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4 Nov, 31 tweets, 2 min read
デール・S・ライト『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』(佐々木閑監修 関根光宏・杉田真訳 みすず書房)

目次を見てもらうと分かるが、40年にわたり仏教を研究してきた著者が、釈迦像、その後の仏教多様化の歴史、仏教に通底する教理の核、修行、現代的な展開について概説する。
今は、日本の家制度と密接に結びついた伝統的な仏教のみならず、禅や瞑想など「今ここ」へ超脱するという思想的実践を通して、実存的に仏教の一端に触れている人も多いだろう。
それらの思想や実践の背景となっている智慧の領野をマッピングしておくことは無駄にはなるまい。
初期のパーリ語経典から、大乗仏教、密教、ヒンドゥー教との習合とインドにおける拡散、解体、そして中国に渡ってからの、法華、華厳、禅、浄土などの多様な歴史的展開、さらに朝鮮、日本、ベトナム、チベット、モンゴルへの波及が一望できてそれだけでも勉強になる。
一口に「仏教」といっても、その教義や実践形態はかなり幅が広い。この本では、19世紀以降活発になった西洋との出会いを含めて、現代社会における仏教の位置づけまで見渡せるようになっている。
そうして俯瞰してみると、これを外したら仏教とは言えないという根本教義が浮かんでくる。
仏教の根本は、信念の体系ではなく、人生の訓練方法として捉えた方がいい。
仏教徒が重要と考える信念や考えはたくさんあるが、それは他の宗教のように超越的な神による律ではなく、すべて、人生に遍在する「苦」を滅するために、自分の生き方を変える指示や方向性を与えるものにすぎない。
著者は、仏教の教理の最適な入り口は「四諦(したい)」の理解であると述べる。
四諦は、まず、苦という現実が存在することを第一の真理とする。人間は肉体的な苦痛に加えて、失望、喪失、苦悩、恐れ、孤独、ストレス、心配、憎悪、恨み、憤り、疎外感などに苦しんでいる。
今幸せでも、その幸せもずっと続くわけではない。仏教の教えは、苦を「あるがままの人生の事実」として捉えて、受け入れることから始まる。
第二の真実は、苦の根源となるのは執着や愛着ー「渇愛」であるという認識だ。欲望の対象を手に入れても、けっして最終的な満足は得られない。
ー人間は自分の願いをかなえるために人生を渇望する。そのため、この満たされない渇望がすべての人の感情の根底に存在する。だが、そうした人間と渇望との関係は悲劇的な誤解にもとづいている。その誤解とは、渇望の対象を手に入れれば幸せになれるという、非現実的な期待である。P79
第三の真理は「滅諦」。苦の原因は自分の中にあり、自分を変える力も自分の中にある。自分の願望に合うように世界を変える必要はない。求められているのは、世界に対する自分の姿勢を変えるということだ。
もちろん、この内面の変化が自分と他者との関係を変え、ひいては世界を変えるかもしれない。
第四の真理は「道諦」、「滅諦」を実現するために具体的なプロセスーそのための修行法である「八正道」だ。
八正道は、智慧、持戒、禅定の三つに大別され、智慧には正見(正しい見解)と正思(正しい考え)が、持戒には正語(正しい言葉)と正業(正しい行い)と正命(正しい生活)が、↓
禅定には正精進(正しい努力)と正念(正しい思念)と正定(正しい精神統一)が含まれる。
ー最終的には、この八つの修行を通して仏教徒は、苦のサイクルから抜けだして「目覚めた」とされる知性と品性に近づくために、思慮深く規律ある変化を求められている。P80
四諦の教えにおいて、人間の苦の原因は「渇愛(強い執着、欲望)」とされた。仏教には同じことを多様な切り口で説明する教えが多くあるが、渇愛は、「三毒」という教えにおいて、さらに立体的な意味合いが与えられている。
三毒とは貪(貪欲)、瞋(憎悪)、痴(妄想)という三つの精神状態(煩悩)。
貪と瞋は、望むものを手に入れようとする渇望と、望まないものを拒絶しようとする渇望によって引き起こされる対照的な煩悩だ。押したり引いたりを繰り返す人生では、渇望が癒されることは決してない。
そして、貪や瞋は、妄想や無知を意味する痴によってもたらされる。
私たちは皆、世界のあり方や、自分が誰であるかを誤解している。
仏陀は物事の本質が見抜けるようになった瞬間に悟りを経験したと伝えられている。仏教の根本思想ー世界のリアルは、三相と呼ばれる思想によって説かれている。
三相とは、無常、苦、無我という三つの自然界の法則をさし、そこにさらに明確化を目的とした縁起と呼ばれる第四の原理が加わる。
無常は仏教徒にとって最も普遍的な真理だ。一見変わらないように見えるものでも、異なるタイムスケールで見れば変わり続けている。この原理を免れるものは存在しない。
そして、苦は、人生において偶発的・付随的に生じるものではなく、深遠で普遍的なものであるという認識。
無我とは、自分自身もまた無常であり、実在する自分の構成要素で、変化や影響を受けない超越的な実体は存在しないという考え方である。
追加的な要素としてあげた四番目の縁起とは、他の三つの要素を明確にするのに役立つ。
物事は無常だが、不規則に存在しているわけではない。変化には秩序があり、ときとして予測できる。縁起とは一切のものは特定の原因や条件に基づいて存在するとともに、そのあり方が変化することを意味している。
自分自身も含めて、万物は無常である。これが正しい世界の見方だ。仏教の根本教義では、この無常という現実にあらがうことは、悲惨な結果を生むとされる。変化や苦の脅威を前にして、安定性や確実さを願う者は、その期待が絶えず裏切られ、さらに多くの苦が生まれる条件を生じさせている。
無常を覚える自己もまた無常であるというのが無我の考え方である。
無常と無我とをセットで捉えられなければ、仏教の核を逃してしまう。日本の文学で描かれる無常観は、しばしばそれを観照している不変の自己を幻想させてしまうところがある。
ーあなたの内面に、不動で、永続的で、他のものからの影響を受けていないように見えるものを発見できるだろうか。ブッダは自身が発した問いに「否」と答えた。見つけられるのは、肉体的・精神的現象の複雑な動きであり、それらが互いに依存したり、外界の他の条件に依存したりている様子である。P88
人間のあらゆる側面は一時的であり、抗うことのできない力に依拠している。この考え方は、だが、けっして虚無主義(最終的に存在するものは何もない)ではない。人間は永遠に存在するわけではなく、まったく存在しないわけでもない。こうした「現象としての人間」を腑に落とすことが中道主義である。
自己も魂もないなら、私とはいったい何なのか。仏教では人間は五蘊という五つの要素で構成されているとされる。
「私」は、この五蘊の「作用」そのもののことだ。「私」が肉体、感情、思考、意欲、自意識を”もっている”のではなく、それらの要素の作用として「私」が現象する。
ー第一に、人間は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五つの感覚によって、自分と自分の周囲の世界の知覚的体験を含む肉体的体験をしている。第二に、人間は快か不快か、興味をそそられるか嫌悪感を抱くかといった、さまざまな感情で知覚に反応する。↓
第三に、人間はさまざまな概念や思考プロセスを通じて自分の経験を分類し、概念的に解釈する。第四に、そのすべてが行動を起こす意志作用を与え、基本的な欲求を含む意欲や意思を生み出す。最後に、これらの要素はすべて、人間としての経験のなかで互いに結びつき、自己認識を形成する。↓
このようにして人間は、身体、感情、思考、意志作用をもつ個人として自分自身を認識しているのである。(…)
つまり「私」とは、自分の身体、感情、思考、意欲、自意識の現在の状態のことであり、それらはいまこの瞬間に特定のかたちをとっているのである。P90-91
心は自動的に貪瞋痴に向かう。仏教において悟りを達成できるかどうかは、この傾向を弱めるほど注意深く行動の訓練を行ってきたかどうかにかかっている。
人間は、日々の修行と目的ある精神修養を通して、悟りをひらいた状態につながる条件を整える。これが先に書いた八正道の継続、すなわち修行だ。
仏教の瞑想修行に習熟するにつれて、典型的に生じる変化がある。
何らかの体験が愉快か不愉快かについての判断が徐々に変化し始めるのだ。
真に瞑想する者にとって、不愉快は愉快と同じくらい興味深いものとなるのだ。
このことは、愉快を追求することと、不愉快をなくすことに全精力を費やしていた習慣を弱めていく。
そして、瞑想をする前は、特定の刺激に無意識的に決まりきった反応を返していた心が、そうではなくなる。刺激と反応の間にスペースが生じてくるのである。
何かが起こる。それが自分にとって快なら求め、不快なら避ける、そうした自動的な反応が弱まるにつれ、外界からの刺激に対して、自分がどのように反応するのか、自分で意志的に決定できる自由度が高まっていくということである。
瞑想の経験が増すにつれて起こる変化の最後の一つは、意図的に計画された活動から、受容度の高いオープンな活動へと変わっていくことだ。

ー瞑想の初期の段階では、多大な努力が必要になる。瞑想中に行うことの明確な計画とともに、強い意志と決断力が求められるからだ。↓
しかし徐々に意志と決断力が必要なくなる。
洗練された状態にある瞑想者は、自分の欲望や見方に合わせるために、意志や決断力によって物事を前もってつくりあげることなく、そのありのままの姿を見ることができる。最も深い瞑想状態は、このような「解放」や「放出」という経験として説明される。P142

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4 Nov
ジョン・グレイ『猫に学ぶ』(鈴木晶訳 みすず書房)

ー人間生活の大半は幸福の追求だが、猫の世界では、幸福とは、彼らの幸福を現実に脅かすものが取り除かれたときに、自動的に戻る状態のことだ(…)
人間がなかなか手に入れられない幸福が、猫には生まれつき与えられているのだ。P6
著者は、モンテーニュとウィトゲンシュタインの哲学は「人間を哲学から癒す」ための哲学だったと説く。
人が何かを考えるとき、その言語には過去の形而上学体系の残滓が散乱している。それらを発掘し、自分たちが現実だと考えていたことがじつは虚妄であると知ることこそが彼らの「哲学」だった。
ー猫に抽象的思考が欠けていることは、猫が人間よりも劣っていることを示しているのではなく、彼らの自由な精神の証である。概括的思考の能力は、迷信的な言語崇拝へと容易に横滑りする。
自分が触れ、嗅ぎ、見ることに頼っている猫は、言語には支配されない。P7
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2 Nov
ジョナサン・シルバータウン『なぜあの人のジョークは面白いのか?』(水谷淳訳 東洋経済新聞社)

笑うとき、脳ではどんなプロセスが起こっているのか。
笑いの起源は?進化的な獲得の経緯は?人間にとって笑うことの持つ意味とは何か? ImageImageImage
笑いとは何か。笑いにもいろいろな種があるが、そこに共通する最も一般的な定義はなんだろう?
よく、笑いは「緊張と弛緩」によって起こると言われるが、それでは緊張とはどういうことだろうか。
著者は緊張とは、「不調和の検知」であるとする。
脳ー心の仕事は「予測する」ということだ。予測するーすなわち仮説を立てるということである。
脳ー心は、感覚入力を受けて、絶えず仮説を生成している。物事を認識するとは、そこに客観的に実在するものを受け取るということではなく、「仮説としての対象を計算する」ということなのである。
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16 Oct
森田真生『僕たちはどう生きるか』(集英社)

ーこれまで反復していた自然がかつてのようには反復しなくなり、当たり前にいたはずの生き物たちが次々と滅びていく世界で、心を壊さず、しかも感じることをやめないで生きていくためには、大胆にこれまでの生き方を編み直していく必要がある。P3-4
本書は2020年3月30日(月)から書き始められる日記形式の連載をもとにしている。
コロナウィルスのパンデミックが広がっていき、「危機を阻止しようとする取り組みが、既存のシステムの順調な作動の急激な停止」をもたらした、その時間の中で、アクチュアル且つラディカルな思考が展開されている。
コロナ、急速な気候変動、これらの人間がもたらした旧来の人間の環境の危機的状況のなか、著者は、この状況を乗り越えていくためには、ラディカルな認識の転回が必要だとする。エコロジカルな転回だ。だがエコロジーとは何か。
ティモシー・モートンの「エコロジカルな自覚」という概念が引用される。
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15 Oct
若林理砂『東洋医学式凹んだココロをカラダから整える46の養生訓』(原書房)

人のココロは自分が思っている以上にカラダの状態に影響を受ける。
凹んでるなぁと思ったら、まず空腹、手足の冷え、寝不足、凝り、痛みや痒みといった、カラダの状態に意識を向けてみるといい。
多くの人は、自分のカラダについて、ぼんやりとしか認識していない。
カラダには個性、型がある。
また、カラダは睡眠、飲食、運動を通して、カラダをとりまく環境との、絶え間ない代謝、交換、共鳴の中にある。
ココロは、そのカラダのダイナミズムに伴う現象だ。まず、そのことをしっかり自覚する。
まずカラダの個性、型について、東洋医学では熱ー冷、湿ー乾の軸を交差し、熱湿タイプ、熱乾タイプ、冷湿タイプ、冷乾タイプの4タイプに分類する。
自分がどんな体質なのかを自覚しておくと、気分の浮き沈みの傾向や、その際どんな手当てをしてやればいいか、より明瞭に分かるようになる。
Read 31 tweets
14 Oct
太田啓子『これからの男の子たちへ』(大月書店)

男らしさ、男性性は、これまで社会的にポジティブな評価を受けてきた資質、能力だった。
もちろん、物事を遂行する上で、それはポジティブな側面も持つ。だが、光があれば闇もある。男性性のネガティブな側面は、これまであまりにも無視されてきた。
問題は、男性性そのものというより、男性のホモソーシャルな社会性のなかで、男性性が唯一絶対の価値として共有され、人間のそれ以外のさまざま美質が抑圧されてしまうことにある。
男性性の優位を競うホモソーシャルな社会の中では、”男らしくない”ゲイや女性は嫌悪され、嘲笑の対象となる。
男は、子供の頃から「誰が最も男らしいか」を競い合う価値観のなかで育つ。「男らしさ」とはどういうことか?
『男らしさの終焉』という著書の中で、社会心理学者のグレイソン・ペリーは、「男性性の4要素」を、①意気地なしはダメ、②大物感、③動じない強さ、④ぶちのめせ、とまとめている。
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13 Oct
『堀内誠一 旅と絵本とデザインと』(平凡社)

コロナ・ブックスで堀内誠一があったので購入。何となくは知っていたが、すごく広大な仕事をした人だったんだなぁと改めて。
特にエディトリアル・デザインの仕事。この人の手がける雑誌はただの情報媒体じゃなくて、雑めく芸術だ。本当に愉しい。
ー雑誌は音楽の組曲のように、いやもっと食事のコースに似ているかも知れません。アペリチフがあり、前菜、アントレがあり、メイン・ディッシュがあり、デザートや食後酒のツマミがあるという形を先ず想像します。↓
そして食べ方の好みに則して、デザートを増やしたり、なかにはチップスばかり集めたカタログ誌風な雑誌も作れるわけです。
いずれにせよエディトリアル・デザインは料理や作曲の工夫に似ています。面白いスケルツオを長くするのもいいが、延々とアダジオを歌いたい気もあるのです。
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