これは歴史的にはおかしい。1910年代までのアメリカでは、日本の大手私鉄のモデルとなった(経営技術的にも、電気技術的にも)インターアーバンが約2万マイルもあった。自動車の普及で1930年代までにほとんど電車は消える。自動車によってより高級で拡散した郊外ができ、電車が滅んだのである。
都心に対する郊外の歴史は19世紀にはじまりますが、通勤手段が馬車⇒汽車⇒電車⇒自動車と移り変わるにつれて郊外の様相がどう変化していたのかは、『ブルジョワ・ユートピア』という本が面白いです。
amzn.to/3CeZtAI
サンフランシスコでも、対岸のオークランドとベイブリッジで結んでいた電車のキーシステムを1950年代(確か)に廃止して自動車の天下になったかと思いきや、1980年代以降またBARTを整備するという紆余曲折で、そう単純に嫌われているとも言い難いのでは。時代による好悪感情の変化はあるでしょう。
アメリカのインターアーバンが滅んだ大きな要因は、郊外は専用軌道でも、都市内ターミナルへのアプローチは路面の併用軌道だったので、自動車の増加により定時運行が難しくなったことにあるといいます。日本では郊外電車と都市内路面電車は経営体の違いから直通しなかったので、そうなりませんでした。
そういうわけで、日本の電車のモデルだったアメリカのインターアーバンは、1929年以降の大恐慌で消滅へと向かいます。で、当時、東京川崎財閥の三代目当主川崎守之助はアメリカでその状況を見、日本の電車に将来性にも見切りをつけて、それまで同財閥は幾つもの電鉄に投資していたのを引き上げます。
これで酷い目に遭ったのが、川崎財閥の代理人として、出資した電鉄各社の経営にあたっていた後藤国彦でした。彼は池上電鉄を経営していましたが、親分の川崎が池上の株を並行する目蒲電鉄の五島慶太に売ってしまい、哀れ池上から追い出されるのでした。
話をアメリカに戻すと、周知のように大恐慌に対しFDRがニューディールを進めるのですが、その一環でTVAで国が電気事業にかかわるなど、電気事業への監督を強めたそうです。その際、電車と電気の兼業をしていた会社は経営分離するよう求められ、これがインターアーバンの最後のとどめになったようです。
日本でも実は、東京市に吸収される直前の王子電軌とか、これまた五島慶太に乗っ取られる前の玉川電車とかは、収入の大部分を沿線の電力供給で得ていて、電車はおまけでした。アメリカのインターアーバンも兼営電力業の内部補助で余命をつないでいたのが、政府の都合でダメになって消えたとか。
てなことをもっときちんと研究したいので、私がだいぶ集めたインターアーバンの歴史に関する洋書を、オンラインで輪読する読書会でもできたらなあと思うのですが、ご関心のある方はぜひご一報ください。
とりあえず候補の本の一冊など。これを見たら、「インターアーバンは消えたが、郊外に電気供給を広げたのがその遺産である」みたいなことが書いてありました。でもちゃんとは読んでない……
amzn.to/3hxWyeO
最後に、アメリカのオレンジエンパイア博物館で撮ったキーシステムのブリッジユニットの写真を挙げておきます。キーシステムは厳密にはインターアーバンというよりは市内・郊外電車というべきかもしれませんが、まあその辺は大目に。 Image

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17 Sep
全く無意味な妄想を振り回すのは、どうぞお身内の中だけにしてください。あなたの呉座さんの一件に関するツイートには、何の具体的な証拠もありません。そもそも、肝心の発端である「呉座さんが鍵垢でやらかしてしまったこと」への読解が決定的に欠けているのです。
これは誤解してる人も多いのですが、呉座さんがやってしまったことは、「北村紗衣先生を根拠なく誹謗中傷した」ことだけではないのです。それは氷山の一角にすぎず、そのほかのフェミニズム活動をしている女性や、BLMに沖縄だの、「お仲間」とつるんで冷笑悪口の限りをしていたことが問題なのです。
この悪口雑言のうち、最初にスクリーンショットで暴露されたのが北村先生の件で、それがきっかけとなって続々とさまざまな冷笑中傷が発掘され、呉座さんは鍵を解除して詫びを述べ、謹慎しました。その際問題のあるツイートは削除していたようですが、そこで今度は「いいね」欄が漁られてしまいます。
Read 10 tweets
17 Sep
「呉座さんを陥れた連中」などというものは存在しない。呉座さんは下らん連中とつるんで自爆しただけ。しかし自爆させた連中(敢えて言えばこれが「陥れた連中」)は
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もっとも皮肉にも、「有馬哲夫は歴史修正主義の陰謀論者だから炎上するに違いない」という揶揄に、ご当人が「私を陥れる陰謀だ!」と自分で火をつけて炎上し始めたので、再帰的に揶揄の正しさが証明されてしまった。回線切って頭を冷やすことを勧めたい。
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8 Jun
ツイッターのトレンドに上がっていたこの記事、内容もひどいですが、それへの反応も輪をかけて酷くて眩暈がします。「キリスト教みたいな『宗教』は悪! 『宗教』信じない俺たち日本人正義!」みたいなエスノセントリズムに辟易します。
toyokeizai.net/articles/-/411…
さっき該記事への批判的ツイートをいくつかRTしましたが、それらは例外的であって、大部分は「秀吉スゴイ!教科書に載せるべき!」みたいなのばっかりです。すでに指摘がありますが、サン・フェリペ号事件は高校の教科書に載ってたと思うのですが。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5…
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amzn.to/352M8gt
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7 Jun
「前へならえ」にこだわるのは、やはり戦前の軍事色を帯びた教育の残滓なのでしょうか。その昔もっと「前へならえ」がうるさく、入学したての一年生が学校とは「前へならえ」をするところと思い込んで、授業中注意されたら立ち上がって「前へならえ」したという話があります。
「前へならえ」の昔話は、何度かネタ本にした覚えもありますが、山中恒『子どもたちの太平洋戦争』が出典です。
amzn.to/3uZ2j8Q
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18 Apr
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17 Apr
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amzn.to/2OUVztM
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amzn.to/3uWteCF
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