しかし「これ、面白い!」というのは、膨大な作業をこなすとても大切なエネルギー源。
面白いと思い出したら、ものすごいエネルギーでのめり込む。のめり込むと、自然と深層学習と同じようにビッグデータ解析になる。大量の体験という名の稽古を、稽古とも思わずにのめり込むから。すると、自然にエッセンスに出会える。「そういうことだったのか!」と。
巧者は、膨大な学びの中から得たエッセンスとの出会いが強烈過ぎて、初学の時のほんのちょっとした楽しみ程度なんか無視できるほどの喜びだと感じてしまって、初学者にとって親しみや楽しみがとても大切なことを忘れがち。これが、巧者をして教えるのがヘタ、という現象の大きな原因のような気がする。
初学者には、親しみ、楽しみというムダがとても大切。マンガがきっかけでも別に構わない。エッセンスが美しいと思えるのは、膨大な稽古を経てから。初学者にそれを語っても、あまり響くことはない。それよりは、初学者の中の親しみ、楽しみをうまくのりしろにすることが大切。
まとめました。

上級者が教え下手なのはムダを排除するから?|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…

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17 Jan
阪神淡路大震災の時、私が出入りするようになった東灘区の避難所では、当初、初期のボランティアは3人しかいなかった。1500人の被災者が寝泊まりする場所で。
他方、テレビでは連日ステーキとかが振る舞われ、なんなら焚き火を囲んでギターを弾いてるボランティアたちの姿が映っていた。
「ボランティア?どこにおんねんそんなの!」「ステーキ?食ってみたいわそんなもん!」1日に配給されていた弁当は、おにぎり二個、小さな牛乳パック一個、菓子パン一個。以上。それでも配給されるだけマシになった方。ステーキや焼きそば振る舞うなんて、そんな夢みたいな話はここにはなかった。
当時、NHKは深夜に被災地での行政対応がテロップで流れていた。それによると、神戸市で配られているお弁当は確か740円と標準されていた。このため被災地を知らない人は「結構いい弁当食べてるなあ」という感想をもつひとが多かった。けれど実態は、おにぎり二個、牛乳パック、菓子パンのみ。
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16 Jan
「教える」という行為は、知識のある者、すごい技能を持つ上級者が下級者に知識や技能をコピペすることだと信じられている。だからプロを教えられるのはプロだけだ、と。ただ。
全盛期のタイガー・ウッズに教えられる人はこの世にいなかったろう。でもウッズには、頼りにしてるメンターがいた。
私はサッカーに疎いが、ヨーロッパだかどこかのプロチームで、サッカーの経験がない監督がいるのだと教えてもらったことがある。
私のところに来ていた学生は、槍投げで関西チャンピオンだったが、指導者はいなかったという。自分で学びに行き、研究を重ねた結果の好成績だった。
こうした事例を見ると、「教える」という行為は上級者から下級者への知識のコピペではないことがわかる。
考えてみると当たり前。もし「教える」という行為がコピペなのだとしたら、超高性能のコピー機を使ったって、コピーは必ず原本よりも劣化する。劣化コピーなら、世代重ねるともう悲惨。
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15 Jan
お腹に違和感あるのになかなか出てこない息子(小3)。少しつらそうなので我が家の常備薬、恵命我神散を試すことに。ティースプーン半分くらいを飲んだら即出た。やっぱりよく効く。
三重県では恵命我神散が売ってない。漢方の専門店に、苦味対策した新しい我神散があるにはあるけど、割高だし、なんだか昔ながらの方が効くような気がするので昔のままのがほしい。
こっちの薬剤師に名前を言ったら知らなかったりする。東海では知名度低いみたい。
昔、大学の後輩がお腹痛くて苦しんでいたので一服プレゼントしたら、30分後にスケボーして遊んでてびっくりした。まあ、腹痛には実によく効く。食欲のないとき、食前に飲んどくとペロリと丼いけたりする。
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14 Jan
「まんが医学の歴史」は大変面白いので、みなさん読んでみられることをお勧め。その中で、対照的な人生を送ることになった二人が紹介されている。ゼンメルワイスとリスター。この二人は、消毒が多くの患者の命を救うことをそれぞれ発見したのだけれど、人生が大きく違ってしまった。
ゼンメルワイスは、同じ大学病院にある二つの産婦人科で大きく死亡率が違うことに気がついた。いろいろ調べた結果、死亡率が異様に高い産婦人科では、産褥熱で亡くなった死体を医学解剖し、その手のまま出産をしていたことが原因であることを突き止めた。
そこで、ゴミの悪臭を消す力があることで知られていたさらし粉を溶いた水で手洗いするようにした。すると、産褥熱で死ぬ患者が激減した。消毒法の発見だった。ゼンメルワイスは「産婦を殺していたのは私たち自身だった」とし、この消毒法を広めようとした。
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14 Jan
教科書考。

私は受験勉強に関しては教科書主義。参考書は特定のもの以外は手を出さない、問題集に至っては手を出すな、という指導スタイル。教科書はいろいろ批判されるけど、後から振り返るとこんなに見事にコンパクトに必要十分な内容を網羅してるものがないから。
でも、「後から」って?
よく子供時代には「予習復習をしっかりやりましょう」と先生や大人たちから言われた。自ら勉強するようになった私は、何度も予習にトライしたが、歯が立たなかった。ワケわからん。何も理解できない。これならまだ理解の浅い分野の復習をした方がマシ。結局、予習の習慣は全くつかなかった。
授業を聞いてようやく理解の筋道が見え、でも授業を聞いただけでは筋道をたどるだけで精一杯なので、家に帰ってから今日聞いた内容を反芻し、「あ、なるほど、そういういみだったのか」と、ウシのような反芻動物的な学習をしていた完全に復習型。
でも不思議。
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12 Jan
自分を信じるとか、believe myselfとか、よく歌でも出てくる言葉。

実は私にはよくわからない。私は「信」と名付けられたからか、信じるって何だろう?ということをずっと考えてきたのだけど、自分のことを大して信じてない。サボりだし、卑怯だし、すぐ善人ぶるし、よく忘れるし。
若い頃、「何でいつもオレはこうなんだ!バカたれ!」「あー!また!前に二度とやらないって心に誓っただろうが!」と、自分を罵ってばかりだった。
三十代に入ってしばらくして、「うん、むり」となった。自分は欠点だらけなんだ。欠点のない人間のフリなんかしたってしゃーない。
等身大の自分を素直に認めるようになってようやく、ラクになってきた。欠点がないフリをしなくなったことで、欠点のところに仮想上の長所があるかのようなムリをしなくなった。すると変な失敗がない。変に自分を否定せずに済むようになったことで、逆に自分の強みも素直に認められるように。
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