伊藤隆先生が大学を離れて以降「おかしい」というのはある程度知っていましたが、ここまでひどくなっていたとは、『近衛新体制』を読んで勉強した者としても、天を仰がざるを得ません。単に老化では済まされない問題もあるように思われます。 bunshun.jp/articles/-/446…
ひどい点を挙げればきりがありませんが、まずいえるのは、誰でも何でも「左翼」認定という、病膏肓に入ったネトウヨみたいな言い草です。加藤陽子先生を「僕のところにいる分には、左翼を丸出しじゃ具合が悪いと思って、隠していたんでしょう」と、スパイみたいな扱いです。
さらには学術会議問題で署名活動をした、加藤先生と同じく弟子である古川隆久先生まで、「似たようなもんですね」と「左翼」扱い。史学史的に言えば、伊藤先生が会心の一撃を加えた「天皇制ファシズム」論に対し、とどめを刺したのが古川先生という、業績的にも正統な後継者なのに、無茶苦茶です。
さらには「薄まった左翼」という訳の分からないことまで言い出して、文藝春秋まで「左翼」に入れたげな口ぶりです。記事のタイトルは「僕は左翼の人たちに聞きたいんだよ」ですが、失礼ですがその「左翼」は
伊藤先生の脳内にしかいない存在ではないでしょうか?
その他にも論理や認識が無茶苦茶なところを挙げていけばキリがありません。南京事件では死者はほとんどなかった、などと歴史修正主義に堕しているのみならず、その論拠が秦郁彦先生というおかしさ。すでに指摘もあるように、秦著は万の虐殺があったとしています。
読んだはずの本の内容すら、捻じ曲げて解釈してしまっている。これがかつて、史料を博捜して分析し、時代像を書き換えた人の言葉だと思うと、悲しくてなりません。
さらには、最近の歴史修正業界ではやりのWGIPなるものを信じ込み、ちゃんとした研究(⇩の本)でそんな大したもんじゃなかったと論じられていることをインタビュアーが指摘しても、影響は「ものすごくあったと思いますよ」と、碌な論拠も示さずに言い張ります。
amzn.to/3gxGWbx
伊藤先生の大きな業績は、あまたの近現代史の史料を収集され、編纂して後世の研究の基盤を作ってくださったことです。しかしその文書についても無茶苦茶なことを言います。安倍内閣の公文書改竄や破棄に対し、一応それはいけないといいつつも、それが「戦後教育のせい」って…。
伊藤先生ご自身が、敗戦で公文書が大量に処分された問題を指摘しながら、それが「戦後教育のせい」でこの度の事態を招いた、というのは論理が無茶苦茶です。ああ、安倍晋三は戦後生まれですから、なるほど戦後教育のせい!? でも伊藤先生、安倍には甘い。もう何が何だか。
おかしいところ、ひどいところを挙げていけばキリがありませんし、それはすでに他の方も指摘されています。そこで私は、別なこのインタビューの印象について、思うところを述べたいと思います。それは、行間から感じられる「寂しさ」「孤独さ」です。
伊藤先生は「自分の弟子というか、ゼミ生に対しては、多少失望していますね」といいますが、ご自身の教育の責任は、というのを措いても、相手かまわず「左翼」などというレッテルを貼れば、人が離れていくのも当然ではないでしょうか。
もちろんこの点に関し、私は伊藤先生が「失望した」というゼミ生から教員になられた方がたを、直接の師匠として教育を受けて現在に至るので、伊藤先生の暴言妄言に対していっそう怒りが募るという個人的事情があることは付記しておきます。
ともあれ、大学を辞められた90年代以降の伊藤先生は、「新しい歴史教科書を作る会」とかに参加されました。しかし先のインタビューでは、結局伊藤先生は「つくる会」関係の面子ともいろいろあって、離れてしまったということが語られています。こうして伊藤先生は、周囲に人がいなくなったのでは…
そう考えると、「僕は今、そういう人たちから本をもらったら、延々、御礼状を書いてます。しっかり頑張ってくださいと」という言葉も、寂しさゆえに献本が来たらとても喜んだ、ということなのではないかと勘繰りたくもなります。
このインタビューで、辻田氏が巧みに伊藤先生からに多くの話を引き出しているのは、すでに多くの方が賞賛されているとおりです。事前準備の周到さも伺えます。しかし同時に、語る機会のあまりない伊藤先生が、水を向けたらここぞとばかりに喋ってくれた――ということもあるのではとも思います。
もう6年かそれ以上前ですか、私は国会図書館の憲政資料室(日本近代史の史料を数多く集めている)で、資料整理のバイトを何年間かしていました。すると、だいたい金曜日だったと思うのですが、時々伊藤隆先生が来られて、憲政の方と談笑されるということがあったんですね。
私が伊藤先生のお顔を国会図書館で拝見してから、帰りに確か半蔵門の本屋で百合マンガを買い込んだために、革新派のマトリクスを百合マンガに当てはめてネタにしたのは、もう8年も前ですね。まだ8年という気もしますが。
bokukoui.exblog.jp/17582012/
で、これはコミュ障の私ゆえに思い過ごしの可能性も高いのですが、伊藤先生が憲政資料室に来られた時は、何かプロジェクトが動いているわけでもないようで、憲政の方もちょっとありがた迷惑っぽい感じもしたのです。あれはもしかして、退職した会社の偉い人が、用事がなくてもまた会社に来るような…
そういった人的な「寂しさ」とともに、インタビューからは伊藤先生の、今の社会への疎外感のようなものも感じられます。これが私は不思議でならなかったのですが、伊藤先生ほど功成り名遂げて業績もありながら、なぜあんな不遇感をインタビューで醸し出しているのでしょうか。
伊藤先生の大きな業績は、昭和初期の政治史分析に、「革新派」論を打ち立てて、従来の天皇制ファシズム論を覆したことです。その流れは⇩の黒沢文貴先生の論文が手際よくまとめてくれています。そして今は、高校の日本史教科書も、「革新派」論に沿って記述されています。
core.ac.uk/download/pdf/1…
伊藤先生は「歴史学界にはマルクス主義、東京裁判史観が流布している」と主張されますが、そりゃまあ50年も60年も前はそうだったかもしれないけれど、それこそ伊藤先生とその系譜を継いだ(それこそ古川隆久先生!)研究者の方がたが、そんな主義や史観は蹴散らしたのではないでしょうか。
なぜ伊藤先生は、「かつて日本史学界には『左翼』が多かったが、ワシが退治した」と胸を張って功を誇らないのでしょうか。それは決してホラではないのです。なぜ自分が倒したはずの亡霊に、いまだにこだわるのでしょうか。そのこだわりが、身辺から弟子を遠ざけたのではないでしょうか。
もっとも、伊藤先生の実証主義と史料収集路線は、精密な事実関係の検証を飛躍的に進歩させたものの、歴史の全体像をつかむ視点が弱くなったともいわれています。それは伊藤先生が「革新派」論を唱えたころから言われていたのは、前掲黒沢論文に記されているとおりです。
なるほど世界は共産主義に向かうのだ!と決めつけて歴史を解釈するのは、こじつけになる恐れが多分にあります。伊藤先生の批判はもっともで、だから学説も受け入れられました。ただそうやって、伊藤先生は「敵」を倒した後は、どんなヴィジョンがあったのかといえば、そこは弱かったのかもしれません。
そこで私は、大変失礼と思いながらも、伊藤先生の研究(それはとても立派なものなのですが)を支えていた原動力は、結局「敵」と戦うことにあったのではないか、と考えざるを得ないのです。ご自身がかつて共産党に属し、そこから離れた、それ故のルサンチマンというかコンプレックスというか…
「敵」と見据えた「左翼」を倒そうと研究し、見事「革新派」論で「敵」を討ち取った伊藤先生は、しかし研究の原動力が「敵」を倒すことにあったために、自分で倒したはずの「敵」の亡霊を自分で作り出し、それを追いかけることで戦いを続けているのではないでしょうか。
大変失礼な言い草だとは重々承知しておりますが、伊藤先生の学問の原動力は、真理の追究やそれを通じての社会の発展ではなく、転向者のルサンチマンという面が大きく、実証主義や史料の博捜も実はその手段に過ぎなかったのではないでしょうか。
その伊藤先生のご研究は、「敵」である「左翼」マルクス主義史観が盛んだったときは、それへ対抗することで立派な成果を上げました。しかし具体的な「敵」が、皮肉にも伊藤先生の力と、世界情勢の変化で消えてしまうと、伊藤先生は迷走して亡霊を追いかけ、事ここに至ってしまったと私は思います。
学問で「敵」を倒すのは、間違った説を正すことで、より真理に近づくための手段です。しかし伊藤先生は、おそらく手段と目的を混同されてしまったのではと思うのです。これは、「ニセ科学」批判をしていた人々の中に、正しい知識の普及よりも「ニセ」を叩くこと自体が目的化した人がいるのと同じです。
伊藤先生は、歴史研究に思想や価値判断を持ち込むなという趣旨のことをインタビューでおっしゃってますが、「思想から自分は自由である」というほど危なっかしいイデオロギーはないのではないでしょうか。「左翼」と違って自分は「客観的」なのだ、という驕りを感じます。
結局、「思想」を批難しているうちは良かったけれど、いざその思想を倒してみたら、代わりになるものが自分の中になく、見当違いなものにも「左翼」のレッテルを貼って叩き続けている、まるでアレルギー反応のようなものが、思想を嫌った「実証主義」の成れの果てなのではないかと、私は思うのです。
「思想」から自由な「実証主義」を標榜しながら、その実はとうに廃れた「左翼」という藁人形叩きをして、現状認識が歪んで暴言をする――というと、先月に起こった、呉座勇一さんのネットでの罵倒中傷事件を、思い出さずにはいられません。両者には通底したものがあるのではないでしょうか。
これについては先月、呉座さんの暴言が発覚するきっかけとなった亀田和俊氏の暴言に関連して述べましたが、なぜ「実証主義」を標榜する者が今更マルクス叩きをするのか?とは、「敵」叩きが研究の原動力となっていて、その根底に何かしらルサンチマンがあるのではと思います。
そこで私は考えざるを得ないのですが、思想で研究を捻じ曲げてしまうことが問題なのであって、捻じ曲げることに注意した上で、やはり何か思想というか理想というか、そういうものを持たなければ、研究者はどこかで破綻をしてしまうのではないか、と思うのです。
ひたすらに「敵」を叩く、ルサンチマンの裏返しの攻撃性は、人を遠ざけてしまい、いっそうルサンチマンに凝り固まってしまいます。或いは、同じような怨念を共有する者同士が「敵の敵は味方」でつるむことはあっても、所詮その連帯は続きません。互いを認め合って共感してできたものではないからです。
思想やイデオロギーが問題となるのは、それが教条的なお題目と化して意味を失い、人びとを考えないで生きるようにさせるものである場合です。そのようなイデオロギーの恐ろしさは、チェコのハヴェルの名著『力なき者たちの力』が見事に描いています。
amzn.to/2QgFzD0
思想やイデオロギーを必要以上に嫌い、ルサンチマンで行動している時に、「敵」の姿が具体的であれば戦うためにまだしも自分も具体的に考えるのでしょうが、その敵が妄想の中の存在になってしまうと――敵の像が具体性を失って単純化され、それに対抗する自分の思考もまた単純化してしまうのでしょう。
そうして、ルサンチマンを背景にした思想なき実証主義が思考の単純化を招き、陰謀論に走ったり、単純化した思考でつるむ仲間同士で他者へのいわれなき敵意を募らせたり――それが今起こっていることではないか、私はそのように考えています。
それでは偉そうに書いてるお前はどうなんだ、といわれると、もちろん私は伊藤先生や呉座さんと比べて遥かに浅学菲才であることは自覚しておりますし、何かしらの思想を研究に際し打ち出せるほどの知識も思考力もありません。しかしルサンチマンの罠にかからないで済む条件に、幸いにも恵まれています。
それはまず、周囲に(数は多くないにしても)師と仰げる人、友として敬える人がいることです。共に面白いものについて議論できる人がいるのは幸せです。もう一つは、研究対象について調べて知識を増やしていくこと自体が楽しい、という、私が鉄道マニアであるが故の特質です(笑)
こういうことを書くと、先に引用した先月のツイートでの亀田氏への批判に出てきた、「日本が嫌いなのになぜ日本を研究するのw」みたいな話とごっちゃにされそうですが、それこそ伊藤先生のインタビューのように、「自分は日本人だから日本が好きである」なんて単純な話ではありません。
私は物心ついたころから今まで、ずっと鉄道が好きですが、なんで好きなんだか自分でも分かりません。だからこそ、調べていても飽きないんだと信じています。単純な好き嫌いを超えた何かがそこにあるのです。その何かを追いかけ続けていれば、理想へ至る道の手がかりくらいは掴めるかもしれません。
つまり、『ディスコミュニケーション』の台詞を借りれば、「分からないから好きになる 好きになるから分からない」ですね。
amzn.to/3tuXBQu
というわけで、伊藤先生のインタビューから、呉座さんの事件についてまで思いを巡らせているうちに、すっかり夜も遅くなってしまいました。呉座さんの件についても続きを書くといいながらそのままですが、それも近日中にできればと思っています。
最後に、見事な史学史のオーラルヒストリーをされた、辻田真佐憲氏に感謝して、ひとまず今夜は終わりにします。

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