bit.ly/2IUFdIv
これは吉野家のどんぶり山盛りに相当します。つまり、「風立ちぬ」のような、吉野家なみの大きさのどんぶりが、大正時代には存在していたのです。
それでは、明治時代のいつごろ普及したのでしょうか?
肉体労働者ならば当時はそのくらいは食べたでしょうが、編集者としては多すぎです。
やはり、当時のどんぶりの器は、現在より小さかったのではないでしょうか。
そこで主人公も参加するのですが、その時の様子が次のようなものでした。
ここに通常の”鰻の丼”でなはい、”大丼”なるものが登場します。これが、今日の鰻丼にあたる、大きな器に入った鰻丼ではないかと思います。
明日以降は、「鰻飯」の呼称は、いつから「鰻丼」に変わったかのかを検証します。