ツイッターのトレンドに上がっていたこの記事、内容もひどいですが、それへの反応も輪をかけて酷くて眩暈がします。「キリスト教みたいな『宗教』は悪! 『宗教』信じない俺たち日本人正義!」みたいなエスノセントリズムに辟易します。
toyokeizai.net/articles/-/411…
さっき該記事への批判的ツイートをいくつかRTしましたが、それらは例外的であって、大部分は「秀吉スゴイ!教科書に載せるべき!」みたいなのばっかりです。すでに指摘がありますが、サン・フェリペ号事件は高校の教科書に載ってたと思うのですが。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5…
そしてサン・フェリペ号事件に怒った秀吉が二十六聖人殉教事件を起こすのですが、この26人は奴隷貿易と関係がなく、とばっちりの憂さ晴らしに虐殺されたとしか言いようがありません。この事件については、精緻な考証に定評ある吉村昭が小説化しています。こっちを読もう。
amzn.to/352M8gt
二十六聖人は、京都で片耳を削ぎ落とされる肉刑を受けてから、長崎に連行されて磔にされています。これは当時としても、わざわざ耳削ぎをしてから処刑するのは残酷といえるものであったといえます。これについては『耳鼻削ぎの日本史』というとても面白い本をご参照ください。
amzn.to/3w2Vt3C
これだけでも十分問題ですが、私がこの記事の最大の問題と考えるのは、ここです。
「最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。」
そんな植民地化、ありません。
toyokeizai.net/articles/-/411…
だいたい16世紀ごろのヨーロッパによる「植民地化」は、技術に大きな懸隔があり、また旧大陸の病原菌やウイルスに免疫のなかったアメリカ大陸でこそ、既存の帝国を少人数で征服できました。しかし、アジアやアフリカの、それなりに文明を持った国を征服した例は、どこかあるでしょうか?
大航海時代において、ヨーロッパの技術的優位がそれほど大きくなかったことは、それこそポルトガル人が持ち込んだという鉄砲を、すぐさまコピーして大量生産をやってのけた日本人が証明しているじゃないですか。当時のアジアやアフリカでの欧州の「植民地」とは、貿易拠点という「点」にすぎません。
アジアやアフリカにおいて、16-17世紀のヨーロッパ人は、大国のなかった島嶼部(フィリピンとか)でこそ、そこそこの拠点は築けても、中国やインドに食い込むことはできませんでした。軍事的に不可能だからです。宣教師で洗脳? それができた地域ってありますか? フィリピン以外ないでしょう。
大航海時代、ヨーロッパ人が「点」だけでも拠点を築けたのは、船の技術とそれに積んだ大砲が優れていたから、というのは、技術史の古典であるチポラ『大砲と帆船』が説くところです。言い換えれば、船の搭載砲の射程距離を超えると、もう欧州人の軍事的優位はありません。
amzn.to/3pxYkiv
ですから、秀吉のころにヨーロッパ人がアジアに築いた拠点というのは、極めて不安定で、ヨーロッパ人同士の拠点争奪戦に加えて、現地の有力者の怒りを買ったら潰されてしまいかねないものだったのです。実際、秀吉はスペイン領フィリピンに貢納を要求し、びびった比総督は現地の日本人を殺害したとか。
もっと面白い話があって、これも確かフィリピンだったと思うんですが、スペインとオランダが拠点争奪の戦争してるところに、朱印船貿易の日本船がやってきました。すると両者は戦闘をやめ、安全に日本船を通したのです。幕府を怒らせて、対日貿易から締め出される方がずっと怖かったのです。
この辺の話は、16世紀にそれまでイスラム勢力に押されていたヨーロッパがいかにして軍事的に強くなったか、いわゆる「軍事革命」について論じた、パーカー『長篠合戦の世界史』がネタ本です。ちなみに私の持っている同書は、パーカー先生のサイン入りです(ただの自慢)
amzn.to/3x9be9c
ただ『長篠合戦の世界史』(これは邦題で、本来のタイトルはサブタイの『ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500~1800年』です)には、日本についての記述には問題があります(長篠三段撃ちを無批判に受け入れているなど)。そこを補ってくれる本が、久保田正志『日本の軍事革命』です。amzn.to/34ZoTUp
繰り返しますが、16-17世紀において、ヨーロッパ人がアジアやアフリカで、現地の有力な国家を征服して領域的な植民地を建設した例は、ないでしょう。サン・フェリペ号事件の船員の放言はフカシです。当時ヨーロッパ人がアジアに築けた拠点は、小さく不安定なものでしかありませんでした。
代表的な例として台湾が挙げられます。中華帝国の辺境として未開の地だった台湾を、当時絶頂期だったオランダは占領して、ゼーランディア城を築きます。しかし、そこに現れたのが『国姓爺合戦』で有名な鄭成功でした。オランダの拠点は鄭に落とされ、明の残党が清に抗戦する拠点になってしまいます。
つまり、明とか清とかアジアの大勢力どころか、滅んだ明の残党というゲリラ勢力にすら、ヨーロッパの拠点は落とされてしまうようなものでしかなかったのです。そんな軍事的不利を、キリスト教布教で乗り越えた地域がどこかありますか? ないでしょう。
それでは、ヨーロッパ勢力が領域的な支配をアジアで確立できるようになったのはいつごろか、というと、まず一番早いところでも、18世紀後半になって、プラッシーの戦いで勝利したイギリス東インド会社がベンガル地方の徴税権を得た時でしょう。って、高校の世界史の教科書に載ってる話ですが。
そしてイギリスがインドを植民地化できたのは、産業革命が既に起こりつつあった生産力の強化が根底にあり、インド側の内紛がイギリスの付け入る隙を作ったという事情もありますが、イギリス人が聖公会をベンガルに布教したわけでは、全然ないですよね。今も昔もイスラムとヒンドゥーが混ざってます。
そしてベンガルを得たイギリスにしても、インド全域を征服するには19世紀半ばまでかかってますし、インドネシアに秀吉のころから拠点を持っていたオランダも、内陸まで支配を確立するのはやはり19世紀も後半です。産業革命による飛躍的な技術進歩によって、やっとアジアは征服できたのです。
この19世紀における技術進歩と植民地の拡大については、ヘッドリク『帝国の手先』という、とても面白い本があるのでお勧めです。『長篠合戦の世界史』の序文でパーカーも、「読みだしたらやめられたくなるほど面白い」と絶賛しているくらいです。
amzn.to/3g4QARW
ちなみに何でパーカーがヘッドリクを引いたかというと、ヘッドリクは、19世紀初め世界の25%(だったかな?数字はうろ覚え)しか支配してなかったヨーロッパが世紀末には8割(?)を支配できた経緯を書く、というのに対し、最初の25%を獲得した経緯を自分は書く、と述べています。併読しましょう。
この他にもいろいろ問題は見当たりますが、それはひとまず措きます。この「「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断」なる記事がクソなのは、もう十分立証できたと思いますので。問題は、こんなクソ記事が書かれ、しかも結構「受けて」しまっていることです。
その背景には、キリスト教(のような一神教)に対する、敵意というよりは侮蔑のような、日本人の思い込みがあるのでしょう――それは欧米の文明へのコンプレックスを、キリスト教をやれ偏狭だの残酷だのと腐すことで解消しようとする、さもしさの表れであると私には思えます。
もちろん、一神教の観念が時に社会を縛り沈滞化させることもあります。それこそハプスブルク時代のスペインがいい例だったりするのですが(苦笑)。運河を作って産業発展させようとしたら、教会から「神がお望みなら最初から川はつながっていたはずだ」と横槍が入ってボツになってしまった、とか。
この話はうろ覚えですが、確かエリオット『スペイン帝国の興亡』に載っていたような気がします。今は岩波から新しい版型で出ているみたいですね。
amzn.to/3crmG8e
ですけど、日本人のキリスト教への冷笑は、日本人にとっても良くない影響を及ぼしているように、私には思えます。キリスト教は信じなくても、普遍的価値観というものは大事だと私は思うのです。しかし、キリスト教のような普遍への希求を馬鹿にし、現世利益ばかり追っているのが日本の現状では。
まあ分かりやすく、白洲次郎の言葉を借りて言えば、「プリンシプルがない」ということですね。普遍的な価値観を馬鹿にしていると、結局目の前の強い者やはやりものに追従するばかりで、自己を見失ってしまうことになりはしないでしょうか。そして自分が何をしたいかすら見失う。
現代人にとって、宗教をそのまま信じることは難しいでしょう。そんな時に、普遍的価値観を持つ手助けになってくれるものの一つが、学問だと私は思うのです。歴史学ももちろん入ります。歴史を、自己正当化と思いあがりの燃料にするのではなく、自己を見つめなおす手段としたいと、私は痛切に思います。
その点、「秀吉の大英断」だか何だかの記事は、秀吉を称賛するようでいて、それを通じて「キリスト教に『勝った』日本はエライ、だから日本人の俺もエライ」と思いあがらせるためだけの、いわば自己を慰めるポルノグラフィでしかない、といえばポルノに失礼かもしれませんね。
だから該記事に舞い上がっている連中には、以下の言葉を贈ります。
「イカ臭い手で史料に触らないでください」
「オナニーはエロ本でどうぞ」
しかしまあ、考えてみれば、分かりやすい「歴史ロマン」的なものにはまってしまう精神性では、エロ本もちゃんと読めないかもしれません。例えば近年の優れた作品として、藤丸『ユアソング』amzn.to/3v4cJnY のような、設定の深い作品は手に余りそうですな。
真面目に締めくくっておくと、歴史から学べる、とても大事で意義あることはおそらく、「世界はややこしい」ということなのです。それを「分かりやすく」だとか「ズバリ答える」とかいう時点で、それは怪しいのであり、人を酔わせる安酒というか麻薬のようなものだといっていいでしょう。
この世界は、社会はややこしい。そのややこしさから逃げないことが大事で、ややこしさに挑む武器として学問は大事なのです。社会のややこしさとどう向き合うかについては、筒井淳也『社会を知るためには』がおすすめです。
amzn.to/3v9VcLe

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