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14 Oct, 31 tweets, 2 min read
太田啓子『これからの男の子たちへ』(大月書店)

男らしさ、男性性は、これまで社会的にポジティブな評価を受けてきた資質、能力だった。
もちろん、物事を遂行する上で、それはポジティブな側面も持つ。だが、光があれば闇もある。男性性のネガティブな側面は、これまであまりにも無視されてきた。
問題は、男性性そのものというより、男性のホモソーシャルな社会性のなかで、男性性が唯一絶対の価値として共有され、人間のそれ以外のさまざま美質が抑圧されてしまうことにある。
男性性の優位を競うホモソーシャルな社会の中では、”男らしくない”ゲイや女性は嫌悪され、嘲笑の対象となる。
男は、子供の頃から「誰が最も男らしいか」を競い合う価値観のなかで育つ。「男らしさ」とはどういうことか?
『男らしさの終焉』という著書の中で、社会心理学者のグレイソン・ペリーは、「男性性の4要素」を、①意気地なしはダメ、②大物感、③動じない強さ、④ぶちのめせ、とまとめている。
要約的に換言すれば、「怖気づくな、弱音を吐くな」ということになるだろう。
例えば、男の子は転んでかすり傷を負ったとき等、痛かったり不安だったり怖かったりして泣いたりすると、たいてい「男の子でしょ」と叱られる(ニュアンスとしては「慰められる」「たしなめられる」という感じなのだが)。
「男の子でしょ。情けない。女々しい」ー親から、友達から、メディアから、絶え間なくこのメッセージを浴びせられ、その中で、自分のなかにある弱々しさを「乗り越える」のではなく、「否認する」「抑えつける」という形で折り合いをつけていくようになる。
男らしさに見合うだけの内面ができていないのに、それを演じなければならない。自分のなかにある弱々しさを否認してしまった男たちは、例えばさまざまなシチュエーションの中で肉体的・精神的に限界が来たとしても、「つらい」「やめたい」とは、もはや言い出せなくなる。
「責任ある立場につくと、自分が頑張ってなんとかしなくてはと思い、誰かの助けを借りるという発想が出てこない。」弱音を吐いたり、誰かに相談することが、男は本当に苦手だ。それはホモソーシャルな社会が、弱音を見せた男を、「負け犬」のように扱うからということもある。
ホモソーシャルな社会は「男性性を競う」社会だ。男らしさという価値が、「勝敗」「上下」の絶対的な基準となる。
そもそも男ではない女は、最初から「下」の存在として見なされる。「女は弱いものだから守ってあげないといけない」というのも、そもそも女を「下」に見ている男の視点からくる。
ーたとえば、私が担当する離婚事案では、「自分に口答えした」という理由で妻を殴ったり、「誰のおかげで生活できてるんだ」「文句があるなら俺と同じだけ稼いでこい」などと暴言を吐く男性をしばしば見ます。口答えされてかっとなるというのは相手を下に見ているからです。↓
収入を得ていることで相手より上にいると知らしめようとするのは、上に見られたいという欲求。こういう男性は、妻と対等な関係性では我慢できず、常に上にいると感じたくて仕方ないのですね。彼らの主張を裁判所で聞いていると、つくづく「ああ、有害な男らしさ……」と感じます。P49
社会的には有能な男性が、なぜ夫婦関係や恋人関係で躓くことが多いのか。彼らはその有能さ、情報処理能力がありつつ、なぜジェンダーバイアスにとらわれてしまうのか。それはそもそも、その有能さが、彼等が「男らしさを競い合う」というホモソーシャルな競争の中で培ってきたものだからに他ならない。
男性性を唯一の基準として競わせる、ホモソーシャルな社会の価値観が「有害な男性性」を生む。
男はなぜ女を下に見るのか。それは女が「男らしくない」からなのである。
男らしさを競う男は、必ずしも、芯から男らしいわけではない。彼らは「自分は男らしい」とプレゼンする必要に駆られているだけだ。
だから、苦しい。なぜなら、自分が弱いということを自分で受け入れられないからである。弱音を吐けないだけでなく、自分が弱い存在だということを認めることさえできない。
ミソジニーとは、自分で抑圧した自分の弱さを、女に投影して嫌悪、嘲笑するメンタリティと言えよう。
そうやって育った男は、自分の自尊感情を自分で供給できない。そうした自然な成熟から疎外されて、男らしさの競う競争にさらされてきたのである。
男性は褒められるのが好き、という言い方があるが、男性は褒められないと自尊感情を傷つけられ、機嫌が悪くなるというのが実態だろう。
ホモソーシャルな価値基準を内面化した男は、自分より男らしくない(=経験の足りない、頭の悪い、能力の劣る、等々)男や、そもそも男らしくない女をつねに「下」に見ている。「上」の自分は、その連中に教える側、主導する側でいるのが自然だと感じている。だから「対話」が成り立たない。
ー離婚案件ではよく、「夫とは話し合いにならない」「会話自体が成り立たない」「どう伝えても伝わらないから、もうダメだと離婚を決めた」といった話を聞かされます。P80

それはそうだろう、そもそもコミュニケーションは、最初から自分を「上」、相手を「下」に見ている人とは成り立たない。
上/下、勝/負を競う価値観のなかで、自分を抑圧してきた男は、自分の弱さ、感情、体感を言語化する能力に乏しい。そういう不安定な自分をしっかり見つめてこなかったから、例えば関係がこじれたとき、自分を不快にさせている原因について、冷静に考えることができない。
対談相手の清田隆之が言うように、「自分を不快だったり不安にさせている原因が把握できないから、『よくわからないけど早くこれを取り除け!』とばかりに、不機嫌な態度や他者への暴力といった形で発露させてしまうんだと思うんです」。
男は自分の感情に対する解像度が低い。それは、「男らしくない自分」を抑圧してきたからだ。
だから、DVやモラハラの男に典型的な、「おれは不快だ。それはお前のせいだ」という短絡的な暴力として発散される。
清田さんとの対談で興味深かったのは、こうした男の恋愛観だ。
男女で親密になりたいなら、コミュニケーションで関係性を作っていけばいいのだが、彼らは「なにかの試練に頑張って耐えたら恋愛が成就する」という発想を持つらしい。
この「関係性のなかに別文脈のことを持ち込む」というのは、じつはとても根が深い。
だから男は、夫婦間で問題があったとき、「俺は会社でこんな苦労しているのに!」という気持ちを抱きがちなのだ。家族として一緒に生活を運営していくことと、仕事での努力は別文脈ということが分からない。
さて、要約すれば、男性性の問題とは「強さを強いられることでの解離」ということになりそうだ。
男は、ホモソーシャルな社会から、男らしさという呪いをかけられ、自分のなかの「男らしくない」要素、弱さや迷いといった感情を認知できなくなっている。
ー心の痛み、悔しさ、悲しさなどの「弱い」感情を「音らしくない」と切り捨てて直視しないままでいると、自分の感情に対する「解像度」も低いままになってしまいます。自分自身の感情の解像度が低い人に、他人の感情を想像できるはずがありません。P237
最初に書いたように、「男らしさ」は、それ自体が悪い価値観なのではない。怖れを乗り越えていく克己心は人が生きていくうえで重要な資質だ。
だが、社会的な圧をかけられ、自分はまだそんな力をもたないのに、力を持っているかのように振る舞うことを強制されると、人は解離的にならざるを得ない。
星野俊樹との対談で、星野さんが、男性学者の田中俊之の議論を援用して、「男らしさ」を証明する方策に「達成」と「逸脱」があると指摘している。なるほど、ホモソーシャルな圧は、ただ「達成」のみを促すものではない。「逸脱」もまたそれが雄々しさの証明になるという動機でなされることがある。
星野:達成とは学業やスポーツで競争に勝つという正の方向の努力ですが、逸脱というのは大人の期待の逆を行くふるまいですね。

太田:あえておバカなことや危ないことをしてみたり、性格もあるんでしょうが、年齢的にも、うちの次男がいままさにそういう感じです……。↓
星野:そこで「男のなんてそういうものだよ」「男子はおバカでほほえましいね」というのは、ある意味で男の子育てに試行錯誤している親たちをエンパワーする言説ではあると思いますが、「男らしさ」の競争を補強する方向にも働いてしまう。↓
達成も逸脱も、方向は違えど競争原理に基づいていて、「俺はこんなにすごいぞ」という誇示でしかないわけです。

太田:男子間のマウント合戦ですよね。

星野:そう。それによって有害な男らしさの素地が作られてしまうとしたら、やはりまずい。↓
この時期から男の子は、お互いの弱みや不安、つらさといったものを表に出すことを「ダサい」「かっこ悪い」とする価値観の中で生きることを強いられます。それが自分の中の負の感情を言語化しにくくさせ、共感力やコミュニケーション能力の成長を妨げてしまう。P136-137
さて、それでは、男性性の呪いを受けて解離症状に陥った男たちはどうすればいいか。
ここでも言われているけれど、中高年の男性でホモソーシャルな価値観をしっかり生きてきた人は、もう手遅れかもしれない。
そういう人たちは放っておいて、若い人たち、子どもから、教育を含め、環境を変えていく。
じっさい、おれなども50代だが、しっかりこの「男性性という呪い」を受けて育ってきた。
おれの場合、男社会からの落ちこぼれというか、少しマージナルなところにいたから、まだ解離を免れている部分があった。
noteに書いたこの記事は、自らの呪いを祓う過程のことだ。

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15 Oct
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13 Oct
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12 Oct
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