対国家規範が、コードに影響するのは普通のこと。
投票いった? って聞いても違法じゃないけど、控えるべきってコードに普通はなってるでしょ。
素っ裸で公道にでる、裏ビデオの公共放送がOKになるのか、説明してもらえますか?
地下猫さんが引用する山口先生のTweetはこちらです。
それとも、程度問題で公共性の低いものから高いものまでグラデーションがあるというイメージですか?
「より強く保障される理由にはなっても制約される理由にはならない。」と、比較の話をしています。
表現したかったのは、地下猫説は右肩上がり、山口説は右肩下がり(または傾きゼロ)ということだけです。
「公共の場において表現を制約する理由がないというのなら、コードの存在を無視するということであり、」
まずここが成り立たないですよね。山口先生はコードを無視なんて言っていないんだから。
<コードのあり方についての理解が自分と違うこと>と、<コードを無視すること>を同視しているのですから。
雑であり、かつ、非常に狭量と言わざるを得ません。
これは事実ではなくて規範ではないかと思いますが、いずれにしても、何か具体的な根拠はありますか?
現時点の貴殿のTweetを見る限り、根拠は何も示されていないと思います。
ということになるのでしょうかね?
服装なんかより、訴訟活動の中身が重視される世界ですからね。書面がわかりにくかったり提出が遅れたら、心証を害しますが、服装でどうこう言われるというのは
昔から変な格好している弁護士はたくさんいましたし(ヨレヨレのスーツとか、紐ネクタイとか)、それでも中身が強ければ尊敬されますよ。
クールビズ以降は、裁判官も完全にノーネクタイです。法廷では、黒い法服を上から着ますが、あれは制服みたいなもんですね。
コードがどうとか考えません。
重度障害者が議員になる時代ですが、スーツ強制しますか?
私は一国民として、コードなんてどうでもいいものより、立法活動の中身で勝負してほしいです。
あなたの願望でしょう。高い水準のコードで自由を制約したいという。
願望を憶測で根拠付けようとしただけです。
(対国家)法的規範である表現の自由が、道徳的規範にどう影響するのかというのは、この萌え炎上問題における重要な論点なのですよ。
弁護士にとって「品位」は単なるコードではなくて、法的規制です。
以後議論を続けたいのであれば、ここにリプライを順次つなげる形でお願いします。
「公共性が高いとコードは厳しくなる」という地下猫理論に対する反例です。
ご自由にではあるけれど、議論の相手には必ずしも適さないということになりますね。
「ここまで私は、「コード」は、法的規範とは異なるものと理解して論じてきました。」って明記しているのにね……。
日本語が通じない。