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Mar 9, 2021 105 tweets 10 min read Read on X
絶望的な頭の悪さ。これが日経か / “夫婦別姓は家制度を壊すか: 日本経済新聞” htn.to/37v2WtvQZa #family #equality #gender #sociology #Japan
nikkei.com/article/DGKKZO…
・「制度」とは何か
・「家」とは何か
・「家制度」とは何か
・現行法は何を規定しているか
の4点すべてまちがえてるからな
nikkei.com/article/DGKKZO…
これ、社会学なり歴史学なり法学なりの人がちゃんと反論 (というか解説) 書いたほうがいいんじゃないか。
私がやってもいいんだけど、明治以前の家族制度について書くのはちょっと不安。
まず、個人の自由に任される事柄は「制度」ではない。個人に一定の行為を強制する社会的な仕組みのことを「制度」というのだから、

>家制度を守りたい人と、壊したい人の双方を満足させる

などという制度はない。「家制度」を守りたいのであれば、それを壊したい人の自由は抑圧しなければならない。
2点目は、「家」の概念を出生時の名前と結びつけている点

>2人の孫に双方の家を継いでもらえることも夫婦別姓選択の大きな効用である。ただし、この場合には子の姓についても統一しない選択肢が必要となる

そんなの現行法でも養子縁組すりゃいいだけの話だし、それこそが伝統的な「家制度」である
そもそも明治以前にはほとんどの人は「氏」というものを持っておらず、それにもかかわらず家産を継承して家業を継続することはできていたわけで、「家」を継ぐのに「氏」は必要ない。
そこでいう「家」とは
(1) それ自体が法人格を持ち
(2) 固有の財産を持ち
(3) 他者との契約を結ぶ能力を持ち
(4) その構成員を統制する権限を持つ
ような存在であり、
(5) その代表権を持つ家長が直系家族原理にしたがって代々受け継がれる
という特徴を持つ。
このうち (4)の構成員の統制については、時代・地域・身分などでさまざまなわけだけど、状況によっては、構成員の生殺与奪の権を握る苛烈なものでありうる。

(5) についても、誰が家長になるかのルールはさまざまであるし、養子縁組によって後付けで直系家族原理を擬制することが容認されている。
また、家長であることは専制的に振る舞えることを意味しない。通常は、家の中での同意を取り付けなければ、家長単独で重要な意思決定を行う権力はなかった。もちろん家の中に権力基盤を作り上げれば独裁的に振る舞うことは可能であるが、それはまあ集団というのは一般的にそういうものですね。
(この議論をやってると分家とか同族とか家連合の話がどうしても出てきてしまうのだが、その辺は私はいまいちわかってないのでパス)
家の「制度」を維持したいのではなく、単に、伝統的な家制度のもとで人々が行動したのと同じやり方を模倣したいというなら、方法は簡単である。会社組織をつくって役員を親族で固め、社長の子供が代々社長を襲名していくようにすればいい。「子供」がなければ、養子をとればいい。
このように、個人の趣味または企業の戦略として関係者全員の合意のもとで「家」をエミュレートすることは、現行法でも容認されている。それを利用するのもしないのも勝手にすればいいのであって、それは「制度」の問題ではない。
今問題になっている「家制度」とはそういうものではなく、「家」が嫌な人にも「家」を前提とした行動を強制する仕組みのことを言っている。
ただ、そこで問題になってくるのが、明治時代の民法が導入した家族に関する一連の法律を「家制度」と言っていいのかである。いやふつうそう呼んでるわけだけど
明治も半ばあたりまでは、日本社会のほとんどは法人としての「家」を前提とした慣習で動いていたと考えてよい。この慣習的な秩序を近代的法制度の中に組み込めるかが明治政府にとって大問題であった。それはひとつには現行の秩序をそのまま利用したほうが統治しやすいからであるが、もうひとつには、
祖先から子孫まで続く「家」に対する忠誠を、「日本」に対する忠誠に転化させることによって、国民国家を作り上げようという発想(=家族国家観)による。

で、いろいろ努力したのだけれど、結局、伝統的な「家」をそのまま法的な主体として登場させるような法体系はできなかった。
欧米からの輸入法体系に即する限り、個人間の契約抜きで、親族集団にデフォルトで法人格を持たせる理屈は作れなかったということ。ヨーロッパの伝統を離れれば可能だっただろうけど、条約改正のため「文明国」体裁を整えなければなら事情もあり、独自の法理論を立ち上げるにも限界があった
で、折衷案として作られたのが、「家」の財産を「戸主」に集中させるとともに、その財産を次期戸主が単独で相続する仕組みである。法的にはあくまでも戸主個人の行為であるという建前のなかで実質的に「家」の行為が行われ、そのために必要な家産は次の代の戸主(長男が想定される)が引き継いでいく。
法的な観点から見れば、明治民法の「家」は法人としての性格を持たない点で伝統的な「家」ではない。ただし実質的には、従来の慣習にしたがって「家」と同様のものとして扱われていたことが多かっただろうし、それは立法者も予定していたところである。
一方で、祖先から子孫へ半永久的に受け継がれる「家」というイメージは非常にクリアである。これは「戸籍」というデータベースの上に「家」の構成員と続柄を登記し、変化の届出を義務付けて履歴を追跡できるシステムをつくることによって可視化される。
というわけで、明治民法下では、(1) 法人としての「家」は存在しない。一方で、(2a) 親族集団としての「家」と (2b) 家系としての「家」は戸籍システムを通じて強く人々の意識を支配した。
その後、1947年の法改正で、(2a) (2b) の要素も否定されている。結果として、「家」の要素は、現行法にはほぼ存在していない。

残っているとすれば
(1’) 夫婦の日常家事債務連帯責任などのように、個人の法的行為を個人には完全には帰属させていない点
(2a’) 夫婦と未婚の子はひとまとめで同一戸籍に載るので、ひとつの集団として認識されやすい
(2b’) 戸籍システムは依然として家系を追跡する仕組みを提供している
(2b’’) 祖先祭祀のための宗教施設については単独相続の例外規定がある

といった点。
これらは、(2b’’) を除いては直系家族制に基づくものではないので、通常は「家」制度に属するものとしては見ない。
この状況で、戸籍に載せる名前のことが「家制度」の問題になるというのは、相当にピントのぼやけた話である。
3世代戸籍の復活とか、戸主制度の復活とか、単独相続の復活とかならわかる。さらに言えば、本気で家制度を守りたいなら、その実質的な担い手である家族経営型自営業の保護に尽力すべき。
まあだからまず言えるのは、彼らは家制度を守る気などないのだということ。「家」が何であるか理解していない可能性も高い一方で、もし正確に理解していれば、それは現代社会の主流としては生き残りようのないものだということがわかるはずである。
可能性があるとしたら、経済的な活動を担う実質的な社会制度としてではなく、象徴的なものとして延命させようとしているのだということ。
・「家名」を共有することによって識別される親族集団ないし家系を「家」と呼んでいるのであり、
・その単位は個人ではなく核家族である、
とすると筋は通る。
なんで核家族なのかというと、それは現行の戸籍の掲載単位だから、という転倒した理路であるかもしれない。そうだとしても、いったん近代的な制度によって規定されたものを持ってきて伝統的な家族制度を編み直したものではあるわけで、近代化された「家制度」ということになる。
伝統的な「家」が直系家族制に基づく法人格という形をとるのは、限られた生産手段を分散させずに経済活動を維持するという目的に適っていたからだろう。しかし、そういう制約がないところで象徴的な機能だけを追求するのであれば、究極的にはなんでもありである。
要するに彼らが恣意的に伝統だと見做したものはなんでも伝統であり、死守すべきものになってしまう。外部からみてるとよくわからんけど、彼らの内部ではいろんな曲折をへてそこにたどり着いたのであって、きわめて経路依存性の高いものであると考えておいたほうがいいかもしれない。
もっとも、恣意的とはいっても本当になんでもいいわけではなく、彼らなりの基準に適合したものが選ばれやすいと考えるのが合理的であろう。どういうものが基準でありうるかを考えていくと、
(1) 家族国家観の強化に役立つ
(2) 扶養や介護などの責任を取らせやすい
といったところじゃないでしょうかね
つまり
(1) 三種の神器を受け継ぐ万世一系の家系とパラレルなものとして、それぞれの家名を受け継ぐ庶民の「家」がある
(2) 現実に扶養や介護を引き受けている核家族やそれが結合した3世代家族が解体するとこまる
という感じの発想を深く考えずにつなげちゃうと、
核家族を維持するために家名の共有を強制する
という発想に至るのでは。
nikkei.com/article/DGKKZO…
で、日経記事の話に戻すと、「家」を、個人が家名を継承していくものとしてしか認識していないように読めるんですけど、本当に保守派もそう認識してるなら、そもそも問題になってないですよね。実際には、個人ではなく核家族が家名 (=氏) を持つのだというのが彼らの主張。
よくわからなくなってきたんだが、核家族は戸籍にまとまって載ってるわけである。この同じ戸籍に載ってるという事実だけでは十分ではなく、一緒の戸籍に載っていても氏が違えば一体感は感じられないのだとすれば、それは戸籍を重視していないということではないのか
言い換えると、戸籍そのものではなくてそこに書いてある「氏」にのみ呪術的価値があるという命題が彼らの主張の核心だと考えることができるわけだけど、なんでそんな変なことを思いついたのかよくわからない。
戸籍はどうでもよくて、普段どういう名前を使うかが大事だ、というならよくわかるんですよ。でも、それは核家族内で違ってていいんだ、というわけでしょう?
一方で、戸籍にしか載ってないほうの名前はそんなに重要なのに、その同じ戸籍に誰が載ってるかは重要ではないという。
歴史的に見ると
・個人がどこ一族出身かを示す固定的なラベルが「氏」
・現在実際に機能している親族集団につける可変的なラベルが「苗字」
みたいな感じになってたということでいいんかね。だから、「源一族出身で現在徳川家に所属する家康」みたいな自己紹介がありうる。
で、大概の人にとって所属親族集団は重要だけど、どこ出身かはあまり重要ではないので、一部の意識高い人以外は苗字しか使わなくなり、「氏」は形骸化していく。
ちょっとややこしいのは、
・「氏」は親族集団と個人の2種類のメンバーを持つが
・親族集団は個人のみをメンバーとして持つ、
という包含関係になっていること。個人から見ると
(1) 自分自身の出身を示す「氏」
(2) 自分が所属する親族集団の出身を示す「氏」
のふたつがありうることになる
上のような事情で「氏」が形骸化してしまっているので、その辺はふだんよくわからんまま生活しているのだが、何かの拍子に格式ばった場に出なきゃいけなくなったりしたときなどに調べて初めて知ったりするわけである。
さて、明治政府の作った戸籍制度では、「氏」は (2) の意味しか持っていない。氏は家についているのであり、個人はその家のメンバーであることによって氏に結び付けられる。もちろん、自分の出生時の家の氏を調べれば自分の出身はわかるのだけれど、直接的にはそれは自分の氏ではない。
個人は
・自分の所属する家の氏
・自分自身の (家族内で出生時につけた) 名前
を結合した「氏名」を使うのである。
これはつまり、
・氏の中に家があり、
・家の中に個人がいる
・個人は家の間を移動できるが、家は氏の間を移動できない
ということですね。
別姓反対派の主張というのは、個人は家を通じてのみ氏にアクセスできるのが戸籍制度の仕様だ、という認識に基づいている。つまり、個人が氏を持ってはならない。
「氏」というのは「家」を表示するラベルなのであり、それが個人の持ち物であるかのようにあつかうのは度し難い、みたいな感覚だと思えばいいのだろうか。
うーん、やっぱりわからん。そういうシステムとして理解できるのはわかるけど、なんでそんなことがそんなに重要なんだよ。
「家」は行為主体である (責任を取りうる) が「氏」はそうではない、というのは大きいかもね。
政府は行為主体であるが、集合体としての国民や民族は (あるいは天皇は?) そうではないということとパラレル?
いや、国際法において国家は行為主体であるが個人はそうではない、みたいなことと比較したほうがいいか。
19世紀の国家が二重国籍を排除しようとしたのと同じ理由で、個人が氏と家に二重に帰属することは排除されねばならない。
自分の娘が他家に嫁に行ったならそれはもう他家の人間なので、そこでのトラブルに口を出してはならない、みたいな話。
嫁姑問題を家の自治で解決させる、みたいなことを考えるときには、実質的な意味が出てきそう。
前提を説明しないと訳が分からんかもしれんのですが、この問題は、ちょっと前までのような、夫婦が別の姓を名乗ることへの反対論とは別物です。以前「夫婦別姓」として問題になっていたのはふだんどういう名前を使うかという話で、戸籍名だけではなく、旧姓使用に対する反発もふくみます。
これは大変わかりやすい話で、親の名前が「磯野サザエ」で子供の名前が「フグ田タラオ」だと、親子に見えないじゃないか、ということ。Family name は文字通り家族を表示するものなので、別の名前が表示されていれば家族じゃないと思ってしまうよね、というのは理解可能。
ところが今やってる議論では、ふだん「磯野」と名乗っていい、というわけである。住民票とかパスポートも全部「磯野」名義、税や社会保険も「磯野」名で、周囲もみんな「磯野さん」と呼んでいる。それで何の問題もないが、ただ戸籍の氏だけは「フグ田」にしないといけない、という主張。
つまり、実際の社会生活とは何の関係もないところで、政府が管理する親族関係データベースにだけは、家族が一体であることを示す「氏」を書き込んでおかないとよからぬことが起こる、という呪術的主張が大真面目になされてるわけで、それどこから来たんだよ、ということが知りたい。

戸籍そのものではなくて、そこに記載される「氏」だけが重要だという発想みたいなので、戸籍そのものに呪術性を認める思考 (「戸籍が汚れる」云々) ともおそらく別である。
整理しておくと、夫婦別氏反対派の主張は
(1) 家族は一体でなければならない
(2) 氏が違うと分断が起きる
という2つの命題の合成だとみることができる。このうち (1) は現代社会の支配的なイデオロギーをそのまま写してるわけで、まあふつうなんだけど、 (2) が謎
いやもちろん、「氏が違う」というのが、物部氏 vs. 蘇我氏とか、平氏 vs. 源氏 とかならわかるんですけど。何百年前の話をしてるのかという。
ちょっと前までは、ステルス的な選択的夫婦別姓制度導入戦略なのかとも思ってたんですけどね。つまり、「いちばん大切な戸籍の「氏」はちゃんと守りますから」ということで保守派を説得して、実質的な旧称使用の範囲を拡大して外堀から埋めていくという。
でも様子を見るに、本気らしいのですよね。

「氏」ってのは家を代表して受け継がれるものなので、単なる個人の名前とは格のちがうものなんですよ、
とかいわれるとなんかそれで説得されてしまう、頭のいい人がたくさんいたというだけの問題だったりするかも。
中世以降に広がった「氏」のいくつかは祖先が皇族であることを表示する機能を持ち、朝廷から与えられた身分を示す「姓」とあわせて箔付けに使うものだったことと考えあわせると、「ふだん使ってる苗字とは別に、家系・身分表示としての氏姓がある」という感覚は別に変ではないんだよな。
離婚後の婚氏続称問題とかやってたときに、なんか議論があったかな。
自分が「保守派」だったとして夫婦別氏のなにが許せないかな、というのを一生懸命考えてみた結果、家の永続性が感じられなくなる、というのがいちばんしっくりくる答えのような気がする。永続するのは氏だけで、家はメンバーが全員いなくなれば意味のない存在になってしまうような。
どういうことかというと、現行の戸籍の掲載単位は核家族なので、筆頭者とその配偶者と未婚の子供だけがメンバーなのである。子供が結婚すると別の戸籍を作って独立するので、メンバーではなくなる。筆頭者夫婦もいずれ (死亡などで) この世にいなくなるので、実質的にその戸籍は空になる。
後に残るのは、この戸籍にこういうメンバーがいたということと、その人たちにどのような戸籍上の移動 (出生・死亡・婚姻など) があったかということを記した記録である。
しかし、異動の記録があるということは、それをたどって、現在生存している世代から、過去の世代にたどっていけるということである。原理的には、明治初年に戸籍が編成されたところまでたどれる。戸籍を過去にさかのぼって見ると、自分が継承してきた親族集団の歴史を根拠づけるものとして機能する。
この時に、完全に個人主義的に見るなら、個人をたどっていって系図を書いてもかまわないわけである (というか普通そうしてる)。この場合、「親族集団の歴史」とはいっても、そこに表示されるのは集団ではなく、個人を単位とし、親子関係と夫婦関係という2種類の関係で記述されたネットワークである。
この認識のしかたはおよそ「家制度」的でない。「家」というものが出てこないからである。つまり、家系を把握するうえで「家」は不要の概念になってしまうのだ。「保守派」の人々が耐え難いと感じるのはこの点ではないだろうか。
なんでこうなるかというと、人類は有性生殖で殖えるから。祖先をたどっていくと、父と母の2系列にわかれていくので、集団として捉えるのは難しい。
無性生殖で次の世代ができているだけであれば、祖先 (=幹) から一方的に枝分かれしていく1本の木のような系図になる。その木を「集団」ととらえればよい
現行法では、筆頭者の「氏」をたどると、無性生殖と同様の枠組で家系を記述できる。戸籍は氏を一つだけ持ち、それは筆頭者が前に所属していた戸籍から継承されるからだ。個人を捨象して戸籍上の記録をたどっていくと、前の世代の戸籍が分裂して次の世代を作り出していく仕組みであるかのように見える。
この場合、戸籍の掲載単位 (=家) によって継承されていく「氏」の歴史として、家系を眺めることができる。まず氏があり、それを受け継いでいく家があって、個人はその家の間を移動していく。この認識であれば、「家」は歴史を構成する上でやはり抜くべからざる役割を果たしていることになる。
さて、これが、一つの家のなかに複数の氏が存在していいという制度 (=夫婦別氏) になるとどうなるか。結婚して新戸籍を作った際、妻の前戸籍の氏と夫の前戸籍の氏が、両方とも新戸籍に持ち込まれることになる。
この状態で「氏」を先祖に向かってたどっていくとすると、母系と父系のうち、自分と同じ氏のほうをたどっていくことになる……ので、家とは関係なく、個人を単位として親子関係をたどっていくことになってしまう。やはり「家」は不要になるのである。
あ、だめだ。これだと、子供の氏が統一されてればそれでいいことになってしまう。たとえば、配偶者は筆頭者とちがう氏を持ってよいが子供の氏は全員筆頭者とおなじ、という制度なら、保守派も満足……のはず。だけど、彼らはそれも嫌なんだよね?

というわけでここまで考えたけど仮説棄却。
うーん。そうすると、次世代に氏をどう継承するかの問題ではなくて、同世代の夫婦の氏が違うことだけが単純に問題なんだよな。
配偶者は結婚後も姻族の氏に所属する。
いやだからそれの何が問題なんだよ。
とりあえず前半部分 (日経批判中心) を文章にしました:
remcat.hatenadiary.jp/entry/20210315…
「家制度」をめぐる奇妙な言説
・「制度」とは何か
・「家」とは何か (明治民法における「家」; 経営体としての「家」)
・家名を存続させるには何が必要か
・夫婦別氏反対の論理
#family #law #history #Japan
remcat.hatenadiary.jp/entry/20210315…
>3月9日の『日本経済新聞』サイトに、「夫婦別姓は家制度を壊すか」というコラムが載った。
>「家制度」というものの理解があまりにデタラメなので、どこがおかしいのかを指摘しておきたい。
remcat.hatenadiary.jp/entry/20210315…
>「家」がどうこういう以前に、「制度」とは何かがわかっていない
>「制度」とは、個人に一定の行為を強制したり制限したりするもの
>だから、「家制度を守りたい人と、壊したい人の双方を満足させる」などということは、定義によって起こりえない。
remcat.hatenadiary.jp/entry/20210315…
>「家」についての理解もおかしい
>家族法に関連する用法としては、
>明治民法 (1898年成立) が規定した「家」
>日本社会に伝統的に存在してきた、家業を営み、世代を超えて継続していく、経営体としての性格を持つ親族集団
>のふたつがある。
>1898年に成立した民法 (「明治民法」と呼ぶ) は、
>戸主が属する戸籍を「家」と呼んでいる
>戸籍上の概念である
>当初の戸籍は…しばしば非常に広い範囲の親族をふくむ巨大なもの
>あたらしいメンバー (たとえば子供、孫、ひ孫……) が登録されていくため、永久に存続することが想定されている
>「家」の制度は、1947年の法改正で廃止され…現在は存在しない
>現行制度の戸籍は、2世代をこえて存続できない。筆頭者からみた場合、子供は同一戸籍に入りうるが、孫は入らないのである。
>未来の世代が戸籍に登録されていくことによって永続する「家」は、現行法の下ではありえない
>もうひとつの「家」の概念は、伝統的な日本社会の家族の実態に根差すもの
>「家業」を営む家族経営体は、現在でもたくさんある
>「家」を経営し、存続させていくにあたって、戸籍上の「氏」のちがいは何の障害にもならない
>「佐藤商会」の従業員が全員佐藤氏でなければならないということはない
remcat.hatenadiary.jp/entry/20210315…
>日経コラムが指す「家」というのは、以上のような意味でのものではなく、子孫が祖先とおなじ氏を保持している、というだけのことのようだ
>しかし、ここでどうしても佐藤家が「絶える」のがいやだと考えるなら…養子をとればいい
>選択的夫婦別氏制度を導入したとしても。「2人の孫に双方の家を継いでもら」う…には、子供や孫に特定の氏を確実に選択させる強制力が必要
>経済力とか同族集団の圧力とかによってそうした強制が実際におこなわれたとしたら…自由な選択とはいえまい

>日経のコラムは基本的な認識がいろいろ変
>こういう考えかたをしていると、夫婦別氏反対論の論点を見誤る
>夫婦別氏反対論者は、家制度を擁護しているわけではない
>彼らが守ろうとしているものは、核家族
>通称使用の拡大の主張とともに…親族関係データベースにだけは「氏」を書き込んでおかないと災いがもたらされる、という呪術的な主張
remcat.hatenadiary.jp/entry/20210315…
>彼らが守りたいのは核家族の内部ではたらく「絆」である
>つまるところ、戸籍に秘められた「氏」のパワーがなくなれば核家族が解体してしまう! というのが、夫婦別氏反対論の要点

示し合わせたわけではないんですが、すごいタイミングでちょうどいいサンプルが
zakzak.co.jp/soc/news/21031…
公開日時としては、ZAKZAKの高市早苗インタビュー記事のほうが先ですが、全然読んでなかった。

この指摘は重要。「子どもを育てて有形無形の財産を相続していく」のが私たち考える「イエ」の姿でしょ、というのはまあそうで、それをサポートする現在の制度は、ほぼ戸籍上の「氏」と無関係に作動している。
有形財産の相続ですらそうであり、無形のものに至っては親族であるかどうかも関係ない。
というか、4人の磯野氏と3人のフグ田氏と1匹のネコからなる「サザエさん」一家と近隣の人間関係を描いた漫画を、みなさんどういうつもりで受容してるのかと。

でまあ、そういう現代的な「イエ」の多様性を無視して、「男性稼ぎ手+女性専業主婦」というモダンな家族を標準とみなすのが日本の保守層の家族観である。
……ので、その時点で、実態とも伝統とも関係ないものになってしまう。
しかも話はここで終わらなくて、なぜかそれが宗教的な観念を表象する「氏」に結びつく。
b.hatena.ne.jp/entry/46998553…
まあ、葬式をはじめとして、結婚も出生も宗教儀式をともなうことが多いわけだから、親族関係の事柄は宗教的な出来事として認知しやすい側面をたくさん持つのは確かである。

宗教というのは、日常的な「こちら」世界とは別の「あちら」の世界を想定するもの。で、「あちら」側の家族の仕組みがなんかあって、「こちら」側の家族との間で相互に影響を与えあう、みたいなことになる。
子孫が供養をおこなうことで、餓鬼道に堕ちていた先祖が救われる、みたいな説話を思い浮かべていただけると。

日頃はどんな乱れた生活をしていても、宗教行事の直前だけ精進潔斎すればOK、みたいな

ちゃんと調べる必要があるけど、磯野家の墓参りその他の宗教行事にフグ田氏の3人は出てる? フグ田家の行事の場合、磯野氏の4人は?
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5…
>1946年(昭和21年)4月22日から連載を始めた

明治民法下やん
あ、でも最初は磯野サザエさん独身なのか。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7…
>『サザエさん』は8月22日[19]にサザエの結婚で一旦打ち切り
>1947年1月3日、「夕刊フクニチ」への『サザエさん』連載を再開

だから、やっぱり明治民法下ですね。
hourei.ndl.go.jp/#/detail?lawId…
民法全面改正は、
昭和22年12月22日法律第222号
なんで非常に覚えやすい
#Japan #family #law #history

常識的に考えて、氏が違うから行かないとかいうことにはならんよね。
祭祀継承者については
elaws.e-gov.go.jp/document?lawid…
>慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者

ってとこに「氏」をいれる可能性はあるが
明治民法だと、祭祀継承者はつまり戸主なわけで、そこははっきりしている。

この問題を考えてると、そもそも複雑に絡み合った人生の軌跡を、家族「集団」の歴史として切り取ることの割り切れなさがどうしても残るわけである。
それを割り切るための方便として「家」があるのだ、みたいな逆転した見方も可能だけど。
親しい人が亡くなって混乱しているときに、葬式を誰が仕切るのか、みたいな話で争いたくはないわけで。家の論理で主宰者が指定されるなら、厄介ごとがひとつ減る。一定の形式を守って喪に服せば個人を悼んだことになる、というのも同様の話かな。まあ儀式というのは本来的にそういうものである。

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-----------------------------
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